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“建築”の再可視化へ向けて 03-新たな知覚の獲得

 斬新なメディア論の展開でメディア研究をリードしたマーシャル・マクルーハンさん(1911-1980)のあとを継ぎ、1983年から2008年までトロント大学のマクルーハン・プログラムのディレクターを務めたベルギー出身のデリック・ドゥ・ケルコフさんは「テクノロジーとコミュニケーションの発展が速度を増すにつれ、相対的に私たちは速度をゆるめることが可能になり、そこに真の静けさを見つけることになる」01と述べます。ポール・ヴィリリオさんが「昏睡状態」と捉えた同じ状況の帰結を、ケルコフさんは、自己認識を中心とした新たな意識改革の契機とみるのです。 
 ケルコフさんは、私たちは「これまでの一次元的な『視点(ポイント・オブ・ビュー)』を手離し、代わりに新たな知覚であるところの『在点(ポイント・オブ・ビーイング)』を獲得する必要がある」と主張します。それは「遠近法(パースペクティヴ)」の成立から始まった、人類の環境世界の抽象化の流れが、ヴァーチャル・リアリティへ向けてのテクノロジーの偏った発展により、ついには人々を「植物状態」にまで追い込むに至った状況の中で、「どこか特定の場所にたしかに存在しているという身体感覚」を足掛かりに、「在点(ポイント・オブ・ビーイング)」という「私たちの居場所を物理的に照会するための唯一のポイント」を獲得することの重要性を提起しているのです。
 この「在点」という発想を持っていれば、「急速にテクノロジーで拡大した私たちの感覚が世界を動き回っても、自らを見失わずにすむ」01のであり、ヴィリリオさんが危惧する「昏睡状態」にも陥らずに済むでしょう。そしてこの「在点」の獲得において「建築」は重要な役割を果たすことになります。なぜなら「在点」は、「建築」がその重要な構成要素である環境世界(リアル)においてこそまさに確立されるものであるからです。

再可視化で見えてくるもの
 “見えない”技術である建築は、ワイザーさんの環境世界との対話を即すテクノロジーなどとの融合により、別の様態を持って私たちの前に姿を現すことが可能となるでしょう。再び可視化された建築が示すもの。それは人間社会や環境に対する柔軟さと優しさに満ちたまなざしであり,文化や歴史など土地の記憶に対する配慮でしょうか。相対的に速度をゆるめた私たちの眼の前には,20世紀の速度と力に席巻された技術やデザインの影に隠れて見過ごされてきた様々なものが再び現れてくるにちがいありません。それはヴァーチャル化の流れの中にあっても環境世界(リアル)に確固たるアイデンティティを与え、さらには視覚だけに捉われない、新たな知覚としての「在点(ポイント・オブ・ビーイング)」を伴う場となるはずです。


The Point of Being2014/8/1
Derrick De Kerckhove (編集), Cristina Miranda De Almeida (編集)
Cambridge Scholars Pub

 仮想世界の技術が急速に発達し、技術の発達に偏った渦が生じている現在、このアンバランスな状態を解消し、人間の精神と身体に生じている様々な“混乱”を収めるうえで、いま、建築という“見えない”技術を可視化し、環境世界(リアル)をリアルたらしめる“技術”としての再評価と、新たな知覚であるところの「在点(ポイント・オブ・ビーイング)」の獲得の場としての活用が求められているのです。

01ポストメディア論―結合知に向けて/デリック・ドゥ・ケルコフ/NTT出版 1999.07.05 片岡みい子、中澤豊訳

 

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“建築”の再可視化へ向けて 02-生きている家

 2000年代初頭、情報通信をあらゆる場所で気軽に使いこなすことができる「リアルタイムのインターフェイス」によって、まさに「全てのものが居住者のもとに飛び込んでくる」01状況について考察したポール・ヴィリリオさんは、自分の家のあらゆるものをコントロールできる「動力」を身にまとった居住者が、「自分の家を『運転』する技術装置の真ん中に座るインタラクティブな場」(=ドモテック住宅安全管理システム)に住む住人を想定します。しかしそれは、伝統的な建物の「居住に適した環境」などではなく、「居住に適した昏睡状態」01-すなわちリアルとヴァーチャルの境が判然としない世界の住人となる、というのです。 

