天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

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ひこばえ句会は6月8日(土)

2019-05-31 07:03:08 | 句会



【日時】6月8日(土)13:00~17:00

【会場】イング(3階/第2会議室) 
西武新宿線・田無駅を南口へ出て約150m


【指導者】天地わたる(鷹同人)

【出句数】1~7句(夏の句、あらかじめ短冊に書いてきてください)

【宿題】並列・対称の句を1句以上
(例句:万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり 奥坂まや)


【予想出席者数】14~15名

【参加料】1000円
会員制ではありません。どなたでも参加できます。見学も可ですがそれより1句持って参加を。
はじめて参加する方は当ブログに書き込みをするか、youyouhiker@jcom.home.ne.jpへ連絡を。

【冒頭講義】比喩(7月例会への宿題)
藤田湘子『実作俳句入門』175から180ページを学習


【基本姿勢】
俳句は一世代30年持ってほしい。<春の海ひねもすのたりのたり哉 蕪村>は地球に清浄な海がありかぎり生きる句。普遍性のあるタフな俳句を目指します。季題趣味に耽溺せず、いま自分が生きている実感のある句を。
厳しい、けれど明るく、笑いのある句会、全員が何でも発言できる句会をめざします。<ほがらかに、おおらかに>をモットーに人と和し、森羅万象と交流を。

【席はくじ引きで決めます】
冒頭「あらゆる固定化を打破しよう」と謳いました。気づかないうちにどんどんマンネリ化しています。
その一つが自分の座る位置。その横の人です。ぼくの座る位置もなんとなく毎月同じ。これは崩そうと思います。
仲良と隣り合わせて落ち着きたいという心理は俳句の敵です。句作は飯島晴子や奥坂まやを出すまでもなく個人と世界との闘争です。人が家族、社会等あらゆる人との関係から脱して個人として立ち精神をフル活動するのが句作です。
たった十数人の中でとりわけ仲良とくっつこうというのはみみっちい。もっといろいろな人とも接したほうが刺激となります。晴子やまやのように個として立ってほしい。
よって、席を毎月替えます。少し動くことで何かが変わる。それはあらゆる局面でやっていこうと思います。

【句会後の歓談】
「魚民」で軽い飲食をします。ドリンクバーがあり酒の飲めない方も、早く切り上げたい方も大丈夫。
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鷹の長老石雀さんを悼む

2019-05-30 15:37:36 | 俳句

奥坂まやと星野石雀。これを撮ったのは2008年あたりか。中央例会にて。



「鷹」6月号を読み、日光集同人・星野石雀さんが5月2日に亡くなったことを知った。大正11年 (1922年)生れというから97歳か。
今月欠詠したので心配していたがとうとう来るものが来たのか、という思いである。

「天地わたるブログ」に「中央例会がさみしくなった」という題で石雀さんのことを書いたのが2012年6月24日のこと。それがもう7年前のこと。
細谷ふみをさんに「石雀さん、中央例会にお出にならなくなりましたねえ」というと石雀さんは大正11年生まれだからもう90歳だとのこと。今までよく出てくださいましたね、という方向へ話が進んだ、と書いている。
あれから体の不調に耐えよく天寿を全うしたものである。

ぼくが思い出す石雀さんは、横に必ず奥坂まやさんがいた。こらからの文章は2012年6月24日の天地わたるブログからの引用である。



石雀さんの相手をするのはいつもまやさんだった。
石雀さんはまやさんがもてなしてくれるので中央例会に来ているのではないかと思うほど、まやさんとの会話を楽しんでいた。
最前列にいると二人の会話はいやでも耳に入る。
それがおもしろいのだ。
石雀さんはべらんめい調で、他結社の俳人の病気などの話をするのだが、それに応じるまやさんの合いの手が絶妙。
石雀さんはどんどん気分が高揚してしゃべる。
それがおかしくて選句どころではなかった。
石雀さんに応対するまやさんも才気と色気がほとばしっていた。
ぼくはこの両人の雑談を聞くのが大好きだった。
石雀さんの句会での講評もおもしろかった。
「採ることは採ったんですが、まあ、俳諧の中の平句としておもしろいというところかな」とか「まあ女の俳句はナルシズムと台所だね」とかいって、必ずしも褒めない。むしろけなすために採ったということが多く、石雀選に入ると主宰選に入らないのではという感じもしてはらはらした。
石雀選と主宰選に同時に入ったとき豊穣な気持ちになったものだ。


