先日、夫を何とか説得して、去年に続いて今年も、西生田の日本女子大オケの定演に参加することにしました。
今日、郵便で楽譜が届き、わくわくしています。
定期演奏会は、11月26日日曜日。お昼の開演のハズです。場所は、日本女子大学西生田成瀬記念講堂。去年は、ハイドンのロンドンシンフォニーで、他にも、ソプラノの古谷京さんを迎えてのヘンデルの声楽曲など、参加した私が言うのもヘンですが、素晴らしいコンサートでした。今年もみんながんばりますので、きっといいコンサートになるはず。ぜひ、お近くの人は、この11月26日を空けておいてください!
曲目は、まだ変るかもしれませんが、モーツァルトイヤーということで、モーツァルトの交響曲9番、お父さんモーツァルトのカッサシオ、あとはサリエリの曲やクリスチャン・バッハの曲のようです。夏が過ぎてから集中的に練習することになるようです。そのまえに来週、練習があります。(よりによって、3日連続楽器の練習と本番があるのに、それに連続してしまった・・・・)
夫の許しをやっともらったので、弱音を吐かずにがんばろーーっと。
管弦楽団に、弦楽器の新入生が入っているといいのですが・・・。大きな大学オケよりも、ずっとずっと楽しいはずです。迷っている方、ぜひぜひ、西生田にいらっしゃいませ!?ヴァイオリンだってチェロだって、もっちろん、ヴィオラだって、子どもの頃やっていなくても、これからでもちゃんと弾けるようになります(私は、ちゃんとじゃないかも?!)。スチューデント用の楽器、たくさんあるはずだから、ぜひ、自分で楽器を鳴らしてみましょう。クラシックは人生を楽しくしてくれますよ。
今日の午後、南大沢にある都立小山内裏公園のパークセンターで、モーツァルトのクラリネット五重奏曲を演奏してきました。午後2時開演で、3時まで1時間も、もつのかなーと心配でしたが、前後にクラリネットのM氏のお話もあり(彼の話は長い・・・)、演奏後の質問コーナーなども含めたら3時をすっかり回ってしまっていました。
M氏は、10月14日の南大沢交流ホールでの本番の練習と思えばなんて呑気なことを言っていたので、安心して練習不足?で臨んでしまいましたが、なんと客が大勢集まっていたのでした。近くの南大沢学園からも生徒さんたちが先生の引率で来ていましたし、こんなことならと冷や汗をかいてしまいました。
でも環境は公園内だから、緑に囲まれて、ここが東京都なんて、信じられないくらいの素晴らしいところでした。閉め切っていたので、途中からものすごく暑く感じ、最後は大汗を本当にかいてしまっていました。このモーツァルトの曲は、全曲通すと、ものすごく長いのです。くたびれ果てて、みな、最後まで集中力が持たなかったです。M氏だって、弦だけ弾いている3楽章の中で、パフォーマンスとかいって、コーヒーを呑気に飲んでいましたが、案の定、そのあとの演奏は、4小節も飛ばして私たちを混乱させてくれました。
みながみな、それぞれとってもきわどい演奏をしていましたが、なんとか無事に演奏を終え、お客さんは満足したようでしたが、いいのかしら、これで・・・。反省しきりです。
来週も、ブラームスの弦楽六重奏曲1番、また26日金曜日は昭島のモリタウンで弦楽四重奏を演奏したりと、きついスケジュールです。ゆとりを持って練習して本番に臨みたいのですが、贅沢な悩みでしょうか。
アマチュアって、一つの曲をいつまでも練習することが出来るのですが、M氏が気をよくして、また来月も、なんてことになると、いつまでもモーツァルトのクラリネット五重奏曲だけってわけにもいかないのではないかしら。確かに、今年はモーツァルトイヤーですが・・・。
明日、またがんばろう。精進あるのみです。
昨日、新聞屋さんから招待券をお願いしてもらっていたので、夫と二人、渋谷の文化村ミュージアムで「ポンペイの輝き」展に行ってきました。月曜日だからすいているだろうと思ったら大間違い、けっこう混雑していました。
