goo blog サービス終了のお知らせ 

天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

多摩川はいま砂丘である

2019-10-31 05:36:25 | 文化
 是政橋上流

きのう渋柿の収穫に多摩川河川敷へ赴いた。渋柿は思っていたより少なく65個であった。渋柿の木は3本あるのだが2本にはほとんど柿がついていなかった。

ぼくの作業を見に来た老人がいた。杖をついてぎくしゃく歩く。彼は岸のすぐそばに家があり散歩のようだ。しばらく作業を見ていて水の流れるところまで歩いて引き返して行った。600mほどの朝の散歩。
後ろ姿を見て「老人と海」ならぬ「老人と砂」で何か書けないかと夢想した。



柿の木のあるあたり、いま砂が10センチ以上たまっていて、むかしより高いと感じる。高いだけでなく起伏があって柿の木を周りを歩くだけでぎくしゃくする。
踏み台を設置するとき場所を選ぶが砂なので安定する。



砂を歩いていてこんなに狭かったのかと思った。8割がた樹木が流れてしまいむこうが見えると森はこんなにちっぽけだったのかと思う。焼跡の敷地を狭く感じるのに似ている。
けれど歩いていると広さを感じ始める。
砂は適度に湿っていて足がそう沈まないので歩き心地がいい。
杖の老人が歩いても足にそう負担が来ないのでは。砂の起伏は陰影もあって楽しい。



胡桃を見つけてまさかと思ったが次々胡桃が現れる。
砂に半ば埋もれて顔を出している。ホコリタケのてっぺんのように小さな穴があいているのはそこの果肉が腐っているため。



颱風のあとに落ちたため流されなかったのか、颱風で落ちたが流れるのをこらえたか。どちらかは知らぬが砂のなかにまだあるような気がする。
そこから新たな芽を出してくるか。



いま河川敷にブルドーザ等の重機が入っている。修復作業をしているようだが、よけいなことはしなくていい。
岸が壊れたならば補修は必須であるが岸と岸の中の川の事情にそう手を入れることはない。
つまらない人間の美意識で圧倒的な自然の力に対抗しようというのはあさはかである。倒れて根っこがあらわになったものは見物である。
いま多摩川はかつて見られなかった風景が広がっている。木の残骸をよけながら歩くと、映画「猿の惑星」や「スターゲート」の登場人物になったかのようなトリップした気分になる。


右側の陰翳は倒れた樹木



1年後のいまごろここがどのような植生になっているのか。ここに人の手を施さずにそれを見たいのである。




 きのうの収穫

困惑した東京さんぽ句会

2019-10-30 01:48:23 | 俳句
礫川地域活動センター


文京総合体育館



10月27日(日)、東京さんぽ句会に参加した。これは松田ひろむ主宰「鷗座」の吟行会である。
来年1月11日(土)、西東京市の柳沢公民館視聴覚室が取れた場合、ひこばえ・いやさか連合軍は「初春俳句バトルin西東京」を行う予定である。これをお知りになった「鷗座」主宰が興味を持ち、見に行きたい、場合によっては審査員を無償で引き受けてもいいとおっしゃる。なんとありがたいこと。奇特な老大家(81歳)を表敬訪問したのである。

係りが13時に直接、「礫川地域活動センター」へ来ていいという。遅れてはいけないと12時20分に着いた。しかし12時40分になって一人も来ないことに不安を覚え先生に電話すると、そこじゃない、とおっしゃる。
場所を予約した一人しか会場がわからずみんな困惑しているらしい。本郷3丁目のどこそこへ来いというがそれは勘弁、やっとここまで来たのだ。
道訊きつあち見こち見や秋の風
地元の人捜し道訊く赤のまま

という塩梅なのだ。(2句とも句会で零点)
先生がタクシーでぼくを拾ってくれてやっと会場へ着いた。会場は「文京総合体育館」。参加者は13名。

先生はぼくが鷹に入る前、鷹に10年在籍したという。
ぼくの知らない湘子の話を清記が終わるまで懐かしそうに横で話してくださる。それはよかったのだが、先生のお採りになった句にはほとんどついていけず困惑した。




