天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

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海11月号の玉を拾う

2019-11-13 05:57:40 | 俳句


先日ひこばえ句会に来た中川郁さんから「海」11月号を見せてもらった。その中で気に入った句を取り上げる。
その句会に

一葉の年譜短し初時雨 中川 郁

が出た。これをぼくは特選で頂いた。
樋口一葉は1872年5月2日(明治5年3月25日)に生まれ1896年(明治29年)11月23日に死去。24歳の生涯であった。短い生涯で『にごりえ』『十三夜』『たけくらべ』などの後世に残る作品を書いた。妹、母との女三人所帯で金銭に苦労した。初時雨という季語は彼女のまさに亡くなった季節。一葉への深い哀悼の気持ちが託されていた。

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露草や小走りに子を預けゆく 日下野由季
  これから仕事に行く30代くらいの女性。保育園の前の慌ただしさのなかの露草が効く。

水輪の中に水輪生まるる秋の風 初村迪子
  水底から上がる泡がはじけた水輪か空中の何かが落ちた水輪か。一点をみた豊かな時間。

喉元のきれいに動きラムネ玉 一坂 圭
  「きれいに動き」に喉仏のない女性を感じる。どういうこともない措辞だがこの場合華がある。

台風裡人のよじれて行きにけり 杉山三知子
  誰もがかような経験があり実感がある。「人のよじれて行きにけり」は言えそうでなかなか言えない。

水しぶき浴びて歓声滝見船 橘 光江
  上五中七は人のことかと思いきや滝見船で意表をつく。一艘の船を生身の人とみておもしろくなった。

弟と二人になりぬ盆の月 古川日出子
  父母が死に残った家族が二人。姉と弟の親密さが伝わる。

弾薬庫跡に佇む夏帽子 吉原一枝
ツアーの一場面か。建物がない草地で派手な帽子が鮮やか。戦争を知らない人という感じで隔世の感をたくみに伝える。


風鈴の音せぬように吊るしけり 小林嘉子
風鈴に対して「音せぬように」か……、近所への配慮と思うのだが吊るしたあとは当然音がする。それなのに吊るすときだけ「音せぬように」という心理は不思議である。


ホームステイに行く子に持たす京扇 大畑貞子
  子どもが語学研修へ行くのではないか。京扇で行く先は外国を想像されるところがいい。

まん丸の西瓜三角に切り分ける 小林政枝
  形がよく見えるし西瓜がうまそう。そして言葉遊びが楽しい。

ミスト浴び憩ふ乳牛夏の果 相馬聖子
  ミストなる現代的な風物をうまくこなした。なんとか夏を乗り切って元気な牛が見える。

稲妻や庭師が松に注射打つ 大沢綾子
  老松の治療を端的に「注射打つ」といったのがいい。さて稲妻のように効き目が出るか。

満席のオープンカフェや蚊遣り焚く 曽田智子
  今様のオープンカフェと日本古来の蚊遣のほどよいハーモニー。活気ある人の営みが見える。

あづまやに先客の猫秋の雨
 篠原幸子
  客はおらず猫だけ取り残されたようでおもしろい。さて猫は雨の中を帰るのか。

新涼や瀬音間近に露店風呂 井上清視
  涼しい清流の横で湯につかる。贅沢な新涼である。

雨蛙馬の背中は雨を分け 石関武之
  馬の背中を分水嶺のように眺めている作者。雨蛙は雨は平気だろうが馬は風邪ひかぬか気になる。

旅に来て見よう見真似に踊りけり 荻巣昭子
たとえば「おわら風の盆」のような観光地を取材したのであろうが固有名詞を出さずに観光俳句から抜け出ている。


四角四面の父の一生新豆腐 廣野ふえり
融通の利かぬ父にいらだって育った作者だが今はその頑固さを受け入れている。角が崩れていない新豆腐が見える。


自転車で来る代行の墓掃除 大塚京子
俳句は不易の要素が強い季語に流行がうまく入っておもしろくなる。その好例がこの句である。墓掃除にも代行があり彼が自転車で来るという事実がおもしろい。