ここで石雀さんの主な作品を見たい。

醜女日記<鴨をむしり/少年をほどく>
南都に学び北嶺に入り蟇となる
春寒料峭曖昧宿の置き薬
卒業名簿作成爆死狂死など
秋は木洩れ日を大事にしよう老仲間

(以上がぼくのベスト5)

「醜女日記」、俳句でこんな物語が可能かと度肝を抜かれた。南都と北嶺について作者が「南都北嶺をばらしただけ」と煙に巻いた表情は忘れられない。
「春寒料峭」はぼくとまやさんが酒を飲まずに盛り上がる句。置き薬の中身はなにかということがいつも議論の中心にあり、まやさんが「石見銀山」説を唱え、ぼくが媚薬のはずだと反論したものだ。「卒業名簿」に込められた時代性にはたじろぐばかり。



吾れ老いて年の湯に浮く空華さん

「鷹」へ来る前「曲水」にいた石雀さんから渡辺水巴の「名はよく聞いた。村上鬼城や飯田蛇笏などとともに大正初期の「ホトトギス」中興を支えた俳人の一人で、江戸趣味を湛えつつ繊細で唯美的な作風とのこと。
斎藤空華(くうげ)の名も句によく出た。渡辺水巴に師事し第1回「水巴賞」の受賞者。ずうっとこのころのことが懐かしかったようだ。


断腸花いい服を着て別れよう
「断腸花」は「秋海棠」の別名。言葉遊びをさせたら右へ出る者まずはいない。


鶏頭に風吹く母のみそかごと
鳴神の下にころげし女かな
身の毒の蜜蓄ふる夏書かな
河童忌や天井高きビヤホール
蠅うなる札所の厠なむまいだ
山の湯の秋や老妓の尻笑窪
売れもせぬもの書くによき夜の長さ
妾の肩借りて厠へ西鶴忌
春愁や疵物といふ肺ふたつ
すぐ風邪をひくので山頭火にもなれぬ
ダリの死を梟どのへ知らせよう
なほ生きる寒さや波郷忌の目覚め
みやあみやあ鳴く子猫をにぎりつぶしたい
亀が鳴くのは眠られぬ人のため

どの句もどこかに屈折やら引っかける罠があって並ではない。いったん覚えると虜になるという句風である。


したがって、中央例会で石雀選と主宰選は重なる率が低かった。石雀選に入ると「今日は主宰選ダメか」と暗雲がただよう気分であった。もう一人主宰選とほとんど重ならないのが日光集同人・細谷ふみをさん。
この二人が採って主宰が採ったのが以下の句。


星の数嘘の数年惜しむなり わたる
(2008年12月中央例会)石雀選+ふみを選+軽舟選。これは快挙だと思った。


昼寝覚砂丘を砂の流れをり わたる
(2008年7月中央例会)石雀選+軽舟選。今思うとこの年はぼくが鷹に入っていちばん輝いたときであった。石雀さんも元気で毒舌が楽しかった。


白蟻と木屑ひしひし蠢くや わたる
(2008年5月中央例会)石雀選。「くそリアリズム、楽しくはないね」と採って文句を言った。石雀さんは文句を言うためによく採った。それは褒められるより印象深い思い出である。貶して味のある人がいるのもので、その筆頭が石雀さんであった。