でも、なかなか現地で見られないから、この展覧会は本物を間近で見ることができて、本当に面白かったです。どのサイトにもあまり紹介されていませんが、ごく普通に身につけたいただろう金の指輪(柘榴石やエメラルド、ルビーなどを使った)がとても素朴でチャーミングでした。さらに、ヘビの指輪や腕輪、木の葉のチェーンネックレスや素敵なイヤリングなど、興味津々でした。普段、宝飾品に全く興味持たない私がこうだから、かなり貴重な展示だと思います。A.D.(紀元)79年8月24日午後1時、大噴火があり、その後19時間かけて埋没してしまったのです。避難できた人たちも多かったはず。でも、こうして、その地で宝飾品と一緒に亡くなった人も多く、その人の最後の姿がこうして私たちの目の前にあるのでした。
去年だったでしょうか、このポンペイ最後の日をドラマにした番組を見ました。逃げるといっても、今と違い、情報もはっきりせず、どうしたらいいか右往左往していたのではないでしょうか。実際、海に逃げようと、船倉庫に人が集まり、そこで多くの人が亡くなってそうです。有毒ガスで亡くなったのか、高熱によるヤケドで亡くなったのか、それにしても本当に悲惨です。
ポンペイ遺跡には、そのまま町並みが復元され、その中にはいろんな商店があったそうです。今回の展示で居酒屋もありましたが、さすがに、娼婦の館は持ってこなかったようで・・・。
外科医の持ち物には、今でも通用するような器具があったり、文化や技術の高さがうかがえます。ガラス器も何点かありました。
関東にも大震災がそのうち来るだろうと、だれもが予感していますが、もしかして、東京も、ポンペイのように、震災後数百年も眠ってしまう、なんてことはまずありえないでしょうね。でも、いまだって、運命には逆らえないものかもしれません。幼児や犬の型を見ると、本当に悲しくなります。
1世紀のイタリアの日常をうかがえる、またとない貴重な展覧会です。皮肉なことに、私たちはヴェスビオ火山の噴火により、生きた歴史を知ることができたのです。長く発掘に携わってきた研究者の努力に感謝。そして、散逸せずにきちんと保管展示してきたのも、すごいことなのでは。修復にかけてのイタリアの技術は、こうした発掘調査の歴史にもうかがえるのですね。大好きなイタリアに、またぞっこんの一日でした。この展覧会は6月25日までです、お早めに。
昼過ぎに見終わって、せっかくだからと夫と原宿のビノエパスタでランチを食べました(それにワインやビールも!)。相変わらず、おいしい料理に舌鼓!
予告の通り、今回は、いまも話題になっているジェンダーフリーについて書いてみたいと思います。もともと、私はこういうテーマにとても興味がありました。
私は、父親が高校教師、母が専業主婦といいながらも近所の実家の八百屋を手伝っていたという家族に姉と両親4人暮らしで生活していました。私は小学高学年から中学時代までその実家の風呂焚き(なんと薪で焚いていました)を1回50円でアルバイトしていましたっけ。そんな、ちょっと貧しい家庭でした。が、大学までずっと男女共学、社会人になるまでまったくといっていいほど、男女差別には縁がなかったのです。
都の教員試験を2次で落ちてから慌てて入った民間企業で、前近代的と思うほどの男尊女卑を経験して驚愕したのです。その後も、似たようなものでした。本当に、信じられない「日本の社会」の現状だったのです。まず、女子社員がほとんど個人名で把握されず、ただの「女子社員」なのです。当然、お茶くみや掃除、タオルなどの洗濯優先の仕事にあきれ果てました。
でも、男性は、おそらく、就学後の社会でも違和感はなく社会人になっていくのではないでしょうか。つまりは、明らかに、男性中心の社会なのです、いまだに。
もちろん、生物学的にも医学的にも、男女差はあるのは当たり前です。生殖や排泄に関係する体の器官が違っているのですから。でも、それ以外は、脳だって内蔵機能だって同じなんじゃないでしょうか。女性の能力が男性よりも劣っているというのは、偏見です。女性は、能力を発揮する以前に、家事労働に従事させられてきた歴史があるのです。いまだに、自民党などの政治家たちが画策している「男らしさや女らしさ」というのは、生物学的な習慣ではなくて、その後の男性中心の社会が作ってきた通念なのです。それをふりかざしている間は永遠に、男女同権はありえないと私は思います。