環境世界との対話を即すテクノロジー
 一方、人とコンピュータをめぐる最新テクノロジーのなかで「ヴァーチャル・リアリティ」と正反対に位置する概念が、ゼロックス社PARC(パロアルト研究所)の主任研究者であったマーク・ワイザーさん(1952-1999)が提唱したユービキタス(ubiquitous)でしょうか。
 ワイザーさんが1991年にScientific American誌に発表した論文『The Computer for the 21th Century』と、とりわけその冒頭の文章は、その後の情報通信技術の発達の方向性を決定づけただけでなく、今日の情報社会の在り様の根底を示唆し続けている言葉でもあります。

『The most profound technologies are those that disappear. They weave themselves into the fabric of everyday life until they are indistinguishable from it. 』02
『最も奥の深いテクノロジーは眼に見えなくなる。日常生活のひだに紛れ込んで見分けがつかなくなる』

 ワイザーさんは「ヴァーチャル・リアリティは世界をシミュレートする膨大な装置の開発に焦点を合わせており,『すでに存在する世界をより豊かなものにする』というテーマには関心が払われていない」02と指摘します。
 彼は「最も完全な技術」とは,人類最初の情報技術と考えられる『書く』という行為や、産業革命で登場したモーターなどのように、「表面に出てこない技術」であり、「日常生活という織物の中に完全に織り込まれてしまっていて,個々の技術自体が私たちの目に見えなくなっているもの」02だ、としました。そして、かつてのモーターが目の前から隠れてしまったように,コンピュータが背後に完全に隠されてしまう近未来を予想し、それを実現させるために「どこにでもあるコンピュータ」(ubiquitous Computing)構想を提唱したのです。
 人間を取り巻く環境の中に、超小型のコンピュータ通信ネットワークを無数に埋め込み人間と相互作用させる、というその発想は、閉じた世界にすべてを実現しようとするヴァーチャル・リアリティの概念とは対極にある、私たちと、私たちが住み込む環境世界そのものとの“対話”を即すテクノロジーの提案でもあったのです。
 そしてそれを居住空間に展開したものが“生きている家”=スマート・ハウスでした。

生きている家
 住む人の状態を見守りながら温度や湿度、灯りなどを最適に調整し、時に人と対話しながら様々な要求に応えていく“生きている家”=スマート・ハウスの発想は、1960年代の科学雑誌の中にはもうすでに登場している03といいます。それをワイザーさん04が「(ICチップの)超個体-すなわち相互接続された多数の部分からなるネットワーク-としてのオフィス」という考え方(スマート・オフィス/スマート・ハウス)として再提案したのです。
 この「(本やビデオテープなどという家中の)すべての情報に安価なチップを組み込んで、その所在と内容について交信できるようにする」03という発想は、超小型で安価なICタグの登場と高速大容量通信ネットワークの普及、そしてAR(仮想現実)や3Dなどのインターフェイスの開発により、IoT(Internet of Things)などとも呼ばれながら、いま実用化の段階に入ろうとしているのです。
 人型のロボット(アンドロイド)を研究する石黒浩さんがいうように、アンドロイドがヴァーチャルに具体的な身体(リアル)を与えることによって、ヴァーチャルとリアルの“間”をつなぐ技術であるとするならば、環境世界との対話を即すこの“生きている家”は、まさに環境世界を“実在(リアル)”として再び注目させる技術といってもいいでしょう。

“見えない”技術
 人類最古の“技術”として登場した建築は、ワイザーさんのいう「最も完全な技術」の1つでもあります。建築はすでに、私たちの眼の前からその“技術”としての痕跡を消し去り、私たちを取り巻く環境そのものとなっているのです。
 この技術の“消滅”は、ワイザーさんも指摘02するように,技術的発展の帰結ではなく,人間の心理的な帰結によるものです。すなわち人間は、あることを十分に理解すると,そのものをそれ以上意識しなくなるのです。記憶の奥底にしまい込み、「知っているつもり(FOK :Feeling-of-knowing)」という符牒のみが記憶の表面に残される状態となるのです。
 しかし建築は、私たちが住み込む環境世界の中でも重要な構成要素の1つです。そして進展するクラウドの世界においても、その環境世界が“ヴァーチャル”な世界を対照する“リアル”な世界として常に存在しつづけるとするならば、建築も、“リアル”な世界を構成するうえで重要な役割をはたしていかなければならないでしょう。それは“リアルをリアルたらしめる”技術としての役割です。しかしその役割を担うべき“建築”という技術は、いまは“見えない”技術でもあるのです。


