goo

第二波の人々

 1万2000年前ころから始まった縄文海進によって日本列島は大陸から完全に分離・孤立し、それ以前から日本列島へ渡ってきていた日本人の先祖たちは、その後1万年近くにわたって遺伝的に独自に発展した縄文人を形成することになります。その間、彼らは豊かな生態系を育む環境の中で自然との対話を続け、独自の生活・技術・文化複合体Jomon techno-complexをつくりあげてきました。 
 そしていまから約4000年前に日本列島に第二波の渡来人が渡ってきます。そしてさらにその1000年後の約3000年前に第三波の渡来人が日本列島へやってきたことがわかっています。そのいずれもが当時おこった地球規模の気候変動による民族大移動の影響をうけたものといわれています。とりわけ4000年前前後に生じたイベント3といわれる寒冷化は、西アジアでは世界最古の帝国をつくりあげたアッカド帝国の崩壊を、東アジアでは5300年前から長江下流域で栄えた良渚文化の崩壊を引き起こし、黄河中流域(中原)に流れ込んだ人々が地元文化と融合し、新たな文明-黄河文明を生み出すきっかけとなった、といわれています。
 そのころ日本列島は、縄文海進が終了(約4500年前)し、大陸に地理的に近くなっていました。そこへ東アジア一帯で生じた大規模な民族移動の余波をうけた人々が日本列島へ渡ってきます。彼らは、いわゆる原日本語ともいうべき言語を日本列島にもたらした人々ではなかったか、といわれています。東アジア北方の寒冷・乾燥化した地域で“言葉”を発展させた人々が日本列島に渡ってきたとき、日本列島は、引き続き温暖湿潤で、豊かな生態系が続いていました。大陸を襲った寒冷化が日本列島に及ぼした影響はわずかで、先住の人々は数千年にわたって蓄積されてきた自然との対話社会的な“言語”を発達させていました。第二波で渡来した人々は比較的穏やかに先住民と混じり合い、少しづつ人口を増やしていきます。彼らがもたらした“言葉”もまた、この豊かな生態系のある環境の中でその影響を受け、その後の揺籃期を経て、熟成し、包容力のある創造性豊かな沃野をもつ日本語をつくりあげたいったのです。


日本列島人の形成モデル/斎藤成也*01

*01:日本列島人の歴史/斎藤成也/岩波書店 2015.08.28

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

数千年にわたって蓄積された自然との対話

 群れをつくる動物たちは、戦いに強く、経験豊かなものをリーダーに選びますが、周囲の自然物に積極的に働きかけ、そのものの状況を変化させ、自然としては存在しなかったものをつくりだしてきた人類は、それまでとは異なる能力、現実世界を写し取り再現できる能力、自然と対話する能力を持ったものもまたリーダーとして選出するようになっていったのです。 
 自然と対話する能力とは、自然物(環境)の中にある〈意味〉〈理解〉し、その〈意味〉に〈かたち〉を与え、つくりだした人工物によって、仲間の〈理解〉を操作 する能力、といっていいでしょう。その能力は、自らと相互作用を起こす環境の中の様々な要素(主に生態系を構成する様々な生き物たちと、それらが互いに相互作用することによって生み出される様々な要素)が多ければ多いほど、それらがつくり出す〈意味〉の適切な〈理解〉が促進され、発展していったのです。
 豊かな生態系が続いた古代日本の人々は、自然環境の中に生まれる膨大な量の〈意味ある振る舞い〉に遭遇し、それらとの関係性を引き続き発達させていきました。その結果、それらに〈かたち〉を与えようという試みは、人々が環境の中で遭遇する関係性のすべてに〈かたち〉を与えようとする試みとなっていったのです。そしてそれを使って思考する人々は常にその関係性が生まれる周囲の世界に関心を集中させてきました。その中で彼らは、それらを食料の保存や運搬、煮炊きなど実用的に使うだけでなく、それらが実用性を超えたさらなる効果を持つことに気がついたのです。部族間の競合の中で、それらを製作するための技術力や労働力を誇示し、彼らの文化の変化の原動力としていたのです。つまり彼らは、他の人々の〈理解〉を操作することを可能とする〈表現〉力(すなわちコミュニケーション・ツール)をそこに見いだしたのです。
 化学変化を支配し利用する術を駆使し、他の人々の〈理解〉を操作する〈表現力〉ある〈かたち〉である人工物を彼らはつくりあげてきました。それが驚異的ともいうべき複雑な表現にたどり着いた縄文土器や、縄文の女神たちなどの土偶でした。さらに彼らは、周囲の環境世界をほぼ構成するといってもよい木々たちに手を加え、その木材の特性を生かす術を承知していました。木は成長するに従い、外部から様々な影響を受け、育つ地形や気候等により細胞の組織や木材成分が変動した細胞組織によって形作られています。さらに木は伐り出した後も水および水蒸気による影響を常に受けていて、それらの特性を熟知していなければ、その利用もままならぬものだったのです。「水浸け乾燥」という、水に浸けることによって逆に木の乾燥を速く、均一にすすめて「安定」した材として利用する技術や、木材の細胞内に含まれた水分を人為的に調節する“木殺し”と呼ばれる技術など、木材を自らの使い勝手のいい材料として活用するための知識と技術が自然と対話する能力によって人々の間に蓄積され、社会や世代を超えて伝承されていったのです。そしてこれらを集約し、“高層建築”を生み出すための技術=「貫(ぬき)」や「枘(ほぞ)」等の「軸組」工法に至る技術をも彼らは生み出していったのです。
 これらは、豊かな生態系を育む環境の中で、周囲の環境に関心を集中してきた古代の日本の人々が、それらに積極的に働きかけることによって得られた様々な知見を蓄積し、集団の中で社会的な“言葉”として伝達し、継承することによって発達させてきたものでした。それらは数千年にわたってつくりあげられてきた、いわば日本独自の“言語”でもあったのです。
 それが大陸から地理的に孤立した日本列島において、1万年に近い時間の中でつくりあげられてきた生活・技術・文化複合体Jomon techno-complexだったのです。


