天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

鷹6月号小川軽舟を読む

2019-05-29 16:32:19 | 俳句


遊学といへば船旅春の星
堂々とした調べのロマンに満ちた内容。おおらかに調べと風景を楽しめばいい。船に読み手もいる気分にさせるのがいい。


西行忌自分の家で飯を食ふ
これで俳句になるのかと思ったほど意表を突かれた。コロンブスの卵である。
この後「自分の爪」を詠んだ句もあるように、今月の作者には大きな心情の変化を感じる。やっと自分に自分に立ち返るったという安心感のようなものを。


燕来る男の胸のさびしさに
この後の「山桜」の句の主情の強さをけなすのであるが、「男の胸のさびしさに」はもっとひどく、演歌の歌詞である。「さびしさ」だけでも困るのに「男の胸の」まで言うと俳人ではなく演歌の作詞家と言われかねない。
「さびしい」「美しい」は一句に入れるなと主宰はよくおっしゃっているのにどうしたことか。<泥に降る雪うつくしや泥になる>における「うつくし」はぴたっと決まり毅然としている。
このレベルの句でしかこういった形容詞は使えないのでないのか。星辰賞で賞を与えなかった厳しい人がどうしたのか。


春の家線路に近く駅遠し
取捨のむつかしい句である。「線路に近く駅遠し」は次の句と同様、身近な素材を新たな目で再生させて素晴らしい。困ったのが、「春の家」である。主宰自身、「春の風、春の海はあっても春の橋や春の塔はない」とおっしゃったことがなかったか。秋桜子の「馬酔木」以来「鷹」一族は「春の家」なる季語を使わない集団ではなかったか。
それが許されるのは一句の出来が並ではない場合だが、さてこの句はどうか。内容には惹かれているので「春の家」が結句にあれば許してもいい、というのがぼくの結論。冒頭では違和感が大きすぎるのではないか。


エスカレーター手摺も進みあたたかし
卑近な物の別の見方、誰も書いたことのない切り口により身近なものを再発見するのが作者の真骨頂。「エスカレーター手摺も進み」と言われてみるとなるほどと膝を打つ。なぜ自分ができなかったのだろうと思う。これが鷹主宰たるゆえんである。


船ゆきし澪になづさふ石蓴かな
作者が最近あまり書かないタイプの抒情句であり、湘子の先生の秋桜子の美意識をつよく感じる。「澪になづさふ石蓴」など和語の美しさに酔っている感がある。
ぼくは「エスカレーター」の句のほうが好みであるが、古き良き情趣もたまにはいい。


空吸へば胸澄みにけり山桜
燕の句で見たように作者の本質はそうとう情緒的と見る。「空吸へば胸澄みにけり」には感情があふれている。「空気」でなく「空」なる抽象を吸いたいのであるから。「胸澄みにけり」は女性的な措辞で甘い。


囁きに殺す母音や夕桜
「囁きに殺す母音」、たしかに囁きは母音が目立たない。母音の破裂音から遠いのが囁きである。うまく言ったものである。物事を洞察する力、穿つ能力に舌を巻く。この句の人の要素がないが誰に囁いたのか。女性とみるのがいちばんおもしろく、配偶者でない感じがしてとたんに怪しくなる。
まあここは一般論として読んでおこう。夫婦間の平和のためにも。


桜咲く叫ぶことなき日常に
自身に家族にそう不安はない。いちおう平和である。他人に世間に大きな声を出して訴えたいこともない。そんな日常に咲く桜を作者は「叫んでいる」と見ている。むろん音声を出すことはないのだが、桜の咲きようが叫びなのだ。
あるいはこの桜は誰かに代って叫んでいるのかもしれない。自分と直接関係のない、しかし同じ人間の懊悩というようなものを作者はしかと感じているように思う。
桜3句の中でこの句は地に足がついている。「囁きに殺す母音」も穿ちが冴える。「空吸えへば」は、鷹主宰の句とは思えぬほど甘い。今月の作者は次の句が語るように大きな人生の転機が来ているゆえの乱れだと思う。


晩春やわが鞄置く妻の膝
よく見えるわかりやすい景である。まったく知らない人の句なら亭主関白の句だと思う。帰宅した夫を玄関で正座して迎える妻。いまどきこんな光景があるのか、羨ましいやら落ち着かないやら……。玄関の出迎え以外にこのシーンを想像することはむつかしい。
しかし作者が小川軽舟となると、ぼくは彼の人柄をかなり知っており妻に対して男尊女卑的な態度を取るとはとても思えない。
2句先に「通帳の退職金」の句があり、これがヒントになって、定年退職した日の夫を妻が労った光景に思いが至った。そうしてみると季語「晩春」の意図が腑に落ちるのである。


春の暮自分の爪を切りにけり
この句を読んでぼくは小学生のころ祖母の足の爪をよく切ってやったことを思い出した。硬くひび割れた爪でときに切れずに砕けた。そのとき彼女の生きてきた歳月を感じた。
「自分の爪を切りにけり」は当然のようでいて、本人の生への基本的な意欲の表れであるが「春の暮」を置いたことで無常に揺蕩い漂いたい心根も見える。


通帳の退職金と春惜しむ
作者は金融関係の生業に就いていたと聞くがこの春退職したのか。実直な句ゆえ「春惜しむ」が如何なく効く。鷹主宰としての激務、さらに俳句の仕事が待っていそうで、春を惜しんでいる時間はあまりないのではないか。穿って見たが、だからこそ、「春惜しむ」という懈怠が作者に必要なのかもしれない。


撮影地:府中市Jタワービル