01瞬間の君臨-リアルタイム世界の構造と人間社会の行方/ポール・ヴィリリオ/新評論 2003.06.20 土屋進 訳
02:“The Computer for the 21st Century.”Scientific American, September 1991./21世紀のコンピューター/M・ワイザー/浅野正一郎訳 日経サイエンス 1991.11 日経サイエンス社
03複雑系を超えて―システムを永久進化させる9つの法則/ケヴィン・ケリー/アスキー出版 1999.02.10 服部桂監修 福岡洋一・横山亮訳
04:ワイザーさんと彼の所属したゼロックス社PARC(パロアルト研究所)の提案。03参照

 

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“建築”の再可視化へ向けて 01-現代住居の昏睡状態

 建築とは、雨風をしのぐためのシェルターとして、人類が獲得した最古の“技術”のひとつです。そして建築は、人間が環境世界へ住み込むうえで、重要な構成要素を成しています。


人類最古の“技術”

 建築という“技術”は、文明の発展とともに堅牢な物理的存在として構築され、その不変性が永く“存在”の基準とされてきました。しかしその存在の基準が、古代ギリシア人が考えた「物理的に不変かどうか」から、近代哲学が主張した「認識が可能かどうか」へと移り変わる01とともに、“建築”の位置づけも変化してきたのです。
 フランスの先史学者で社会文化人類学者のアンドレ・ルロワ=グーランさん(1911-1986)は、「建築は、人間が世界を認識するための道具だ」02とし、モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジェ(1885-1965)は「建築は秩序づけることだ」03としました。そしていま、イタリアの哲学者のルチアーノ・フロリディさんがいうように、存在の基準が「相互作用の可能性があるかどうか」01に変わる時、“建築”は、リアルの変容と同じく、ヴァーチャル化の渦の中へと飲みこまれていくのでしょうか。
 こうした状況が行き着く先は、フランスの都市計画家で思想家のポール・ヴィリリオさん(1932-2018)がいう「ドモテック(住宅安全管理システム)」04でしょうか。

現代住居の昏睡状態
 ドモテックの稼働により居住者は、情報通信をあらゆる場所で気軽に使いこなすことができる「リアルタイムのインターフェイス」によって、まさに「全てのものが居住者のもとに飛び込んでくる」04状況に身をおくことになります。そして自分の家のあらゆるものをコントロールできる「動力」を身にまとった居住者は、「自分の家を『運転』する技術装置の真ん中に座るインタラクティブな場」の住人となるのです。
 このように、居住に必要なすべてのものをコントロールし、居ながらにして世界中のあらゆるものを引き寄せるドモテックは、しかし、伝統的な建物の「居住に適した環境」などではなく、「居住に適した昏睡状態」04の場となる、とヴィリリオさんは警鐘します。なぜならドモテックは、「普段さまざまな機能を分離している距離と時間のズレをなくしてしまう」からだ、というのです。
 「ズレがなくなることによって、空間そのものや、それまで空間利用のリアリティを形作っていたものが消滅してしまい、もはや人は、これまでの構造化された空間に特別な意味を与えなくなる。」04なぜなら、遠隔操作は、「事物間の距離や隔たりを仮想化」し、その結果、時間と空間の方向喪失、そして現実環境の急激な解体によって、方向基準を失った人間は、かつての、何がしかの『地平線』という古典的な参照基軸を、自分自身という参照基軸に置き換える。これによりわれわれは、(内向的な)自己中心的な空間のコントロールに向かい、もはやかつてのように(外向的な)外部中心的な空間の整備に向かうことはない。こうして起こる現代住居の昏睡状態(コーマ)は、まさに『植物状態』に達している、とヴィリリオさんは指摘するのです。