底紅の紅しぼみては花落とす 渡辺泰弘
  微細なところを見ての「紅しぼみては花落とす」は巧い。この花の精度の高い一物俳句に感嘆した。
  
咲きも咲き散りも散りけり百日紅 香山英子
いまから咲く山茶花も咲くはなから散る花であるが百日紅が絶対いいと感じる。中七の「けり」に壮大さがありそれは百日紅こそふさわしい。この一物もすばらしい。
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秋冷の紫陽花

2019-11-07 04:24:03 | 俳句


晩秋の紫陽花に老いて艶ある岡田茉莉子を感じる。紫陽花は長持ちする花であり紫陽花といえばこの句を必ず思う。

紫陽花に秋冷いたる信濃かな 杉田久女


季重なりの秀句である。
紫陽花といえば必ずこの句を思うといったが主季語は「秋冷」であり歳時記のそこに収録されている。紫陽花の花期は梅雨時であるが花から色が抜けても花は散らずに秋、冬に至る。花びらに見えるものは萼(がく)であるからだろう。こういう花のありようゆえ「紫陽花に秋冷いたる」が実に的確なのである。下五に置いた「信濃」も絶妙。
久女が信濃へ旅をしたときの句と言われる。鹿児島生れではじめて信州へ来た久女は高山と晩秋の冷えに驚いだであろう。「秋冷」なる季語は高山を背景に空気が乾いて冷える土地柄のもの。東京の「秋冷」はなまぬるい。地名から見ても「信濃」は抜群の効き目となっている。



季重なりの秀句、わが鷹俳句会では以下の句を揚げたい。

交む蛇見しゆゑ夕焼ながかりき 小浜杜子男
橇の子を呼びとめてゐる春着の子 同


久女の句は迷わず「秋冷」に分類されるが、小浜句のほうは少し考える。
『季語別鷹俳句集』では後出の「夕焼」「春着」の句として収録していてそれは妥当だが、「蛇」と「夕焼」、「橇の子」と「春着の子」の軽重関係はほぼ対等。季節も同じ中での季重なりである。ふつう二つの季語を配す場合、軽重を必ず意識する。小浜杜子男もむろんそれは承知していて敢えて互角の季語を正面衝突させたことにいまでも驚嘆している。
季重なりで句をなす難度をいえば久女を上回るかもしれぬ。



ちなみに季重なりについて月刊『俳句』11月号の第65回角川俳句賞の選考座談会において興味深い議論がなされた。
問題の句は

蜘蛛の脚二三欠けをり冬近し 小野あらた


についてである。受賞作でないのに選考委員3人がえらく論じていて小生も興味を持った。
小澤 <蜘蛛の脚二三>は季語を<蜘蛛>だけでやってはいけないのでしょうか。
と疑問を呈すると、
岸本 晩秋の<蜘蛛>として私は鑑賞しました。夏の季語でもいいのですが、哀れな感じを出すために「秋の蜘蛛」としたかったんだろう。
こう原句を擁護すると、
正木 では、「秋の蜘蛛」として、<冬近し>をやめればいいのかな。
と発展させる。すると、
岸本 <冬近し>を入れることによって背景の空気感が出ますので、無駄ではないと思います。

ぼくは小澤さんが一物で決着せよというのは理解できるが、それはハードルが高い。
岸本さんの鑑賞に納得し、正木さんが提案する「秋の蜘蛛」は拒否したい。「秋の蜘蛛」を安易に許すと「秋の髪」も「秋のペン」も通用することになりそれは俳句の堕落に通じる。
季重なりは、蜘蛛と離して別の季語を立てそれを主季語とした小野さんの作り方でいいと思う。
いずれにせよ二つの季語を一句に入れるには細心の注意が必要だろう。
コメント

困惑した東京さんぽ句会

2019-10-30 01:48:23 | 俳句
礫川地域活動センター


文京総合体育館



10月27日(日)、東京さんぽ句会に参加した。これは松田ひろむ主宰「鷗座」の吟行会である。
来年1月11日(土)、西東京市の柳沢公民館視聴覚室が取れた場合、ひこばえ・いやさか連合軍は「初春俳句バトルin西東京」を行う予定である。これをお知りになった「鷗座」主宰が興味を持ち、見に行きたい、場合によっては審査員を無償で引き受けてもいいとおっしゃる。なんとありがたいこと。奇特な老大家(81歳)を表敬訪問したのである。

