天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

いやさか句会は11月16日(土)

2019-11-09 03:53:37 | 句会

兜太さんの目玉を万象の中へ預けてしまったような物言いがいい。長生きは自分の意思を離れてあるといった放下の心。自分の命は自分のものではないといった心境の眼玉である。
克巳さんの句は、長芋の根を髯に見立てた諧謔が冴える。リアリズムのよき成果。
さて、みなさんの句の出来栄えや如何に。ひこばえ句会と同じ宿題に挑め!

【日時】11月16日(土)13:00~16:00

【会場】都営泉町3丁目アパート集会場(1階、アパートを通り抜けて三角屋根) 
JR中央線・西国分寺駅を南口へ出て約150m




【講師】天地わたる(鷹同人)

【出句数】1~8句

【参加費】1000円

【参加予想人数】6名

なお、ひこばえ句会は本日13時より田無公民館にて行います。
コメント

ひこばえ句会は11月9日(土)

2019-11-01 04:29:57 | 句会

永田耕衣の句は凄い。「口の中まで青薄」は写生というより想念だがリアリティがある。「枯薄」だと穏当で詩的発火がなく「青薄」だからなまなましくていい。青薄は稲を刈った跡に出る「穭(ひつじ)」の青っぽさに通じ、それが長生きに困惑した身の上をあますところなく描く。
一方、大木あまりの句は、耕衣句のように境涯性からほど遠く、湯治場の印象。「長寿卵の地獄ゆで」と物のおもしろさを堪能している。
「長生き」「長寿」を耕衣さんのように人生を詠まなくてもいい。この文字を入れて詠めばいい。
よって「ぐだぐだと生きて白寿や紅葉酒」は不可。別の言い方で長寿という内容を詠むことを求めていないのである。「長生き」「長寿」という内容をこなすのではなく、文字を詠み込むことである。

【日時】11月9日(土)13:00~16:45

【会場】田無公民館(2階第2学習室)
西武新宿線・田無駅を南口へ出て約250m




【指導】天地わたる(鷹同人)

【出句数】1~8句(上記の兼題1句以上を含む)

【参加費】1000円

【予想参加人数】11名

【参加を希望する方】
常連でなく初めて参加したい方は、天地わたるへ(youyouhiker@jcom.home.ne.jp)ご一報を。害意のないかぎり拒みません。


【句会後の懇親会】
「魚民」にて。
コメント

2回目いやさか句会

2019-10-20 05:13:24 | 句会

吹き抜けで天井のない広さが魅力の句会場


きのうの午後、西国分寺駅付近の都営泉町三丁目アパート集会場でいやさか句会を開催した。参加者は12名。
田無ひこばえ句会を開催できなかったのでそこのメンバーの救済を図るべく、いやさか・ひこばえ合同句会としたが田無勢の参加がなかったのが残念。発足地の方々の士気が落ちているのが気がかりだが、松田ひろむ率いる「鷗座」から磯部薫子が初参加した。
彼女の年齢も顔も知らぬが歓迎したく、「衣擦に伽羅の薫りや月の客」と佳人を連想させる句を書いたら4点も入った。綺麗きれいな句を嫌う木村定生がこれを採ったことにきのうはいちばん驚いた。もっともこれを挨拶句と感じた人は皆無であった。
ぼくはきのう辛口を極めた。いつもより厳しかったと自覚する。これに志向の違う薫子さんはよく耐えたと思う。ご苦労様。
句会は13時にスタートし16時45分に終了。近くの「庄や」で懇親会を行った。参加者6名。句会ではできないような話題で盛り上がった。
以下は参加者の比較的良かった句。

綿菅の舞い散る夜空賢治の忌 磯部薫子

決壊の泥を眼下に雁渡る 押田善五郎

乾きたる出水の泥や草の花 木村定生

秋の日や五十回忌の焼だんご 大槻正成

お晩です良夜の谷戸にすれ違ふ 藤田まさ子

駅前に残る駄菓子屋秋簾 遠藤奈美子

蜉蝣の骸ふはふは渡月橋 山﨑龍子

新涼や手鍋に搾る山羊の乳 戸田鮎子

橋桁にへばり付く葉や秋の風
 久保直己

ポスターの炎鵬美男寒の入 相澤裕子

鳥除けの目玉ぎよろつと秋茜 飯嶋玲人

団地建て替ふる署名や秋の雨 天地わたる


コメント

自分のことは話すな

2019-10-19 07:06:59 | 句会


「自分のことは話すな」は吉原珠央が書いた本の名称である。幻冬舎新書、880円(税抜き)。おととい朝日新聞で見てはっとした。
「相手はこちら側(私)の話に興味がない」この事実に気づいている人は、実はかなり少ない。だからこそ常に客観性をもって会話する人が、ビジネスでも、頭一つ抜けるのである、
と謳う。