リアルとヴァーチャルの境が判然としない世界の住人
 ドモテックは、まさに「ヴァーチャル・リアリティ(仮想現実感)」の概念を居住装置にまで展開したものといっていいでしょう。「ヴァーチャル・リアリティ」とは1つの世界をコンピューターの内部ですべて実現しようとするものです。そして心を持つロボットはつくれる、と断言する慶應義塾大学の前野隆司さん05の主張にしたがえば、同じく1つの脳内のニューラル・ネットワーク(小びと)の中に、すべての世界を実現しようとすることでもあるのです。このような自己中心的な世界に閉じこもるドモテックの居住者は、リアルとヴァーチャルの境が判然としない世界の住人となるのです。

01第四の革命―情報圏(インフォスフィア)が現実をつくりかえる/ルチアーノ・フロリディ/春木良且・犬束淳史監訳 先端社会科学技術研究所訳 2017.4.10 新曜社
02:身振りと言葉/アンドレ・ルロワ=グーラン/新潮社 荒木亨訳 1973.07.30
03建築をめざして/ル・コルビュジェ/SD選書021 鹿島出版会 吉阪隆正訳 1967.12.05
04瞬間の君臨-リアルタイム世界の構造と人間社会の行方/ポール・ヴィリリオ/新評論 2003.06.20 土屋進 訳
05脳はなぜ『心』を作ったのか―『私』の謎を解く受動意識仮説/前野隆司/筑摩書房 2004.11.15

 

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リアルの変容12-リアルをリアルたらしめる技術

 クラウドや最新のAR( Augmented Reality 拡張現実)、3D(three dimensions)技術など、“情報有機体”へ近づく技術革新には目覚ましいものがあります。しかしこの技術の発展にはアンバランスがあり、人々のコミュニケーションから肉体を不要にしようとしている、といいます。それは自己の“肉体”を足掛かりにしてきたリアルの在り方そのものも大きく変えようとしているのです。


ASIMO01はアンバランス解消の切り札になるのでしょうか。

 存在の基準が「物理的に不変かどうか」から「認識可能かどうか」や「相互作用が可能かどうか」に変わったころ02から、リアルは変容を始めたといっていいでしょう。認識可能性の重視はコミュニケーションの効率性の偏重を招き、世界の究極的な実在を“情報”とするパラダイム・シフトを引き起こしました。そして相互作用の可能性の重視は、人間の拡張、魂の拡張としてのクラウドの世界の招来によって、ヴァーチャルとの区別がつかない状況を生み出しつつあるのです。

心そのものがヴァーチャルワールド
 心を持つロボットはつくれる、と断言する慶應義塾大学の前野隆司さんは、「人間の意識も、意識活動にともなうクオリアも、実は脳による計算、言ってしまえば幻想なわけで、そこに実在はない」03といいます。そして実は人間の心そのものが「巧みで繊細で美しいヴァーチャルワールド」なのであり、人工のヴァーチャルリアリティとの違いは、リセットできない(今のところは)ことだけだ、と主張します。
 しかしこの主張には、前野さん自身も言うように、「自分とは、外部環境と連続な、自他不可分な存在」03であるという前提があり、具体的な身体を持って環境世界へと住み込み、その世界で相互作用を図ることこそが、心を獲得することの前提となっているのです。
 もちろんラマチャンドランさんの研究04が示すように、容易に自分の身体イメージを書き換えてしまうという脳の特性を利用すれば、こうした外部世界そのものをヴァーチャルなものに置き換えることも可能かもしれません。たとえば“リアル”から“リアル”への転身をテーマにした「アバター」自体が3Dを駆使した「映画」の世界(ヴァーチャル)であったのと同じように。
 リアルとヴァーチャルの関係は、自分の立ち位置によって幾重にもヴァーチャルとリアルが入れ代わる複雑な入れ子構造を成しているといっていいでしょう。その入れ子の究極的な姿が、このような、私たちが住み込む環境世界そのものを人工のものに移し変えること、なのでしょう。しかしそれはまさに宇宙全体をつくりだすことに他ならないのかもしれないのです。