 味わい深い石雀さんの筆跡

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鷹6月号小川軽舟を読む

2019-05-29 16:32:19 | 俳句


遊学といへば船旅春の星
堂々とした調べのロマンに満ちた内容。おおらかに調べと風景を楽しめばいい。船に読み手もいる気分にさせるのがいい。


西行忌自分の家で飯を食ふ
これで俳句になるのかと思ったほど意表を突かれた。コロンブスの卵である。
この後「自分の爪」を詠んだ句もあるように、今月の作者には大きな心情の変化を感じる。やっと自分に自分に立ち返るったという安心感のようなものを。


燕来る男の胸のさびしさに
この後の「山桜」の句の主情の強さをけなすのであるが、「男の胸のさびしさに」はもっとひどく、演歌の歌詞である。「さびしさ」だけでも困るのに「男の胸の」まで言うと俳人ではなく演歌の作詞家と言われかねない。
「さびしい」「美しい」は一句に入れるなと主宰はよくおっしゃっているのにどうしたことか。<泥に降る雪うつくしや泥になる>における「うつくし」はぴたっと決まり毅然としている。
このレベルの句でしかこういった形容詞は使えないのでないのか。星辰賞で賞を与えなかった厳しい人がどうしたのか。


春の家線路に近く駅遠し
取捨のむつかしい句である。「線路に近く駅遠し」は次の句と同様、身近な素材を新たな目で再生させて素晴らしい。困ったのが、「春の家」である。主宰自身、「春の風、春の海はあっても春の橋や春の塔はない」とおっしゃったことがなかったか。秋桜子の「馬酔木」以来「鷹」一族は「春の家」なる季語を使わない集団ではなかったか。
それが許されるのは一句の出来が並ではない場合だが、さてこの句はどうか。内容には惹かれているので「春の家」が結句にあれば許してもいい、というのがぼくの結論。冒頭では違和感が大きすぎるのではないか。


エスカレーター手摺も進みあたたかし
卑近な物の別の見方、誰も書いたことのない切り口により身近なものを再発見するのが作者の真骨頂。「エスカレーター手摺も進み」と言われてみるとなるほどと膝を打つ。なぜ自分ができなかったのだろうと思う。これが鷹主宰たるゆえんである。


船ゆきし澪になづさふ石蓴かな
作者が最近あまり書かないタイプの抒情句であり、湘子の先生の秋桜子の美意識をつよく感じる。「澪になづさふ石蓴」など和語の美しさに酔っている感がある。
ぼくは「エスカレーター」の句のほうが好みであるが、古き良き情趣もたまにはいい。


空吸へば胸澄みにけり山桜
燕の句で見たように作者の本質はそうとう情緒的と見る。「空吸へば胸澄みにけり」には感情があふれている。「空気」でなく「空」なる抽象を吸いたいのであるから。「胸澄みにけり」は女性的な措辞で甘い。


囁きに殺す母音や夕桜
「囁きに殺す母音」、たしかに囁きは母音が目立たない。母音の破裂音から遠いのが囁きである。うまく言ったものである。物事を洞察する力、穿つ能力に舌を巻く。この句の人の要素がないが誰に囁いたのか。女性とみるのがいちばんおもしろく、配偶者でない感じがしてとたんに怪しくなる。
まあここは一般論として読んでおこう。夫婦間の平和のためにも。


桜咲く叫ぶことなき日常に
自身に家族にそう不安はない。いちおう平和である。他人に世間に大きな声を出して訴えたいこともない。そんな日常に咲く桜を作者は「叫んでいる」と見ている。むろん音声を出すことはないのだが、桜の咲きようが叫びなのだ。
あるいはこの桜は誰かに代って叫んでいるのかもしれない。自分と直接関係のない、しかし同じ人間の懊悩というようなものを作者はしかと感じているように思う。
桜3句の中でこの句は地に足がついている。「囁きに殺す母音」も穿ちが冴える。「空吸えへば」は、鷹主宰の句とは思えぬほど甘い。今月の作者は次の句が語るように大きな人生の転機が来ているゆえの乱れだと思う。


