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ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

木島櫻谷展、行ってきました!

2018年03月20日 19時40分33秒 | 芸術

 去年の11月に日曜美術館で放送されて、とても興味を持っていた木島櫻谷展、ようやく京都から東京に来たので、早速友人と二人で行ってきました。雨が降る、春とは思えない寒さが却ってよかったみたいです。つい先日も日曜美術館で再放送していたので、ものすごく混んでいると思ったら、雨のせいでそうでもなかったのが幸いでした。

 例の、夏目漱石が酷評したという「寒月」もありました。漱石はこの狐の眼が気に入らなかったのでしょうけれど、何が悪いのかわからない。あまりにひどい言い方でしたもの、失礼ですよ。36歳のこの作品を有名な文豪がけなして、どういう思惑があるのか、私は漱石が嫌いになりました。櫻谷は漱石の非難に対して何の弁明もしなかったそうです。美術評論もしていたという漱石、時代がそういわせたのかもしれませんが、許せない批評です。えらそうですね(文豪だから??)。

 偉そうと言えば、最近の政情。国会議員って、そんなに偉いの?官僚に忖度させるほど、学校の講演のゲストにいちゃもん付けるほど、偉いのか?支配してるってことでしょ?まるで戦前戦中の時代錯誤も甚だしいですよ。教育は、自由でなくてはいけません。森友学園の幼稚園の児童に教育勅語を暗唱させる教育がいいなんて、全く思えません。安倍総理と昭恵夫人は、そういうのが好きみたいですが、安倍ねつ造と呆れ夫人ですよねえ・・・。

 さて、木島櫻谷は、酷評があっても黙々と日本画の制作をつづけ、事故で62歳で亡くなりました。晩年は画壇から離れて、隠居のような生活でそれでも最後まで好きな絵を描いていたそうです。隠居と言っても京都の広い敷地、夜はタヌキやキツネも訪れたことでしょう。私は動物が大好きなので、今回の企画展は素晴らしかったです。寒月の狐は素晴らしいのに、この素晴らしさが分からない夏目漱石って、がっかり。

 展示を見終わって、出たところで絵葉書と図録、猫の巾着袋を買いました。この巾着袋は、新聞にも載っていたので、まだあってよかった・・・。それに、六本木という場所、本当に久しぶりでした。私たちは地下鉄南北線の六本木一丁目から行きました。この櫻谷展は、パート2もあるんですって。それは豪華絢爛の屏風絵中心のようです。

 いやー、春になったと思ったら、この寒さ。一体、どうなっているのでしょうか。明日は雪が降るともいわれてますから、たまりませんね。


漱石、嫌いになりました

2017年11月23日 23時29分17秒 | 芸術

 先日の日曜美術館を見て、衝撃を受けました。木島櫻谷という日本画家がテーマでしたが、彼は素晴らしい絵を描いていたのに、それを夏目漱石が記者時代にぼろくそに酷評しているんです。なんて奴だ!と、本当にがっかりしました。

 批評って、嫌ですね、ほめるのはいいけれど、人格否定まで行くようなひどい言い方って、私は許せません。何の権利があって、と思います。どれだけの時間をかけて描いているのかわかっているのか?漱石という人間が、すごく嫌いになりました。

 そもそも、彼は「坊ちゃん」の中の赤シャツなんですよね。嫌な奴なんです。

 漱石を読破したわけではなく、吾輩から坊ちゃん、心、それから、門当たりまでしか読んでいませんでしたが、なんとなく好きでした。でも、あれだけのひどい酷評をするのって、人間性を疑います。言われた方は反論もせず、画壇を離れて生涯、好きな絵を描いていました。その細部までこだわった描写は、見事なものです。鹿の眼が夜の眼じゃないって??櫻谷画伯は、動物園に毎日通って観察し写生していたんですよ。あんたの眼が節穴なんじゃないかよ~。ほんと、赤シャツみたいに嫌なやつです、漱石って。がっかりしました。

 例の「ブラックボックス」、すぐに読み終えました。彼女の言いたいこと、よくわかります、共感します。

 どれだけの女性が今までずっと泣き寝入りしていたことでしょう。このことを法的に改善しない限り、女性の活躍も何もあったもんじゃないですよ。全ての日本女性が読むべき本です。

 そういえば、山口敬之氏って、安倍総理のとりまきみたいな人ですよね。なんたって、「総理」という本を書いた人なんだから。まさか、安倍総理はそんなことしてませんよね、女性に対して。

 国会でもどこでも、この本を女性が手に取って掲げてアピールして見せたいです。私たちは黙っていない!


河鹿園一室一軸展示会

2017年10月21日 21時43分58秒 | 芸術

 昨日、小雨の中、青梅線の先の御嶽という駅まで、でかけました。地元古文書研究会の先輩の方から29日までやっていると伺い、さっそく行ってきました。

 30年ほど前に、夫と二人で河鹿園に電車で行ったことがありました。食べたものや建物のことはよく覚えていますが、どんな電車だったかとか、途中までのことはすっかり忘れています。おそらく、多摩ニュータウンの賃貸団地にいたころ、二人で出かけたはずですが、どこ経由で行ったのかは全く覚えていません。

 今は、そのころとは違って、とても便利になりました。青梅からは本数は減るものの、うまくいけばそのまま行かれる経路です。ところが、昨日の朝は事前に調べていた電車は遅れていたので、その前の電車に運よく乗り込むことができ、ラッキーと思ったのですが、青梅からは遅れた電車の乗り継ぎに待つことになっていたので、もう1本遅い電車でもよかったのでした。もう、福生より先は、30年前のことなんて覚えていないのでほぼ初体験の沿線、あっちこっちみながら、すっかり観光客みたいになっていました。

 青梅の駅のホームには、不思議な待合室があるんです。まあ、なんというレトロな空間でしょうか。

 映画のポスターが目立つ待合室。

 そういえば、亡夫がアルバイトでウッドデッキの営業をしていたころ、青梅に行っていたことがあり、赤塚不二夫の記念館の話もよくしてくれました。青梅の街自体が、レトロな映画の街みたいだとか・・。

 私は青梅のその先の、御嶽という駅まで行きました。途中、古文書研究会で読んでいる谷合氏文書の二俣尾というところも通りました。沿線には、明治村?と思うような古い洋館もあり、びっくりです。

 御嶽の駅から河鹿園は、本当に近いです。駅を出てすぐのところ、坂を下りていけば行きつきます。

 雨模様で、山もかすんでいます。

 どこが入口かよくわかりませんでしたが、入り口を入って、入場票に記入して千円を支払い、展示品一覧の詳細をいただき、ちょっと説明を受けてからは一人で好きに回っていいとのこと、時間をかけて回りました。

 つい今年3月まで営業していた料亭旅館です。すっかり人も途絶えた静けさが少し、さびしいです。それでも、部屋の調度品や掛け軸、絵画、屏風、書画など、本当に素晴らしくて、息をのみました。

 渓谷近くに作られた80年以上もたつ建造物です。曲がりくねった回廊や離れなど、一つ一つじっくり見ていくと、時間はどんどん過ぎていきます。料亭だった部屋、旅館だった部屋、もう今では息を殺しているような空間・・。

  どの部屋からも眺めは素晴らしい。

 障子の枠の意匠も、凝っています。

 ぐるぐる階段を上ったり下ったり、たくさんの部屋をめぐって、ようやく大広間にたどり着きました。

 ここで、飲み物をいただきました。掛け軸の絵が並ぶ、絶景です。

 古文書もいくつかあって、とても勉強になりました。私もこういう古文書をすらすらと読めるようになりたいものです。

 台風が来るからと、29日までの展示を慌てて見に行きました。時間を忘れてタイムスリップしてきました。不思議な空間と時間を体験して、とても幸せでした。奥多摩って、いいところですよ。父がよく絵の題材を探しに行った場所です。私も行くようになるとは・・・。

 河鹿園、30年前に夫と訪れた料亭です。当時、入り口近くの池には、養殖の鯉と鑑賞用の鯉の両方が泳いでいて、養殖用を食べることになるのが、ちょっと切なかったです。そして、沢蟹のから揚げも初めて食べたのが、こちらでした。あっという間の30年でした。

 夫と行った鎌倉のモンテコスタ、そして御嶽の河鹿園。楽しかった思い出です。今は亡き、というようなことが増えるのは、年取った証拠ですね。


アナザーストーリー、略奪絵画

2017年10月11日 17時30分33秒 | 芸術

 昨夜、たまたまBSプレミアムで見たアナザーストーリーに、ものすごく感動してしまいました。

 ドイツのミュンヘンで数年前に、ナチスが略奪した名画が大量に発見されたそうです。それが報道された経緯やその後の話で、戦争が終わって70年以上経っても、多くの人に傷を与え、人生まで変えられてしまったということにびっくりしました。

 戦時中はナチスに加担して絵画の取引をしていたという画商は、戦後に絵画を残すために活躍したという見方で英雄視されていました。その名画は空襲ですべて焼けたと言っていた、その名画が、その英雄の画商が死んでずっと経ってから発見ということになったのです。つまり、彼は英雄でも何でもなく、焼けたと嘘をついた悪者だったわけです。その息子が延々と絵を守っていたのです。ドイツでは、30年間所有すると、所有権が得られるそうです。名画ですよ、相当な量だし・・。で、その名画を守るために、その息子は外にめったに出ず、人とのかかわりも持たず、長い年月、孤独で生活していたわけです。ある意味、戦争の被害者です。略奪された方は、取り返したいとドイツを訴えます。返還に前向きにということで訴えを取り下げ、あるユダヤ人の絵画が返還されたそうです。70年以上の年月、当人はすでに亡くなっている人も多く、返還作業は大変です。そして、その孤独な老人(例の画商の息子)はひっそりと生涯を閉じ、遺言でスイスの美術館に寄贈とのこと。ただ、はっきりと略奪されたと分かるものは、ドイツで返還を待つそうですが、その絵の修復も大変です。

 このすごい発見は、二人のジャーナリストがスクープしたのです。ドイツ政府も、発見した後しばらく公表しなかったのです、というよりもできなかった・・。それをなぜ、スクープしたのか。

 そのジャーナリストはこう言いました。「暴露しなければならない秘密がある

 この言葉に感動しました。ジャーナリストはこうあるべきです。不倫を追っているのが報道の姿なのか??

 パパラッチじゃあるまいし、今、このときに、この時期に、日本のメディアがやるべきことがあるでしょう!

 ある日突然、差別されて土地も財産も奪われること、もしかしたら、私たちにもあるかもしれないのです。それが、戦争。絶対にしてはならない、戦争です。人の痛みを、自分の痛みと思えるようにならなきゃいけないのに。

 確かに、ユダヤ人は壮絶な経験をしました。多くの人が虐殺されました。で、国を作りましたが、その国の土地は、人から奪った土地でした。パレスチナの人たちは、いま、ひどい目に遭っています。

 ロヒンギャやシリアの難民も、そうです。もし、自分がそうだったらと考える想像力を持ちたいです。戦争を起こさないための外交力、それに期待したいです。


駒ケ根高原美術館、閉館

2017年09月22日 21時50分23秒 | 芸術

 やはりというか、休館が続いていたので、もしやと思っていましたが、今日、ホームページで確認できました。私立の美術館の閉館です。ようやく父の絵の寄贈ができたその美術館の閉館です。父の絵と型紙は、どうなってしまうのでしょうか。ショックです。

 歴史秘話ヒストリアでは、北斎とその娘、お栄の絵がテーマでした。私も、お栄になれたらよかったのかなあ・・。今さらです。せめて、美術館に問い合わせして、こちらの引越し先を伝えるか、あきらめるか。型紙と絵をこのマンションに置くことはできないから。散逸してしまうのも、しかたがないことなのかもしれません。

 やれるだけのことは、したんですよ。残された方は、本当に大変なんですから。どうなっちゃうんでしょうか。


指揮者近衛秀麿

2017年07月29日 15時04分08秒 | 芸術

 今夜、玉木宏が案内役のBSプレミアムで放送される番組を楽しみにしています。テーマは、近衛秀麿という指揮者。実は、2年前の夏、BS1で「戦火のマエストロ 近衛秀麿」という番組を録画していました。久しぶりにそれを見たら、もう最初から涙、涙で鼻水たらし、ひどい状態になってしまいました。病み上がり状態の感激ドキュメントでした。近衛秀麿役を演じたのは、「本多章一」という俳優。

 玉木宏が近衛秀麿の謎を追うというのも、おもしろいです。彼は、のだめの「ちあき」ですからね!

 戦争は二度と起こしてはならないものです。そして、戦争でなくても、民族や宗教、人種で差別するなんて、絶対に許せないことです。ユダヤ人迫害がどんなにひどかったか、想像を絶しています。そんなドイツと同盟を組んでいた日本もひどい。でも、だからこそ、近衛秀麿が裏でユダヤ人亡命を手助けすることができたんですけど。

 敗戦記念日の8月15日に、地元の松林分館で、シベリア抑留体験談があります。講演してくださる方は92歳だそうです。しっかり聞いて来ようと思います。

 もう、手遅れになるかもしれないけれど、今だからこそ、体験した方は話してほしいです。二度と戦争を起こさないために。私の父も母も亡くなってしまいましたが、東京大空襲の話を母は生前、よく話してくれました。文字に残しておけばよかった!

 命より大切なものなんかないから。誰も、人の命を奪うことはできないはずです。お願いです、どうか、その戦争での体験を後世に残してください。そうでないと、また同じことをしてしまうかもしれないのです。政治家の人たちは、本当に人の命を大切に思っているのか、私は信用できなくて。いつまた同じように独裁者になるかもしれません。国が戦争を起こすと私たちがどうなるのかを、体験した人たちはどうか、証言を残してください。

 

 


芸術新潮、すごーーい!

2017年05月25日 16時31分51秒 | 芸術

 実は、だいぶ前に、宝島社の「死ぬまでに見ておきたい日本の文化 春画傑作選DVD付」というのを買って、がっかりしたことを確か、こちらのブログにも書きました。古文書の勉強がしたくて・・・、ねっ。でも、歌麿の絵は、春画ではなくて、母子画でなんとも、違うだろ!というものでした。

 今朝の新聞の1面下の広告に出ている雑誌に目が留まり、その「芸術新潮」を、歌麿の絵で吉原案内というのに非常に興味をもって買ってしまいましたが、正解でした。この特集は、すごいです。こちらこそが、「死ぬまでに見ておきたい日本の文化」そのものですよ、みなさん、書店へ急げ!

 そして、おそらく、私は初めてこの雑誌を買ったのではというのが、「暮しの手帖」。母がいつも購入していたのを読んでいたから。今回、自分で買ったのには、興味がある特集があったからです。それは、有元葉子さんの休日ピッツァと、端切れを手縫いで小物作りです。そして、今回の号の最後の方に、「戦中・戦後の暮しの記録」募集がありました。ぜひ、叔父に知らせたくて、連絡を取りました。

 戦争体験者の高齢化で、貴重な証言がどんどん引き出されないまま、埋もれてしまうのが本当に残念なのです。この記憶は、国民の宝物です。絶対に、語り継いでいかなくてはならないものなのです。そうしないと、また同じことが起きてしまいますから。

 暮しの手帖では、400字詰原稿用紙5枚の内容で、体験を募集しています。戦後は、おおよそ昭和25年くらいまで。私はまだ生まれていません。体験者からの聞き取りでもいいそうです。ぜひ、親せきに戦争体験者がいたら、聞き取りをお願いします。締め切りは9月末。日本がおかしくならないよう、私たちができることがあります。それは、戦争の記憶を消滅させないことです。どうか、ご協力をお願いします。

 暮し全般ではなく、具体的なことを詳しく、当時の住所と家族構成、職業、年齢を現行の最後に記入のこと、当時の写真や資料のみの応募も可能です。聞き取りの場合は、体験者ご本人に原稿を確認してもらうことが必要です。

 母は終戦当時、18歳でした。おそらく、疎開先でだったと思います。その時真っ先に思ったのが、もう夜、明かりをつけていいんだ!ということだったそうです。

 アニメ映画「火垂るの墓」の現実はそこにあったのです。

 個人的な興味としては、満州帝国での日本人の暮しが、敗戦が濃厚になる前まではどうだったのかを知りたいです。まさか、奴隷のように現地の人をこき使ったりはしていないと思うのですが・・。その人の人間性によるのかな。こう思うのです。いい人でいたからこそ、残留孤児として、わが子を中国人に育ててもらえたんじゃないかって。

 満蒙開拓は、国内の村ぐるみで行ったケースも多いと聞きましたが、敗戦が濃厚になると、日本の関東軍は現地の日本人を助けることもなく、逃げ帰り、日本人は孤立してしまい、ソ連兵の攻撃を受けたのです。国は国民を守らなかった。反省もないまま、また横暴な政治を行おうとしているのが許せません。

 


花森安治の仕事(碧南市藤井達吉現代美術館)

2017年03月18日 22時05分27秒 | 芸術

 ちょっと縁あって、碧南市藤井達吉現代美術館から来月の企画展の案内が来ました。さすがに、東京から愛知県まで、そんなすぐには行かれません。でも、とても面白そうな企画なので、宣伝させてください。

 縁というのは、亡夫のコレクションを寄贈させてもらったからなのです。引っ越した話もまだしていなくて、ごめんなさい・・・。

 さて、来月8日から5月21日まで、「花森安治の仕事」というタイトルで、暮しの手帖社の協力を得て、魅力的な展覧会があるんです。記念講演も4月22日と5月6日にあるし、さらに5月5日には、ワークショップも。日帰りで行ってこようかなあと思うくらい、興味津々です。東海地方、京阪神にお住まいの方、ぜひぜひ、ご覧ください。詳細は、こちらです。記念講演、ワークショップなどは、この中の関連イベントをご覧くださいね。

 朝ドラのとと姉ちゃん、面白かったです。もちろん、今の「べっぴんさん」もなかなかだけど。花森安治という人がいたからこその暮しの手帖でしたよね。あの表紙の絵は、いくつも印象に残っています。母が購読していましたから。

 これだけ広告があふれている今の社会を、花森さんが生きていたら、どう思うでしょうか。ネットもやたら広告ばかり、さすがにもううんざりします。なぜ、買うことを続けなくてはいけないのか、なぜ騙されなくちゃならないのか。本当に良心的なメーカーって、あるのかと疑問に思うのです。広告宣伝がうまい商品が必ずしも、いいものとは限らない。

 批判の目を、断る意思を持ちましょう。誰もが買い物症候群になりそうなストレス社会だからこそ、気をつけていかなくちゃ・・。暮しの手帖の精神に立ち戻らなくては(先月買ったコットン生地の支払いの料金にちょっとびびっているくせに、です)。


「漢字三千年」展に行ってきました

2016年11月02日 18時14分49秒 | 芸術

 ついこの前の日曜美術館で紹介していた「漢字三千年」展の前売りをローソンで買い、さっそく今日、行ってきました。井真成の墓誌の石が出ているのです!

 東京では冨士美術館、

 その後、京都や新潟などを巡回するそうです。東京でやっているうちに見なくては、とがんばりましたっ。

 漢字は、おもしろい世界です。だって、発音が違っていても、その漢字は見たらどういう意味か、わかるんですから。アルファベットとは全然違うんです。アルファベットって、たかが26文字ですよ、それに比べたら漢字は千文字以上ありますしねえ・・。大好きです!王義之の字の本物が見られるとちょっと勘違いしていました(おばかです)。

 でも、おもしろいものばかりでしたよ。特に甲骨文字は、酒器に書かれているのがほとんどで、まあ、祭祀行事などでは、お酒は当然のものだったわけですから、酒好きにはたまりませんね。

 こんな具合です。

 器の内側に、漢字が・・・。

 そして、井真成の墓誌です。拓本を撮ったのですが、残念、ぼけていました。下手なんです、とほほ。

  よほどじっくり見つめないと文字がわかりません。

 説明文を読んでみてください(ちっちゃ!)。

 中国名なので、日本での名前が不明です。でも、阿倍仲麻呂みたいな人がいたってことです。36歳で病気で亡くなったようですが、優秀な官僚だったみたい、残念です。命がけで中国に行き、学んだのでしょうけれど、戻れなかったのはどうしてかなあ。古代のロマン、それとも、ロマンスで、もしかして、好きな人ができて結婚しちゃったとか??

 日本と書かれた文字の確認ができたのです、8世紀で。すごいことですよ、倭国ではなくて、日本ですから。

 寒かったけれど、楽しい一日でした。古代に思いを巡らし、これだけ貴重なものを展示してくれた中国に、感謝です。

 


雨田光弘「ねこの原画展」

2016年09月20日 12時34分13秒 | 芸術

 前記事のコメントのように、アマネコ舎に問い合わせして、ようやくあまねこカレンダーの行方が判明しました。アマネコ舎発行で、来月中旬から販売するそうです。山野楽器などの楽器店、楽譜店には置いてあるけれど、今までの店舗には、まだわからないということだそうで、案内を引っ越し先に郵送してもらうことにしました。送料と一緒に振り込んで送ってもらいます。昔はいつもそうしていたのですが、アートマンで見つけてからは毎年、カレンダーフェアで見つけて買っていました。

 雨田氏はお元気で来週水曜日から日曜日まで、府中の森で原画展と、最終日の10月1日にはコンサートもあるとのこと。私もずいぶん前に行って、聴いて、原画を買いました!

 来年度のカレンダーは90年代の復刻版だそうです。十二支だから、12年ごとに同じだって、全然かまいません。死ぬまで使いたいカレンダーです!