宇宙はコンピュータのプログラムなどではないのかもしれない
 多くの物理学者は、考えうる最小の極微の世界05では、時空はもはや滑らかではなく、粒々の「泡」だらけになるといいます。その微小の泡ひとつひとつに1ビットの情報が含まれていて、世界はぶつぶつのデジタルの世界06だ、というのです。
 これが“世界は情報から成り立っている”ということの重要な論拠のひとつになっているのですが、最新のM理論07によると、この時空が泡だらけになる「最小の距離」は時空の終着点ではなく、それよりはるかに小さな距離の世界でもデジタル化されない滑らかな、連続的な構造をもつ場の理論が通用する08といいます。すなわち宇宙は、ぶつぶつのデジタルの世界で終わりではないのかもしれないのです。
 連続した構造をもつ場の理論からデジタルな構造へ、そして再度滑らかな連続性へ。物理学におけるこうした概念の変遷は、実は従前の概念があらたな理論展開を受けて、はるかに高いレベルの概念として再復活する、ということでもあるのです。
  “情報へ”という大きな流れの中で、宇宙のさらなる本質はデジタルではないのかもしれない、というこうしたあらたな理論展開は、“強いAI”批判を展開し、統語論と意味論の立場から「いかなるプログラムも、それだけではシステムに心を与えるのは不十分である」09としたサールさんの主張とは別次元の論拠として、「宇宙はコンピュータのプログラムなどではないのかもしれない」08といえるのかもしれないのです。

リアルをリアルたらしめる技術
 環境世界をつくり込むことは、宇宙をつくり込むことである、とするならば、そして、その宇宙はプログラムなどではない、とするならば、ヴァーチャル技術がいかに進展しても、環境世界そのものを、ヴァーチャルで置き換えることは困難なのかもしれません。
 もしそうだとするならば、ネット上のヴァーチャルな世界に、現実(リアル)の世界が飲み込まれるかのようなクラウドの世界においても、環境世界そのものは、その“ヴァーチャル”な世界を対照する“リアル”な世界として常に存在し続けることでしょう。
 いまヴァーチャルとリアルが複雑に交錯し、私たちの精神のみならず、身体をも巻き込んで、私たちを“混乱”に陥れているのは、工学者の石黒浩さん10が言うように、ヴァーチャルをリアルへ限りなく近づける“技術”が、あまりにも突出して発達し過ぎているためなのでしょうか。この混乱を収めるために石黒さんが提案するアンドロイドは、ヴァーチャルな世界にリアルな身体を与えることによって、リアルとヴァーチャルの“間”をつなごうとする“技術”と言ってもいいでしょう。
 そしていま、リアルをリアルたらしめるもうひとつの“技術”にも注目する必要があるのではないでしょうか。

01:本田技研工業(ホンダ)は2019年にアメリカ・ラスベガスで開催された「CES 2019」において、ASIMOに続く、人と共存することを目的としたあらたなロボット「Honda P.A.T.H Bot(パスボット)」を発表しています。それは同社のロボティックスプラットフォーム構想「3EEmpower人の可能性を拡大する/Experience人と共に成長する/Empathy人と共感する)」にもとづいた一連のコンセプトモデルのひとつですが、そこにはASIMOのような人型のものは含まれていません。ASIMOの開発で培われた様々な技術を発展させ、実用化に繋げることで「ロボティクスデバイスが人と共存・協調し、人の可能性を拡大していく社会」を目指すとしていますが、そのためには人型にこだわらない、ということなのでしょうか。
02人類をリセット―クラウド革命/ルチアーノ・フロリディ/ニューズウィーク日本版 2009.10.28
03脳はなぜ『心』を作ったのか―『私』の謎を解く受動意識仮説/前野隆司/筑摩書房 2004.11.15
04脳の中の幽霊/V.S.ラマチャンドラン/角川書店 1999.08
05プランク長さ(10の-33cm)が、この世界で取りうる最小の長さといわれています。
06こうした考えに従えば全宇宙の情報の量は、10100乗ビット以上という途方もない数字になります。この単位をグーゴルgoogolといい、グーグルgoogleの名はこれをもじったものです。
07 Mは「membrane(膜)」の意味。「matrix(基盤)」「mystery(謎)」「magic(魔法)」「mother(母)」の意味にもとれます。超ひも理論とM理論は本質的に同じですが、M理論のほうがより高度な概念で、さまざまな超ひも理論をひとつにまとめています。現時点では、M理論だけが、現代物理学が直面している最大の課題、一般相対性理論と量子論をひとつにまとめ「万物理論」にする可能性を持っているといわれています。
08パラレルワールド-11次元の宇宙から超空間へ/ミチオ・カク/日本放送出版会 2006.01.25 斉藤 隆央訳
09ロボットの心―7つの哲学物語/柴田正良/講談社 2001.12.20
10人とロボットの秘密/堀田純司/講談社 2008.07.03