係りが13時に直接、「礫川地域活動センター」へ来ていいという。遅れてはいけないと12時20分に着いた。しかし12時40分になって一人も来ないことに不安を覚え先生に電話すると、そこじゃない、とおっしゃる。
場所を予約した一人しか会場がわからずみんな困惑しているらしい。本郷3丁目のどこそこへ来いというがそれは勘弁、やっとここまで来たのだ。
道訊きつあち見こち見や秋の風
地元の人捜し道訊く赤のまま

という塩梅なのだ。(2句とも句会で零点)
先生がタクシーでぼくを拾ってくれてやっと会場へ着いた。会場は「文京総合体育館」。参加者は13名。

先生はぼくが鷹に入る前、鷹に10年在籍したという。
ぼくの知らない湘子の話を清記が終わるまで懐かしそうに横で話してくださる。それはよかったのだが、先生のお採りになった句にはほとんどついていけず困惑した。




【松田ひろむ選】
馬券手にしばし浮かるる秋の風 わたる
単純で見える句をよく採ってくれたなあ。

懸命という言葉があって野紺菊 杉浦一枝
理屈っぽくリズム悪いので、「言葉あり」と鎮めては。

冬わらび竜田川にて詩のかけら 増田萌子
「詩のかけら」をどうしたのか未完成では。

落葉踏む音の重さは歳ほどに 杉浦一枝
「歳ほどに」と境涯性に持ってくるとさっぱりしない。

北京語のひときわ元気敗荷 鈴木砂紅
うるさい北京語をけなさなず仕立てて技あり。季語も意外性あり。

無花果の弾力ことに水戸訛 小平 湖
この果実に弾力を感じるかなあ。皮肉だろうが。

入口は出口さざんかのひとりごと 白石みずき
安易な擬人化が詩を醸すか疑問。

東京に西湖の堤ほととぎす 岡崎久子
西湖は富士五湖か中国、なぜそれが東京にあるのか。

楽しみは後に残して草の絮 石口 榮
言わんとすることはわかるがぐすぐすしている。

夫婦とて主治医別別豊の秋 増田萌子
準特選句。「夫婦とて」から理屈っぽい。
「夫婦揃つて医者通ひ」くらいの平易さではだめなのかなあ。


先憂後楽どんぐりのささやき 小平 湖
特選句。「どんぐりのささやき」は子どもっぽくなる。


先生の選にそうケチをつけたくないので小さい字にしたが、砂紅さんの北京語以外の句はどれもピンと来ない。
鷗座の方々は素材をできるだけ生かして取り込むのではなくて、自分の思惑のるつぼの中へいたずらに放りこんでいる感じがした。具象とリアリズムを旨とするぼくに2点入ったのみであった。みなさんの句を読みながら、ゆるいなあ、甘いなあ、個性が乏しいなあと日ごろ批判的な石田郷子選の句そうは悪くないなあと思っていた。

【石田郷子選】東京新聞(10月27日)
妻に重たくなりたる引き戸居待月 片岡宏文
山の湯の一会や月をほめあひて 高梨和代
刈り株に翅光りたる秋茜 大久保武
亡き人は美しきひと秋時雨 満尾佳宏
一病の夫との暮し草の花 芝崎英子
並選の句である。
この5句がひこばえ句会に出たとして、ぼくは片岡句と高梨句は採る。あとの3句は物足りない、もうちょっと自分らしさが欲しいという注文を出すだろう。けれど、これをベースにして深みを求めていけばいいと思う。
鷗座の諸君に石田郷子選の句のようなわかりやすさが不足しているのを痛感した。わかりやすさが平凡の裏返しでおもしろくないのなら、写生を極めて象徴をめざせばいい。鷹俳句会はその立場である。ベースである写生をないがしろにできないのは、どの流派であろうと。ぼくは事物をきちんとおさえていて人にきちんと通じる句を採った。


【天地わたる選】
蓮の実のどこへ飛んでも核家族 石口 榮
実際には蓮の実はほぼ水に落ちるのだが「核家族」への飛躍はのめる。それは蓮の実という季語の持つ寂寥感を作者がしかと見ているからである。

