天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

動き回る講師になるか

2019-05-25 07:38:19 | 句会
きのう桜新町の老人ホームの俳句教室で講師をつとめた。今月は3教室に赴き、今年はこれまで通算10教室をつとめたことになる。
桜新町は人数が12名といちばん多く、月によって来る人来ない人が入れ替わり複雑。運営するのに労力が要る教室である。

【耳の遠い人のわきに介護人がつくべき】
きのうは講師を派遣した会社の女性スタッフが一人、句を書いて句会に参加した。それは親しみが湧いていいし彼女の教養にもなるのだが、彼女は部屋の遠くにいた。講師から10mほど離れた位置では受講者の面倒は見られない。
老人ホームの職員も一人教室にいたが、彼女も遠くにいて写真を撮ったり何かを書きとめていた。それは施設の資料として大切なことであろう。けれどもっと大切なことは句会の運営に組することではないのか。そうしながらでも記録は取れる。そうしたほうが生きた記録を採れるとぼくは考える。
講師と協働して句会の運営に参加して欲しいと思う。
たとえば野球において捕手はたんに投手の球を受けて返す役目だけではない。ショート深く打球が飛んだ球を遊撃手が一塁に遠投すれば捕手は必ず全力疾走する。打者走者に遅れじと。一塁手が採り損ねた場合の捕球に備えるのである。
老人ホームの介護もこれと同じではないか。
ひとつ事を終えて手が空いたら次の有益なアシストを探すのがプロではないのか。俳句講師が働くときが私が休めるオアシスの時間ということか。
図で緑の●で示したように介護人は耳の遠い人について欲しい。もっといえば、耳の遠い人はあらかじめわかっているのだから、講師の直前の席に誘導して欲しい。


【講師をコの字型に囲むべき】
どうしても後列の席は遠い。2m以上離れると老人相手の場合(いや成人の場合でも)話が遠くなる。音声は届いていても受講者の理解度は1列目の人よりがくんと落ちる。
したがって老人ホーム句会の規模は数名がいい。2、3名では盛り上がらない。数名なら講師との距離は2m以内。家庭の食卓を囲む親近感である。「KBJ句会」は今この規模であり初心者指導にはぴったりと思う。全句講評もできるし添削などの点検もできる。
「ひこばえ句会」は16名112句で4時間びっしり行っている。休み時間なし。トイレ、煙草で時間を使いたい人は各自タイミングを見て席を外す。講師はトイレで席を外したことがない。この密度の濃さは参加者に体力と気力を強いる。「いい句会ですが疲れてもう来られません」と諦めた人もいる。ハードは承知してやっている。
句会は人数と時間、出句数との関係で人員の配置を自在に考えなければならない。
したがって次は机をコの字型に配置してその中に講師がいようと思う。180度受講者に囲まれる。講師は下に輪がついた椅子に座るのがいい。それだとあちこち動き回ることができる。机はなくてもいい。230度くらい囲まれてもいい。たえずあちこちを見て全員と親近感を保つ。


【動き回る講師がいてもいい】
この考えをさらに押しすすめると、講師は座らず立ったまま講義、司会運営をしてもいいではないか。
高橋前巨人軍監督は試合のはじめから終りまで立っていた。よく疲れないなあと思ったものだがあれはまねしてもいい。
ぼくも立って句会運営をしよう。
試しに「ひこばえ句会」の1時間を立ってあちこちの人に近づいて意見を聞き、また質問するということをしてみよう。ぼくが近づくことで緊張が生れ句会が締まるかもしれない。
動くことで頭脳はもっと活発に働いて妙案が出るかもしれない。句はそう新しいものを書けないのであれば、できることで新しくする工夫をすべきであろう。