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幾何学が欠如した文明

 古代ギリシアで「ストイケイア」がまとめられたのは紀元前3世紀頃のことですが、それとほぼ同時代の中国では「九章算術」と呼ばれた数学書が編纂されていました。「九章算術」は漢代(紀元前200年頃~紀元200年頃)以前からの数学を基礎とし、漢代を通じて得られた数学的知識をまとめあげたものでしたが、科学史家の藪内清さん*01によれば、それは中国文明における数学の最大の古典であると同時に、それによって中国数学の性格を、その後の長い歴史を通じて規定してしまったものでもあった、といいます。
 ギリシアの数学が「ストイケイア」に示された幾何学で代表されるとすれば、中国数学は「九章算術」に示された算術と代数的算法とで特徴づけられる、というのです。そして中国の数学には「ギリシア的幾何学がまったく欠除していた」と薮内さんは断じます。
 
もちろん中国数学でも平面図形や立体はとり扱われていますが、いずれも長さ、面積、体積などの数値計算が主題であって、図形の間に存在する普遍的な性質-すなわち「定理」の証明はまったくおこなわれなかったのです。ストイケイアでは点、線、円などについても定義が与えられ、その基礎のうえに立って論理的な証明が演繹的に行なわれ、全体が一つの体系をもつようになっていましたが、中国の数学ではこのような体系化はなく、具体的、個別的な問題をとりあげたいわば実用本位の数学だったのです。
 
論理的に体系化されたものが進歩した学問の姿であると考えれば、古代ギリシアの数学は「九章算術」で代表される古代中国の数学より進んでいた、といえるかもしれません。しかしながら「九章算術」ではすでに負数がとり扱われ、また二次方程式や一次連立方程式などが解かれていたなど高い数学的内容が含まれていて、計算技術の面でギリシアに劣るものではなかった、と薮内さんは指摘します。
 
一方で、古代中国の数学にギリシア的幾何学が欠如していたということは、古代ギリシア以来〈実体化する幾何学〉として捉えられてきた“建築”に対する考え方もまた異なっていたことを示唆するもの、といえるかもしれません。
 「宇宙の秩序は〈数〉でできている」とピュタゴラスが宣言し、エウクレイデスが実世界と密接に関係する〈量〉を相手に、そこに普遍的に存在する性質=「定理」を追求してつくりあげたギリシア〈幾何学〉は、実世界の本質を演繹的に明らかにしようとするものでもあり、物理的空間の唯一の正確な記述であるとみなされてきました。そしてそうした〈幾何学〉の流れの中で生み出されたウィトルウィウスの〈比例〉のルールなどによって、現実世界に実際的に〈もの〉を生み出していく 役割を担っていた〈建築〉を、もっとも重視してきたのが古代ギリシア以来の西欧世界の考え方だったのです。
 
これに対しギリシア的幾何学が欠如した文明では“建築”はどのように捉えられてきたのでしょうか。


古代中国の幾何学では、具体的、個別的に図形の問題をあつかい、図形相互の間に存在する普遍的な性格を捉えることが欠如していたのです。

01:中国古代の科学/藪内清/講談社 2004.04.10(原本 角川書店 1964.02

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実体化する幾何学

 ピュタゴラスが「宇宙の秩序は〈数〉でできている」*01と宣言し、エウクレイデスが実世界と密接に関係する〈量〉を相手に、そこに普遍的に存在する性質=「定理」を追求してつくりあげた〈幾何学〉は、絶大な影響力を西欧世界に与え続けました。そして実世界の本質を演繹的に明らかにしようとするこうした試みの中で、現実世界に実際的に“もの”を生み出していく行為-すなわち“建築”が最重視されたのは、ある意味当然のことだったといえるのかもしれません。
 
古代ローマ時代に「建築十書」(De Architectura)を著したウィトルウィウスは、ピュタゴラス=プラトン流の〈数〉的原理*02にもとづき、建築の美しい外観や用途にふさわしい形態を定める“比例”のルール=「美」の理を提起しました。それは、ピュタゴラスが感性の表象ともいうべき音楽の中に数学的・幾何学的な規則正しさを見出したように、建築の「美」という“感性の原理”をも理性で明らかにし、その「美」の世界を“建築”によって演繹的に実世界に実現しようとする強い意志を示していました。そしてそれは〈数〉のもつ魔術的機能とともに、その後実に2000年の永きに渡って数多くの熱烈な信奉者を生み出し続けることになるのです。


サンタンドレア教会(マントヴァ・イタリア)1470-1512
 
レオン・バッティスタ・アルベルティ(1404-1472)は、15世紀、古代ギリシア語の用法が不明で半ば理解不能となっていたウィトルウィウスの「建築十書」を再研究し、建築における〈比例〉を再発見し、〈幾何学〉による「美」の論理の再構築をめざした「建築書」を1452年にまとめあげました。そして「理論」の構築の後に実作をはじめるという演繹的な手法で「建築」をつくりあげたのです。

*01:ピュタゴラスの音楽/キティ・ファーガソン/柴田裕之訳 白水社 2011.09.01
*02:ウィトルーウィウス建築書/ウィトルーウィウス/森田慶一訳 東海大学出版会 1979.09.28

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順逆の方向性

 実空間を記述する学問といわれたユークリッド幾何学は、実世界に密接に関係し「実数概念の母胎」*01である〈量〉を扱った学問でした。しかしギリシア数学がこのような〈量〉概念に束縛された状況にある間は、数学固有の潜在世界を開拓できるような、広がりを持った学問にまで成長することは難しかった*02と数学者の加藤文元さんは指摘します。そのもっともわかりやすい例が「負数」の考え方でした。
 実世界の中でリンゴの数は常に正であり、負の数のリンゴを見つけることはできません。〈量〉を相手にし、実世界に存在する事物から離れられなくなった実数概念の中では負数など有り得ないもの、想像上の役に立たないものにすぎなかったのです。
 