どんぐりよ過ぎたことなどすべて些事 吉村きら
中七下五は言われているところであるが季語が効いている。「どんぐりよ」という呼びかけもこの場合親近感がある。

来れば坐すベンチに今日の朴落葉 白石みずき
「来れば坐す」でここへよく来ていることがわかる。よって「今日の朴落葉」が効く。きのうも朴落葉を見て今日また見たという感動が静かに伝わる。

あの実何の実思い出せないことばかり 小髙沙羅
いかにも吟行句だと思う。切り出し方が率直でいい。そこから自分がたどってきた過去のあれこれに流れるように転じて押しつけがましくなくていい。

タンカーが横切つてゆく枯蓮 松田ひろむ
二物の配合がすかっとしている。遠景にタンカー、近景に枯蓮を配するなど藤田湘子の教え通り。さすがは鷹出身者と思った。これを採ったのがぼく一人、なぜこんなに見える大きな景色を採らないのかと思ったら、懇親会の席で二人の女性がわからないと言った。そのことにぼくは驚いたのであった。

句風の違いで当惑したことはともかく、飲み屋へ行く先生の後についていて、ぼくは13年後の自分を思っていた。今68歳の自分は13年後はたして人を教えているのだろうか。先生はスタミナと胆力があおありになる。田無まで来てくださる遊び心と自由闊達な精神もおありになる。先達として見習いたいと思った。



「はなの舞」にて。松田ひろむ主宰と磯部薫子さんと雑誌「鷗座」


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鷹11月号小川軽舟を読む

2019-10-28 04:14:33 | 俳句



「鉄道唱歌」と題して鷹11月号に小川軽舟が発表した12句を合評します。相手は山野月読。○が山野、●が天地。

秋風やボナールの絵の黄に満ちて
●ボナール、よく知らないので調べたよ。黄色いのもあるがそうでないのもあってこの句にはそう惹かれないなあ。
○私も、ボナールだったよな的に何点かの絵が思い浮かぶ程度です。この句のような言い回しは、黄色を用いた絵があれば成立するわけで、黄色によってイメージされる画家である必要はないですよね。ボナールの黄色は、日常の中の何気ない光の明るさのイメージが私的にはあるので、この句における「黄」の用い方も納得できます。
●八割がた黄色中心の絵を描いてくれないとぼくは納得できない。
○確認ですが、ボナールの絵が今、ここにあるわけではないですよね? この句。
●いやあ、眼前にボナールの絵があると読みたい。
○だとしたら、八割の考えも理解できます。
  ボナールの絵

白象の来る風吹くや芙蓉咲く
○「白象」は実物が今そこにいるわけではないですよね? 芙蓉が配された句の中の「白象」となると、お釈迦様の話と結び付いて縁起物のイメージであり、それが来る風というのは吉兆ということと思えるのですが、そういう解釈だと、面白い句だと思えないです(笑)
●今月いちばん不思議な句。象がそこにいるわけでなく風が来てその向こうから白い象が来るという予感……いやあ、待てよ、実際にむこうに白い象がいると読まないと変。動物園でむこうに白い象が見えて風と共に来そう、ということだろうね。
○そうなんですかね。風上に象がいると、あの独特の匂いがしてきそうです。

白芙蓉花芯みどりに絞りけり
●この花、中心も白っぽい。花粉が散って黄色っぽくなる。なぜみどりなのかわからない。
○白芙蓉の中心部分って、黄色というよりも薄黄緑じゃないですか?あの色は結構好きな色ですが。「絞り」とあるので、初めは浴衣や着物の柄かと思いました。芙蓉のあの白さの中に、「みどり」が生まれることの不思議と感銘を「絞り」という言葉で表現したのでは。
●きみの言う通りの色だとすればぼくが無知。「絞りけり」はそこに緑色が集中しているという意味の和語の洗練された表現技法なのだ。これはわかってほしいところ。
○なるほど、「絞り」が肝ですね。