 

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リアルの変容11-リアルからリアルへの転身

 ネット上の用語でアバター(分身)とは、web上のヴァーチャルコミュニティ(メタバース01など)の中で、参加者自身の「分身となるキャラクター」をさす言葉で、ネットゲームやモバゲータウンなどのSNS上で、積極的に用いられています。アニメ的なキャラクターの外見を自分好みに選択・デザインする“着せ替え人形”によって、変身願望と匿名性を満たすとともに、現実(リアル)の世界から仮想現実(ヴァーチャル)の世界へと自身を転身させる手段でもあったのです。
 一方、ジェームズ・キャメロンさんが創造した世界では、主人公が現実世界から転身するアバターは、生身の“身体”を持つ存在(もちろん映画の中ではフルCGで表現されてはいますが)として描かれています。ウォシャウスキー兄弟の映画「マトリックス」(1999年公開のアメリカ映画)においては、リアルからヴァーチャルへの転身がめくるめくシミュラークルの世界02として展開されましたが、「アバター」では転身の対象がリアルからリアルへと切り替わり、その“リアル”さが最新の3D映像によって臨場感鮮やかにわれわれに伝えられたのです。


meet-me03の中のアバター

 作家で編集者の堀田純司さんは、アメリカの神経科学者、V・S・ラマチャンドランさんの研究04を引き合いに出し、人間同様にふるまう機械ができ、人間がそのセンサーの情報をリアルタイムに獲得しながら機械を操作するようになると、思ったより簡単に、自分の身体イメージは拡張され、そのボディを自分の体であると感じるのではないか05と述べています。人間の脳は、ゴムの手であったり、机であったりしても、案外簡単に自分の身体イメージを書き換えてしまい、自分の体だと感じてしまうというのです。「アバター」における“リアル”への転身は、そのような意味で人間の脳の特性を生かしたリアリティのある設定でもあるのです。

思考には身体が必要である
 ウィーラーさんやチャーマーズさんのように世界の究極的な実在を“情報”とするパラダイム・シフトが広がるなか、存在の基準が相互作用の可能性の有無によって論じられようとするとき06、ともすれば私たちはヴァーチャルな存在ばかりに気を取られ、生身の“身体”の重要性を忘れがちになります。人間の拡張、魂の拡張とまでいわれるクラウドの世界07は、あたかもネット上のヴァーチャルな世界に、現実(リアル)の世界が飲み込まれるかのようでもあります。それが行きつく先は、まさに人間がコンピュータのプログラム(情報)の中に住み込むという「マトリックス」の世界なのかもしれません。
 しかしAI(artificial intelligence)研究の中で生じた「強いAI批判08や「フレーム問題09などの高いハードルの中で、実はプログラム(=デジタル/情報)は「《考える》ということの錯覚を周囲に生み出す力があるだけ」10であり、真に“思考”するためには可動性と、正確な視覚と、動的な環境世界のなかで生存に関連する作業をやってのける能力をもった“身体”が必要であること。具体的な身体を持って環境世界に住み込むことによってはじめて、周囲の世界から“意味”を引き出してくることが可能なのだということが示されたのです。そしてまた、環境世界に住み込む人工知能(AI)をもつアンドロイド(体を持った知能ロボット)が、現実の状況の中で自身の直面する事態の意味を理解し、それに対処するためのフレーム問題をクリアするためには、「判断することなき合理的考慮10すなわち“感情”が必要1011になるのだということもわかってきました。高度な人工知能を持つアンドロイドが人間の“感情”を理解できずに悩むというアニメやSFによくでてくる話は、実は“感情”をあらかじめ持たないで「フレーム問題」を解決し、現実世界の中に住み込むことのできる人工知能は成立しない、というAIの必須条件を無視した寓話にすぎないのです。

