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生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

額縁と絵画の境界/記号と絵画

2010年04月22日 22時37分35秒 | 美術/絵画
2010年4月22日-2
額縁と絵画の境界/記号と絵画

額縁が含意すること
 tableau(タブロー)には、絵画作品について、習作や下絵に対しての「完成された」という意味がある。もう一つは、カンヴァスや板に描かれた物を指し、これは(持ち運びできない)壁画や天井画に対している。さらにもう一つの用例は、tableauの間違いではない訳なのかどうかはわからないが、額縁絵画である(文献失念)。これは額縁の無い絵画に対することになる。
 額縁をつけることによって、絵画本体はその周囲から境界づけられる。そのことによって、額縁内部に位置する平面は、その周囲とは異なる世界を提示しているのだと解釈しやすくなる。また、慣習によってまたは規約的に、そのように見る者に解釈される。
 額縁にも延長的に描かれている場合がある。絵画部分の面積が広くなるし、外への広がりが感じられるかもしれない。その場合や額縁が無い場合は、背後の壁との絵画の境界は、たとえばカンヴァスの縁そのものになる。額縁が無い場合、どういうわけか、『モダンに』(この意味は人によって様々であるが)感じられることが多い。

記号と絵画
 主に文字を描いたり、文を書いているような作品がある。
 或るパターンが記号として(あるいは記号的行為または展示として)受け取られた場合は、記号であるということに注目が大きくなるから、記号の物質的側面(たとえばインクによって表示が実現されているとすれば、インクの物質性が見る者に受け取られるもの)、対照的に画肌への注目が薄くなり、物質感が弱くなるだろう。

 表意文字の場合、たとえば漢字は、絵文字とも言えるように、抽象絵画とも解釈できる。画面に、大きく森とかけば、エゾマツやトドマツの針葉樹の森に見えるかもしれない。赤い色で木と書けば(描けば)アカエゾマツ、黒ならクロエゾマツ、青にすればアオエゾマツである。(ついでに)白にすればシロエゾマツです。

 さて、人物とか風景とかの対象を描かない場合、→抽象絵画