天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

平成最後の日の警察沙汰

2019-05-01 00:25:54 | 身辺雑記


掃除等の仕事をしているアパートにきのう警官が来た。
発端は管理人(ぼく)に若い女性がクルマのトラブルを相談に来たこと。24歳の宋という女性。日本語の日常会話はできるものの話に芯がない。要領を得ぬ話からようやくわかったのは、自分のクルマの前に別のクルマが置かれていて出せない、困っている、とのこと。
彼女のクルマの窓ガラスに警察の駐車違反の貼紙がある。これはどういうこと?
彼女は自分のクルマを停めた位置が間違っていてそこの主が腹いせにクルマを停めたのではないか、という。
じゃあ君が騒動の原因じゃないか。

警察沙汰にするより管理会社(住友林業レジデンシャル)へ電話しようと先方の営業開始時刻を待っている9:45ころ、駐車場に大柄の警官と、その周りに宋さんとその友人、自分の置き場を侵害された青年が集まっているではないか。ぼくの手間は省けたが警官が来るのはうれしくない。
青年がえらく怒っている。深夜帰ったらそこに知らないクルマがあって停められない。頭にきてその前へクルマを停めた。それは宋さんの想像した通りの仕返しであった。
ぼくは警官に一私有地の中の駐車違反問題に警察が介入するか質問。警官は本来は介入したくないが訴えた青年の気迫に動かざるを得なかったようだ。それは親切であるが怖い。
ぼくが警官に「ごめんなさいで済むんじゃないですか」と訊くと「俺は許さない」と青年息巻いている。「金銭的被害はあったんですか?」と青年に訊く。そんなに気色ばむことはないとぼくは思う。「それはないけどそういう問題じゃない」と怒りは収まらない様子。こういう人だから警官が介入したのであろう。
青年の停めたクルマは彼女のクルマのみならず別のクルマも出られなくしている。「その置き方は君も加害者だよ」というとそれは青年もわかっている。

ぼくが青年の立場ならごめんなさいで許すだろう。菓子折りはもらってもいいが、慰謝料は要求しない。自分の場所が塞がっていたとしてもあたりを見れば停められる場所はあるから対処できたはず。
青年は深夜、住友林業へ電話したがそこが何の動きもしなかったことをも怒る。それはぼくもいつも管理会社に感じていることで青年に同情する。住友林業が的確に動いていれば公権力の警察が立ち入ってくることはなかった。大手企業が仕事をしないのがまず悪い。
青年が頑なになっている中に管理会社への不満がそうとうあって、そのすべてが宋さんに注がれているという感じだ。
青年の心理の中に加害者(敵)をしっかり立ててそれに対して怒ることで自己顕示したい欲求がそうとうあると見た。

ぼくは、<白靴を踏まれしほどの一些事か 安住 敦>を思っていた。
たしかに人の場所にクルマを置いた非は宋さんにある。彼女に反駁する余地はないが、警官を入れてまでおおげさにする事案なのか。
どうも青年の心の中にもやもやした別の問題があって、この際、もやもやしたすべてを俺の権利を侵害した、許せない、という表現をして鬱憤を晴らしたのではないか。
世の中にこういった憤まんの晴らし方をする人は星の数ほどいる。悶着のかなりのパーテンセージが<白靴を踏まれしほどの一些事か>ではないのか。冷静に考えれば。

些細なことに警官を介入させるのは平和のあかし。戦車や爆撃機が行き交い、爆弾が炸裂するような悶着でないのが幸いではあるが、多くの人が爪の先ほどのトラブルを大きくしたがっているように思えてならぬ。
ちょっとした争いの火種に風を入れてわざわざ火を大きくするようなことが多すぎるように思う。
もう少しおおらかに、ほがらかに人と交われないものかと思った平成最後の日の警察沙汰である。


撮影地:府中市片町1丁目