【松田ひろむ選】
馬券手にしばし浮かるる秋の風 わたる
単純で見える句をよく採ってくれたなあ。

懸命という言葉があって野紺菊 杉浦一枝
理屈っぽくリズム悪いので、「言葉あり」と鎮めては。

冬わらび竜田川にて詩のかけら 増田萌子
「詩のかけら」をどうしたのか未完成では。

落葉踏む音の重さは歳ほどに 杉浦一枝
「歳ほどに」と境涯性に持ってくるとさっぱりしない。

北京語のひときわ元気敗荷 鈴木砂紅
うるさい北京語をけなさなず仕立てて技あり。季語も意外性あり。

無花果の弾力ことに水戸訛 小平 湖
この果実に弾力を感じるかなあ。皮肉だろうが。

入口は出口さざんかのひとりごと 白石みずき
安易な擬人化が詩を醸すか疑問。

東京に西湖の堤ほととぎす 岡崎久子
西湖は富士五湖か中国、なぜそれが東京にあるのか。

楽しみは後に残して草の絮 石口 榮
言わんとすることはわかるがぐすぐすしている。

夫婦とて主治医別別豊の秋 増田萌子
準特選句。「夫婦とて」から理屈っぽい。
「夫婦揃つて医者通ひ」くらいの平易さではだめなのかなあ。


先憂後楽どんぐりのささやき 小平 湖
特選句。「どんぐりのささやき」は子どもっぽくなる。


先生の選にそうケチをつけたくないので小さい字にしたが、砂紅さんの北京語以外の句はどれもピンと来ない。
鷗座の方々は素材をできるだけ生かして取り込むのではなくて、自分の思惑のるつぼの中へいたずらに放りこんでいる感じがした。具象とリアリズムを旨とするぼくに2点入ったのみであった。みなさんの句を読みながら、ゆるいなあ、甘いなあ、個性が乏しいなあと日ごろ批判的な石田郷子選の句そうは悪くないなあと思っていた。

【石田郷子選】東京新聞(10月27日)
妻に重たくなりたる引き戸居待月 片岡宏文
山の湯の一会や月をほめあひて 高梨和代
刈り株に翅光りたる秋茜 大久保武
亡き人は美しきひと秋時雨 満尾佳宏
一病の夫との暮し草の花 芝崎英子
並選の句である。
この5句がひこばえ句会に出たとして、ぼくは片岡句と高梨句は採る。あとの3句は物足りない、もうちょっと自分らしさが欲しいという注文を出すだろう。けれど、これをベースにして深みを求めていけばいいと思う。
鷗座の諸君に石田郷子選の句のようなわかりやすさが不足しているのを痛感した。わかりやすさが平凡の裏返しでおもしろくないのなら、写生を極めて象徴をめざせばいい。鷹俳句会はその立場である。ベースである写生をないがしろにできないのは、どの流派であろうと。ぼくは事物をきちんとおさえていて人にきちんと通じる句を採った。


【天地わたる選】
蓮の実のどこへ飛んでも核家族 石口 榮
実際には蓮の実はほぼ水に落ちるのだが「核家族」への飛躍はのめる。それは蓮の実という季語の持つ寂寥感を作者がしかと見ているからである。

どんぐりよ過ぎたことなどすべて些事 吉村きら
中七下五は言われているところであるが季語が効いている。「どんぐりよ」という呼びかけもこの場合親近感がある。

来れば坐すベンチに今日の朴落葉 白石みずき
「来れば坐す」でここへよく来ていることがわかる。よって「今日の朴落葉」が効く。きのうも朴落葉を見て今日また見たという感動が静かに伝わる。

あの実何の実思い出せないことばかり 小髙沙羅
いかにも吟行句だと思う。切り出し方が率直でいい。そこから自分がたどってきた過去のあれこれに流れるように転じて押しつけがましくなくていい。

タンカーが横切つてゆく枯蓮 松田ひろむ
二物の配合がすかっとしている。遠景にタンカー、近景に枯蓮を配するなど藤田湘子の教え通り。さすがは鷹出身者と思った。これを採ったのがぼく一人、なぜこんなに見える大きな景色を採らないのかと思ったら、懇親会の席で二人の女性がわからないと言った。そのことにぼくは驚いたのであった。