こうしたギリシア数学の考え方を強く受け継いだ西欧社会では、17世紀になってもまだ負数に対して懐疑的であった、といいます。その結果負数や虚数といったより抽象的な概念を利用した数学の展開が大きく遅れてしまったのです。
 
これに対してギリシア以外の古代文明では、古くから「負数」の概念は存在していました。古代中国の漢代(紀元前200年頃~紀元後200年頃)に編纂された「九章算術」では、算木の赤と黒で正・負を表し、負の数がかかわる連立方程式を解くことができた、といわれています。また紀元後4~5世紀ごろに書かれた古代インドのBakhshali manuscript(バクシャリー写本)でも負の数による計算を行っていた、といいます。
 
負数に対するこうした考え方の違いはどこから生まれたのでしょうか。
 
それは〈基数〉や〈量〉とは違う〈数〉のもう一つの起源-〈順逆の方向性を持ったもう一つの概念〉にあるのではないか01と足立恒雄さんは指摘します。昨日・今日・明日や,東西の大通りの名称,碁・将棋の段級位制など,順逆の方向性を持った概念はいくらでもあって,負数,あるいは数直線を生み出す背景が確実に存在していた、というのです。神々や祖先に対する祭礼の儀式における手順の定めや地位の序列も〈順序〉の概念の起源だった、と足立さんはいいます。東洋では数学が生まれた時期から負数は存在していて、日本語や中国語では,順序も個数も等しく同じ数として捉えられてきた*01のです。


順逆の方向性を持った〈数〉のもう一つの起源/数直線

01:数の発明/足立恒雄/岩波書店 2013.12.20
02:数学の想像力-正しさの深層に何があるのか/加藤文元/筑摩書房 2013.06.15

 

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実空間を記述する幾何学

 数学者の足立恒雄さんは、数の起源には、まず事物の「個数」を抽象して得られる〈基数〉と,事物の「大きさ」を抽象して得られる〈量〉とがある*01とのべています。私たちが普通に数と呼んでいるものは,私たちの周りに具体的にある個別の事物の数=「個数」のことではなく, 1,2,3などの名称(記号)が象徴するような抽象的な〈基数〉の概念のことなのです。
 
基数の元となる「個数」には,「単位」という概念が必要になる、と足立さんは説明します。エウクレイデスの「ストイケイア(原論)」では単位の定義から始まり,単位の集まりとして数が定義されてきました。それによれば、単位とは存在するものの各々が、それによって「1」と呼ばれるものであり、数とは単位からなる多である、ということになります。
 
長さ,重さ,広さなどの「大きさ」の概念はそのままでは数を表しませんが,単位となる長さ,重さ,広さを考え,それとの比較によって数が生じてきます。〈量〉を相手にした学問といわれるユークリッド幾何学ですが、その原典である「ストイケイア」においては、長さや角度といった幾何学的な量の関係からほとんど徹底的に〈数〉が排除されている*02と加藤文元さんは指摘します。幾何学図形の線分と線分を比べる上で「ストイケイア」では、〈数で記述される〉長さの概念を経由せずに、両者を直接比べるという立場をとっている、というのです。〈数〉はあくまで〈量〉の比として現れるものであって、〈量〉は〈数〉とは違い、かけ算や割り算などの抽象的な演算技術として閉じている体系ではありません。つまり〈量〉は、常に実世界に開かれ、そこに存在する“もの”たちと密接に関係した体系だったのです。
 
このような具体的な〈量〉を相手にする学問は、幾何学、数学の枠を超えて、そこに存在するすべての“もの”たちの関係性を解き明かそうとする学問へと発展していきました。そしてこうした考え方は、それ以降の西欧世界に絶大な影響を与え続けていきます。それほど実世界を記述する学問として、疑いようのない存在感をユークリッド幾何学は示していたのです。


The tetractys (τετρακτύς)
10個の点からなる正三角形「テトラクテュス」をピュタゴラス学派は重要視しました。彼らが最も重視したのはそれが上段から1、2、3、4個の点でできていることで、これらの数は音程を与える比に現れた自然数と同じだったのです。
すなわち「数(=点の個数)を組み合わせることで様々な図形が構成され、それらは人間の感覚のレベルでもその形の美しさを感得できるということに、彼らは「万物の本性は数である」という信条の裏付けを見た」*02のです。

 
このようにピュタゴラスに始まり、エウクレイデスがまとめあげた“自然の書が数学の言葉で記されている”という考え方は、19世紀まで、あまりにも根強く西欧世界に存在し続けました。そのため当時は、物質世界と直接的なかかわりのない数学の概念や構造を考察したがらない数学者も多かった*03とマリオ・リヴィオさんは指摘します。「われわれが五感で認識する物質世界には三次元までしか存在しないので、それ以上の次元、つまりそれ以上の次数の方程式を相手にするのは愚かだ」。17世紀のイギリスの数学者、ジョン・ウォリス(1616~1703)は「適切な言い方をすれば、自然は三次元を超える次元を認めない」*03とまで宣言したのでした。つまり実空間を記述しない幾何学など、想像しても意味がない、ということだったのです。

01:数の発明/足立恒雄/岩波書店 2013.12.20
02:数学の想像力-正しさの深層に何があるのか/加藤文元/筑摩書房 2013.06.15
03:神は数学者か-万能な数学について/マリオ・リヴィオ/早川書房 2011.10.20

 

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