晩春やわが鞄置く妻の膝
よく見えるわかりやすい景である。まったく知らない人の句なら亭主関白の句だと思う。帰宅した夫を玄関で正座して迎える妻。いまどきこんな光景があるのか、羨ましいやら落ち着かないやら……。玄関の出迎え以外にこのシーンを想像することはむつかしい。
しかし作者が小川軽舟となると、ぼくは彼の人柄をかなり知っており妻に対して男尊女卑的な態度を取るとはとても思えない。
2句先に「通帳の退職金」の句があり、これがヒントになって、定年退職した日の夫を妻が労った光景に思いが至った。そうしてみると季語「晩春」の意図が腑に落ちるのである。


春の暮自分の爪を切りにけり
この句を読んでぼくは小学生のころ祖母の足の爪をよく切ってやったことを思い出した。硬くひび割れた爪でときに切れずに砕けた。そのとき彼女の生きてきた歳月を感じた。
「自分の爪を切りにけり」は当然のようでいて、本人の生への基本的な意欲の表れであるが「春の暮」を置いたことで無常に揺蕩い漂いたい心根も見える。


通帳の退職金と春惜しむ
作者は金融関係の生業に就いていたと聞くがこの春退職したのか。実直な句ゆえ「春惜しむ」が如何なく効く。鷹主宰としての激務、さらに俳句の仕事が待っていそうで、春を惜しんでいる時間はあまりないのではないか。穿って見たが、だからこそ、「春惜しむ」という懈怠が作者に必要なのかもしれない。


撮影地:府中市Jタワービル
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ホームグランドで桑の実摘み

2019-05-28 16:35:02 | 身辺雑記
自転車の右側の木々の7割が桑の木。



桑の実はいよいよ完熟のとき。
多摩川のホームグランドへ自転車を駆った。是政橋から稲城大橋の間は約1800m、その真ん中あたりの左岸がなじみの場所。ホームグランドと言っても桑の実好きの大勢が知るメッカである。
今日も多くの人が来た形跡があるのに桑の実はたくさんあった。

桑の実の羽虫がどつと我が顔に
桑の実を摘むや羽虫に噎びつつ

去年とは違う木に取り付いたら先客がいて顔にどっと来た。桑の実特有の羽虫が乱舞して景色が白い。葉と実に白い糸状のものがからんでいる。これは蜘蛛で巣と思われる。蜘蛛も体は白いが足は薄い緑でうつくしい。ふつう見たことのない種類。
そんなものが目に口に耳に寄ってたかって不快なこと、痒いこと。まるで黒板拭きをはたいて散る白墨の粉みたい。虫たちの凄い木に参入してしまったが、桑の実はあるので採らないわけにはいかぬ。
ときに袖で顔を拭いつつ仕事をする。


6:30~8:00までの90分で摘んだ2.7リットル


桑の実の零れていよよ地の黒し
桑の実のぼろぼろ落つる快楽かな

ほんとうに「ぼろぼろ落つる」のはもう4、5日先と見るが、指をかわすように落ちてしまう桑の実はまさに完熟ゆえうまい。落ちるともったいないと思うが、実は無数と思うほどある。この豊かさは採った者しかわからないだろう。

夏盛ん粘つく草も刺す草も
今日は薔薇系の灌木に入り込み、足がちくちくした。草はどちらかといえばねちねちしていたほうがいい。足は点々と赤くなっていた。


地を擦る桑の枝。ここまで下がっている枝はまれ。

夏草に胸まで浸かり耳に風
草でなくて水ならば泳ぐだろう。耳に風が来るのが救いという局面。

茅花流し空缶蹴つて吾も軽し
桑の実を採る多摩川のもう一つの見ものは茅花である。国交省が刈り取ってしまい量ががくんと減ってしまったがこれが風になびくさまはほかに替えがたい。

