天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

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「蜜蜂と遠雷」を見る

2019-10-26 05:50:36 | 映画

主な4人。左上:松岡茉優(栄伝亜夜役)、右上:松坂桃李(高島明石役)。左下:森崎ウィン(マサル役)、右下:鈴鹿央士(風間塵役)

きのうTOHOシネマズ 府中で「蜜蜂と遠雷」を見た。大雨と封切して時間がたっているのとで20名ほどしか入っておらず快適であった。
開始そうそう、なんと、斉藤由貴が審査委員長役で出てうれしくなった。一線級の女優をメディアは不倫で袋叩きにしたが救済した石川慶監督に拍手したい。むかし天才少女の審査委員長が落ちた天才少女にトイレでかけたひとことがクールで光った。やはり斉藤由貴は味がある。

松岡茉優には騙されそうになった。原作を読んでストーリーは知っていたのだが、二次審査の会場になかなか現われない栄伝亜夜はまた7年前のように逃走するのではないかとハラハラした。
その前に亜夜のわけのわからぬ大泣きが効いた。理由を韜晦させたその泣きがぼくを不安に駆りたてて、すわまた逃走と思わせたのである。つまり松岡茉優は上手かった。最終審査に向う衣装も華やかでトリの登場であった。

松坂桃李は地方で仕事の合間に健気にピアノを弾くおじさんが似合うのではないか。
この男優は上手いのか下手なのかよくわからないが、「娼年」でやったホスト役はひどかった。まあ監督もだめだったのだろうが、女性の上でホストがまるで機関車のようにピストン運動するなんて興ざめであった。あんな性行為をプロがするものか。あれを原作者の石田衣良が許したのかと呆れたものだ。
あんな役をしているより、篤実な市井の人というのはよかった。

森崎ウィンはそこそこの出来。ぼくの読んだ原作のマサルはもっと貴公子然としている。もっと近寄りがたい青年のイメージである。

鈴鹿央士はオーディションで探した新人らしいがよかった。
よくこんなに原作の風間塵みたいな少年が存在したものかと惚れ惚れした。「蜜蜂と遠雷」という題名は主役は4人いても風間塵を象徴していると思う。「世界が鳴っている」と彼に言わせように。くりくりした目、人懐っこい表情はまさに蜜蜂を追って荒野で育った少年の感じを出していた。

それにしてもこういった音楽映画でいつも感じることであるが、素人の俳優はどこまでピアノを短期間に習うのか。吹き替えでなく実際に鍵盤をたたく手は本人のこともある。このとき音の出るピアノでやるのか。音の出ないピアノでやってあとで別の音を入れるのか、細かいことが気になった。杉下右京のように。

原作になくて面白かったのは、第二次審査でオーケストラと組んでピアノを弾くリハーサル。ここでマサルがフルートと音が合わないことをいい、注文をつけるとこわもての指揮者(鹿賀丈史)が突っぱねる場面。
ほかには支配人の平田満のなんということのない演技がベースのように光った。
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絶妙な会話「グリーン・ブック」

2019-03-24 06:53:03 | 映画

左:トニー役のビゴ・モーテンセン、右:シャーリー役のマハーシャラ・アリ


人種差別が色濃く残る60年代のアメリカ南部を舞台に、黒人ジャズピアニストとイタリア系白人運転手の2人が旅をして友情を深めていく物語。
1962年、ニューヨークの高級クラブで用心棒として働くトニー・リップは、クラブが改装のため閉鎖になり無職になってしまう。そこへ黒人ジャズピアニストのドクター・シャーリーが運転手(兼ボディーガード兼雑役夫)で雇いたいという話を持ち込む。シャーリーは敢えて黒人差別が色濃い南部へのコンサートツアーを企画し、無教養だが口が達者で腕も立つトニーに目をつけたのである。出自も性格も全く異なる2人は、当初は衝突を繰り返すものの、次第に友情を築いていく。

ほとんど2人の会話で成り立っている友情物語。人種差別という大きな岩石を2人が両側から崩していくかのような会話が絶妙。
ときにそれが激して口論になる。
その圧巻は、トニーがあんたの生活は一般の黒人からはるか上流で、一人お城に住んでいる豪華なものじゃないか、俺の生活は巷の泥にまみれたものでありこれこそ黒なんだと叫ぶところ。学がない設定の彼にしてはすこぶる高度な黒の意識でありこのセリフにうなった。
これに対してシャーリーが俺は一人の城に隔絶されて孤独なんだ、白人相手に音楽を聞かせているが白人から差別されているし、一般の黒人からも白い目で見られているんだ!と応酬する。
2人は沈黙して車のみ走って行く。
2人の会話が根深い差別意識を掘り下げていくのが見事である。

