中野系

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新ボンド決定に思う

2005年10月14日 | 日常
ジェームズ・ボンドの活躍する007シリーズを映画館で見たのは子供の頃「ムーン・レイカー」の一度くらい。特別にこのシリーズに対する思い入れもないし、時折TVで放送されればまぁ見る、といったところ。

その後もボンドは何回か変わってきているけれど、シリーズは未だ継続し、ボンド交代の際は、そのことが一般ニュースとして報道されるくらいなのだから、世界的にはまだまだ人気のシリーズ、ということなのだろう。

今回の新ボンド決定のニュース報道での「話題」はシリーズ初の金髪ボンド、ということみたいだが、個人的に興味を持ったのはその年齢。新ボンドを射止めたダニエル・クレイグ氏は37歳、ついに自分よりも年下の人がジェームズ・ボンドになってしまうのだ。

一度きりの映画が小学生時代ということもあって余計に、ジェームズボンド=歳をとっても(いろいろと)元気な「おやじ」というイメージを抱いていたのだけれど、そのおやじがついに年下、なのである。

35歳の誕生日を迎えた時、モーツァルトはこの歳で亡くなったと考えると不思議な感じはしたものだ。ただ、あのような「天才」との比較なので、実感までは湧かなかったのだけれど、今回のような比較的瑣末な話題のほうがリアルに自分の歳、というものを知らしめてくれる。

小学6年生になってサザエさんのカツオを学年的に抜いた時は、自分も大きくなったものだ、と素直に嬉しかった記憶があるけれど、今回のように、歳が上回る事がショックである事自体、たしかに「歳を取った証拠」なのかもしれない。

「ちょいワルおやじ」といったプランに多くのおじさんが共感してしまっているのも、ある意味自分と同じような気持ちを抱いてのことなのかもしれない。認めるしかない以上、そこで楽しまなければ、ということなのだろう。