縄文の女神たち

縄文のビーナス(国宝)/棚畑遺跡 縄文中期(約5000年前)
発見時の状態(1986年9月)/茅野市尖石縄文考古館

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

リテラシーの免疫

 東北地方に未曽有の大災害をもたらした東北大地震。そしてテクノロジーの原罪を露呈した福島原発事故から9年がたちました。人間と、その自慢のテクノロジーと、それらがつくり出した「もの」たちは、海を大きく揺らした大地の身震いの前に為す術がありませんでした。ただ“速度”を超越し、世界中のあらゆる場所をリアルタイムに現前化する最新の情報通信テクノロジーのみが“眼に見える”恐怖と“隠されていた”恐怖を、全世界の人類に共有させることに成功したのです。 
 この“速度”と“場所”を超越した情報通信テクノロジーは、ヴァーチャルを超えた背筋の凍る“リアル”な恐怖-意識の下に隠されていた人間の本質(リアル)を揺さぶる“恐怖”を掘り起こし、私たちの眼前に突きつけたのです。“日常”に走った亀裂の隙間から“非日常”が入り込み、日常と非日常が混在したリアルな緊張感が、その時私たちを取り囲んでいました。
 そして今、ふたたび“眼に見えない”恐怖が、全世界の人々を取り囲んでいます。新型コロナウィルスCOVID-19の世界的な感染拡大についてWHO(世界保健機関World Health Organization)が3月11日、ついに「パンデミックpandemic」を宣言したのです。
 感染症の流行は、その規模に応じて、地域流行であるエンデミックendemic、突発的に規模が拡大し集団で発生するアウトブレイクout-breakをともなうエピデミックepidemic、さらに流行の規模が大きくなり、世界中で感染症が流行するパンデミックに分類され、このうち最も規模が大きいものがパンデミックなのです。
 そしてウィルスの世界的なこの感染爆発の前に、もうひとつ重要な感染爆発が起こっていました。ウィルスの流行がここまで拡大する以前の段階(2月5日)でWHOは「インフォデミックinfodemic」が起きていると警鐘を鳴らしていたのです。
 インフォデミックとはinfor-mation(インフォメーション/情報)と、epi-demic(エピデミック/疾病の流行)を組み合わせた造語で、「根拠のない情報の広範囲にわたる拡散、それに伴う社会の混乱」を指す言葉です。つまりウィルスの拡散より早く、誤(にせ)情報(mis-information)、フェイクニュース(fake news)、デマ(Demagogie)の感染爆発が全世界的に起こっていたのです。

トイレットペーパーをめぐる騒動、様々な陰謀説、ウィルス対策の誤った情報等々。インフォデミックは今回のような感染症の流行の際だけではなく、様々な状況の中で起こっているのですが、特に感染症対策での誤情報とは、誤った対処法が急速に広がることであり、人々がより危険度の高い行動、感染拡大を悪化させる行動を引き起こす可能性があることを多くの学者が指摘*01しています。一方で情報の受け手が誤情報を拡散しないこと、すなわちリテラシー(読解記述力: literacy)の免疫をつけていることが、実際の感染を抑制する効果があることも示されている*02のです。

*01:Misinformation on the coronavirus might be the most contagious thing about it Adam Kucharski

*02:The rise of fake news could be making disease outbreaks worse – according to new research from the University of East Anglia (UEA).