黒人同士であっても貧富や仕事により差別があることを車がオーバーヒートして停車した南部農園で見せるなどなにげないカメラワークも光る。
停まった車の中でふんぞりかえるスーツのシャーリーを見る農園の肉体労働の黒人たちの敵意のある視線。
白人対黒人というワンパターンを越えてあらゆる差別をいろいろな角度で見せていて秀逸である。

トニーが大好きなケンタッキー・フライドチキンをシャーリーは手が汚れて衛生的でないとはじめは拒否。何度もおしつけられて口にしてうまさに驚く。
トニーという白人をがさつで粗野に、シャーリーという黒人に教養と品位を与えた設定は裏返しの差別ではあるものの啓蒙という視点ではよかったのではないか。現実は実にさまざまということを見せてくれた。
シャーリーが実はゲイであったという設定、その警察沙汰のいざこざを世慣れたトニーがあっさり解決して深まる友情。さまざまな要素が内容に深みを与えていて、一見にあたいする秀作。




ちなみに、『黒人ドライバーのためのグリーン・ブック (The Negro Motorist Green Book または The Negro Traveler's Green Book)』 は人種隔離政策時代に自動車で旅行するアフリカ系アメリカ人を対象として発行されていた旅行ガイドブックである。
書名は創刊者であるヴィクター・H・グリーンに由来し、「グリーンによる黒人ドライバーのためのガイドブック」というほどの意味になる。
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あしたは最高のはじまり

2019-03-20 15:48:25 | 映画


「あしたは最高のはじまり」は原題「Demain tout commence」、フランス・イギリス合作、2016年の映画である。
急ぐことのない今朝6:45からムービープラスで放映した。この時間帯、ちょっと変わった映画をやってくれる。
「あしたは最高のはじまり」というコピーが気にいって見る気になった。

これから、そうとうネタばれになることを書くのだが、

南仏コートダジュールでバカンスのように毎日を過ごすサミュエル(オマール・シー)。ある日、かつて一夜の関係を持ったクリスティン(クレメンス・ポエジー)が現れ、生後数か月の赤ん坊(グロリア)を「あなたの娘よ」と預けていく。
クリスティンは心に傷を負って育てられなくなっており苦肉の策であった。
慌てたサミュエルはクリスティンを追ってロンドン行きの飛行機に乗るが、見つからない。呆然とするサミュエルを救ったのは、彼にひと目惚れしたゲイのベルニー(アントワーヌ・ベルトラン)だった。
ベルニーは映画のプロデューサーをしていてサミュエルの身のこなしに惚れて、スタントマンで採用する。
その仕事で娘をしっかり育てる。ほれぼれするような父娘関係にうっとりする。
そこへ突然、娘を捨てて姿をくらましていたクリスティンが現れ、娘をくれという。

 
クレメンス・ポエジー(左)とオマール・シー

クレメンス・ポエジーは、自分勝手の女を演じるのにうってつけ、ほとんどの観客を敵に回す風貌といっていい。生意気でつんとして私が正しいのよ、と顔に書いてあるかのよう。
これに対して、ちょっといい女なら誰とでも寝て無責任を演じていたオマール・シーは娘を得て、見違えるようなよきパパになる。演技力がある。
同性愛者で彼を支えるアントワーヌ・ベルトランのわき役ぶりも光る。


アントワーヌ・ベルトラン


テンポがよく話に乗っていけること、
コメディふうでありながらしんみりさせること、
一手先は読めるが三手先でずらされること、
明るい風景のなかで生死の機微を考えさせること、
などなど、
見て損のない内容だと思った。

特に、親が子を折檻して殺すようなニュースが相次ぐと、こういったほのぼのとした親子関係ものに心が和む。

「あしたは最高のはじまり」でなく「きょうは最高のはじまり」でもいいと思ったが、やはり「あした」なのである。脚本家が「きょう」としなかったことにこの映画にこめられた深い悲しみがある。
君といる一瞬一瞬が大事なのだよ、という父サミュエルの言葉も親子の運命を暗示する。背景が明るいコートダジュールの海であるからよけい心に染みるラストである。
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