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天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

国分寺市には国分寺があった

2019-06-06 14:16:27 | 遺跡


ぼくの住まいは府中市武蔵台だがここは国分寺市と国立市に食い込む嘴のような地籍である。京王線の走る府中市中心部は遠く中央線に近い。
国立駅、国分寺駅まで2kmほどで西国分寺駅まで500m。息子2人が国分寺市に仕事場と住居がありどちらかというと国分寺市に愛着がある。

国分寺市は国分寺があったから国分寺市である。
ぼくがアパートへ通う道の辺に尼寺(武蔵国分尼寺跡)がある。それを紹介する碑には次のようなことが書かれている。

 右を走るのがJR武蔵野線、西国分寺駅へ約1km

奈良時代中頃、聖武天皇の詔(みことのり)により国分寺(僧寺)とあわせて建立された。
尼寺の正式名称は「法華滅罪の寺」。女人救済を願う光明皇后の意向が大きく働いたという。
武蔵国では国府(現府中市)の近くで国分寺崖線を背にして南向きの当地が適所として選ばれ、西に尼寺、東に僧寺が配置された。


国分尼寺は武蔵野線の西でそれに隣接したところ、国分寺(僧寺)は東へ400mほど入ったところにある。

 これは僧寺の金堂跡


金堂が南、講堂が北、両方を歩道でつなぐ形は尼寺も僧寺も同じ。地上物はなく礎石のみ残る。
ここで吟行をやったらみんな困るだろう、と思っていたら、桜の木があり実がぼろぼろ落ちているではないか。
5,6粒食べたが腹応えがない。いったん去って100m行ってから摘む気になって戻った。自転車には踏み台を積んでいた。使わない手はない。
約800粒摘んだ。
「桜の実」で何か書こうか。

尼寺に一人の立居桜の実
ここは複数の尼が集団生活していた印象だがぼくの故郷の尼寺は一人であった。尼になる理由を考えていたら面倒になった。
湘子がいたら「神社仏閣など詠むとは」と渋い顔をするだろう。が、やむをえないだろう。そういう場所ゆえ。

経を誦す尼の小声や桜の実
仏門に入る女性の理由はいろいろあるだろう。経を読むと平安になるのだろうか。

尼寺や掃かず拾はず桜の実
故郷の尼寺から高遠に流された絵島のことを思った。彼女は尼ではないが絵島囲い屋敷を連想してしまった。あそこにも桜の木があり花が咲いていた。尼寺のような住まいであった。

実桜や雛僧尼を母と恋ひ
少年僧と尼と接触があるかどうか知らない。400m東の僧寺から何かの使いで尼寺に来た少年僧がいたかもしれない。

 尼寺の一部だが何の建物跡か知らぬ

地がありて実桜落つる鐘の音
桜の実が落ちるのを見ていて大地を感じる。奈良時代、どんな鐘の音がしたのだろうか。

尼は知る筧に落つる実桜を
郷里の尼寺は山から清水を引いている。今でも尼になりたい人は入居可能だと思う。

夏籠(げごもり)や筧をはしる水の音
僧侶になって勉強してもいいと思う。果実を採るのに疲れてきた。ここに桜の実があることを知らなかった。





ああ、煩悩の桜の実800粒。「果実の黒真珠」である。