天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

西方より新茶がやって来た

2019-05-26 13:20:13 | 身辺雑記


福岡市のネット句会の仲間Мさんより今年も新茶を贈ってくださった。
「嬉野茶」「知覧茶」「八女茶」の3袋セットである。届いたことを告げる電話すると声が明るく元気であった。茶を贈ろうという心延えがあるから元気なのだろう。俳句もそうとうやっているという。


しみじみと新茶をしたむ時間かな わたる

この句は湘子の中央例会で出した句である。「しみじみと新茶したむといふことを」が原句であったが、湘子は「<といふことを>はホトトギスの書き方」と嫌った。
さてどうしようとなって湘子の「ぺしやんこの紙風船の時間かな」を思った。「時間」なる抽象で着地する習慣がなかったが、ここで先生の真似をする気になった。弟子だからたまには真似していいですよね先生、という気分であった。
巧妙に先生に取り入ったわけであるが、今みると、shi—ji— shi— shi— jiと頭韻をリズミカルに踏んでいる。
新茶の最後の一滴が落ちるまで見ている時間が好きである。

Мさん、仲良くしていたら来年もよろしく。

老人ホーム句会雑感

2019-05-26 12:11:46 | 俳句



【宿題を出すべし】
桜新町界隈老人ホームの5.24句会には兼題を出しておいた。「蟻」と「新茶」である。
14時開始前20分に現地へ着くと数人が会場にいて句をつくっていた。ユーアスのNさんが励ます係。高齢者は次の句会の日にちは忘れがち。近くなって指摘されてはっと気づくことが多い。
前回、夏の句をつくってくるよう言ったが出す人が思うほど多くなかった。
どうやってつくっていいかわからないと判断した。夏の季語にどういうものがあるのかわかっていない。
歳時記を持っている人が少ない。歳時記を買うのは必須だとぼくは思うが、彼等にしてみれば続けられるかどうか心もとないことに出費するのはどうも……その心理はよくわかる。

それならこちらから季語の兼題を出すのがいいと思った。出された兼題で季語を覚える。それもいいだろう。
鷹俳句会の創始者・藤田湘子は兼題に季語を出すと怒った。題は「本」「箱」のような漢字一字にせよと。
彼が季語を嫌った理由は、初心者は季語に引きずられて季語の説明にすぎないことを書く確率が高いからであった。つまり、
葉の裏を見せて大揺青嵐
のような句が頻出するのだ。上五中七の様子こそ季語「青嵐」の内容である。したがってこれは言う必要がない。
「本」なら
本どれも百円の棚あたたかし わたる
と、季語が後から飛んできて一応の句ができる。

湘子の教えは正しいのだが、これは鷹俳句会の人にとってのこと。老人ホームの方々に大事なことは、とにかく内面の事情を言葉にしてアウトプットすることなのだ。
同じ季語の句が複数出ると優劣の目を持って句を読む楽しみやすくなるだろう。来月は兼題の数をもっと増やそう。季語を覚えてもらうために。


【仲良し組は自立の敵】
特に女性だが一人で行動できない人がいる。小学生でないのに人を誘って連れ立つということでしか動けない人がいる。
老人ホームにもそういう光景が見られる。ぼくが「サイレント・スリー」とひそかに呼んでいる女性3人。
いずれもルックスは悪くなく元気そう。ごちゃごちゃ小声で話したり頷き合っているが、俳句はさっぱり書いてこない。
人の句を読んで選句する段になっても発表できない。読んだがわからないから発表できないのか別の理由(認知症などの疾患)なのかもわからない。脳に疾患があるとは思えぬ表情ゆえぼくの困惑は深まる。
この3人のうち前回1人が来なかった。
すると1人が俳句を出した。彼女は恥ずかしそうだったがとにかく1句を出した。みごとに一歩前進である。そして選句・発表もきちんと行った。
おしゃべりの相手が減って自分の時間に立ち返ったと見るのは短絡かもしれぬが、俳句は一人になることをめざすツールなのだ。
小声で言葉を横に出すのではなく、前へ言葉を出すのが俳句が究極、目指すことである。
仲良しが集まってごちゃごちゃやるが、発表になると自分を出せないというのをなんとかしたい。仲良しをやめなさい、と言うわけにはいかぬが。
これは老人ホームのみならず一般の社会にも巣食う宿屙である。自立のための方策を考えたい。




撮影者:米倉八潮/被写体:米倉やや、八尋/撮影地:不明