方一里茅花流しと行雲と
茅花流し一歩一歩が浮くごとく

見ているだけでスカッとする花である。国交省は無情に無駄な労力を使わないで欲しい。草は生やしておいてほしい。

 茅花



吾を抜けて何かが走る青嵐
手を振つて歩く軽さや青嵐

年を取ってもはや駆けっこはできない。先日小学生の孫にけしかけられて追いかけて肉離れをしそうになった。くわばらくわばら。早足で歩くのなら大丈夫。これで走っている気分になる。

桑の実の初物に妻は久々に明るい顔になった。けれど、居間に落とした桑の実の一粒の染に文句を言う。本人の胸につけてやりたくなった。もはや盛り上がってはいない胸に。
妻絶叫胸に染みたる桑苺
桑の実の染永遠にかこつ妻

一粒の染を嘆く妻だが桑の実は百も二百もおいしいおいしいと言って食べる。世の中に100%の利益を受けて1%の不利益も受けたくない、というのは不遜ではないか。
不遜な妻においしい桑の実を届け正常な関係を保とうとする健気な夫。



この紫こそ桑の実である。
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上手なだけでは賞はやれません

2019-05-27 15:26:02 | 文化



「鷹」6月号の目玉は、「第12回星辰賞選考座談会」である。結果は、「該当なし」であった。
応募作品が165篇。予選審査に荒木かず枝、大井さち子、南十二国があたり30篇に絞った。これを小川軽舟、奥坂まや、大石香代子、黒澤あき緒、髙柳克弘が選考した。
一番点を集めた芹沢常子の「樅の秀」20句を取り上げ、「鷹」の厳しさをみていきたい。


樅の秀  芹沢常子
暁のうすき空気や花かんば
紅梅や雨に濁りし濠の水
深谷へかむさる篠や寒明くる
渡船場の風の尖りや花なづな
天日のはや傾けり蝌蚪の紐
山彦に勢へる水や花山葵
樅の秀の夕月あをし袋角
白牡丹終の一花の崩れけり
大仏の裏山蛇の衣吹かる
熔岩原をゆく雲迅し蜥蜴の子
刺草に飛び付く羽毛魂祭
木通蔓たぐり澗声近うせり
きりぎしの葛や夕べの風変る
鬼の子に夕満月の上りけり
夜の雨はげし葡萄をすすりけり
雨ながら日の差しきたり雪螢
八重雨の家居となりぬ花八つ手
吊り皮に委ねし躰十二月
函嶺の上の朝月麦を踏む
日当れる奥嶺や石蕗の絮とべり


これに小川軽舟○、奥坂まや○、大石香代子◎、黒澤あき緒◎と、5人のうち4人が支持した(ように見えた)。
6点の芹沢に次ぐのが5点の西田玲子である(これも支持されたように見えた)。
これを見てぼくは芹沢と西田の一騎打ちでどちらかが受賞したのだと思ったところ「該当なし」に面食らったのである。

選考座談会の主要な発言をみてみよう。
◎の黒澤が芹沢の句のよさを以下のように解説する。
黒澤 全体的にとても完成度が高くて、季語がうまい作品が多かったです。
「暁のうすき空気や花かんば」、「うすき空気」というのは作者の独自な捉え方なんですが、「花かんば」を持ってきたことで共感できます。「深谷へかむさる篠や寒明くる」「渡船場の風の尖りや花なづな」「山彦に勢へる水や花山葵」、「風の尖り」とか、かなり主観の強いことを言っているんですが、一つ一つの言葉がよく効いていて、気持ちのいい叙景句になっています。表題句の「樅の秀の夕月あをし袋角」は格調高くできています。「鬼の子に夕満月の上りけり」も鬼の子だなあと思わせるものがあります。「雨ながら日の差しきたり雪螢」は「雨ながら日の差しきたり」という表現が的確です。「八重雨の家居となりぬ花八つ手」も、雨だから家居となることを言っているんですが、「八重雨」という言葉を持ってきて、何でもないことを句として立ち上げています。「函嶺の上の朝月麦を踏む」、遠近の取り合わせで奥行きのある句ができています。