句風の違いで当惑したことはともかく、飲み屋へ行く先生の後についていて、ぼくは13年後の自分を思っていた。今68歳の自分は13年後はたして人を教えているのだろうか。先生はスタミナと胆力があおありになる。田無まで来てくださる遊び心と自由闊達な精神もおありになる。先達として見習いたいと思った。



「はなの舞」にて。松田ひろむ主宰と磯部薫子さんと雑誌「鷗座」



わくわくショッピング

2019-10-29 06:10:03 | 身辺雑記


毎日2足の運動靴をかわるがわる履いているのだが両方ともぼろぼろ。
買い替えなきゃと思っていたところへ、「鷹みやぎの」から思いもしない現金封筒が来るではないか。図書券かと封を切ったら、なんと、1万円入っていた。よもや原稿料が出るとは……舞い上がって鶴岡行馬に「両の手に紙幣をろがむ秋の暮」と礼状を出した。
その1万円を持ってきのう靴を買いに行った。

靴はいつも「東京靴流通センター府中店」で買っている。ここはよく特売品が出る。
3700円くらいのを2足買おうと探していたらまず3179円(税込み)が目に入った、履き心地がいい。これに決めようとしたら2079円(税込み)が目に入った。これも履き心地がいい。
3足買ったら税込でいくらか聞くと綺麗な女店員が「6937円です」と言う。「3179円のほうは400円の割引付きです」とも。女店員をいっそう綺麗に感じお茶に誘いたい衝動に駆られた(その衝動は抑えたが)。
3足買った。
野球で使える先発投手は多いほうがいいのと一緒で靴も複数使いまわしたほうが長持ちするのである。
気分は、
新の靴履いてスキップ秋の空

女性がブランド物を買い漁り50万円使ってしまう楽しさがいくぶんわかった。
「安物買いは銭失いよ」と妻が言うのだが、靴は8年この店の特売品を使っている。女房にブラウス1枚も買ってやれぬ身の上である。

鷹11月号小川軽舟を読む

2019-10-28 04:14:33 | 俳句



「鉄道唱歌」と題して鷹11月号に小川軽舟が発表した12句を合評します。相手は山野月読。○が山野、●が天地。

秋風やボナールの絵の黄に満ちて
●ボナール、よく知らないので調べたよ。黄色いのもあるがそうでないのもあってこの句にはそう惹かれないなあ。
○私も、ボナールだったよな的に何点かの絵が思い浮かぶ程度です。この句のような言い回しは、黄色を用いた絵があれば成立するわけで、黄色によってイメージされる画家である必要はないですよね。ボナールの黄色は、日常の中の何気ない光の明るさのイメージが私的にはあるので、この句における「黄」の用い方も納得できます。
●八割がた黄色中心の絵を描いてくれないとぼくは納得できない。
○確認ですが、ボナールの絵が今、ここにあるわけではないですよね? この句。
●いやあ、眼前にボナールの絵があると読みたい。
○だとしたら、八割の考えも理解できます。
  ボナールの絵

白象の来る風吹くや芙蓉咲く
○「白象」は実物が今そこにいるわけではないですよね? 芙蓉が配された句の中の「白象」となると、お釈迦様の話と結び付いて縁起物のイメージであり、それが来る風というのは吉兆ということと思えるのですが、そういう解釈だと、面白い句だと思えないです(笑)
●今月いちばん不思議な句。象がそこにいるわけでなく風が来てその向こうから白い象が来るという予感……いやあ、待てよ、実際にむこうに白い象がいると読まないと変。動物園でむこうに白い象が見えて風と共に来そう、ということだろうね。
○そうなんですかね。風上に象がいると、あの独特の匂いがしてきそうです。