鈴虫や妻の包丁研いでやる
○鈴虫が身近な台所というのは一軒家ですね、マンションではなく。夫婦の関係性が感じられ、私は嫌いではありません。ジェンダー的社会性の観点から何か言う人いるのかな?
●作者得意の妻俳句。べたべたしないのでぼくも好感を持った。刃の尖り具合に鈴虫の音色は合うね。ジェンダーうんぬんで社会性に持って行きたくない。この感覚を受け止めればいい。
○全く同感です。

夜の駅を発つ出張やつづれさせ

●わかりやすい。夜発って朝着くやつか8時に発って11時に着くやつかは知らないが季語が効いている。
○「つづれさせ」と言う言い方をする人にまだ会ったことないです。明朝の東京本社での会議に備え、前夜の内に立つ状況とかを思いますが、新大阪までもそこそこ時間がかかるような地域、和歌山とか兵庫とかの地方都市からの出発かも。
●どこから発ってもいいけれど、「つづれさせ」くらい一線級の俳人は使うよ。
○そうなんでしょうね。しかし、作者がこの句で例えば「ちちろ虫」とはせずに、「つづれさせ」を斡旋した機微にこそ興味があります。
●「つづれさせ」と「ちちろ虫」とはすこし種類が違うけどね。

秋晴の鉄道唱歌どこまでも
●能天気な句だね。前の句と同様わかりやすいと思っていて待てよとなったのは、歌は誰が歌っているのかということ。いい大人の作者が歌っているとしたら奇異。同じ客車に小さい子どもの集団がいたのか。あるいは作者の心象か。
○声を出して歌ってはいるのではなく、列車での旅の途中か、ふと思い出された鉄道唱歌を頭の中で追っているように思います。下五「どこまでも」は、線路は続くよ「どこまでも」ですね。「いつまでも」だと、つまらない。
●頭の中で歌を追っているという解釈は悪くないね。

横たはる女身のごとき花野かな
○直喩としての「横たはる女身」をどう捉えるかですが、風にそよぐ花野の柔らかさのように感じました。構造的には「花野」の直喩として用いていますが、結果、この花野に現に女性が横たわっているようにも感じられ、そうした効果が面白く思えました。
●女身は裸だから白いと読み手に思わせるとこの比喩は失敗なのだが、生命力を持った香しきものと感じてもらうと成功。ぼくは後者のほうのエロティシズムを感じた。それが作者の意図するところだろう。大胆な比喩でぞくぞくした。
○そう手ですね、「女身」だから裸体を想うべきかも知れませんが、ボッティチェリの描くプリマヴェーラのような生命力ですね。

曼珠沙華感染症爆発(パンデミック)の静かなる
●今月いちばん驚いた句。中七に「感染症爆発(パンデミック)」を持ってくるとは。曼珠沙華という花のありよう、色とかで浮かんだのだろうが凄いのひとこと。
○これは、先月の「畦々に伝染るんですよ曼珠沙華」の句と同じモチーフですよね、どちらも「曼珠沙華」が季語ですし。表したいことは異なるように思いますが、先月の句よりも、今月の句の方がストレートで切れ味がよいかと。
●確かに「伝染るんですよ」の延長にある。ぼくはストレートなのは先月でこれはもっと奥行への広がりを意識していると思う。ミラ・ジョヴォヴィッチ主演の映画「バイオハザード」を想像させるなど物語性もあって俳句でここまでやっていいのかとうきうきした。
○とにかくスケールが大きいですね。ところで、この句での曼珠沙華は、救いの可能性としてあるのですよね?
●いやあ、救いとか破滅とか作者の頭にないのでは。純粋に、詩的に、言葉として到達したという達成感だろう。

コスモスや郵便拒むガムテープ
○封に用いたガムテープの一部が剥がれ、他に粘着してしまったのか、この句の状況がよくわかりませんでした。季語を思うと、郵便局に持ち込んでの状況なのかなあ?
●集合住宅で引っ越して出て行ったところは郵便を入れないでくださいと大家がこういう処置をする。または別荘で人が去ってような場合。コスモスという季語で野中の住居をイメージさせている。この句の作り方が従来のこの作者の路線。
「曼珠沙華」に「感染症爆発」を取り合せて詩を純化しようといったアクロバティックな仕掛けがなく実直そのもの。この2句の落差にぼくは酩酊してしまうよ(笑)
○そうかあ!ガムテープは、郵便物ではなく、ポストに貼ってあるわけですね!なるほど。確かによくある状況ですが、これを俳句に持ち込み、素材化するのが流石ですね。