生殖に関して言えば、絶対にタブーなのは近親相姦、それ以外は個人の自由ではないのではないでしょうか。男性が男性に惹かれても、または女性が女性と恋愛しても、それは個人の自由であって、大事なのは、お互い、一人一人がきちんと理解した上での同意の関係だということです。
男性優位という社会では、明らかに力で女性を抑圧しています。そういう力関係での平等はありえません。恋愛や性行為に関しても、お互いの合意がなくては成立しないものです。どちらかが無理強いするということが、虐待であり、暴力ということになるのです。セクシャルハラスメントとは、そういうことです。
男性女性の性差を無視するのではなく、さらにそれを超えて、人間として対等であるということをジェンダーフリーというのではないでしょうか。それが実現できなければ、問題ある社会ということになるんじゃないかしら。今の日本が、そうです。
ジェンダーフリーという考えをきちんと理解していない政府や自治体が教育現場でとんでもないことをしているんじゃないでしょうか。トイレの男女別はもちろん、あって当然でしょう。男性が立小便して女性は座ってしかできないのですから。
それを、男性も座ってしなければいけない、とうのは、どういうものでしょうか??
それが不自由というものではないのかしら?そういう目に、散々、女性はあってきているのです。そういうことを改善して、同じように、人間として、職場や家庭で同じように人権を尊重してほしいということの、何が悪いというのでしょうか?
有史以来、女性を「家庭」という閉鎖的な空間に閉じ込めてきた男性に、私は反抗したいです。男らしさや女らしさは、そういう「男性中心の社会の男性」が作り上げてきたものなんです。もっと、個人の自由を尊重して、お互いに理解しあって同じように譲り合って生きていきませんか?
ジェンダーフリーという言葉、あまりに誤解されすぎています。どこかのお馬鹿さんたち、もしかして、ヒッピーの頃のフリーセックスと勘違いしていませんか?
私が大手予備校を辞めてから、OLしながら採点のアルバイトをしていた時期があったのですが、平日は仕事をしていて、採点は夜中にやっていたから、かなりきつい仕事でした。睡魔との闘いです。あるときの日本史の採点で、思いっきり目が覚めたことがありました。日本史の解答で、正解が青鞜だったのですが、これが「ブルーソックス」と書いてあるのを私は「フリーセックス」と読み違え、ものすごく驚きましたっけ。
ジェンダーフリーを検索したら、こんなサイトがありました。なんか、とっても誘導されている授業に感じました。こんなのも、現実にはあるんですね。だから、教育というのは、難しいのです。恐ろしいのは、自分は正しいと思って何も疑いを持たないこと。
つくづく、あの時、教員試験に落ちてよかったと思っています。
女性解放というのは、本当にまだ1世紀かそこらのことなんです。いまだに、イスラム社会では女性の権利が認められていません。でも、同じ人間なんですよ。男性は社会に出て大変な仕事をしていると思い込んでいるようですが、本当にそうでしょうか?家事労働がどれだけきりなく大変なことだか、理解しているのでしょうか?家政学という学問があるくらい、家庭のことは大変なんですけれどね。それに、以前NHKのスタジオパークで渡辺えり子さんが言っていましたが、男性は10秒で子どもを作るけれど、女性は10ヶ月もおなかに胎児を抱え、出産後も大変なんだって。その通りですよ。だから、その長期間の休職を考えると、演出家などでは出産する女性が少ない。これは明らかに、平等ではないと思います。男女共同参画というのは、まずこういうことから、改善しないと。小児科、産婦人科の医師を増やす努力を。託児所の完備。介護や育児を女性だけに押し付けないこと、などなど。
男らしさ、女らしさよりも前に、人間らしさを優先してみませんか?それが私の理想です。
今日、下高井戸シネマで映画「スタンドアップ」を見てきました。今日が最終日だったんです。
下高井戸シネマでは前回、「三池」というドキュメンタリー映画を見たので、同じ鉱山がテーマの映画、そして何より、セクハラ訴訟の話だったので、とても興味があったんです。こういったテーマをあの大手のワーナーブラザーズが作ったなんて、信じられます?私はあの大会社は、まさに映画の中での大手炭鉱会社と同じ立場だと思っていましたから。
でも、映画は、もちろん裁判を軸に、ストーリーが展開しますが、テーマはもっと大きく、家族や親子の絆までも取り上げている、なかなかの力作です。
私がこの映画で嗚咽したくらいの大泣き場所は、実は、彼女の長男サミーに、本当の父親のことを話すシーンです。彼女はハイスクール時代に同級生のBFと付き合っていて授業をサボり、二人で補習をさせられ、さらに彼女だけ残されて教師にレイプをされ、その結果の妊娠だったのをずっと隠しとおしていたのでした。でも、その教師が炭鉱側の弁護士に、彼女の昔からの「あばずれ振り」の証人として登場したことから、本当の真実が明かされたのです。長男にとっては、家出するくらいの衝撃事実で、彼女は長男のことを一番に気にかけていました。妊娠中、胎児が動いたときに、彼女は、この子は私だけの子どもだと実感して産む決心をしたとのこと。
レイプも迫害も虐待も、常に、弱いものへの暴力なんです。自分の立場を利用して、本当に卑怯な行いです。私は、こういうことを絶対に許せない。
考えてみれば、日本もそしてちょっと前のアメリカでも当たり前のようだった現実なんです。最後まで娘を理解しなかった父親が、「もし、自分の娘がそういう目にあったら、どう思う?許せない」と、炭鉱の職場でのセクハラに男性としてノーと言ったあの場面は、感動しました。
まだまだ、この地球上では、強い立場を悪用して、弱いものいじめがはびこっています。でも、それを見過ごしてはいけません。みな、同じ権利があるんです。
すべての人が、同じように自由で生きられる世の中、それが地球であってほしい。彼女が裁判を起こしたことで、セクハラという問題が認識されるようになりました。日本は、まだまだこれからです。世の男性の意識が、もっともっと変わってくればと思います。この映画は、人間として生きる勇気をもらえます。確かに、ちょっと極端かもしれないけれど、現実には本当にあったことだと思います。
いまの日本の社会に、全体主義的な、懐古的な抑圧を感じるのは、私だけではないはずです。ジェンダーフリーに対して、人々が誤解しているのは本当に残念なこと。男女の違いはもちろん存在するけれど、それを超越して、同じように、人間として、人間らしく生きること、それがどうしてわかってもらえないのでしょうか。このテーマは次のブログに詳しく書きます。
セクハラ問題だけではなく、この映画は、本当に感動しました。自分の稼いだお金で子どもを養い、家を買う、その幸せを実感した女性の話なんです。それが、そんなに身のほど知らずなことなんですか?三池でもやっていましたが、炭鉱は、温度40度、湿度90度の過酷な条件の職場です。多分、炭鉱じゃない鉱山も、同じようなものだと思います。そこで働く女性にとって、さらに性的嫌がらせを受けるなんて、本当に頭に来ます。
昨日、久し振りに個人レッスンをつけてもらいました。予約の電話をしたときに先生から、基礎練習用にセヴシック1冊目を買っておくように言われました。
今月、7日にクリエイトホールでピアノの発表会の中で弦楽四重奏を演奏し、さらに17日に南大沢の都立小山内裏公園の施設でモーツァルトのクラリネット五重奏曲、27日には昭島のモリタウンで「ママさんなんとか」シリーズの演奏に(私はママじゃないけれど、一人ママがいればいいとか。つまり私以外はママさんですが)弦楽四重奏で出演することになったので、さすがに身内だけのブラームス弦楽六重奏曲1番よりも、クラリネットのほうが先生は心配だということで、指使いなどいろいろ教えていただきました。結局、3時間もレッスンを受けて先生をかなりくたびれさせてしまいました(申し訳ないです)。