白芙蓉花芯みどりに絞りけり
●この花、中心も白っぽい。花粉が散って黄色っぽくなる。なぜみどりなのかわからない。
○白芙蓉の中心部分って、黄色というよりも薄黄緑じゃないですか?あの色は結構好きな色ですが。「絞り」とあるので、初めは浴衣や着物の柄かと思いました。芙蓉のあの白さの中に、「みどり」が生まれることの不思議と感銘を「絞り」という言葉で表現したのでは。
●きみの言う通りの色だとすればぼくが無知。「絞りけり」はそこに緑色が集中しているという意味の和語の洗練された表現技法なのだ。これはわかってほしいところ。
○なるほど、「絞り」が肝ですね。

鈴虫や妻の包丁研いでやる
○鈴虫が身近な台所というのは一軒家ですね、マンションではなく。夫婦の関係性が感じられ、私は嫌いではありません。ジェンダー的社会性の観点から何か言う人いるのかな?
●作者得意の妻俳句。べたべたしないのでぼくも好感を持った。刃の尖り具合に鈴虫の音色は合うね。ジェンダーうんぬんで社会性に持って行きたくない。この感覚を受け止めればいい。
○全く同感です。

夜の駅を発つ出張やつづれさせ

●わかりやすい。夜発って朝着くやつか8時に発って11時に着くやつかは知らないが季語が効いている。
○「つづれさせ」と言う言い方をする人にまだ会ったことないです。明朝の東京本社での会議に備え、前夜の内に立つ状況とかを思いますが、新大阪までもそこそこ時間がかかるような地域、和歌山とか兵庫とかの地方都市からの出発かも。
●どこから発ってもいいけれど、「つづれさせ」くらい一線級の俳人は使うよ。
○そうなんでしょうね。しかし、作者がこの句で例えば「ちちろ虫」とはせずに、「つづれさせ」を斡旋した機微にこそ興味があります。
●「つづれさせ」と「ちちろ虫」とはすこし種類が違うけどね。

秋晴の鉄道唱歌どこまでも
●能天気な句だね。前の句と同様わかりやすいと思っていて待てよとなったのは、歌は誰が歌っているのかということ。いい大人の作者が歌っているとしたら奇異。同じ客車に小さい子どもの集団がいたのか。あるいは作者の心象か。
○声を出して歌ってはいるのではなく、列車での旅の途中か、ふと思い出された鉄道唱歌を頭の中で追っているように思います。下五「どこまでも」は、線路は続くよ「どこまでも」ですね。「いつまでも」だと、つまらない。
●頭の中で歌を追っているという解釈は悪くないね。

横たはる女身のごとき花野かな
○直喩としての「横たはる女身」をどう捉えるかですが、風にそよぐ花野の柔らかさのように感じました。構造的には「花野」の直喩として用いていますが、結果、この花野に現に女性が横たわっているようにも感じられ、そうした効果が面白く思えました。
●女身は裸だから白いと読み手に思わせるとこの比喩は失敗なのだが、生命力を持った香しきものと感じてもらうと成功。ぼくは後者のほうのエロティシズムを感じた。それが作者の意図するところだろう。大胆な比喩でぞくぞくした。
○そう手ですね、「女身」だから裸体を想うべきかも知れませんが、ボッティチェリの描くプリマヴェーラのような生命力ですね。

曼珠沙華感染症爆発(パンデミック)の静かなる
●今月いちばん驚いた句。中七に「感染症爆発(パンデミック)」を持ってくるとは。曼珠沙華という花のありよう、色とかで浮かんだのだろうが凄いのひとこと。
○これは、先月の「畦々に伝染るんですよ曼珠沙華」の句と同じモチーフですよね、どちらも「曼珠沙華」が季語ですし。表したいことは異なるように思いますが、先月の句よりも、今月の句の方がストレートで切れ味がよいかと。
●確かに「伝染るんですよ」の延長にある。ぼくはストレートなのは先月でこれはもっと奥行への広がりを意識していると思う。ミラ・ジョヴォヴィッチ主演の映画「バイオハザード」を想像させるなど物語性もあって俳句でここまでやっていいのかとうきうきした。
○とにかくスケールが大きいですね。ところで、この句での曼珠沙華は、救いの可能性としてあるのですよね?
●いやあ、救いとか破滅とか作者の頭にないのでは。純粋に、詩的に、言葉として到達したという達成感だろう。

