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あらゆる様式を噛みつぶした建築

 ガウディの形態的な異様さ、そのイメージの根源について、シュルレアリスムとつなげて解釈することの可能性についてふれたのは磯崎新さんでしたが、ガウディと同じスペインのカタルーニャ出身で、シュルレアリスムの代表的な作家として知られるサルバドール・ダリ(1904-1989)もまた、いち早くガウディの建築とシュルレアリスムの関係性を看破したひとりでした。
 
彼は、1933年パリで刊行されたシュルレアリスムの雑誌「ミノトール」に「モダン・スタイルの建築の恐ろしく可食的な美について」*01という一文を発表しています。そこでダリは、ガウディの設計した家や教会は、「あらゆる様式を噛みつぶしたように超造形的」であり、その装飾は「凝結された欲望」であり、「原餓ともいうべきものを感じさせる食欲的な様式」であると述べています。
 
このようなダリの「モダン・スタイル建築(すなわちガウディの建築)の情熱的な讃美論」について、美術評論家で詩人、画家の瀧口修造(1903-1979)は、ガウディのこの異端的な建築様式が「ダリの造形美学にぴったり合致した」*02と指摘しています。さらにダリは彫刻を「具象的非合理性或いは想像的な世界の手づくりの鋳型(ムライジュ)」と定義していて、モダン・スタイルの「可食的建築」は、まさしくダリの彫刻観を具現したものだった、というのです。

01 DE LA BEAUTÉ TERRIFIANTE ET COMESTIBLE DE
L'ARCHITECTURE MODERN STYLE/Salvador_Dalí/Minotaure Paris, 1933.
02:ダリ/瀧口修造/西洋美術文庫 第二十四巻 アトリエ社 1939.01.1


Salvador_Dalí_1939Library of Congress, Prints and Photographs Division, Van Vechten Collection

 

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読み解く「夢」のつづき

 環境世界の中にある「意味ある出来事」を自分以外の他者へ伝達する能力を獲得することによって文明化への道を歩み始めた人類は、当初は共通の環境基盤の中で「理解」する存在であったスピリットとしての「カミ」を、「神話」として「言語化」し、「表現できる」ものに組み換えることによって国家や文明といった広域的な社会を支える、共通の精神基盤を構築していきました。しかしそのプロセスを通じても「神話」に吸収されずに取り残される「表現できない」ものが存在したのです。
 
それらを人々は、言語(文字)化の進展の中で人々の「意識」の上から拭い去ってしまいます。人々は無意識の領域へとそれらを追いやって、追いやったこと自体を忘れてしまったのです。特に古代ギリシア文明の流れを汲む西欧世界はそれが顕著でした。さらには一神教の絶対神の登場がそれに拍車をかけたといってもいいでしょう。
 
この世を構成するすべてのものを数的に、論理的に解き明かし、環境の中の「意味ある出来事」をすべて表現し尽くそうとした人々は、一神教の神のもとで、ある意味曇りひとつない、完璧な世界像をつくりあげていったのです。しかしそれはひとつの閉じた世界であり、その世界の中だけで通用した完璧性でもありました。
 
ニーチェが「神は死んだ」と宣言して以降、人々は「神」という人々の共通基盤を支えた普遍性を失います。人々は残された「表現できるところ」ですべての事柄をカバーしようと奔走し、その結果たどりついたのが理性万能主義でしたが、しかし同時に「神」の存在によって覆い隠されていた「表現できない」ものの扱いが無視できないものとなっていったのです。このような状況の中では、フロイトの「無意識」や「夢」の発見は、ある意味必然の流れだったといえるのかもしれません。
 
このようにして再び「表現できない」で取り残されてきたものの存在に気付いた人々は、あらためてそれらを解き明かし、「表現」しようと試み始めました。まずは「夢」のつづきから。
 
フランス文学者の巖谷國士さん*01によれば、シュルレアリスムは単なる詩や芸術の方法などにとどまらず、むしろ「人生の要請、倫理的な性質の問いかけにこたえ、集団の《場所と公式》(ランボーの言葉*02)を確立することこそが、その役割だった」といいます。彼らは「たえず探索の旅をつづけながら、人生を《暗号のように》読み解くことを目ざしていた」のです。

01:後記/巖谷國士/シュルレアリスム宣言 溶ける魚 アンドレ・ブルトン 學藝書林 1974.04.25
02:イリュミナシオンより「放浪者たち」(1874)/アルチュール・ランボー
夜を眠らせてくれない「惨めな兄」に対し、太陽の子である原初の状態を取り戻させるために、洞窟の酒と街道のビスケットを糧にさまよい、場所と呪文(公式)を探し続けるという内容の詩。


Les Illuminations de Rimbaud

 

