得さんのページ

喜多方発・・・蔵の街の地域情報を主に発信します。観光・歴史・文化・催しその他等。

観光ガイド・デビューしました。

2005-02-17 14:48:36 | Weblog
観光ガイド・デビューしました。昨日は最悪の天候、あの雪の中蔵のまちのガイドに行ってきました。お客さんは名古屋からのツアーの25名バスで市内の駐車場へ定刻に到着、予定ではここで下車して南町まで、蔵の町並みを散策、ところが雪の中足元は悪いし寒いしとっても無理そこで、車のままで移動、歓迎の挨拶をしてから、車内で簡単に喜多方を案内、「喜多方は会津地方の北の方なので北方です。明治8年に小田付、小荒井等五箇村が合併し喜び多い町の喜多方町になりました(人口4000戸数800)明治13年に街の中心部から出火180戸を焼き尽くす大火に見舞われ、焼け残ったのが土蔵です。蔵は財産を守る命を守ると蔵を見直す一つのきっかけになりましたが、以前から多くの蔵が存在します。現在人口37000にん戸数11000余り蔵の数が2600棟、日本一の蔵の町です。町中が蔵の博物館です。」と言っている内にもう金忠さんへ到着「味噌醤油の醸造元です。店蔵から二階へ上がってください天井が船底造りになってます。漆が塗られています。床の間の壁は貝殻を塗りこめた螺鈿(らでん)です。」次はモーツアルトのクラシックを仕込みに聞かせている小原酒造の酒蔵です、酒の名前も蔵粋。次は矢部さんの(大善)倉庫蔵の群これはすごい大きい長い蔵です。表通りのレンガ造りはイギリスからの輸入品です。明治35年に鉄道工事がはじまりレンガを市内で大量に製造するようになりレンガ蔵が建てられるようになります次は、あづまさ木綿蔵とラーメンの試食、市内には120軒のラーメン店があります。と言っている間にアットゆう間に終わりです。時間を切り上げて出発しました。車内で挨拶をして別れました。店の人を手を振って見送りました。

画像挿入します。

2005-02-16 10:48:09 | Weblog
今日は、教室で画像の挿入を勉強してます。蔵の街なので蔵の画像にします。
煉瓦の蔵の画像です。市内には2600棟の蔵があります。煉瓦は明治35年に鉄道工事がはじまり
大量のレンガが市内で製造されるようになってから建てられるようになりました。

[看板を返してくなんしょ。」

2005-02-08 10:14:10 | Weblog
「看板を返して下さい」。とゆう、会津地方の方言なのですが、やはりこれでは、読者には解らないと思ったのでしょう。2月6日に民報新聞掲載のみんなのひろばでは、「街づくり拠点看板を返せ」でした。原稿原文では、「看板を返してくなんしょ」と優しくお願いしたのです。
近所に非常にウルサイ評論家がいて、「オマエの文章はいつもキツイ」と何時も言われています。
あ、-あ。これで又評論家にキツイといわれます。新聞社の校正さん、タイトルはあまり変えないでください、それで、今日は原稿原文を書いて置きます・
 蔵のまち、喜多方市の南町に寄り合い所があり、観光案内所としても利用されています。
造り酒屋さんの蔵です。そして、東京大学大学院・都市デザイン研究室の喜多方分室でもあります。近くの木工所の方が白くてきれいな材料をと言って作ってくれた、長さ六十センチ余りの看板です。その東大の看板が無くなってしまいました。受験シーズンを迎えての悪習か・・?他人の表札を集めて合格を願う悪習があったそうですが、・・・あるいは単なるいたずらは、わかりませんが、「返して、くれっといいだがなー。」とみんなで願っています。どうか、返してください、この研究室は都市計画が大きな転換期を迎えているこの時期に蔵を生かした街づくりの為、積極的に地域と連携し次世代のまちづくりを考え、取り組んでいる研究室です。街づくりは一朝一夕ではできません、数年かかるプロジェクトです。市内では各小学校の児童が参加し、蔵を知ることから初めていろんな学習をしています。

蔵の街観光案内所

2005-02-02 11:17:06 | Weblog
11日は、蔵の街観光案内所の当番なのですが、別の用事があり、どうしょうか?
と迷っています。他の人にお願いしようか?、でも11日はグリーンツーリズムの大会も有って皆さんなかなか都合がつかないのです。水沢アキさんがおいでになるんです。
今日は、パソコンの教室の日ですが、雪、雪あまりにも多い雪を片付ける為に休みました。
明日は節分なのに、もう雪は沢山です。明日天気になーれ。