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

自然と対話する能力

 人間がつくり出した表象のための人工物は、もともと存在していた自然物とは違って、外界、すなわち人間を含む他のものに与える効果である“機能”をもっていました。その“機能”には、人工物をつくりだした者が仲間の〈理解〉を操作 する“意図”が込められていたのです。洞窟内に描かれた動物壁画のように、現実の世界の中で見たものをそのまま写し取り、岩肌という自然物に手を加えることによって生み出された人工物は、具象であるゆえにストレートにその〈意味〉の〈理解〉を仲間に伝達するものでした。原初の人型の土偶などもその例といっていいでしょう。 
 ところが人工物は、自然物から切り離された途端、人工物として独自の影響力を周囲へ与え始めます。それは具象物を再現した時とはまた異なる反応を周囲の仲間たちから引き出すことになったのです。そこには人工物をつくりだした者が意図しなかった〈理解〉の〈操作〉が生まれていました。
 どのような人工物が、どのような反応を生むか。それは人工物をつくりだした者にとっても興味深いことで、様々な試行錯誤が繰り返し行われ、リアクションとの関係性がシュミレーションされたにちがいありません。そのプロセスの総体が、タイムウィンドウとして、人工物をつくりだした者の脳内に蓄積され、考える「自己」意識を育んでいったのです。そして現代の“画家”がそうであるように、こうした人工物をつくりだせる者は少数の人間に限られていました。彼らは仲間たちから驚きの念をもって迎えられたに違いありません。驚きから畏怖へ、そして崇拝へと変わっていったことは容易に考えられます。動物たちの中では“戦いに強い”ものが群れのリーダーになりますが、それとは別の能力、現実世界を写し取り、再現できる能力-それは自然との対話といっていいかもしれません―それに長けた者が、いわゆるシャーマニズム的リーダーとなっていったのです。そしてそれはまた権力と宗教の始まりの在り方を示すものでもあったのです。
 新しい能力を持ってリーダーとなった彼らは、自然物(環境)の意味を実体化する術に長けていた者たちだった、といってもいいかもしれません。一方で、彼らは、あくまで自然に存在するものを直接写し取る行為を通してのみ他者に働きかけたのであり、自然物の中にもともと存在していたものを自らを介して人工物として外化する能力に長けていた人々だった、ということもいえるのです。他方、対人間の〈理解〉の〈操作〉に長けた人々もいました。

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

〈理解〉を操作する行為の始まり

 知覚したイメージを記憶に保ち、再び心のうちに表れた作用を表象といいます。人間が最初に人工物をつくりだした時、その人工物はまさに表象のための人工物であり、心に再現したイメージに〈かたち〉を与えたものに他なりませんでした。心の中につくられたイメージを繰り返し再現することは、そのイメージに込められた〈意味〉〈理解〉することでもあります。その〈意味〉に〈かたち〉を与え、どう〈理解〉できるかをシュミレーションすることで考える「自己」意識が生まれてきたのです。人々はこの「表象のための人工物」をつくり続けていくうちに、考える「自己」意識もまた育て、発展させてきたのです。
 古代を表象のための人工物の時代とした吉川さん*01は、古代においては権力と関係付けられた表象に、人間の作る能力が集中していた、といいます。当時の先端技術は権力や宗教と結びつき、表象に向けられてた、というのです。たしかに後に六大文明と呼ばれるような古代メソポタミアや古代エジプト文明、黄河や長江流域に発展した古代中国などの諸文明においてその傾向は顕著であった、といっていいでしょう。しかしながら人工物をつくりだす発端は、人間が心の中に再現したイメージ、環境の中で遭遇し、理解した〈意味〉を、仲間につたえ、共有するために〈かたち〉を与える行為から始まったものでした。
 古代の洞窟の壁面に描き出された「絵」は、その多くの場合、そこに描かれた線のタッチから同じ人物が一時に描き上げたものであろうといわれています。脳内のイメージを誰でもが簡単に壁面にトレースできたわけではないのです。洞窟壁画は現在の画家のようにそうしたことのできる少数の人間が、脳内のイメージの実体化(脳内のヴィジュアルイメージを洞窟の壁面に投影しトレースすること)を可能にしたものだったのです。
 動物から採られた獣脂を使った松明の揺らめく炎に照らし出された洞窟の壁面に、古代の“画家”が描き出した、今にも動き出しそうな動物たち。もちろんその傍らでその作業を見守っていた人たちも、洞窟の外で体験した同じイメージを彼らの脳内に蓄積していて、壁面に描き出された途端、それが何であるかを彼らも分かったのです。そして暗闇の中に突然自分たちのよく知る動物たちを出現させた人物を、驚きの念をもって迎えたに違いありません。“画家”は神のような存在として讃えられたのかもしれません。そしてそれは一種のシャーマニズム的リーダーの誕生を意味していたのかもしれないのです。
 自らが〈理解〉したことがらに〈かたち〉を与え、仲間にも〈理解〉させる。それは仲間に向かって発せられた〈かたち〉を使って、自らの意図する方向へ仲間の〈理解〉を導くことでもありました。つまり人工物は仲間の〈理解〉を操作する行為の始まりを示すものでもあったのです


Illustration of Humpty Dumpty from Through the Looking Glass, by John Tenniel, 1871. Source:http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Humpty_Dumpty_Tenniel.jpg

「その言葉は、僕がその言葉のために選んだ意味を持つようになるんだよ。僕が選んだものとぴったり、同じ意味にね」ハンプティ・ダンプティ
不思議の国のアリス/ルイス・キャロルより

*01:人工物観/吉川弘之/「横幹」第1巻第2号 2007.10 横断型基幹科学技術研究団体連合

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )