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ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

コンスタブルの空

2005年10月07日 08時07分34秒 | 芸術
 今朝の空は、コンスタブルの絵のようです。雲が多い青空。ついそういう空を「コンスタブルの空」と思ってしまいます。
 父が昔からアマチュアで絵を描いていたので、家には美術書もたくさんあり、私はよく、父の書斎にもぐりこんで画集の絵を見ていたものでした。子どもの頃は、家族揃って「浅井忠展」(たしか、ブリジストン美術館)に行ったりしていました。そんなわけで、昔から絵に興味があり、一人で展覧会も行きました。初めて買った絵は、塙太久馬氏の木版画でした。私の部屋に2枚飾ってあります。
 やはり、本物の絵と画集の印刷物の絵では、色合いは微妙に違います。どんなに技術が進歩しても、全く同じというわけにはいかないでしょう。父の絵も、本物とHPでの画像は、やはりニュアンスがちがいます。和紙に描いた色の柔らかさが伝わらないのです。父の青年時代は、カラーのものもなかったわけですから、モノクロの画集で絵の色を想像したのでしょう。それでも、ゴッホのアーモンドの花の絵に感動したというのは、すごいと思います。その絵に憧れて作った父の絵はこちらです。
 日本には、色の名前がたくさんあります。印象派に影響を与えた日本の浮世絵の色合いは、まさに驚愕の事件だったのではないでしょうか。木版でその色を出していたのですから。ここに、「和の色」というサイトがあります。本当に素晴らしい世界です。たしかに、コンスタブルやターナー、フラゴナール(私が大好きな画家)、プッサン(父が好きだった)などに憧れますが、色の豊富さとその表現力は、日本が誇る世界でしょう。色の名前の多さは、日本の優れた文化です。これだけの語彙を使いこなしていたんですよね。それにくらべて、いまの私たちの、色への表現力の拙さは情けないです。もっともっと、言葉を持つこと、それが表現力をひろげます。こういうことをもっと知らなくてはもったいないですよね。たまにこのサイトを訪れては、面白い名前の色を見て、いろんな想像をして楽しみます。

乳団子

2005年10月04日 11時24分27秒 | 食に関して

 急に広島行きを思い立って、航空券の予約などをしていて、懐かしいみやげ物を思い出しました。そう、先日の喧嘩の翌日、もうみやげ物の下調べでした。戦後60年の節目に、一度は行って見たいと思っていた広島に行くことにしたのです。でも、夫はその目的が、正義を振りかざして嫌味だというのです。そういうわけではないのですが・・・。彼は、宮島でボーっとしていた昔を思い出して、再度訪れたいという思いがあったようです。でも、時間的に無理なので、彼が行かなくてよかったのかも。
 その広島県の銘菓で、庄原の「乳団子」というものがあります。この強烈なネーミングに、大学時代の私はぶったまげたものでした。ちょうど、夏の恋をしていた相手が、庄原出身だったので、お土産にもらったのでした。結局、3ヶ月しか交際は続かず、卒業当時は別のBFに変っていました。ま、私が振られたのです。そして、卒業旅行では別の同級生たちと男女混合でグループ旅行。出雲と秋吉台など回り、私ともう一人の同級生(女性)が九州まで足を伸ばしたのです。そのとき、そのかつてのBFの実家に、みなで泊まったのでした。そりゃ、切なかったですね。別れた人の家に大勢で泊まるなんて。地方の名家なのでしょう、ばっちゃんが農業、じっちゃんが畜産、おやじさんが公務員みたいな大きな家でした。牛小屋を覗くと、私と誕生日が同じ牛がいました。でも、あれは、種付けの日付だったのかな?そんな、なつかしい庄原の銘菓「乳団子」は、大昔食べたけれど、とてもおいしかったです。広島市内でも買えるようなので、土産に買って帰ります。夫は、私が「乳団子」にこだわっている理由もわからないでしょうね・・・。


離婚の危機?!