小川 風景句とか自然詠のお手本になるような句がたくさんある。「熔岩原を」なんて典型的ですけど、風景の中から何と何を選び出して組み合わせればしっかりした句になるかというお手本にしたい句ですよ。
しかし、お手本というのしばしば退屈なところもあるわけで、……………………………
ここまできれいにまとまってしまうと、読んだ後にスーッと消えていって刺さってこない、そんな印象は否めない。それでもとにかく良い句がたくさん並んでいたので○で取りました。

「ひこばえ句会」に芹沢の句が出たらぼくも黒澤とほぼ同じ評価をして採る。これだけ精度が高く季語も適切にまとめてくると採らざるを得ない。落とす理由がないのである。
けれど特選1句となるともっと個性のある句を求めている。誰も書いたことのないような角度であるとか、発想であるとか、何か全身を揺さぶられるようなものを求めている。
したがって主宰のいうように、「消えていって刺さってこない」というのもよくわかるのである。

選考会はいよいよ受賞作を決める段になって、
奥坂 最初から「これは絶対◎にしたい」というのは、はっきり言ってなかったんです。どうしても◎を二篇選ばなきゃいけないから選んだのだけれど。
大石 私も五篇絞るのに迷いました。
小川 それも寂しいけどなあ。
奥坂 だから、ひょっとしたら「該当なし」でもいいかと思ったぐらいだったんですけど。
大石 突出した句が二十句の中に三句ぐらいあると、ちょっと疵があってもそれを飛び越えちゃうんですけど、それが少なかったのかなあ。
……………………………………………………
小川 星辰賞は「樅の秀」のようにまとめればいいんですと示すことになるのは、ちょっと悔しい気がするんだね。
奥坂 そうなんです。「星辰賞かこれですよ」になってしまうと、やっぱり困る。
小川 「上手な人は手堅く詠んだら星辰賞か」みたいな……。
という流れになって、
最後、主宰が「星辰賞は挑戦する賞なんだという理想を通しますか。」といって賞を出さない決断をしたのである。

最終判断をする局面で奥坂まやの存在がほかの3名より大きいことがわかる。主宰とまやさんはこういう局面でよく二人で最終判断をすることが多い。
ああ、芹沢常子さん、である。
実はぼくもこれに応募して受賞している。「鷹」2011年4月号の第8回星辰賞である。
芹沢さんより少ない4点で取ったからラッキーというしかない。「腰くだけ」だの「後半息切れした」だの踏んだり蹴ったりの受賞であり、「意欲ある失敗作を」という題までつけられた。
今回の芹沢20句は野球でいうと、20打数17安打、うち2塁打7本、単打10本という内容だろう。
選考委員全員が本塁打3本は欲しいと主張している。逆転スリーランや決勝ツーランが欲しいと。それがあれば併殺打3つ、三振2つがあってもかまわない。だめな句が入っていてもいい、目の醒めるようなずば抜けた句が欲しいという。
選考委員のおっしゃるのはわかるがアベレージヒッターはでかいのは打てない。
それで、ああ、芹沢常子さんなのである。

鷹は相変わらず厳しい。過去も現在も、きっと未来も厳しいだろう。したがって鷹の各賞の選考座談会はすごい勉強の場である。
ここで肴になる人はやはりできる人である。予選を通過しなければ肴になることもない。受賞できなくても肴になって切り刻まれたことでステップアップに通じる。
芹沢さん、次の機会にぜひ射止めて欲しい。アベレージヒッターだと思っていた巨人の坂本は今年、ホームラン16本放ってトップに立っている(5.26現在)。芹沢さんもスラッガーに変身する可能性はある。
捲土重来を期せ。



撮影地:多摩動物公園
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