会社、ビジネスにおける処世術がテーマらしいが、「自分のことは話すな」は句会においてまず学んでほしい最初のことである。
先日もKBJ句会で句会2回目のHさんが点の入った句について嬉しくて声高にああだこうだと述べる。2句については聞いてやったが3句目のとき「もう自分の句の話はいいです」と拒否した。点の入らなかった句についてはもっと弁明、釈明をしそうである。
確実に言えることは、自作について句会で述べたい人は句が進歩しないということである。
出した句になにか付け加えたいことがあるのはその句の精度が低いことではないか。

句会に出した俳句は駅の伝言板に書いた一行であると思え。それは落書かもしれない。しかしそれを読んだ赤の他人が心中に何か感じる。
そういう孤独で孤高なものであってほしいと思え。伝言板のわきに本人が立っていて解説などするか。

ひこばえ句会にはNHK俳句添削教室の出身者がかなりいる。
彼らは添削を受けるために一句それぞれにそれができた事情をたんねんに書く習慣が身についていた。それを句会で引きずる。
「京都へ行ったんです。にわかに時雨になっちゃいまして、前の茶屋に飛び込んで、団子のおいしかったこと、紅葉が真っ赤でね……」
放っておくとこの手の話がえんえんと続いて句会どころではない。
ぼくが初心者にまず言うことは「自分のことは話すな」である。話さなくていいように一句をそそり立たせよ、一句にすべてを賭けよ。言いたければ他人の句をしっかり読んでしっかり発言せよ。

「自分のことは話すな」は自作がみんなの論議の対称になっているときもである。このとき「私はそういう気持ちで書いたんじゃありません」などと言う奴が必ずいる。これもナンセンスである。作者に「どういう意図だったのですか」と振る司会もいるがそんなことは無用である。
俎上の鯉がそこを切れそこは嫌だと言うか。切られるに任せるほかない身の上だろう。自分の句が論議されている、そのときの自分は、ラグビーで言うとオフサイドポジションにいるのだ。プレー参加したら審判の笛が高鳴って反則である。
自分の書いた意図に添っていようが反していようがただじっと聞いていよう。ぼくは特に自分の意図と違う読みをしたとき耳を澄ます。自作の精度の低さを思うのであり概してそういう場合が多い。
とにかく自分のことをべらべらしゃべりたいうちはだめである。それを我慢できるようになったときかなり俳句は進歩しているだろう。

自作について語りたい人は補助輪付き自転車に乗る幼児である。はやくそれを取って自力で立つべきである。でないと転ぶことも覚えない。転んで覚えるのである、自転車も俳句も。


題名に惹かれたがこの幻冬舎新書は買う気はない。
コメント

友が友を呼びKBJ句会

2019-10-17 03:33:17 | 句会


今年2月に「KBJ俳句の会」としてスタートした俳句茶話会は5月に句会に発展した。このときから「KBJ句会」となり、きのうに至った。きのうは6回目のKBJ句会であった。
友が友を呼び、平日の午後という時間帯が都合のいい人もいて、KBJKITCHENの奥の間がほぼ満席となるまでにぎやかになった。みなさんはコーヒーを飲んでスタートしたがぼくは寒いので焼酎のお湯割り。酩酊しないかぎり酒を飲みながらでもいいし、自由な発言、活発な議論を願っている。ただし自分の句の成立過程やら心情を縷々訴えるのは御法度。発言したいのなら人の句をきちんと読んで語ろうというスタンスである。
きのうも皆さん、よく喋って盛り上がった。
以下は参加者の比較的よかった句。

鈴虫や鳴き終りしは雄食らふ 坪山治子
ひとり居に虫の音かすか針仕事 喜多照子
エンヂンの音高鳴れり鰯雲 喜多いさむ
少年の頬ひき締まる初紅葉 大槻正成
両の手を首に回して夜業かな 大江深夜
鳥渡る光の海に島いくつ 相澤裕子
ガスレンジ磨き颱風遣り過す 中川 郁
ちりぢりに高みに雲や秋立ちぬ 木村弘子
冷やかや馬券にしるき靴の跡 天地わたる
コメント (1)