貸倉庫から段ボール箱4つを持って帰り、また整理をすることになりました。今度は、結婚してから13年間住んでいた賃貸団地のときのもの。といっても、夫と私の結婚前の物がほとんどでした。大学4年間の手帳。私の母校は今年、恩師の最終講義で久しぶりに行きましたが、すっかり昔の面影はありませんでした。常盤松校舎だけは昔のままだったかな・・・?
大学時代が、私のその後の社会人人生、夫婦人生の原点だったと思います。手帳の字は、なんと今よりきれいに書いていました。おかしいな?!
昔は携帯電話もPCもなかったのですから、文字を書くことがすべての基本だったのです。世の中、変わりましたね。
夫の母校での思い出の品だったのでしょう、リコーダー教本が出てきて、何と彼は、有名なリコーダーアンサンブルに参加していたんですね、びっくりです。山岡重治さんが名簿のトップにいるんですから!
確か、彼は目黒高校時代から古楽に興味を持っていたそうです。淡野弓子さんのシュッツ合唱団はほとんど聞いていたとか。その付属のオーケストラに、私の上司がいた偶然があったんですよね。私のほうは、大学時代にはまったく、クラシック音楽とかかわることはありませんでした。
そして、教員試験の2次試験で落ちてから民間企業に就職し、世の中の男女差別に驚愕したのでした。その会社の営業補助を3か月で辞めて編集のアルバイトをしたのが、当時三鷹の下連雀にあった「いずみ書房」。当時の身分証明書が出てきました。そしてネットで検索すると、見事に今も活躍しているではありませんか!うれしいです。当時、私は史学科卒業ということで、子供向けポケット絵本の付録の人名事典の原稿を編集していました。
大学時代の親友とは、ずっと手紙のやり取りをしていました。
そういえば、両親の手紙のやりとり(いわば、ラブレター)の箱、姉はどうしたかな?
大学4年間の手帳は、まだ捨てられません。でも、思い出にひたる時間は、なんだかもったいない気がします。今を生きていかないと・・。
私は東京下町で生まれ、大学まで男女共学でのびのび育ち、社会人として現実に幻滅し、結婚しても仕事は続けたのに、両親のがん闘病でそのたびに退職し、復職することなく一時期は専業主婦になり、夫の定年前の退職で職業訓練校で医療事務の資格を取り、年齢の壁のため希望の仕事には就けず、今は財団の嘱託職員として細々と生活しています。夫もがんになり先に逝っちゃいました。
歴史を勉強したことは、私の人生にどう影響しているのでしょう。よく学び、よく遊び、よく飲んだ。
青臭いと父がその印象を語った彼と結婚したのも、子供はいらないという結婚生活も、もしかしたら、いつまでも「青臭く」いたかったのかもしれない、二人とも。
彼はがんと向き合いました。そして、静かにゆっくり亡くなりました。私の両親もそうだった。
あの大臣が自殺したのは、本当に女性スキャンダルなのかな。亀井さんが、がんで入院中の彼を見舞ったといっていたから、病気を苦にしたのかも。いまどき、女性スキャンダルで自殺するかしら。勉強家だったとのこと、惜しい政治家をなくしました。
自民はなんで、勉強もしないえらそうな元首相を野放しにしているのでしょうか。その筆頭で一番嫌いなのが、。彼はごね得で、今まで来た人、首相の器ではないですよ。ただの宴会大好き人間。政治家としての努力も、勉強もないんじゃないの?人間関係をまとめるのがうまいだけ。そいつらが押す石原幹事長でしょ、自民党は結局、何も変わらないってこと。これじゃ、ますます、維新の会の天下になっちゃいますね。でも、ヒットラーになるのではと気になります。おっと、思い出から政治情勢に飛び火しちゃいました、もうやめよっと。