こじ開けてやりぬ胡桃の独房を
●ぼくは胡桃をやっとこで挟んで金槌で叩き割るので「こじ開けてやりぬ」ではないがのめる。「独房」という比喩が効いている。
○この比喩は本当に冴えてますね。「独房」として、その中に閉じ込められた実部分を主役化させています。「こじ開けてやりぬ」とあれば、普通だったら、他の誰かに食べさせるための言い様なのですが、この句では、「独房」中のこの主役たる実を「独房」から出してやるための所作にもなっていて、楽しめる句です。

菊咲いて端(はした)の切手たまりたる
○封書などの郵便料金によって、それに見合う分の切手を貼るわけですが、複数枚の組み合わせによって対応していると、使い勝手の悪い切手があり、それを「端の切手」と手際よく表現して、なるほどなあです。ちなみに、昔よく見た菊の普通切手はいくらだったかな?と調べたら15円でした。
●消費税値上がりで封筒や葉書に貼る料金も変わってわからなくなっている人は多い。そういう世の中の事情を踏まえて1円切手、2円切手がごちゃごちゃあるという嘆きを感じた。「菊咲いて」という美しい季語をつけて面倒な世情を救済したという感じ。

観楓の盃浅く湯気淡し
○こうした風流に馴染みがないのですが、熱燗(ぬる燗?)ということでしょうか。紅葉を愛でながらの酒は旨そうです。
●漆の瀟洒な盃で朱のような気がする。紅葉とこの盃の色は照応していて白い湯気が薄っすら立っている。繊細な美意識のたまもの。
○今月も句の領域、バリエーションが「半端ねえ」感じで、楽しめましたね。
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「長生き」「長寿」を詠もう

2019-10-25 05:04:24 | 俳句


11月9日のひこばえ句会、11月16日のいやさか句会へ出席する諸君へ。宿題は、「長生き」または「長寿」という言葉を入れて1句以上詠むこと。

深沢七郎の『楢山節考』を読み終え、今、佐藤愛子の『晩鐘』を読んでいる。『晩鐘』の帯文に、


みんないなくなった――。
誰もいない――。そして私だけがいる――。
先生。
これが「長生き」をするということなのですね?
長生きがめでたいなんて、何も知らない者がいうことですね。
長く生きるとはこういうことだったのです。老人が無口なのは、孤独に耐えているからなのですね。耐えているとは思わずに耐えている。その孤独をどういう言葉でいえばいいのかわからない。


この感慨は92歳で死んだ父がよく言っていたので身にしみる。愛子さんは今95歳。われわれの句会には愛子さんほどの高齢者はいないが予備軍はぼくも含めてギョーサンいる。(愛子さんに敬意をこめて大阪弁)
「長生き」「長寿」を詠むことで今いる自分の位置を確かめようではないか。

ちなみに「長生き」「長寿」の例句は以下の通り。

長生きのうしろめたさや木の葉髪  吉田ひで女
汽車よりも汽船長生き春の沖  三橋敏雄
長生きの朧のなかの眼玉かな  金子兜太
長生きや口の中まで青薄  永田耕衣
長生きの猫の目蓋雪催  宇多喜代子
長生きをせよと言はれて日永臥す  村越化石
長生きをせよといはるゝ蚊遣かな  久保田万太郎
長生きをせよといはれて紅葉見る  星野立子

葭切の長寿長寿と朝朗(ほがら)  さざなみやつこ
菊白し安らかな死は長寿のみ  飯田龍太
鳥雲に長寿かなしと呟ける  古賀まり子
枸杞の実の赤き小さき長寿村  加倉井秋を
草の穂や長寿卵の地獄ゆで  大木あまり
色鳥や長寿の葬は婚に似て  高橋悦男
母長寿たれ家裾に冬の草  大野林火
長芋に長寿の髯の如きもの  辻田克巳



写真:国分寺市立第七小学校
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