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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

助け主聖霊 第10回

2016年09月09日 | 日記

2)聖霊を受ける道

 3年以上も頼りにし、信じ従っていたイエス様が、今、天に帰るときになったと言われました。十二弟子にとって、その言葉は爆弾のような衝撃的な発表だったことでしょう。彼らの生涯のすべての期待と希望が、その方にありました。このお方のために、彼らは家と農地と船と網と生業の全てを捨てて従ってきました。家族や親戚や友人や隣人の非難と嘲笑をもろともせず、主に従ったのです。しかし、ここで突然彼らに別れを告げ、捨て残していくかのようにこの世を去っていくとおっしゃったのです。彼らはどうすればいいのでしょうか? 「クオ・ヴァディス・ドミネ(主よ、どこへおいでになるのですか)」というペテロの質問に「私の行くところに、今はついてくることはできない。しかしあとになってから、ついて来ることになろう」(ヨハネ13:36)と言われた主の答えは、彼らをさらに苦境に陥れることになりました。

 このように戸惑う弟子たちに向かって、まるで慈愛に満ちた父親のように、イエス様は次のような慰めの言葉を語られました。「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう」(ヨハネ14:16)。イエス様は聖霊を、他の助け主と呼ばれました。イエス様自身が彼らの助け主だったように、今離れて行かれるにあたって、他の助け主を彼らのために送ってくださると約束されたのでした。

 聖霊は、Comforter(慰める者)という英語の単語が内包しているように「必要なときに助けを与える助言者」という意味で「いつもそばにいて、慰め、道を案内して下さる」という意味を持っています。聖霊の臨在は、彼らにあたかもイエス様が常に彼らのそばにいて教え、愉し、なすべきことを知らせて、行く道を示して下さったように、必ず同じ役割をして下さるという約束でした。

 イエス様の言葉の意味をまだ確実に理解していないまま、呆気に取られた弟子たちに、イエスさまは次のように説明されました。「それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう」(ヨハネ14:17-20)。