アンバランスな開放
 リアルな世界(現実の環境世界)で、リアルな意味(真の“思考”)を持ち得るためには、リアルな身体(生身の身体)とリアルな感情(直截的な考慮)が必要になるのだということ。こうした“リアル”の重要性を再認識したAI研究の成果の一方で、世界はヴァーチャル化の度合いを深めています。大阪大学の石黒浩さんはこうした状況を「人間は肉体を開放するのが早すぎたのかもしれない」05と危惧しています。ネットゲームにのめり込み、生殖や食べることといった「自分の肉体を確認する究極の手段」ですら希薄にしてしまった人々(ネットゲーム廃人)などの出現が、そうした危惧の背景にはあります。工学者である石黒さんは、仮想世界の技術が急速に発達したため、技術の発達にかたよった渦が生じているとして、このアンバランスを解消するために「仮想世界に肉体を与え、逆に仮想を物理空間へと結びつける技術」が必要であり、その代表がアンドロイドの技術である05というのです。
 アンバランス解消のために求められるものはそれだけではありません。

01:メタバース(meteverse):インターネット上に存在する電子三次元空間のこと。
02:フランスの哲学者、思想家のジャン・ボードリヤールさん(1925-2007)は、作品や商品のオリジナルとコピーの区別が弱くなり、そのどちらでもない「シミュラークル」という中間形態が支配的になると予測しました。「シミュラークルとシミュレーション(1981)」/竹原あき子訳/法政大学出版局 1984
03meet-me2007年に公開された日本の仮想空間(メタバース)で、インターネット上に第2の東京が構築され、ユーザーはアバターを操作してその中で遊ぶことができました。トヨタがカーライフをテーマとした未来都市TOYOTA METAPOLISを東京湾上の仮想人工島の上に展開したり、その仮想世界で流通する仮想通貨が現実世界のヨドバシや楽天・アマゾンとのポイント交換が可能となるなどの進展を見せましたが、ユーザーが予想に反して伸びず、2018年に終了となっています。

それは初期においてデータのダウンロードに多大な時間がかかるなど、ユーザー側の通信デバイスの能力不足があり、時期尚早のサービスだったのではないか、とも言われています。一方トヨタは20201月、静岡県裾野市に70万㎡におよぶ実験都市「ウーブン・シティ(Woven City)を建設するというプロジェクト「コネクティドシティ」構想を発表しています。ヴァーチャル世界の未来都市からリアル世界の未来都市への転換というこのプロジェクトの展開に注目が集まっています。
04:脳の中の幽霊/V.S.ラマチャンドラン/角川書店 1999.08
05人とロボットの秘密/堀田純司/講談社 2008.07.03
06人類をリセット―クラウド革命/ルチアーノ・フロリディ/ニューズウィーク日本版 2009.10.28
07クラウドの文化/ケヴィン・ケリー/Kevin Kelly "Cloud Culture" 2008.10.22 堺屋七左衛門訳/七左衛門のメモ帳 2008.12.24
*08:脳はデジタル・コンピュータに他ならず、心はコンピュータ・プログラムに他ならない、というアラン・チューリングさんらが主張する「強いAI(正しくプログラムされたコンピュータには精神が宿るという主張)」に対し、アメリカの哲学者で言語哲学、心の哲学を専門とするジョン・サールさんは、統語論と意味論の関係からその主張が誤りであること、すなわちプログラムから心(アウェアネスawareness気づき)は生じないということを論じました。*1011参照
09:「フレーム問題」とは、現実の状況の中で自分の直面する事態の意味を理解し、それを適切に対処するにはどうしたらいいかという問題です。
10ロボットの心―7つの哲学物語/柴田正良/講談社 2001.12.20
11考える脳・考えない脳-心と知識の哲学/信原幸弘/講談社 2000.10.20

 

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