goo

47 縄文の女神たち

 長野県茅野市にある尖石(とがりいし)縄文考古館には、八ヶ岳周辺で出土した縄文時代中期、後期の大型土偶の実物(日本最古の国宝と重要文化財)とその発掘時の状態を写した二枚の大きなパネル写真が展示されている。「縄文のビーナス」と呼ばれる棚畑遺跡で1986年9月に発掘されたものと、「仮面の女神」と呼ばれる中ッ原遺跡で2000年8月に発掘された二体である。

縄文のビーナス(国宝)/棚畑遺跡 縄文中期(約5000年前)
発見時の状態(1986年9月)/茅野市尖石縄文考古館


仮面の女神(重要文化財)/中ッ原遺跡 縄文後期(約4000年前)
発見時の状態(2000年8月)/茅野市尖石縄文考古館


 日本における遺跡の発掘作業というのは、テレビや新聞などでその様子をうかがうと、たいへん地道な作業のようである。土器や石器の断片や柱の穴の跡、食物の痕跡など繊細で地味な作業が続く。インディー・ジョーンズはまさに映画の中の世界としても、早大・吉村教授たちのエジプトのファラオの発掘などとはまるで別世界の出来事のようだ。そうした日々の地道な活動の中でこの二つの女神像の発見は、いかに衝撃的で、感動的な出来事であったことか、この二つのパネル写真からも想像に難くない。
 「仮面の女神」の発掘の様子を記録した冊子*01が考古館で販売されているが、土の中から初めてその姿を現した時の様子から、徐々にまわりの土を取り除き、ついに地面から取り上げられた様子。さらにそのレントゲン撮影などの詳細な調査から、壊れた部分の復元作業を経て考古館に展示されるまでを実に淡々と時系列的に記録している。この冊子のこうした“静かな”構成ぶりから、逆にこの作業に携わった人々の興奮の度合いが、いかに高かったかがひしひしと伝わってくる。

上書きされる地上の痕跡
 日本には古代ギリシャやエジプト、マヤなどの古代遺跡にみられるいわゆる“廃墟”に相当するような廃墟がない。(廃墟エクスプローラー*02に登場するのは“廃屋”である。)木と石という使用された素材の耐久性の違いもあるが、日本では人々の活動や生活の証が、データがメモリーに上書きされるように次から次へと積み重ねられ、地上にその痕跡を留めない。それらの証拠を見つけようとすれば、まさに土の中に埋められた断片を根気よく寄せ集める作業しかないのである。
 狩猟民の原始時代という印象の強かった縄文文化のイメージを、完全に一新したあの三内丸山遺跡でさえ、地面に残る巨大な柱の痕跡から、地道な作業の繰り返しによる復元というプロセスを経て初めてあの巨大建造物群の全貌が出現したのである。

“もの”を残さない民族
 日本人は地上に“もの”を残すことへのこだわりがあまりなかったように思われる。エジプトやマヤのピラミッドのように彼らが存在したという証を地上に残そうという確固たる意志がなかった。銅鐸や銅鏡などの祭器も最終的にはそれらを土の中に埋葬することを手順としていたようであり、文字の残し方も石碑に刻んで永久に残そうという意図よりも、竹簡、木簡などのように実用として使用したものがたまたま発掘されるという程度である。
 人々の間に積み重ねられた歴史・文化が、地上の“もの”に物理的に刻み込まれ、堆積している都市(文明)においては、人は外界である“もの”を容易に参照することによって、堆積した“歴史”の認知がよりスムーズに展開する。そこでは人々の“歴史”は、自らの廻りにある“もの”の姿とともに日常的にあるといってよい。
 しかし日本では自らの歴史・文化を“もの”に刻みこんで残すことはほとんどなかった。それは、民族どおしの混淆はあったものの、一つの民族が他の民族に完全に駆逐されるという事態がいまだかつてなかったことが、そうした“もの”を残すという必然性を生まなかったからなのかもしれない。いずれにせよ、日本では、みながそれらを「知っているはずだ Feeling of knowing(FOK)」で通り過ぎてきたのである。そして実はそうした記憶はすべて抜け落ちてしまい、我々には何も残っていないかのように思われてきた。

「妊婦」の女神と「胎児」の神
 ところが八ヶ岳周辺で出土したこの二体の太古の像が、胎内に子どもを宿した妊婦姿の女神像であったことに、この地方に伝わる、ある「古層」の神との関連性を感じざるを得ない。それは諏訪神社を中心とした諏訪信仰圏にいまなお残るミシャグチ信仰である。
 日本の各地にミシャグチと呼ばれる神が出現するのは、弥生時代後半から古墳時代の初期にかけてといわれている。それが古代国家の成立とともに次第に姿を消していったのだが、その「古層」の神の信仰が、いまだこの諏訪信仰圏には残っているという。
 このミシャグチ(御左口神)は「胞衣(えな)をかぶって生まれてくる子供」、けっして「胞衣」を脱がない神なのであり、その本質は「胎児」である*03といわれている。
 縄文の女神たちが土に埋葬され、地上からその痕跡が消えてから、ミシャグチ神が出現するまでには数千年の隔たりがある。また人間の誕生という出来事は普遍的な感動、畏怖、畏敬の念を与えるものであり、常に信仰の対象となるものでもある。にもかかわらず、ほとんどのミシャグチ信仰が消えていったなかで、わずかに残ったこの地を選んだかのように出現した妊婦の女神たち。それはまるで彼女たちが古代からそこにいたからこそ、「胎児」の神がいつまでもこの地に居続けているのだ、とでもいうかのようである。それはこの地方に、人々の記憶にすら上ってこない奥深いところで、数千年の時を経てもなお脈々と流れる古代との何らかのつながりがあることを感じさせるものでもある。

時を飛翔する縄文の女神たち
 この二体の縄文の女神たちは、4000年と5000年という時を超えて、タイム・トンネルを通ってきたかのように、突然、現代にほぼ完全なかたち*04でその姿を現した。古代エジプトやマヤの遺跡や遺物は数千年の時を経て〈今〉〈現在〉に現前化している。それよって、われわれは、それらを時を飛翔する寄り代とすることができる。それと同じように、この二体の女神たちもわれわれを数千年の時をへた縄文の世界へと飛翔させる。
 いまだかつて日本の中にはこのように時を越える遺物はほとんど存在しなかった。たしかに銅鐸や鉾、銅鏡、勾玉といった遺物たちがそうした役割を担ってはいるが、この二体はそれが“ひとがた”であるところに意味があるのである。
todaeiji-weblog

*01:仮面土偶 発掘の記録/茅野市尖石縄文考古館 2001.09.14
*02:廃墟Explorer
*03:精霊の王/中沢新一 2003.11.20 講談社
*04:左足が壊れた状態で出土した「仮面の女神」は実は、故意に壊して埋められたといわれている。*01参照

 

精霊の王
中沢 新一
講談社

このアイテムの詳細を見る

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 46 創造の特異点 48 ひとがた »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。