お言葉をいただきました。

私の中にもう一人のお方がおられます。
色々な言葉をいただいております。
読まれていただけると光栄です。

生きにくい性格、体質。

2022-02-05 23:34:17 | 日記
今日
お店のカウンターへ並ぼうとしたら
一人の女性が

並んでる?並んでない?

と、前の方とのスペースを5人分ほどの
間隔をとり立っていました。

割り込みはいけないので
その方へ

『すみません、並んでいますか?』
と、声をかけると

何かを検索していた様子の携帯を
ぐっと握り、私を睨み付け
グチグチ何かを言いながら
後退りをしました。

あ、並んでいたのかな?

『すみません』
と、一言いい
女性の後ろへ並ぼうとすると、

また、睨み付け後ろへ下がっていきます。

あ、じゃあ、いいか、

と、
すみません、先に並びます。
並び後ろをみると、

また、グチグチ何かを呟きながら
5名分ほどの間をとり、
また並んでる?並んでない?

と、なりましたが

とりあえず、
さっさと用を済ませようと
カウンターへ受け取りをし、

嫌な思いをさせてしまって
すみませんでした。

と、声をかけ
帰りました。

その時もずっとグチグチ言っていました。


その場にいた
娘は

もう、こわい。
簡単に、人に声をかけれない。
トラウマになる。

と言いました。

その後
この女性の立場で考えてみました。

この女性は
私が近づく事を嫌がりました。
おそらく、
この方のパーソナルスペースに
入ったんだと感じました。
なので、一気に毛嫌いを起こした。

その方のパーソナルスペースは
人が並ぶ5人分の間隔

そして、
すみません、並んでいますか?

が、何らか

上からの物言いに
変換された。と、考えた場合。

きっと、嫌だったんだろう。

と、思いました。

では、最良の行動はどれだったか。
彼女にとっては
何も話しかけずに、後ろに並ぶこと。
だったと思います。

もう、一点は

後ろに下がった時に
私は更に後ろに並ぶか?
悩みましたが、
あーなんか、
やられたら、やり返す気分で
嫌みっぽいなと思いやめました。

とりあえず、
嫌な思いをさせてしまって
すみません。

と、伝えられただけ良かったです。

彼女は
きっと、
世の中が
生きにくい性格、体質なのかもしれません。

ですが、
公共施設を共に利用するには
一定のルールは
守らなくてはならず
少しずつ、練習は必要であり、
皆が皆、
自分に気を使うわけでもありません。

娘も
嫌な思いをしたかもしれないけど
色々な人が
色々な事情があるからね
経験したね。

と、伝えました

娘は
そんな、経験いらない。と

あまり、納得はしていませんでした。

グチグチ言っていた、言葉
それだけは
聞きたかったな。とは思います。

真意がわからないですから。

この女性はきっと
嫌な思いをしたと思います。
ですが、
彼女の行為は
何もしていない娘に、とって
トラウマになりうる行為です。

人は
自分が被害者な時でも
加害者になり、

加害者のつもりはなくても
加害者にされる事もあります。

自分の感情が不安定なとき
自分の行為は見えなくなる。

それは、
他人事ではなく。
明日は我が身で考えなくてはならないな。
おもった1日でした。

地球への感謝をお忘れなく







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神様からのメッセージは人間だけのものではない。

2022-02-05 22:47:54 | 日記
何を信じるかは
自分次第。。。


色々な事があるのが
この
地球上での生活です。


自然に生かされている環境の中で

誰かの予言により
おそれる日々を送っている人もいます。

例えば
明日、地震がきたとして
明日、津波がきたとして

どこへ逃げるか
のシミュレーションはとても大切です。

言い方は悪いですが

助かる人は助かるものです。

それは
死ぬ人が悪いわけではなく、
生きる人が徳をするわけでもなく、

自然の摂理の中で成り立っている部分です


いい人が死ぬ。悪い人がしぬ。
いい人が生きる。悪い人が生きる。

文書でかくと
とても
キツく感じます。


私たちの生命、命には限りがあり

どんなに恐れても死なない人は死なない

自由に日々感謝の中でも
死ぬときは死ぬ。

当たり前のようだけど
自分や自分の周りには該当しない。
該当しないであろう。
逃げてしまう部分です。

ここまで
読まれて不愉快な人もいると思います。

今日は
敢えてお伝えします。

命の大切さです。

恐れても、恐れなくても

自分の生きざまに悔いがなければよい。
それが一番です。

恐れて、何も出来ない日々。
恐れずして、遠慮しない日々。

その中で
1つ
他人に迷惑を、かけない事を前提に。

明日、死ぬとしたら
今日の日は
最後としてふさわしいか?

神様から
何かしらのメッセージがあります。

それを
多くの人は受け取っています。

ですが、
人により
勘違いを伝えている人も多いです。

神様のメッセージには
恐れずにして時はくる
とあります。

これを
受けとる側が勘違いすると

恐れずにしても→明日にでも
時はくる→災害がくる。

と、キャッチ

また別の人は

恐れずにしても→恐くない
だから
時はくる→きても大丈夫

と受け取り
あたかも自分だけは日本だけは
大丈夫となります。

本来の意味は

恐れずにしても→こわがってもこわがらなくても
時はくる→その日はある。
が、
それは、人が決めるものではなく、
それは、自然の摂理としてくる。
だから、用意だけはしなさい。

との解釈に、なります。

それは、
自然の寿命と
人の寿命の差にあります。

人の寿命は短いです。
そのなかで
メッセージは
人だけに送られているわけではありません

自然災害により
命を落とすのは
そこにある自然も同様です。
木、草、大地など
彼らは移動することは出来ません

だからこそ、大きく太く成長し
ものによれば、子孫を残すために種を落とします。

セミなどは
台風が多い年には
土で過ごす年数を伸ばします。

人間だけの地球ではないということ。

多くの生命へ
神様は平等であり、
多くの生命へ
メッセージがあります。


恐れすぎてもダメ
畏れをしらなくてもダメです。

どれを、どう信じるかは自分次第です。

ですが、

明日をこわがりすぎて
人間としての楽しみが、経験が奪われないように気を付けましょう。

経験は身を助け
経験のみがあの世への手荷物です。

太陽、地球、への感謝をお忘れなく






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2022/02/05

2022-02-05 09:19:53 | 日記




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