生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

Bunge哲学辞典:sign 標徴〔符号〕、symbol 記号;絵画原論:符号、記号、象徴、図解、絵具、絵画

2013年07月13日 12時02分13秒 | Mario Bunge哲学辞典
2013年7月13日-1
Bunge哲学辞典:sign 標徴〔符号〕、symbol 記号;絵画原論:符号、記号、象徴、図解、絵具、絵画

sign 標徴〔符号〕(Bunge哲学辞典初版、p.267)
 或る他の対象『を表わす stand for〔の代わりとなる〕 』または表象する 〔表わす、代表するrepresent 〕もの〔thing〕。通常、二種類のsignが区別される。自然的signと人工的signである。自然的signは、諸状態の兆候〔symptoms〕か、具体物の状態の諸変化である。たとえば、暗い〔黒っぽい〕雲と暗い表情は、それぞれ雨と怒りの標徴である。対照的に、人工的標徴は、事実的事項を呼び起こすために、あるいは構築体を名づけるために、巧みに作られて使用される人工物である。例:言語的表現、(目配せといった)身体的言語の諸項目、論理(logos)、線図〔図解 diagrams〕、そして数字。光輪のある月、または、激しい食料暴動、といった自然的標徴は、仮説によってそうなっている。対照的に、人工的標徴は、約束事〔約定 convention〕によってのみそうなっている。すなわち、自然的標徴は、知覚できない物事、性質、または出来事〔事象 events〕の、知覚できる指標である。それゆえ、それらは意義が無く、したがってそれらの『意味』を語ることは、良くてせいぜい隠喩的であって、最悪の場合は明白な間違いである。とりわけ、人々が社会生活を『解釈する interpret』、つまりその意図または目標に関して【仮説】を作るからというだけで、本文または『本文のように like a text』社会生活を考えること、↑【解釈学 hermeneutics】、↑【原文固執主義 textualism】、は誤りである。混乱を未然に防ぐためには、↑「【記号 symbol】」という語を、数字や道路標識といった人工的標徴という概念を表わすように使うべきである。よって、「地位の象徴 status symbol」という表現は、「地位の指標 status indicator」で差し替えるべきである。

 
symbol 記号 (Bunge哲学辞典1999初版、pp.280-281)
 人工的標徴。例:言語的表現、線図〔図解 diagrams〕、論理(logos)、道路標識、建築の青写真、数字。記号は、概念を指定するか、概念ではない事項(たとえば個々の物質的なもの、または別の記号)を表示するために、作られるか使われる標徴である。それらをそれぞれ、指定する記号、表示する記号、と呼ぼう。指定する記号の例:数字(それは数を指定するか名づける)。表示する記号の例:固有名。指定の関係(記号?概念)と表示の関係(記号?物事)は、↑【指示 reference】という関係で結びつけることができる。次の線図〔図解 diagram〕の通りである。

            記号 Symbol
            / 
  指定 Designation /      表示 Denotation
          /
         / 指示 reference
        ?___________________?
   構築体 Construct  意味される Signified

 指定-表示と記号?非記号という分割は、合致しない。なぜなら、或る記号は構築体を表わすのに対して、他はそうではないからである。 ゆえに、数字「4」と「IV」は四という数を指定する。それは純粋な概念であるが、他方、固有名と場所名は具体的な物事を表示する。同様に、「$5」という記号は、五ドルの銀行券(または小切手または為替)あるいは商品でのその等価物を表示する。記号は知覚可能な存在者であるが、概念や命題のような抽象的存在者ではない。読むことのできる文、見ることのできる線描、そして聴くことのできる言葉を考えてもらいたい。しかし、おおかたの道路標識といった図像的な(または表象的な)記号は、直接的に解釈可能である。図像的ではない標徴は、それに伴う(しばしば暗黙の)規定無しでは読み取ることはできない。アルファベットの諸文字とそれらから成る言葉を、ヒエログリフと対照して考えてもらいたい。あるいは、地図、楽譜、グラフ、回路図、組織と流れ図、または建築の青写真までも考えてもらいたい。記号は、(明示的または暗黙的)記号論的約束事の助けによってのみ『読まれる』(解釈される)ことが可能である。たとえば、『sという文字→摩擦音』、『地図での青い斑→水体』、『電気回路図での鋸歯状の線→オーム抵抗』、『$→ドル』、そして『貨幣→商品』である。記号的か記号的でないかに関わらず、標徴は物質的人工物である。しかし、鉛筆とか車とかの、記号論的ではない人工物には似ず、標徴はそれに付属する約束事によってのみ、意味する。


 


   サイン
  [標徴 sign または記号 symbol は、構築体〔construct〕そのものを指定する(designate)か、あるいは、実際のまたは可能な事実を表示する(denote)ならば、それは有意義(significant)である。(標徴と構築体の間の意味論的関係を「指定」と呼び、標徴と事実的事項の間の意味論的関係を「表示」と呼ぶ〔略〕。ゆえに、道路標識は表示するが、指定しない。句読点は、指定も表示もしない。)標徴または記号は、意味のある構築体を指定することによって、身代わり的にのみ意味を持つことができる。〔略〕
 名前は記号であるから、構築体の代理となるときにのみ(身代わり的)意味を持つ。〔略〕1つの名前が1人の具体的な個物を表示するだけならば、それは意味を持たない。ゆえに、「ジョーンズ」には意味が無い。」(Mahner & Bunge『生物哲学の基礎』: 73頁)。




タバコ中の有害物質含有量、放射能含有量

2013年07月12日 15時41分39秒 | 放射能
 週刊 タバコの正体
http://www.jascs.jp/truth_of_tabacco/truth_of_tabacco_2011.html

の第7話
http://www.jascs.jp/truth_of_tabacco/pdf/weekly_truth_of_tabacco_271.pdf
によれば、

 霧雨の粒子は100~50μm。
 霧の粒子は1.0~0.01μm
 タバコの粒子の直径は、0. 01~0.001μm
 
 「こんな小さい粒子だと、〔略〕そのニオイを除去するのは困難です。」
  「“臭う”ということは、この粒子が鼻まで届いている証拠です。こんな小さな粒子が身体の中に入ったら、隅々にまで入り込んでしまうように感じませんか。しかも、とても有害な毒が入っている粒子 なのです。」
http://www.jascs.jp/truth_of_tabacco/pdf/weekly_truth_of_tabacco_271.pdf

 週刊 タバコの正体のSerial number 336
http://www.jascs.jp/truth_of_tabacco/pdf/weekly_truth_of_tabacco_336.pdf
の表からは、紙巻タバコでは主流煙よりも、副流煙(まわりの人が吸わされる煙)中の方が、発がん物質やその他の有害物質の含有量は多いことがわかる。ベンゾ(a)ピレンでは3.4倍で、ニコチンは2.8倍、である。

 ポロニウムや放射性セシウムの含有量はどれくらいなのだうか。
 毎日30本で、年間80 mSvの内部被曝になる(参議院国会答弁)というのは、どのような計算なのだろうか?
 



想念形体と抽象絵画

2013年07月11日 11時29分34秒 | 美術/絵画原論、絵画理論、絵画技法
2013年7月11日-2
想念形体と抽象絵画

 カンディンスキーとモンドリアンは、抽象絵画の創始者または先駆者である。両者は、神智学の影響を受けていると言われる。

 「1908年、カンディンスキーはシュタイナーと出会っている」(遠藤真理「カンディンスキ ーとシュタイナー」http://www.eonet.ne.jp/~kimichr/contributions/agatha2.html[2013年7月11日閲覧)。

 「神智学が当時の芸術家にインスピレーションを与えた方法は、オカルト的な思考内容だった。モンドリアン、スクリャービン、ストラヴィンスキー、シェーンベルク、モルゲンシュタイン等々がその影響をうけ、カンディンスキーも例外ではなかった。自筆の書きこみの入ったいくつかの本?ブラヴァツキー『神智学への鍵』、シュレー『偉大なる秘儀参入者たち』、シュタイナー『神智学』、ベサントとリードビーター『思念=形態』?が彼が熱心にこれらの世界への糸口を探ろうとしていたことを物語っている。」(遠藤真理「カンディンスキーと シュタイナー」http://www.eonet.ne.jp/~kimichr/contributions/agatha2.html[2013年7月11日閲覧)。

 Besant & Leadbeater の『Thought-Forms』は、(故)田中恵美子氏による翻訳(1983年5月第一刷発行)があるが、1999年発行の『Thought-Forms』にある、John Algeo 氏による「FOREWARD TO THE 1999 EDITION」(pp. xi - xxvi)は、当然ながら訳出されていない。そのなかの一節に、「THOUGHT FORMS AND MODERN ART」(xxiii - xxv)というのがある。次に訳出する。

  「    想念形体〔形態 forms〕と近代〔現代〕芸術

 心的〔メンタル〕物質における形体、つまり「透視 clear sight」能力のある人々によって知覚することができる形体、としての想念という見方 view は、20世紀初期の芸術家たちに大きな影響を与えた。ベサントとリードビーターの『想念形体』は、1901年の初版であるが、その影響の主要な源であった。
 ピエト モンドリアンは、オランダの象徴主義者で、後に抽象主義者となったが、神智学協会の一員でもあった。彼は、1908年に「献身 Devotion」と呼ばれる絵画 picture を描いた。それは、若い少女を描写しており、頭はわずかに上方に傾き、額の前の幽霊のような〔 spectral〕花を見つめている。それと、モンドリアンの他のお化けのような花々の一連の絵画は、H.P. ブラヴァツキー による観察を反映している。すなわち、

 一つの花が咲き、それからしおれ、死ぬ。それは、後ろに芳香を残す。もろい花びらは小さなちりにすぎなくなっても長く後にも、香りは空中になお留まる。わたしたちの物質的感覚はそれを認識しないかもしれないが、しかしそれはやはり存在するのである。[『覆いを取られた〔脱いだ〕イシス神 Isis Unveiled』 1: 114]


 モンドリアンの塗絵 painting における少女は、一つの花の想念形体を見ている。それは、花自体が色褪せ〔しおれ fade〕消滅した後も長く存在する。
 芸術とベサントとリードビーターの『想念形体』との間により直接的な繋がりのある、他の例は、ワシリー カンディンスキーの作品である。Sixten Ringbomは、彼の専門的研究論文である『鳴り響く宇宙 The Sounding Cosmos』で、カンディンスキーの抽象芸術の基礎となっている霊的理論を研究した。すなわち、

 カンディンスキーの神智学的源泉の最も重要なものの一つは、ベサントとリードビーターの著書である『想念形体』であり、その本のドイツ語訳は1908年に出た。この翻訳、『思考形体 Gedankenformen 』は、〔フランスの〕ヌイイ-シュル-セーヌにあるカンディンスキー図書館にあり、20世紀の初期でも、カンディンスキーはそれに言及していた。[〔Ringbom『鳴り響く宇宙』:〕62頁]

 ベサントとリードビーターは、想念形体を色、形、そして輪郭の明確さ〔明瞭さ distinctness〕によって分析している。これら三つの特質すべてが、想念形体の意味に対して意義を持つ。想念の情緒的〔感情的 emotional〕特質は、その色彩を決める。そして、集中の程度は、想念の輪郭の明確さを決める。Sixten Ringbomが説得的に示しているように、カンディンスキーは第一次世界大戦前の10 年間から行なった塗絵において、これらの特徴を取り上げ〔took up those characteristics〕使用した。
 カンディンスキーの第一次世界大戦前の塗絵において、ベサントとリードビーターの本における特定の想念形体の挿絵と同一の形を認めることはたやすい。たとえば、いくつかの漠然とした 〔vague〕曇りのある〔ぼんやりとした cloudy〕形は、図版8と9〔訳本では48頁の次にある図版8と9〕の模倣である〔echo〕。つかむような、あるいはかぎ状の形は、図版13、20、28、そして29の形を繰り返している。カンディンスキーの様々な理論的着想は「神智学から直接に来た」(〔『鳴り響く宇宙』:〕121頁)ことを明瞭にすることに加えて、Ringbomは、カンディンスキーが彼の塗絵に『想念形体』からの挿絵を取り入れたことを示している。Ringbomは、カンディンスキーの塗絵と、ベサントとリードビーターの本からの挿絵を並べている(Ringbomの図版121-133)。それによって、カンディンスキーの作品〔仕事〕へのベサントとリードビーターの影響を視覚的に〔ありありと、図表を用いて graphically〕示している。」(Algeo 1999: xxiii-xxv;20130711試訳)。

  

 なるほど、初期のカンディンスキー作品が暗くて汚いわけだ。後のいわゆる幾何的な整理された作品の色はまあまあ奇麗である。
 




 
[A]
Algeo, John. 1999. Thought forms and modern art. In, Besant & Leadbeater "Thought-Forms": xi-xxvi. Theosophical Publishing House.

[B]
Besant, Annie & Leadbeater, C.W. 1999. Thought-Forms. xxvi + 77 pp. Theosophical Publishing House (Quest Books). [B20000901、$10.40+39.00/20]

[へ]
ベサント,アニー & リードビーター,C.W.1925.(田中恵美子 訳,1983.5)思いは生きている?想念形体?].98頁 + 図版30頁.竜王文庫.[2600円+税][B19840514、2500円][19850314読了]






風間虹樹:〈生命火花?? a rose violet devas〉の展示/勝毎サロン/藤丸7階(帯広)

2013年07月11日 08時39分55秒 | 美術/絵画
2013年7月11日-1
風間虹樹:〈生命火花?? a rose violet devas〉の展示/勝毎サロン/藤丸7階(帯広)



風間 虹樹
生命火花?? a rose violet devas
F20縦(727×606 mm)
亜麻画布 linen canvas に、ジェッソ、墨、(水色はおそらく水干絵具)、油絵具、白墨液
2007年10月製作

が、下記にて6日間、展示されます。

□ 形象のはざまに・・・ □
会期:2013年7月11日(木)~16日(火)
時間:午前10時~午後6時まで(最終日は午後4時まで)
場所:勝毎サロン(藤丸7階)
   帯広市西2条南8丁目 藤丸
主催:NPO十勝文化会議
展示内容:抽象画・版画等

【移動展】 (※ 移動展の日程は若干変更になる場合があります)

会期:2013年7月17日(水)~7月22日(月)
会場:大樹町生涯学習センター

会期:2013年9月11日(水)~9月29日(日)
会場:豊頃町えるむ館はるにれギャラリー


 
狙い:一体的deva生命体たちを創造し存在させる。
技法:面相筆による振り出し叩きつけ法(細線喰い込み付着法)、滴下法、絵画表面流し法、表面体削り穴法、
見どころ:
  ・いのちが花火のように燃焼する状態で自然的に存在しているところ。
  ・生命体の環境の繊細なあり方。
  ・墨線生命体の繊細かつ粘りつく力強さ。
  ・墨線生命の身体が一部で弾ける、いのちの活動。
  ・水性の力、たとえば滲み的有り様の展開。
  ・全体としての有機的広がり。
  ・水(という五大 five elements のうちの一つの)の流れるやわらかな生氣。
  ・火(という五大 five elements のうちの一つの)のはじける硬質の生氣。
  ・統合として、繊細かつ大胆。

rose violet 薔薇菫(色)
a devas 一つのdevaたち、または、一体であるdevaたち
deva 梵天、天使、精霊、神々、などと訳される、肉眼では不可視の存在者


 喰い込むような細線は、面相筆に(おそらくさらに膠を加えた)墨を含ませて、ジェッソを塗布した生乾きの絵画表面に叩きつけるように振り出して作った。
 水分含有量や環境湿度などに結果が微妙に左右されるので、喰い込むような鋭利な細線の再現はかなり困難である。墨の着地点で火花のように散っているのは、表面がちょうど良い加減の水分のジェッソ層となっているからである。



 
















 墨を面相筆につけての一振りで、一瞬的に生命花火を作りました。線香花火のような部分は墨の着地点です。喰い込むような細線は、墨の着地に続く振り下ろしの部分です。なんと美しい、細い曲線。なんと美しい、花火的ないのちの散らばり。なんと美しい、墨の濃淡の分布。下図も参照。













風間虹樹〈いのち、いのち。。(水甕座の水。るるる、)〉の展示/2013京展 [再掲]

2013年07月10日 19時51分28秒 | 美術/絵画
2013年7月10日-2
風間虹樹〈いのち、いのち。。(水甕座の水。るるる、)〉の展示/2013京展 [再掲]

 風間虹樹製作の絵画〈いのち、いのち。。(水甕座の水。るるる、)〉(F130横)が、下記の2013京展の洋画部門にて展示されています。ご楽覧いただければ幸いです。

   

風間虹樹:いのち、いのち。。(水甕座の水。るるる、) 
大きさ:162×194cm(F130横)。
材料構成:(桐材支持体に張った)亜麻カンヴァス linen canvas に、ジェッソ、アクリル絵具、胡粉、紙製こより、グロスポリマーメディウム。

理念 Idea:水甕座時代の美。

狙い aim:水甕座の時代に注がれるエネルギーまたは力を物体化するような、あるいは伝搬体となるような美的物体の創造。

顕現化(設計または計算の実装)の方針 the policy (philosophy) of manifestation (implementation of design or calculation) or in-this-world materialization:
   青い透明性、立体的線による存在化(こよりで体現させる)、線による関係の種類と程度の表示。かつ、美的関係体の創造的存在化。
   基調色は様々な青色(水甕座を象徴させる)。
   背景的に放射状銀線(アウラまたは物体が発する放射)を配置する。(われわれが生きる世界は、様々な電磁波と検出されていない幾多の力の放射物に満ちた世界である。様々な力線または作用線に緊密に囲まれた世界に、われわれは生きている。) エネルギーの引き込みまたは陥没 sink または虚陰または没入 、対、放出 emission, radiationと創発 emergence 。
   関係表示物を立体的に配置する(見えない関係を認識する)。
   自然的存在化(【叩きつけ法】、【振出し法】、【滴下法】、【回転体 roller しわつけ法】、【二重芽生え絵画】などの採用)。

反省点:
 ・当初は、4cm幅の孟宗竹板を彩色して、左右は縦方向の断面が見えるように一本ずつの竹板を、しかし上下の縁は前方に断面が見えるように数個の竹板を、ねじ釘で打ち付ける予定であった(日本絵画 Japanese picture を目指しているので、それへの効果を狙って)。時間に余裕が無かったので、既製品の金色の仮額で間に合わせた。時間泥棒を避けるように計画しよう。

観照上のおすすめ点:
 ・正面からだけでなく様々な角度で観てください。照明または窓から入る自然光の反射光によって見えがかなり変異します。
 ・また、様々な距離からご覧ください。たとえば、およそ20cm、50cm、1m、2m、3m、5m、7m、10m、20mといった距離からです。視覚解像度に依存して、全体像および(無数に近い)部分像は変異します。部分切り取り練習をすると、細部に様々な関係体または世界が発見できるでしょう。

  
◇ 京都市美術館開館80周年記念展 2013京展 ◇

日時:2013年7月3日(水)~7月19日(金)
     7月8日(月)と7月15日(月)は休館
   9:00~17:00(入館は16:30まで)
会場:京都市美術館
   京都市左京区岡崎円勝寺町124(岡崎公園内)
   地下鉄東西線「東山」駅下車、北北東へ徒歩10分
   京阪三条駅から地下鉄東西線「東山」駅までを歩くこともよいですね(地下鉄一駅間の運賃は210円です)。
   京阪の神宮丸太町駅から東へ疎水沿いに歩くのも一興です。
観覧料:大人900 (800)円 高大生600 (500)円 小中生400 (300)円
   ※()内は20名以上の団体料金 ※障害者手帳等の提示の方は無料

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 図1。数層から成る。振出し法で放射状線を作りアクリル絵具をふりかけ、そこに滴下法で円状体を付加してアクリル絵具をふりかけ、叩きつけ法で生命龍を作った。左側の銀線は振出し法による。なお、基本は地面に平行角度に画布を置いて製作している。振出し法を行なうときは、傾斜させることが多い。
 


 図2。生命龍は、叩きつけ法による。一発勝負である。瞬間的に強く叩きつければ、泡をアクリル絵具面で封入できる(拡大した図1を参照)。
 
 

 図3。振出し法と回転体皺付け法。これらによる模様のさらに下層のしわは、回転体 rollerによる皺付け wrinkle-makingである。
 
 

 図4。生命龍は、叩きつけ法による。一発勝負である。絵具の分布つまり形態と撥ね散りと泡の閉じ込め具合は、力の制御が難しい。したがって、訓練次第と運任せである。瞬間的に強く叩きつければ、泡をアクリル絵具面で封入できる(拡大した図1を参照)。
  宇宙的生命龍に(いわば)抱かれた水色の水甕が湛えている水、つまりエネルギー固化体、は複層的滴下法による。最上層にはグロスポリマーメディウムを滴下してあるので、照明光の角度によっては反射して夜空の星のように光る。東京での江戸期の或る作品の展覧では、照明強度が時間的に変化するしかけをしていた。
  生命龍の頭から出て画布の裏へと没入しているのは、二本のこよりである。この画像では見えないが、こよりには(グロスポリマーメディウムで作った透明の)幾多の水滴が(立体的に)ついている。
  水甕座の水甕から天の方に出ているまたは天から流入している(つまり返送 feedback 機構つき)三本の力線は、よじれていて、また水玉が付着している。三本とも、外部(額縁外)へと伸びている。実は、この三位一体 ??????????(ブラフマー=ヴィシュヌ=シヴァ、父=子=聖霊)によって世界は創造され維持され破壊され、そして再生される(といっても、(これについてのみ「自己」と呼べる)自己運動である)。幾多の力線あるいは法則または原則は、この三位一体制の機構によって生まれるのまたは形成される。(法則性の存在は、予想や予測においては大前提である。法則は存在するのか、存在するならばどこに?、と問うてみよう。)
 
 

 図5。水甕座の水は、右側からの【芽生え絵画】となっていることがわかる。わかりにくいが、右上の方で、その上に【芽生え絵画】が生えている。【二重芽生え絵画】である。龍の頭からは、二本の白線が水甕座の水へと繋がっている。あるいはむしろ、水甕座の水からの力線が龍頭へと注入している。生命龍とは、生命的個体的存在者である。生命とは、一つの意味は、生き物たちから抽象された概念であるが、個体化とは具体化、たとえばこの世界への顕現の一様態である。龍は元氣または元エネルギーの顕現(の一様態)である。

  下降し上昇する龍たち。
  上昇し下降する龍たち。
  遠大な(しかし設計においては一瞬の)進化劇 evolutionary play での相互作用者 interacter(役者 actor)と被作用者たち。







風間虹樹:〈いのち曼荼羅◇水螺旋○〉/第88回平原社展/帯広市民ギャラリー

2013年07月10日 17時31分56秒 | 美術/絵画
2013年7月10日-1
風間虹樹:〈いのち曼荼羅◇水螺旋○〉/第88回平原社展/帯広市民ギャラリー

□ 第88回 平原社美術協会展(第88回 平原社展) □
 会期:2013年7月11日(木)~7月22日(火)
    ただし、7月17日(水)は休館。
 時間:午前10時~午後7時 *最終日は午後4時迄
 会場:帯広市民ギャラリー
    帯広市西2条南12丁目 JR帯広駅地下
 入場料:大人 400円。高校生以下は無料。



 風間虹樹の〈いのち曼荼羅◇水螺旋○〉が展示されています。ご楽覧いただければ幸いです。

 

 【芽生え絵画】。いたるところ、いのちに満ちている。あるいはむしろ、すべては、いのち、である。生命は生命から芽生える。

 

 【挟み絵画】生命と生命の間にも、いのちは充満する。

 

 下地が水分のある状態のときに、画布を回転させながら、【線状滴下法】を適用。縁が滲む。
 こよりは、震えながら、あるいはもだえながら、絵画表面から出て絵画表面に入る。
 


 


 


 

 胡粉の振り出し法



絵画原論 001:絵画の定義

2013年07月09日 18時40分40秒 | 美術/絵画原論、絵画理論、絵画技法
2013年7月9日-3
絵画原論 001:絵画の定義

 クレメント グリーンバーグ(Clement Greenberg)は、内容ではなく形式によって絵画を捉え、絵画の本質を平面性だとした。

  「モダニズムの芸術作品は原則的にそのミディアムの、最も本質的と考えられている性質にそぐわないどんな種類の経験にも依存しないようにしなければならなくなる。これはとりわけ、イリュージョンと明示の放棄を意味する。」
(『グリーンバーグ批評選集』: 102頁)。

             リテラル
  「モダニズムの絵画は、直示的にして実証的なものに対する我々の欲望を、三次元のイリュージョンの放棄によって満たす。これが決定的な一歩であるのは、三次元を暗示するに留まる限り再現なるものも放棄されるからである。〔略〕モンドリアンが示したのは、再現の痕跡や暗示がいっさい取り除かれて初めて絵は絵であり続けるということであった。つまり、再現性も三次元性も絵画芸術にとっては本質的でないのであり、それらが欠けたところで、画家は「単に」装飾的なものに引き渡されるわけではないのである。」(『グリーンバーグ批評選集』: 103頁)。

 しかし、グリーンバーグは、「平面」とともに「表面」という語も使っている。どう使い分けているのか、そもそも「平面」という語で何を指しているのか、あるいは意味しているのかがよくわからない。上に引用した箇所はまだわかりやすい箇所である。
  
  「再現性とは、ある事象がテーマとなった時に、それを成り立たせていると考えられる要素や要因に還元したときに、同じ要素や要因を条件として整えた時に、再びまったく同じ事象が起こる性質をそなえていること。

http://ja.wikipedia.org/wiki/再現性

と、ウィキペディアにある。しかし、グリーンバーグの「再現性」はこれとは異なる意味であろう。再現とはrepresentationの訳であろうか? あるいはreproductionなのだろうか? あるいは、実際的意味とは(或る精度での)複製ということなのか? 写像 mapping の種類と程度として捉えよう。
 しかしながら、抽象絵画、とりわけ有機的抽象絵画(あるいは、いのち絵画)においては、再現とか(感情とか内面の)表現とかではなくて、絵具を材料としてできる生命体を存在させること、様々な種類の生命体を創造することを課題とする。

 さて、平面または二次元か、立体または三次元か、は絵画の本質とは関わらない。そのように定義したい。
 人の肉眼視覚から言えば、或る空間解像度の限度があるので(顕微鏡を使えば拡大概念的な解像度を上げることができる)、表面というものとして認識するのである。穴とは視覚上での相対的なものである。表面は曲がっていても、メビウスの輪(またはメービウスの帯)のように物体としては裏表があるのに裏と表がつながっていて同一面つまり、一つの面だけで構成されていて立体的であってもよい(メビウスの輪もまた三次元的物体であるから、輪の側面を構成する厚みがあるので、厳密に言えば、一つの面だけで構成されているわけではない。近似的な言い方である)し、いくつかの「穴」があってもよい。

  定義1:絵画の定義
   絵画とは、表面に絵具を結合させた(あるいはそうして分布させた)物体である。

 或る物体の絵画性の種類と程度について、分類と指標を定めておく(後述)必要がある。
 この定義からすると、彫刻とかのいわゆる立体作品もまた絵画である。そこで、従来言われてきた彫刻または立体について、絵画との関係を検討しておこう。

 彫刻 carving、つまり材料を切って彫って刻んで作る物体の製作であるが、彫刻という言い方はその作り方によっている。まったく平面的なもの、たとえば薄い紙を切り刻んでも彫刻ということになるだろう。
 逆に、物体を増やしていく方向、たとえば粘土を貼りつけていくのは彫塑と呼び、できあがった物体は塑像と呼んでいるようである。

  「硬い素材を彫り刻む技法も彫刻(カーヴィング、carving)と呼び、それに対して、可塑性素材を盛りつけて形を作る技法を彫塑(モデリング、modeling)という。彫塑で作られた作品を特に塑像と呼び分けることもある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/彫刻

 つまり、丸太とか粘土塊とかの出発点となる材料をもととして、加工しようとするときに、
  a. なんらかの働きかけによって、材料を減らしていく。 ………彫(狭義の彫刻) carving
  b. なんらかの働きかけによって、材料を増やしていく。 ………塑(?塑造) modeling
  c. なんらかの働きかけによって、材料を増やしたり減らしたりする。 ………造形 shape -making[→物体製作 material body making]

  「近代において立体造形は、1873年のウィーン万博出品規定「像ヲ作ル術」と称されて以降、大村西崖による彫刻と塑造を合わせた「彫塑」が提唱されたが定着せず、76年工部美術学校で学科名として決められた「彫刻」に落ち着いたことになる。(迫内祐司・執筆)」(日本近現代美術史事典・用語編(東京書籍・2007年))
https://ja.wikipedia.org/wiki/彫刻

  「造形(ぞうけい)とは様々な物質を媒介として、形あるものを作りだすこと。〔略〕
 本来、造形とは、形を造ること、すなわち英語でいうmodeling(模型製作)やmolding(型で作ること。鋳造)を意味する。 特に芸術の分野においては、「造形芸術」と言った場合、「物体」を作り出す芸術、つまり絵画や彫刻、デザイン(工芸、建築)などを指した。
しかし、現代美術において、オブジェ【objet(仏)】等の「他のジャンルに収まらない芸術作品」を、ひっくるめて「造形作品」という言葉で呼びあらわしたり、さらに現在ではメディアアートについても造形芸術に含まれるようになるなど、意味の変化が見られる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/造形

 物体は、形を持っており(厳密な言い方をすれば、形が知覚される)、したがってなんらかの色を持っている(厳密な言い方をすれば、色が知覚される)。透明な場合でも、形は(視覚的には困難でも、たとえば触覚的に)知覚できる。こう考えると、物体において、形態的性質が先立つように思われる。
 しかし、絵画では色彩を重視して、形態は従属的なものだと考える方が、絵画の本質を重視する考え方である。
 人の視覚の多くは三色型であるが四色型もあると言われる。この側面を考察してみよう。
 まずは、同種類の知覚者であっても、場所が異なれば知覚内容は異なるという話からである。音楽鑑賞を考えてみよう。或るコンサートホールで、ピアノ協奏曲を聴くとする。厳密に言えば、異なる席では異なる音楽を聴いている。たとえば札幌にキタラホールがある。ピアノは演奏場の(客席に対して)前方の中央に置かれている。ピアノと直角に位置してかなり離れた席だと、ピアノ音は聞こえない。ピアノ音の無いピアノ協奏曲となる。ピアノの共鳴板に直角方向でホールの天板からの反響音も加えて音量豊かな所では、ピアノ音のよく聞こえるピアノ協奏曲となるだろう。その間で、客席によって反響音もしくは残響音のずれの程度も様々に、異なる音構成の曲を聴くことになる。はたして、だれもが同一の音楽を聴いていると言えるだろうか? コンサート会場の席ごとに示した、音響特性分布図が欲しいところである。
 絵画鑑賞または絵画感受においても同様であるが、幸いなことに歩くなどして、見る角度と距離を変えることができる。

  「「絵画」を意味する英語はpictureである。このpicture〔英〕は、ラテン語で「描かれたもの」の意味から派生した語である。「描かれたもの」を指し示すpictureは、「絵、絵画」の他にも、写真、(映画、テレビの)画面、さらに(心に描く)像のimage や 観念のideaという言葉、さらには「(絵のように)美しいもの」「生き写し、化身」、situationと同じような「状況、事情、様子」などの幅広い意味ももっている。

 pictureを形容詞で用いる場合は、「絵に描く、描写する」の他に、「心に描く、創造する」という意味もある。

 一方、英語には「描かれたもの」ではなく、「描くこと」を示す別の言葉がある。painting 〔英〕 は 「絵をかくこと、画法、ペンキ塗り」を意味し、「絵画、油彩画、水彩画、塗装」とも訳される。」(渡辺晃一「<絵> <画>の範疇とその定義について(3)」)
http://www2.educ.fukushima-u.ac.jp/~koichiw/asca/asca_toku_wata01_03.html

  「中国では、当初、「調墨」の美を通じて、「輪郭線」を表現しないで描く手法が確立していたのに対して、「線描」の美が加わることにより、徐々に「線」に大きな意味が加えられていったのは興味深い。その「線」は、漢字が視覚的な意味だけではなく、書体に書き手の感情や思想を表すものとされたのと重なってくる。」
http://www2.educ.fukushima-u.ac.jp/~koichiw/asca/asca_toku_wata01_08.html

  「<絵>と<画>は「あわせる」と「しきる」という相反する行為を有することになる。〔略〕
 「色のついた糸を素地に合わせる」ことである<絵>は、絵具でキャンバスに塗ること、ペンキで家の壁を塗り替えること、布地を模様で覆うことの意味をもつ。それは「色を塗る。塗装する」という西洋語の painting ( 英)とも重なり、「素材の表面を覆う」身体的な行為が語根にあるとも考えられないか。〔略〕
 一方、<画>は、「事物に限界を与え、区切る」ことであり、「対象の形を理解する」という思考方法が示されいる。線を引く、しきるのは、AとBを分けること、境界を区分することである。それは、言葉のもつ性質、脳内で処理された「ものの見方」とも重ね合わされるであろう。〔略〕
 <絵画>の意味をまとめると、<絵>は<感覚的、身体的>なニュアンスが強く、Malereiやpaintingの意味に近い。<画>は「線を描くこと」であり、ものの考え、つまり<脳>を通じて「計画、意図、構想をもって描かれたもの」という意味あいを含み、dessin やZeichnungと重なるものである。」
http://www2.educ.fukushima-u.ac.jp/~koichiw/asca/asca_toku_wata01_09.html

 
絵、画、図、図解、絵解き、絵画世界、(言語的解釈をしない)直接感覚


  「絵画の方は意味伝達よりも、感情や意志の表現が含まれる初源的なものが含まれているのです。〔略〕
 特に「気韻生動」は、「絵画」の最も大事な要諦で、何よりも生き生きとした気韻が伝わってこなければ、よい作品といえないと〔謝赫が『画の六法』で〕言っています。単に技巧をこらして、うまく描かれても、決してよい「絵画」とはいえないのです。」(田中英道「絵画とは何か」)
http://www2.educ.fukushima-u.ac.jp/~koichiw/asca/asca_toku_tanaka01.html

 上記は、絵画を構成する素材とか形式ではなく、その内容または観者に与える効果で、絵画を定義というより価値判断しようとするものである。あえて定義と呼ぶならば、絵画についての狭い定義である。なんらかの判断基準が明示されなければ、或る人は「それは絵画ではない」と言い、他の人は「それは素晴らしい絵画だ」と主張することになる。このようなことを避けるには、絵画性についてその種類と程度を定めるのがよい。たとえば、絵画性がゼロの絵画だ、と表現すればよいのである。そうすれば、たとえば「気韻生動の感じられない絵画だ」という言い方は矛盾しない言い方となる。
 
 あれこれ言うよりも、定義をして議論することが混乱回避の道である。

  「絵画の定義

定義1a
絵画とは、何らかの物体の表面に、なんらかの結合手段によって、なんらかの絵具を配置した物体である。

地球表面においては、地球重力がいたるところで働いている。床に賽子を一つ置けば、そして絵具で賽子の目が表されていれば、それは三次元的絵画である。なお、時間とは記述や測定のためのわれわれな工夫であり、実在するものではない。

たとえば蝶の翅とか孔雀の羽根の色は、構造色である。絵画は視覚に関わるものだとすると、定義1aは絵具、つまりなんらかの顔料を pigmentを使うという限定のある狭い定義である。色が見えれば、顔料によるか、表面構造のよるかを問わなければ、あるいはむしろ、膠彩画のように表面構造が見えに影響しているのは明らかなのだから、絵画とは表面体の一形式である、と定義範囲を拡張することにする。

定義1b
絵画とは、なんらかの物体の表面を、見えの上でなんらかの手段によって彩色した物体である。

彩色とは、白黒の明暗だけの場合を含むこととする。彩度がゼロの場合を含むということである。

表面は、真っ平らかもしれないし、曲がっているかもしれない。球体は、球面という一つの表面となっている。直方体は、
六面体であり、六つの隣接する絵画世界を提示できる。ヘリウムを入れて空中に浮かべることもできよう。

表面に穴が空いていて、真後ろとか曲がってどこかに穴が通じていてもよい。表面構造が入り組んでいるだけである。

彫刻作品とは掘ったり刻んだりという作用が行なわれた作品である。塑像作品は、逆に材料を付加して作っていく。

いかなる立体も、その表面によって、われわれは認識する。触覚はことにそうである。(存在するとしてだが)エーテル視力または四次元的視力を使うことができる者は、レントゲン像のように表面を貫いた像を得ることができるらしい。
通常の肉眼視力では、空間解像度の制限によって、表面が連続しているように見える。たとえば鶏卵の表面を、走査電子顕微鏡で見れば、穴ぼこだらけである。人肌も汗腺が開いている隙間がある。

作り方はどうであれ、塗り絵的に、あるいはポロックのように絵具を滴り落として層を重ねたりしても、結局は、表面で反射される様々な波長の光を感知しているのである。透明度の高い絵具は、その度合いに応じて、下層の絵具の色を覆い隠さず見えさせる。透明性の採用は、水甕座の時代にふさわしい(理由は後述。一つ言えば、光の科学技術の時代だと予想するからである)。

定義1は、絵画の存在形式によっている。白く塗っただけの平面的カンヴァスでも、ましてや尻尾に絵具をつけて驢馬に振り回させてできた絵画ならば堂々と絵画だと言える。
美的かどうかという内容は、形式とは別のことである。一見したところ、全面がノッペリと白い物体でも、よくよく視れば、または観れば、微妙な陰翳があって、感興を起こすかもしれない。それを美的作品だと認定するならば、それは、或る観覧条件での、特に照明条件と背景条件のもとでの、絵具の配置模様 placed pattern についての判断である。

では、美的内容にもとづく定義は、どのようなものになるか? 人々の感性は様々であるので、感性の分類をして、共通性をさがすことになる。

まずは、自然美を検討してみよう。」(2013年6月20日-1 いのち絵画、または、有機的抽象絵画の技法)。
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=4937869

 と言いつつも、またもや寄り道または脱線することにする。
 色彩感覚について検討するが、秘教的文献として、ゲーテアヌムを設計したルドルフ シュタイナーや画家でもあるベンジャミン クレームさんによる論などもあるが、先に『寺院の教え』を参照する。いくつかの関係する課を目次から抜粋すると、

 「第一課  実質・物質の顕現 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(9)
  第二課  意識の諸状態 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(12)
  第三課  断言の力 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(15)
  第七課  エーテル宇宙 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(29)
  第二四課 放射能 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(79)
  第三七課 色彩の効果 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(115)
  第五十課 色彩圏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(160)」
http://www7.ocn.ne.jp/~ryuo-b/mokuzi/ziinosie-mokuzi.html

である。

 元に戻って、

彫刻と絵画

                  カーヴィング モデリング
  「素材への色彩の塗布が是認される。  彫  と  塑  の違いも関係なくなる。〔略〕新しい彫刻は、彫刻されるというよりはむしろ構築、建造、集積、配列される。〔略〕そしてこの柔軟性に、私は、彫刻が絵画よりもいっそう広い表現の幅を獲得する機会を見出だすのである。」(『グリーンバーグ批評選集』: 106頁)。

 ここでの柔軟性とは、材料を選ぶときの広範さと加工方法の広範さであろう。しかし、そのことは絵画についても適用できる。板のまたは樹幹ならば固さ、したがって自立性も確保できる。「素材への色彩の塗布」をすれば、あるいは色を加えなくとも素材の色を採用するならば、あるいは透明も色だと考えるならば、それらは絵画である。極端には、なんであれ物体は絵画だと見立てるまたは見なすことができる。ただし、絵画性の種類と程度について分類と尺度は用意するべきである。ここは、感性学または美学、そして色彩と形態の科学の課題である。

 われわれ地球人は、地球重力下という環境に生活している。展示方法も重力を利用することになる。

展示方式の分類

  a. 床置き
   床に置いた台上に置く場合も含める。床から天井に渡した物体も、便宜的に、床置きという展示分類に入れることにする。天井から吊るして床の上に1mm浮いていれば、天井吊るしである。
  b. 壁掛け
  c. 天井吊るし
    床と天井の間にテグスを張って、そのテグスに作品を固定した場合は、あるいは一本のテグスそのものを作品とする場合は、天井吊るしに分類してもよいし床置きに分類してもどちらでもよい。効果としては、「線が張ってある」が目に付くであろうが、それは展示方法の分類の話ではない。
  d. 空中浮遊
  e. その他:(たとえば土中に)埋め込み、梱包、(たとえば箱に入れて穴から)覗き見

 たとえば張りカンヴァスとか板を、床に対して30度とか45度に立て掛けた場合は、床置きと壁掛けの中間である。同様に、天井と壁に45度に渡すこともできる。また、壁掛けの部類に入るが、隅で二つの壁の間に渡すこともできる。
 空中浮遊という展示様式は、物体をたとえばヘリウム気体を入れて浮かしたり、無重力状態中に作品を入れる(たとえば長い坑道の中を作品とともに観る人も落下する)ことで実現できよう。


版画と絵画、複製性

 モノタイプという版画での作り方がある。孔版 stencil という、絵具(インクや染料を含む)を配置するやり方がある。

 
水甕座時代の、いのち絵画または光絵画

 光を呼び寄せたい、または喚起したい →透明性の高い絵具を使って、層を重ねる。


□ 文献 □
2011年2月1日-1 美の産出■◆
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=3456992

2010年4月8日-3 美術関係本追加
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=2845444

2012年10月10日-2 美術関係本20121010
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=4567876

2012年10月29日-3 美術論・抽象絵画論文献20121029
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=4597915


 
[お]
大橋良介.2007.4.美のゆくえ:カント・ヘーゲル・アドルノ・ハイデッガー[阪大講義プロトコル].x+291頁.燈影舎.[3,600円と税][B20121013, amz1844+250=2094*]

*大山正.色彩心理学入門:ニュートンとゲーテの流れを追って.中央公論新社[中公新書].[798円(詐欺的消費税、込み)]

尾崎信一郎.1999.5.絵画論を超えて[芸術学叢書].
282頁.東信堂.[4,830円(税込)][B201****][2013****読了]

*尾崎信一郎.2004.痕跡-苛酷なる現実としての美術.「痕跡―戦後美術における身体と思考」展図録(京都国立近代美術館と東京国立近代美術館):***-***頁.

[き]
金悠美.2004.2.美学と現代美術の距離:アメリカにおけるその乖離と接近をめぐって.東信堂.[ISBN 9784887135420 / 3,800円+税]〔分析美学,グリーンバーグ,Danto〕

[く]
グリーンバーグ,クレメント.1961-2003.(藤枝晃雄編訳 2005.4)グリーンバーグ批評選集.iii+232+vii 頁.勁草書房.[ISBN 9784326851850 / 2,800円+税].[Greenberg, Clement. ]

クレーム,ベンジャミン[Creme, Benjamin].2005.4.The esoteric art of Benjamin Creme 曼荼羅絵画.50頁.[図版と英文と日本語訳文][400円?または500円?][増補版がいくつかある]

[け]
ゲーテ,ヨーハン ヴォルフガング フォン.(髙橋義人+前田富士男 訳,1999.12)色彩論 第一巻 教示篇・論争篇.654頁.工作社.[全巻で25,000円+税][B20000419]

ゲーテ,ヨーハン ヴォルフガング フォン.(南大路振+嶋田洋一郎+中島芳郎 訳,1999.12)色彩論 第二巻 歴史篇.700頁.工作社.[全巻で25,000円+税][B20000419]

ゲーテ,ヨーハン ヴォルフガング フォン.(前田富士男 訳,1999.12)『色彩論』図版集.63頁.工作社.[全巻で25,000円+税][B20000419]



[し]
シュタイナー,ルドルフ.1929.(高橋巖訳 1986.11)色彩の本質.1+103pp.イザラ書房.[1,900円]〔(西川隆範訳 2005.12)色彩の本質・色彩の秘密.イザラ書房 [ISBN 9784756500960]があるようだ〕.
[ 「十八世紀にいたるまで、識者はいかに色彩は霊的なものから流れ出るかをはっきりと知っていました。空気は光の影です。光が生じると、ある条件下に影が生じます。色彩が存在 し、その色彩が空気要素のなかで作用し、空気中にきらめくように飛び散ると 空気要素のなかにある別の要素が生じます。ある条件の下で、圧力によって逆流が生じるように、色彩から液体状、水状の要素が生じるのです。光の影が空気であるように、水は色彩の反映なのです。

理解しがたいことかもしれませんが、一度、色彩の真の意味を把握しようとしてみてください。」
http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/usw/color.html]


[す]
ステッカー,ロバート.[Robert Stecker ](森功次 訳 2013.5)分析美学入門.500頁.勁草書房.[5,985円][B20130***]

[ふ]
藤枝晃雄.1987.6[1977].現代美術の展開:美術の奔流この50年.324pp.美術出版社.[3,800円][B201111下旬、1200円*].

*藤枝晃雄.1996.現代芸術の不満.東信堂.

藤枝晃雄.1999.3.改訂版 絵画論の現在:マネからモンドリアンまで.165pp.スカイドア.[ISBN-10 4915879364 / 2,800円+税].

*藤枝晃雄.2005.7.現代芸術の彼岸.283pp.武蔵野美術大学出版局.[3,200円+税][大市図].

*藤枝晃雄.2007.7(新版)[1994.11].新版ジャクソン・ポロック.東信堂.[2,730円].

[へ]
ベサント,アニー & リードビーター,チャールズ・ウエブスター.(田中恵美子 訳 1992.2)思いは生きている?想念形態?[神智学叢書].98頁.竜王文庫.[B][2600円+税]

[ゆ]
Jurriaanse, Aart. ed. 1971. Ponder on This. [a compilation from books by (The Thibetan through) Alice A. Bailey] xiv+431 pp. Lucis Publishing Company. [B20000901, $14.00+39.00/20] [14 Auraは31頁、22 Colourは50頁、38 Devasは76頁、48 Elementalsは104頁、50 Energy and Forceは107頁、53 Etheric Body (Vital Body)は114頁、108 Man as Creator and Builderは250頁、116 Moneyは271頁、136 Pranaは317頁、156 Sightは374頁、168 Synthesisは399頁、172 Thought Formsは410頁]

ユリアーンス,アート.(編).(土方三羊 訳,2002.2)トランスヒマラヤ密教入門 第1巻[人間の本質].アルテ/星雲社.[2500円+税]["Ponder on This" の訳][B2002****][視覚、は132頁以降]

ユリアーンス,アート.(編).(土方三羊 訳,2002.10)トランスヒマラヤ密教入門 第3巻[意識の進化].アルテ/星雲社.[2500円+税]["Ponder on This" の訳][B20021028、2000円][色彩、は233頁以降]

[り]
リイドビーター,C・W.(今春聴〔=今東光〕 訳 1940)神秘的人間像.文曜書院.[P]

[わ]
*若林直樹.2000.1.退屈な美術史をやめるための長い長い人類の歴史.334頁.河出書房新社.[2,310円]

[J]
Jurriaanse, Aart. ed. 1971. Ponder on This. [a compilation from books by (The Thibetan through) Alice A. Bailey] xiv+431 pp. Lucis Publishing Company. [B20000901, $14.00+39.00/20] [14 Auraは31頁、22 Colourは50頁、38 Devasは76頁、48 Elementalsは104頁、50 Energy and Forceは107頁、53 Etheric Body (Vital Body)は114頁、108 Man as Creator and Builderは250頁、116 Moneyは271頁、136 Pranaは317頁、156 Sightは374頁、168 Synthesisは399頁、172 Thought Formsは410頁]


脱原発で安心な国民生活へ

2013年07月09日 17時25分36秒 | 政治経済社会学
2013年7月9日-2
脱原発で安心な国民生活へ

 脱原発が、来るべき選挙の第一争点である。脱原発は単発的争点では無い。きわめて多くの側面、とりわけ政治と経済が関わった重要な争点である。
 世論調査では、原発再稼働反対が多い。しかし、投票では、原発再稼働の前のめりの現政権党の自民党にするというのが多いようである(ただし全体での率は、決めていないのが多い)。ねじれ、というほかない。
 電力は足りている。そのことは夏でも冬でも実証された。節電するほかない。再稼働は、経営上の、つまり電力会社が経営破綻しないための方策であって、安全性は二の次である。
 下記の論考も読まれたい。
 
 
 福島を忘れても,原発は恋し,原発マフィアの悪あがき
 ◎ 性懲りもない「原子力の平和利用」という『悪魔の標語(ささやき)』◎
【原発を再稼働させるという無謀の「至上目的」,
   「地球破壊の無謀」より,当面の利益が,後生大事な「原子力ムラの面々」】
  「原発大好き〔でなければならない「日米関係のなかの位置」を占めている〕政党である自民党が,7月21日に予定されている参議院選挙で過半数の議席を獲得すれば,日本の原発がさらに再稼働される方向に強く向かいそうである。」
http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=4962058

 おそらく、野田政権時での鉢呂吉雄経済産業省大臣の辞任
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%A2%E5%91%82%E5%90%89%E9%9B%84#.E7.B5.8C.E7.94.A3.E5.A4.A7.E8.87.A3.E8.BE.9E.E4.BB.BB.E3.81.AB.E8.87.B3.E3.82.8B.E7.B5.8C.E7.B7.AF)は、原子力ムラが復興する転換点となったように思う。この場合には、記者クラブの情報操作が力あったことが伺われる(http://www.news-postseven.com/archives/20111018_65279.html)。

 
 参院選の結果は、未来を推し量る一つの指標となるだろう。短い期間であるが、日本国民は、今現在も放射性物質が関東も含めて広い範囲に降り注いでいること、安心な生活をするにはまずすべての原発を止めて廃炉に向かうこと、

  【放射能増加】新宿で観測している放射能が増加!2011年5月以来の数値!放射能増加の時期と2号機異常の時期が一致!
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-113.html

 
 東日本全域に降り注ぐ放射能、東京都新宿区16.9ベクレル、茨城県ひたちなか市17ベクレル、さいたま市11.7ベクレル、山形市9.6ベクレル、前橋市8.4ベクレル、仙台市6.6ベクレル、宇都宮市5.7ベクレル(6/28 文部科学省)
http://radiation7.blog.fc2.com/blog-entry-2384.html

 
  脱原発しか日本の未来は無い
こと、したがって、脱原発を推進する候補者と政党を選ぶことである。




風間虹樹:いのち絵画の技法(有機的抽象絵画の技法)2 滴下法 (1.1版)

2013年07月09日 16時33分20秒 | 美術/絵画原論、絵画理論、絵画技法
2013年7月9日-1
風間虹樹:いのち絵画の技法(有機的抽象絵画の技法)2 滴下法 (1.1版)
(2013年7月1日-1を改訂)

 いのち絵画、または、有機的抽象絵画、の重要な技法の一つは、【滴下法】(または滴り法)である。
 滴下法とは、或る粘度の絵具を、絵画表面に対して零度から180度まで(方向性を問わなければ90度まで)の或る角度で、或る距離から或る速度で滴り落とす方法である。或る速度のうちには、天に高く向かって投げて落下させることも含むこととする。最小速度としては、絵画表面にそっと置くことであるかもしれない。逆に、最大速度的には例えば空高くの気球から滴下することが考えられる。(短い距離から人技での最大速度的には叩き付けることが一方法であるが、これは【叩きつけ法】という分類カテゴリーに入れることにする。)
 その結果は、放射状に跳ね散った模様から、細いまたは太い楕円形ないし円形の模様ができる。厚さも様々にできる。
 円形や楕円の場合は、個体的生命体に見えるかもしれない。たとえば1~2mの高さからやや粘性のある絵具を滴下すると個体性が高いように感じられる。なお、やぐらを組んで、数mの高さから絵具を落下またはたたきつけたらどうなるだろうか。

 絵画表面を凸凹にすると、それへの滴下法の適用によって面白い効果が得られるかもしれない。
 さらに応用として、たとえば地平面に60度に傾けた木製やプラスチック製の板に跳ね散るような絵具を滴下して、板に跳ね返った絵具の配置を模様とすることができる。

 滴下法も振出し法も、狙いは、自然な存在の仕方をさせれば、自然な存在性となって、自然的に存在する生命体らしさを感じさせるように物体 material body を製作すること making である。

 下図は、滴下法による製作例である。


 ↑図1。油絵具を、ルソルヴァンまたはテルペンとポビー油を合わせたものにゆるく溶いて、滴下すると、生乾きの下地に円形状に中心が凹んで刻印される。ここではジェッソの滴下(結果は凸)と生乾き地への油絵具の滴下(結果は円形状の縁が凸でその内側は凹)の両方が適用されている。

 

 ↑図2。盛り上がった円形状のなかに、油絵具を滴下した。落とした中心は凹む。乾燥すると罅割れる。
   地は数層のアクリル絵具の滴下によって製作した。

 

 ↑図3。図2と同一の絵画物体(部分)。周りの薄くへばりついている生命体たちも、緑系のアクリル絵具を滴下して製作した。垂らし込み的となっている。→【垂らし込み】の効果は滲みと言われるが、垂らし込みというやり方がもたらす効果とは、二つの絵具の(立体的または三次元的)接面 interface での相互作用だとすると、この場合は単色垂らし込みということになろう。地は乾燥状態またはやや湿けた状態での、しかし絵具の境界付近では(自己的に)濃度が濃くなるという場合である[要検討]。
 
 

 ↑図4。滴下によって盛り上がった生命体を養生テープで覆って(マスキング)、振出し法による銀線がかかるのを避けている。

 

 ↑図5。和紙に、「日本画」(膠彩絵画)用絵具を使用した場合。垂らし込みで縞模様を作った。周囲が少し散る円形班。

 

 ↑図6。湿けた状態の上に、蝋を溶かして滴下した場合。下層の桃色で縁取られる。上部の粒粒は塩である。

 

 ↑図7。いくつかの色の蝋を溶かして熱いうちに、ほとんど零度または180度(逆方向での零度)近くの角度で(滴下というより)投げつけ走らせたもの。

 

 ↑図8。楕円形のものが、滴下による製作。緑色の画布上にも、同様にして作った滴下体が分布する。
   緑色の画布は、地の画布を切り裂き(【切り裂き絵画】。ルチオ・フォンタナの(設計思想を抜きにしての)技法化)、一部を差し込んで貼りつけた。【芽生え絵画】である。画布裏に接着剤(この場合はグロスポリマーメディウム)をつけると、盛り上がる場合が多い。その場合、立体感、したがって物体感、したがって存在感が増すかもしれない。

 


 ↑図9。1m強の高さからほぼ垂直に、ゆるゆるの油絵具を滴下して、円状の縁の盛り上がりと内部の凹みを実現したもの。その後、画布を傾けて、油絵具を伝い滴らせた。右上に位置する貼つけた画布は、表面近くに油絵具を置くような感じで滴らせた。絵具どうしが相互作用して(実は、画布をあちこち傾かせて相互交流させた)入り組んだ模様ができた。これはむしろ、油絵具による【垂らし込み】である。つまり、たとえば黄色絵具の生地に直ちに茶色をあちこちに垂らし込むのである。ここでは数色の【逐次垂らし込み】である。そして、画布を傾けることで、模様を制御する。
   筆で塗ること painting は、なんらかの自然性を出したい、いのち絵画または有機的抽象絵画の製作法としては避けるのが賢明である。ヴィンチ村のレオナルド Leonardo da Vinci は、(具象絵画だが、あるいはむしろそれゆえに)スフマートしたわけである。面的に流す手はある。
   なお、絵画 picture を、線描絵画 drawing と塗布絵画(または塗り絵画)painting に分ける場合があるが、人工的に過ぎる。

 

 ↑図10。閑話休題。10は完全数である。10=1+2+3+4 である。陰体と陽体は、創造のさなか、または忘却の水を飲む前は、結界のなかで至福の状態だったのである。白い円は、押版法 (または印判 stamp 法)の適用である。胡粉をペタペタと押しつけた。なお、中央の一対は、水干絵具と岩絵具と水晶末を使用した。

 

 ↑図11。1mm前後の厚さでジェッソを滴下して個体化した。シナベニヤ板の表面は滑らかであるから、滴下した絵具の一部がはみ出るような形態で滑り滴り落ちる場合がある。
 はみ出るような滴りを作りたい場合は、ジェッソを滴下した上に重ねて滴下すると飛び散ったり、滴り落ちる。生命体たちは重層的に存在する状態となる。
 また、滑らかにする他に、表面との角度を急にする手もある。この場合は、(絵具の粘性とも関係するが、)飛び散りが多くなる。
 

 ↑図12。天地を逆にすると、触手が伸びるような形態に受け取れる。


 

絵画の図柄論 1. 全覆的

2013年07月08日 23時11分05秒 | 美術/絵画原論、絵画理論、絵画技法
2013年7月8日-2
絵画の図柄論 1. 全覆的


 allover、またはall-overまたは all overは、全覆的と訳すことにする(下記のall overの意味を参照)。
 いのちの絵画では、全覆的図柄の効果として、絵画表面体の境界の外側の方に世界 world または界 plane が続き広がっているという視覚的効果を重視する。


  「all over…
…のいたるところに; …の上一面に (⇒over 【前置詞】 2).
用例 all over the world 世界中(いたるところ)に[で]」(研究社 新英和中辞典)

 「allover
【形容詞】1 全表面を覆うさま(covering the entire surface)
 an allover pattern 全体に渡る模様」(研究社 新英和中辞典)
http://ejje.weblio.jp/content/all+over


  「all over【副詞】
1 一部のあるいは全ての場所に (to or in any or all places)
 looked all over for a suitable gift 適切な贈り物を至る所で捜した
2 全域にわたって (over the entire area)
 the wallpaper was covered all over with flowers 壁紙はくまなく花で覆われていた」(日本語WordNet(英和))
http://ejje.weblio.jp/content/all+over



風間虹樹:いのち絵画の技法(有機的抽象絵画の技法)3 叩きつけ法 (1.1版)

2013年07月08日 21時43分00秒 | 美術/絵画原論、絵画理論、絵画技法
2013年7月8日-1
風間虹樹:いのち絵画の技法(有機的抽象絵画の技法)3 叩きつけ法 (1.1版)
[叩きつけ法 (1.0版)は2013年7月2日-6のもの]

 アクリル絵具の銀色または金色を画布に叩きつけると、画布とアクリル絵具面の間に気泡が閉じ込められ、泡のように盛り上がる。たとえば橙色では泡は閉じ込められず、アクリル絵具で作った絵具個体の表面は平滑である。どこに泡ができるかは予想できない。
 なお、いのち絵画では、絵具を振り出したり滴下したり叩きつけたりするが、そのようにして絵具が覆う単位を作っているのである。絵具単位体または絵具個体を表面に配置するという考え方で設計する。(逆方向的発想による製作もある。後述。)【叩きつけ法】は、或る生命的個体を作るととともに、その内部にも小さな(泡的)生命体たちを同時的に作る方法である。それらは、少なくとも2階(層)の存在者である。
 単細胞生物体は、少なくとも、細胞膜とその内部に核膜(その他にも管状など様々な膜が存在する)を持つ、2階建ての存在者である。人体は、皮膚接面、横隔膜、たとえば心臓境界面、心臓細胞膜と、少なくとも4階(層)の存在者である。制御または統御は各階層ごとにあると考えられる。なお、生物の肉体は、袋物が薄層状になったものでできていると、位相数学的に言えるかもしれない。
 ここでの銀色絵具または金色絵具の【叩きつけ法】は、一振り one swing または一打 one stroke または 一ひねり one twist で、2階層を同時に制御するのである。ただし環境条件をことこまかに測定することは困難なので、詳細な模様の予想はできない。

 

 銀色による【叩きつけ法】で作った生命龍の拡大画像。主に両端に沿って泡ができる。


 【叩きつけ法】で作った生命龍を多数を配置した製作例。



 金色による【叩きつけ法】で作った生命龍。
 

 濡れた表面に叩きつけた場合、乾燥すると或る間隔で折れ曲がったように皺がよったり途切れたりする。接着性が弱いところで盛り上がるのであろう。この画像の場合には、わりとしっかりと面にくっついている。
 もっと水分の多い面に(あるいは油面に)【叩きつけ法】を行なうと、容易にはがせるようになる。はがして(千切ったりして)再配置するのも一興であろう。


風間虹樹:本日2013年7月6日の絵画〈生命火花?? a rose violet devas〉

2013年07月06日 22時53分27秒 | 美術/絵画
2013年7月6日-1
風間虹樹:本日2013年7月6日の絵画〈生命火花?? a rose violet devas〉



風間 虹樹
生命火花?? a rose violet devas
F20縦(727×606 mm)
亜麻画布に、ジェッソ、墨、(水色はおそらく水干絵具)、油絵具
2007年10月製作

狙い:一体的deva生命体たちを創造し存在させる。
技法:面相筆による振り出し叩きつけ法(細線喰い込み付着法)、滴下法、絵画表面流し法、表面体削り穴法、

rose violet 薔薇菫(色)
a devas 一つのdevaたち、または、一体であるdevaたち
deva 梵天、天使、精霊、などと訳される、肉眼では不可視の存在者


喰い込むような細線は、面相筆に(おそらくさらに膠を加えた)墨を含ませて、ジェッソを塗布した生乾きの絵画表面に叩きつけるように振り出して作った。
水分含有量や環境湿度などに結果が微妙に左右されるので、喰い込むような鋭利な細線の再現はかなり困難である。墨の着地点で火花のように散っているのは、表面がちょうど良い加減の水分のジェッソ層となっているからである。

 2013年7月11日から16日までの6日間、帯広市西2条南8丁目の藤丸7階の勝毎サロンにて、上記の作品が展示されます。午前10時~午後6時まで(最終日は午後4時まで)。