生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

「ウソつかない。ブレない。TPP断固反対。」というポスター

2013年07月13日 22時56分31秒 | 政治経済社会学
2013年7月13日-6
「ウソつかない。ブレない。TPP断固反対。」というポスター

 【これは酷い】自民党の言論弾圧は色々な場所で行われていた! 安倍首相の演説中に『自民党TPP阻止』のポスターを掲げると自民党SPに囲まれ、追い出される!
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-481.html

Bunge哲学辞典:sign 標徴〔符号〕、symbol 記号;絵画原論:符号、記号、象徴、図解、絵具、絵画

2013年07月13日 12時02分13秒 | Mario Bunge哲学辞典
2013年7月13日-1
Bunge哲学辞典:sign 標徴〔符号〕、symbol 記号;絵画原論:符号、記号、象徴、図解、絵具、絵画

sign 標徴〔符号〕(Bunge哲学辞典初版、p.267)
 或る他の対象『を表わす stand for〔の代わりとなる〕 』または表象する 〔表わす、代表するrepresent 〕もの〔thing〕。通常、二種類のsignが区別される。自然的signと人工的signである。自然的signは、諸状態の兆候〔symptoms〕か、具体物の状態の諸変化である。たとえば、暗い〔黒っぽい〕雲と暗い表情は、それぞれ雨と怒りの標徴である。対照的に、人工的標徴は、事実的事項を呼び起こすために、あるいは構築体を名づけるために、巧みに作られて使用される人工物である。例:言語的表現、(目配せといった)身体的言語の諸項目、論理(logos)、線図〔図解 diagrams〕、そして数字。光輪のある月、または、激しい食料暴動、といった自然的標徴は、仮説によってそうなっている。対照的に、人工的標徴は、約束事〔約定 convention〕によってのみそうなっている。すなわち、自然的標徴は、知覚できない物事、性質、または出来事〔事象 events〕の、知覚できる指標である。それゆえ、それらは意義が無く、したがってそれらの『意味』を語ることは、良くてせいぜい隠喩的であって、最悪の場合は明白な間違いである。とりわけ、人々が社会生活を『解釈する interpret』、つまりその意図または目標に関して【仮説】を作るからというだけで、本文または『本文のように like a text』社会生活を考えること、↑【解釈学 hermeneutics】、↑【原文固執主義 textualism】、は誤りである。混乱を未然に防ぐためには、↑「【記号 symbol】」という語を、数字や道路標識といった人工的標徴という概念を表わすように使うべきである。よって、「地位の象徴 status symbol」という表現は、「地位の指標 status indicator」で差し替えるべきである。

 
symbol 記号 (Bunge哲学辞典1999初版、pp.280-281)
 人工的標徴。例:言語的表現、線図〔図解 diagrams〕、論理(logos)、道路標識、建築の青写真、数字。記号は、概念を指定するか、概念ではない事項(たとえば個々の物質的なもの、または別の記号)を表示するために、作られるか使われる標徴である。それらをそれぞれ、指定する記号、表示する記号、と呼ぼう。指定する記号の例:数字(それは数を指定するか名づける)。表示する記号の例:固有名。指定の関係(記号?概念)と表示の関係(記号?物事)は、↑【指示 reference】という関係で結びつけることができる。次の線図〔図解 diagram〕の通りである。

            記号 Symbol
            / 
  指定 Designation /      表示 Denotation
          /
         / 指示 reference
        ?___________________?
   構築体 Construct  意味される Signified

 指定-表示と記号?非記号という分割は、合致しない。なぜなら、或る記号は構築体を表わすのに対して、他はそうではないからである。 ゆえに、数字「4」と「IV」は四という数を指定する。それは純粋な概念であるが、他方、固有名と場所名は具体的な物事を表示する。同様に、「$5」という記号は、五ドルの銀行券(または小切手または為替)あるいは商品でのその等価物を表示する。記号は知覚可能な存在者であるが、概念や命題のような抽象的存在者ではない。読むことのできる文、見ることのできる線描、そして聴くことのできる言葉を考えてもらいたい。しかし、おおかたの道路標識といった図像的な(または表象的な)記号は、直接的に解釈可能である。図像的ではない標徴は、それに伴う(しばしば暗黙の)規定無しでは読み取ることはできない。アルファベットの諸文字とそれらから成る言葉を、ヒエログリフと対照して考えてもらいたい。あるいは、地図、楽譜、グラフ、回路図、組織と流れ図、または建築の青写真までも考えてもらいたい。記号は、(明示的または暗黙的)記号論的約束事の助けによってのみ『読まれる』(解釈される)ことが可能である。たとえば、『sという文字→摩擦音』、『地図での青い斑→水体』、『電気回路図での鋸歯状の線→オーム抵抗』、『$→ドル』、そして『貨幣→商品』である。記号的か記号的でないかに関わらず、標徴は物質的人工物である。しかし、鉛筆とか車とかの、記号論的ではない人工物には似ず、標徴はそれに付属する約束事によってのみ、意味する。


 


   サイン
  [標徴 sign または記号 symbol は、構築体〔construct〕そのものを指定する(designate)か、あるいは、実際のまたは可能な事実を表示する(denote)ならば、それは有意義(significant)である。(標徴と構築体の間の意味論的関係を「指定」と呼び、標徴と事実的事項の間の意味論的関係を「表示」と呼ぶ〔略〕。ゆえに、道路標識は表示するが、指定しない。句読点は、指定も表示もしない。)標徴または記号は、意味のある構築体を指定することによって、身代わり的にのみ意味を持つことができる。〔略〕
 名前は記号であるから、構築体の代理となるときにのみ(身代わり的)意味を持つ。〔略〕1つの名前が1人の具体的な個物を表示するだけならば、それは意味を持たない。ゆえに、「ジョーンズ」には意味が無い。」(Mahner & Bunge『生物哲学の基礎』: 73頁)。