2005年10月04日 11時09分09秒 | 日常

 昨日の朝、夫と大喧嘩をしてしまいました。とにかく、カーっと来て、しまおうとしていた新聞紙を床に叩きつけてしまい、猫は一目散に逃げていきました(彼女にあててはいませんが)。夫は、私がすぐ怒って物を投げるというのですが、DV本舗は彼の方なんです。私は垂直に物を強く置いたといえないこともないですが、夫の場合、最短距離ではなく、長い距離に物を飛ばします。床は傷だらけ・・・。怒鳴るのは、女性よりも男性のほうが数段迫力があります。
 なぜ、喧嘩になったのかといえば、前の晩、夫が飲みながら料理を作って、結局のみすぎて食べられなかったことと、広島に一緒に行くというのを急にやめたと言い出したこと。こちらは、予約をしてしまったので、ドタキャンに近い・・・。そういえばと、思い出しました。結婚前に、一緒に夏に海に行く計画があったけれど、直前、前の晩に行かないと言い出し、ついに別れたのでした。それなのに、結婚してしまった私はバカですよね。そんなことを思いながら、なんでも直前でトラブルを起こすという彼のやり方に非常に腹を立て、こんな奴とはもう一緒に暮らせないという話に発展してしまいました。一事が万事です。私も、よくこんな男に20年も我慢してきたものだと、自分で嫌になりました。でも、実際、こういう思いは、お互い様なんですよね。
 最後は、旅行に行かないのは、老猫を預けるのがかわいそうだとか、微妙に違う論旨になってきて、お互いに怒りもピークがすぎていったのです。
 多分、結婚なんて、類は友を呼ぶみたいなもので、どこか共通点があったり、永年一緒に暮らすうちに似て来てしまうものなのでしょう。大喧嘩も、いつもの恒例行事みたいになってしまうものです。
 人間なんて、ラララ・・・、と歌ったのは、吉田拓郎。そうです、人間なんて、そうそう大差がないものです。相手が嫌になれば、きっと自分にもそういう嫌なところがあるはず。孤独死しないですむよう、小さな喧嘩に納めて、残り少ない人生を穏やかに暮らしたいですね。でも、頭に来たときは、かなりアドレナリンが出るのでしょう、ものすごく熱くなりました。こういうとき、度がすぎれば殺意が芽生えるのでしょうね。気をつけましょう・・・。


ミリオンダラーベイビー

2005年10月01日 14時58分27秒 | 映画

 昨日、下高井戸シネマで「ミリオンダラーベイビー」を見てきました。最終日でした。なかなか、すごい映画で、感動しました。アメリカ映画らしからぬストーリーですね。それに、リアリティーがすごい。貧困も丁寧に描いていて、見事でした。
 主人公は、貧しい家庭から13歳で飛び出し、その後ずっとウエイトレスをしてボクシングを必死で続ける31歳の女性マギー。犬にあげるといいながら、客の残したステーキなどをそっと包んで持ち帰り、自分でたべ、貯金をコツコツためて、トレーニングする。そして女性はお断りと言われながらも食い下がり、ついに念願のフランキー(クリント・イーストウッド)に弟子入りする。それは、彼の育てた有望なボクサーがタイトルマッチのタイミングでトラブルになり、逃げたからでした。微かに見え隠れするそんなファイトマネーの世界と、初めて見る女性ボクサー界。タイトルを持つ、ドイツの元娼婦で「青い熊」という反則ばかりする女性ボクサーも、すごかったです。思ったとおり、ただのスポーツ根性ものではなく、「その後」が、長いのでした。マギーの意地と誇りも、見事でしたし、フランキーが選んだことも、ある意味、愛情があったからこそなのです。これは、簡単に男女の肉体関係なんか介在しない、深い恋愛映画なんだと思います。13歳から這い上がっていきながら最後まで純粋だった彼女とそれを支えた孤独なトレーナー。二人に共通する家族という問題と、次第に太くなる絆。アメリカも、まだまだ、いい映画作るじゃないの。「マディソン郡の橋」とはまた違った、心をえぐるような恋愛映画でした。
 貧困問題は、やはり、アメリカにも現実として、存在しているのです。そう、あのアメリカでも、まだまだ・・・。格差はどの国も広がっていくのでしょうね。その中で、夢のように駆け抜けたマギー(ヒラリー・スワンク)の生涯、とても忘れることが出来ません。
 脇役も見事でした。ボクシングジムに現れる人間のユニークなこと。周りの背景にも気を配り、それぞれに物語をからませて、プロットがうまいですよね。
 いい映画でした。ファイトシーンは余りにすごくて、ちょっと目をそらせてしまいましたが、リアリティーを追求したイーストウッドの映画は、いいですね。いい男だなーーー。
 そう、印象的なのが、イエーツの詩が大好きなフランキーがつけたゲール語「モ・クシュラ」という彼女のリングネーム。アイルランド人たちが歓喜して声援します。タイトルマッチでは、フランキーはバグパイプ隊も雇っての入場でした。その意味を「勝ったら教える」と言っていたのに・・・。最後にその意味を知ったシーンでは、もう、わんわん泣いちゃいます。