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神話という「言語化」

 環境の中の「意味ある出来事」をすべて表現し尽そうという人間の願望。しかしその努力を人々がすればするほど、「表現できない」ものたちの多さもまた同時に明らかになっていったのです。
 
もともと環境の中の「意味ある出来事」は、ヴィジュアル的な情報だけではなく、様々な関係・対応・経験の蓄積の総体としての「まとまり」として人々に記憶されていったものでしたから、原始の人たちは、それがたとえ言語(文字)によって「表現できない」ものであっても、人々は共通の環境基盤の中で「理解」しあっていました。そして彼らはその言語(文字)によっては「表現」しがたいけれども「理解」はしてきたものを、スピリットというひとつの「まとまり」として意識し、「表現」してきたのです。
 
スピリットは、もともとはこのような身近の様々な自然現象と結びついた具体的なイメージをもった精霊的な存在*01でしたが、それらは、私たちに押し寄せる現実世界の側にあって、いわば人間の能力の対岸にあるものとして、いまわれわれが捉えているような「カミ」という概念に近い存在としてあったのです。
 ところが「言語化」のプロセスは、コミュニケーションの伝達範囲を拡大し、もともと人々が共有する環境世界の中に存在していたはずの「意味ある出来事」を、その前提となる環境世界から切り離してしまいます。その過程で、スピリットとしての「カミ」もまた、共通の「言語」をもつ地域、民族の中で、「神話」として「言語(文字)化」されていったのです。
 
評論家の川添登さんによれば、ほとんどが面対面コミュニケーションによって成り立っていた原始・未開の社会から、国家とか文明とかとよばれるような広域的な社会が形成されてくると、共同体をこえた、より大きな社会に共有される精神世界の構築が求められるようになった*02といいます。それが「神話」の誕生だったのですが、こうした神話世界の構築こそが国家や文明を成立させるための前提となった、というのです。


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ギリシアの哲学者プラトン(
BC427347)は、その著書「ティマイオス」*03の中で、「アニマ・ムンディ《宇宙(世界)の魂》」という概念を紹介しています。それは「数理や調和の一面を具えており、およそ理性の対象となり常にあるところのもののうちでも最もすぐれたもの」であり、「宇宙は自らのうちに、生きとし生けるものの全種族を含む」ものだ、というのです。

01:シュルレアリスムと〈手〉/松田和子/水声社 2006.12.15
02:「木の文明」の成立(上)―精神と物質をつなぐもの/川添登出典:日本放送出版協会 1990.11.30
03:「ティマイオス」プラトン/種山恭子訳 プラトン全集12 岩波書店 1975.09.13

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夢のつづき

 環境世界の中で体験する「意味ある出来事」を、人間同士で共有化するために言語(文字)が生み出されてきました。しかしそれは言語(文字)で「表現できるところ」と「表現できないところ」の二極化を生み出します。
 
三万年前、松明の炎に照らし出された洞窟の壁面に、自分たちの熟知する動物たちの動き回る姿をリアルに描き出した古代の“画家”たち。その傍らでその所業を見守っていた人々は、暗闇の中に出現する「動物たち」に驚きを隠せなかったに違いありません。その“画家”たちのイメージの伝達力は驚異的なものでした。“彼”はまさに神のような存在と崇められたのではないでしょうか。それが古代人類の中にシャーマニズム的リーダーが誕生したきっかけだったのかもしれません。


暗闇の中に突然出現した動物たちは他者と共有できる初めての実体化したイメージでした。
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人々が共通して所有する「意味ある出来事」を再現し、他者へ伝えることは、それほどインパクトの強いものでした。最初のそれは「夢」に近いものだった、といえるでしょう。脳内に残るヴィジュアル・イメージ=「夢」の実体化、共有化から人々のコミュニケーションは始まったのです。人間はそこからそれらを簡略化・抽象化した「記号」をつくりだし、「意味ある出来事」を人々に伝達する「言語化」のプロセスに没頭していきます。古代エジプトにおいて文字を扱うのは神官の役割だったように、いずれの文明においてもそれはもっとも重要なものとなっていったのです。
 
特にこの言語化のプロセスに極端にのめり込んでいったのが古代ギリシアだった、といえるでしょう。ピュタゴラスは「宇宙には秩序があり、この秩序は数でできている」と宣言し、この世を構成するすべてのものを数的に、論理的に解き明かすという人類の願望-すなわち「意味ある出来事」をすべて「表現」し尽くそうという人類の願望をスタートさせたのです。それをプラトンやエウクレイデスウィトルウィウスらが発展させていきました。
 脳内に残る強烈なヴィジュアル・イメージ=「夢」の実体化・共有化からスタートした、原初の「意味ある出来事」の他者への伝達・共有化のプロセスは、そのイメージの記号化、抽象化を通じて、飛躍的に発展していきました。人々は「夢」のつづきをこのようなプロセスで「表現できる」ものへと変換していったのです。

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