いま、どうにもうまくアンサンブルが出来なくなっているのは、やはりいい加減に曲だけを練習してきたからで、基礎練習は先生のようなプロでも必ず30分はしないといけないとのこと、反省頻りです。セヴシックでいえば、5番、11番、19番、26番を重点的に練習するといいということでした。
基礎が大事だということを痛感したレッスンでした。基礎がしっかり身についてこそ、音楽的に曲を演奏できるのです。今まで私がやってきたのは、なんだったのでしょう・・・。
初心に戻って、再スタートです。
それで、対策として、以前作った小物入れのもっと小さいものを作ってみました。最初に作ったときは、大昔のオレンジページの初心者洋裁シリーズの中から選び、生理用ナプキンを入れる巾着にしていました。裏地を使うのがミソなんです。さらに小さくしたので、ミシンではちょっと縫いにくいのですが、お気に入りの生地で作ったのがこれです。さっそく先日銀座ヤマハで買った演奏用ミュートを入れてみました。気をよくして、カルテット仲間にも作ってみましたが、多分、チェロのミュートは入らないでしょう・・・。
昨日は、午前中、ミシンと格闘して個人レッスンの先生に作ってみました。これも病み付きになりそうですね。けっこう楽しいのです。私は、ブレーメンの音楽隊の生地のを使っています。裏地は音符の模様です。
今日、eプラスでチケットを先行予約で購入していた東京国際フォーラムでの「熱狂の日(ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン)」のコンサートに行ってきました。
今日は朝から夏のようないい天気で、ゴミ出しやら掃除やらばたばたと慌ててこなして、夫と9時半に家を出ました。私たちは、11時15分からのと13時からの、二つのコンサートを聴きに行ったのです。
去年からこの音楽祭を東京でやっていますが、私たちは今年はじめて参加してみました。国際フォーラムって、コンサート会場に適しているのかちょっと疑問でしたが、手に入れたチケットはどれも前のほうの席だったので、直接音が聞こえて、よかったです。
会場は、建物全体がこの音楽祭の催しにあわせてまるでお祭り騒ぎでした。私たちは二つとも、B7という会場で、最初が、今井信子さんのヴィオラとR.パスキエさんのヴァイオリンでモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲がメインのオーヴェルニュ室内管弦楽団の演奏、次がベルリン古楽アカデミーの演奏でした。実は、この二つのコンサートで、ディヴェルティメントK.137を両方で聴くことができたのでした。聞き比べてみると、なかなか面白いものです。
まず、最初がオーヴェルニュ室内管弦楽団の演奏。フランスの田舎のオーケストラですが、とてもいい演奏でした。懐が深いというか、とってもあたたかいのです。やっぱり、フランス人はいいなー、なんて妙に感心したりして。それに、即興的な演奏もあって、モーツァルトらしい素晴らしい演奏でした。今井信子さんとレジス・パスキエ氏を迎えての協奏曲は、ソリストの素晴らしいハーモニーと支える演奏の見事さで、もう感動で涙が出ました。今井信子さんのヴィオラの音色は、ああ、ヴィオラは慟哭、嗚咽の音色なんだー!とガッテンしてしまうような、深くてなんともいえない素晴らしい響きでした。パスキエ氏とのデュオの見事さは、本当に鳥肌が立ちました。こんないい曲をこんなすごい演奏で聴くことが出来た自分の幸運に感謝です。彼女は本当にすごいです(容姿は、女優の円城寺あやさんに似ている・・・・?)。この曲を聴いて、なぜか、モーツァルトの心境を考えてしまいました。彼はもっともっと創作したかったに違いないと思ったんです。もっと生きてもっと書きたかったんだ、となぜか納得してしまったのがこの曲。