コスモスや郵便拒むガムテープ
○封に用いたガムテープの一部が剥がれ、他に粘着してしまったのか、この句の状況がよくわかりませんでした。季語を思うと、郵便局に持ち込んでの状況なのかなあ?
●集合住宅で引っ越して出て行ったところは郵便を入れないでくださいと大家がこういう処置をする。または別荘で人が去ってような場合。コスモスという季語で野中の住居をイメージさせている。この句の作り方が従来のこの作者の路線。
「曼珠沙華」に「感染症爆発」を取り合せて詩を純化しようといったアクロバティックな仕掛けがなく実直そのもの。この2句の落差にぼくは酩酊してしまうよ(笑)
○そうかあ!ガムテープは、郵便物ではなく、ポストに貼ってあるわけですね!なるほど。確かによくある状況ですが、これを俳句に持ち込み、素材化するのが流石ですね。

こじ開けてやりぬ胡桃の独房を
●ぼくは胡桃をやっとこで挟んで金槌で叩き割るので「こじ開けてやりぬ」ではないがのめる。「独房」という比喩が効いている。
○この比喩は本当に冴えてますね。「独房」として、その中に閉じ込められた実部分を主役化させています。「こじ開けてやりぬ」とあれば、普通だったら、他の誰かに食べさせるための言い様なのですが、この句では、「独房」中のこの主役たる実を「独房」から出してやるための所作にもなっていて、楽しめる句です。

菊咲いて端(はした)の切手たまりたる
○封書などの郵便料金によって、それに見合う分の切手を貼るわけですが、複数枚の組み合わせによって対応していると、使い勝手の悪い切手があり、それを「端の切手」と手際よく表現して、なるほどなあです。ちなみに、昔よく見た菊の普通切手はいくらだったかな?と調べたら15円でした。
●消費税値上がりで封筒や葉書に貼る料金も変わってわからなくなっている人は多い。そういう世の中の事情を踏まえて1円切手、2円切手がごちゃごちゃあるという嘆きを感じた。「菊咲いて」という美しい季語をつけて面倒な世情を救済したという感じ。

観楓の盃浅く湯気淡し
○こうした風流に馴染みがないのですが、熱燗(ぬる燗?)ということでしょうか。紅葉を愛でながらの酒は旨そうです。
●漆の瀟洒な盃で朱のような気がする。紅葉とこの盃の色は照応していて白い湯気が薄っすら立っている。繊細な美意識のたまもの。
○今月も句の領域、バリエーションが「半端ねえ」感じで、楽しめましたね。

オールブラックスが止まった

2019-10-27 07:39:52 | スポーツ


きのうのワールドカップラグビー、準決勝は興奮した。
中央例会を早退して帰宅してテレビにかじりついたとき、すでにイングランドが7-0で勝っていた。
おお、おもしろいと思った。
王者相手に挑戦者が先行してこそ試合は盛り上がるのだ。王者は徐々に挽回するだろうと思って見ていたが、白いイングランドが壁のようにそそり立って跳ね返す。
あの機関車のような黒い軍団が壁を突き破れない。こんなことはもう何年も見なかったことである。
黒がマイボールにしても展開できない。展開を許さない白いディフェンスが壁のように殺到する。仮に日本がオールブラックスと対戦したとして、日本は進めないオールブラックスだと感じた。そしてイングランドがオールブラックスであると。そのようなひ弱な黒い軍団をはじめて見た。
黒い機関車が白い豪雪に立ち往生するみたいであった。そういう意味でユニフォームの白黒はまるで試合を盛り上げるための意匠のように皮肉であった。

それにしてもNHKの中継には文句がある。6時50分ころいきなり切り替えの指示が出てニュースになってしまった。
わずか数秒の切り替え指示に老人の多いこの国で何パーセントがついていけるのか。そのままラグビー中継をするのが筋であり、ニュースは別の局でやればいい。
慇懃無礼な視聴者軽視の風潮は聴取料金不払い運動に拍車をかけるだろう。