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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

助け主聖霊 第21回

2016年09月21日 | 日記

聖書は、愛と真理を一緒に持っている人に聖霊が与えられると説明しています。「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主(聖霊)を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である」(ヨハネ14:15-17)。使徒ヨハネはここで、神様を愛する人は、神様の戒めに従うと言い、神様はまさにそのような人に聖霊を与えて下さると言っているのです。

 従って、真理に従うことこそ、自分の経験をテストする最終的な判断基準であり、同時に聖霊を受けることが出来る最も確実な方法だと言えるでしょう。自分の経験や感情、そして既存の知識がどうであれ、神様のみ言葉が要求することを、単純な信仰で受け入れ従順の生涯を生きているかどうかが、その人を支配する霊を見分ける最高の基準です。

 奇跡と賜物は、神様がクリスチャンに与えられるものですが、悪魔も、それに非常によく似た物を提供することによって、忠実なクリスチャンを惑わすことが出来ることに注意する必要があります。イエス・キリストが、この質問に対して与えられた非常に明白な教訓の言葉に注意を払いましょう。「このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』(マタイ7:20-23)。

 いくら主を愛していると言っても、どんなに主の名前で預言者の役割を行ったり、主の名によって悪霊を追い出したとしても、どんなに主の名で奇跡を行ったとしても、そのことが私たちがキリストの霊を所有しており、救われたという決定的な証拠にはならないのです。彼らは主の名で多くの奇跡と賜物のように思えることを行いましたが、最終的に「不法を働く者」と呼ばれ、滅びの宣言を受けました。なぜでしょうか?この聖句の冒頭に、彼らが救われない理由が述べられています。「良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである」(マタイ7:19,20)。

 彼らの品性と生涯に美しい聖なる実がなかったことが、彼らが火の中に投げ込まれる決定的な原因となりました。彼らは汚れた心と不義の生活の中で、聖霊の賜物を求めていました。そのため悪魔は彼らに近づいて、自分の持っている力と能力を与えることで、彼らを非常に深い欺瞞の中に陥れていったのです。