午後は、休憩に下の広場で簡単にドリンクとサンドイッチを食べ、また同じ会場に戻りました。今度は、オリジナル楽器演奏のベルリン古楽アカデミーです。こちらのメインは、ナチュラルホルンによるホルン協奏曲。今度は前のほうでも端っこの席でしたが、おかげで、ホルンの演奏が後ろからよく見えたのです。ナチュラルホルンはストップがないから、音程はベルに手を突っ込んで調節するのと、口で操作しているんだと思うのですが、それがけっこう大変そうで、手は突っ込んだり出したり、なかなか忙しく動いていました。そして、驚くのは、ホルンで重音を出しているんです(ひえーー!信じられない!)。現代楽器のホルンのように、ストーンと突き抜けた音色は出ないのですが、そこがまた味わい深いというか、なんとも素晴らしいのです。彼のテクニックに仰天しました(演奏は、ヴァーツラフ・ルクス氏)。そして、この古楽演奏、弦楽器はほとんどがヴィヴラートかけていないのです。だから、音がものすごく鋭くてはっきりしているんです。躍動感あふれる演奏は、見事でした。例のK.137を比べてみると、ベルリンの方が強烈なイメージがありました。どちらがいいかは、本当にその人の好みでしょう。その前のオーヴェルニュの方が、ゆったりとして柔らかい、従来のモーツァルトのイメージという気がしました。そして、ベルリンっ子とフランス人の違いというのかな、私は、自分の楽器もフランス製だし、人間もフランス人の方が好みです。どこか暖かい感じがする・・・。とはいえ、どちらも素晴らしい演奏でした。
八王子から有楽町はちょっと遠かったのですが、やはり聴いてよかった。クラシックは生演奏を聴くのが一番です。楽しかった!
帰りは、銀座まで歩き、交洵社ビルの近くの「レストランあづま」でオムライスを食べ(生ビール中ジョッキも!)、そのあと、ヤマハでヴィオラの楽譜と演奏用ミュート(なくしてしまったの)を買って帰りました。いやー、楽しい一日でした。
先日、新所沢の松明堂に、ホプキンソン・スミスのビウエラを聴きに行ってきました。
有名なこの松明堂ホールも、新所沢もはじめてでした。高尾経由で国分寺から西武線を使って行ってみました。西武国分寺線ってはじめてでしたし、たった10分程度の小さな路線ですが、「恋ヶ窪」とか、素敵な駅名があるんです。
ホールは地下にあって、私は開場時間前に到着したのですが、すでに大勢並んでいました。そうそう、駅の近くにヴェローチェやドトールがあるかと思ったら、全然なくて、ホールのビルの隣のサンクスで無糖缶コーヒーを買いました。さて、夫はあれほど遅れるなと言ったのに、開場時刻になっても姿が見えませんでした。先に会場に入り、席を確保したんですが、うーーん、このホールは小さいし座席が長いす4人がけでけっこう狭いのです。正直、あまりくつろげない気がしました。とにかく、夫の憧れのホプキンソン・スミス。彼は通路側に座らせましたが、ちょっと半けつ状態だったかも・・・!?でも、さすがに、音響は素晴らしく、ビウエラには最適でした。去年、ハクジュホールで初めて彼の演奏を聴いたときも私は同じことを言っていたんだそうですが、彼は眼鏡をかけると、(嫌いな)ラムズフェルドにそっくりなんです。
演奏は本当によかったです。たしか、この日が日本のツアーの最終日。彼もご機嫌で、何度もアンコールに応じてくれました。
この日、私は夫に頼まれて彼の最初のLPを持って行きました。コンサート終了後、会場でCD販売をしていたのでサイン会があったのです。申し訳なかったのですが、会場では買わず、LPとCDを持参し、サインをいただきました。LP、ホプキンソン・スミスは驚いていました。自分のはじめてのソロアルバムだって。そして、CDも、ジャケットの自分の写真を見て、かなり若いから随分いまと違うって・・・。
本当、遠かったけれど、演奏を聴きに行って、私たちもすごく幸せでした。