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建築随想
超越性と結びつけられた〈長さ〉
ウィトルウィウスのシュムメトリアの概念は、ある基本となる“数”の「比例」によって建築物を構成するという設計手法でした。それは古代日本の「完数制」をはじめ、中国、朝鮮、エジプト、メソポタミア、インドなど多くの古代文明で見られた「基準寸法」による設計手法と表面的には極めて類似していました。それらの設計手法は、専制国家の成立にともない、その税制、経済を支える重要な基盤のひとつとして生まれた度量衡制度に基づいたもので、唯一絶対の〈長さ〉を基準として、王権の支配下で生み出された都市や建築を構成するシステムでした。
もともと、ものをつくる過程で再現性を可能にする「長さの基準」は、古代中国の「尺」のように手指の長さを基準とした「身体尺」でしたが、古代エジプトの「メフ」と呼ばれたキュビット(肘から指先までの長さを基準とした身体尺のひとつ。腕尺)は、ファラオ(大王)の肘の長さを採用することで、神聖性や不可侵性を持った専制王権の超越性と結び付けられ、個体に帰属していた「身体尺」をそのまま普遍化した〈長さ〉だった*01のです。
ハンムラピ王に王権の印である〈長さ〉の基準=「ものさし」を与える太陽神シャマシュ/バビロン第1王朝(メソポタミア)1792~1750B.C/ルーブル美術館(パリ)
*01:数と建築-古代建築技術を支えた数の世界/溝口明則/鹿島出版会 2007.12.30
きわめて特殊な「基準寸法」
ウィトルウィウスの「建築書」で述べられたシュムメトリアの概念は、ある基本となる“数”の「比例」(すなわちその数で割り切れる値)によって建築物を構成する、という設計手法でした。その数=「モドゥルス」は、現在も建築設計等において用いられている「長さの基準寸法」を意味するモデュール(Module)の語源となったもので、ウィトルウィウスは当時の神殿の列柱を構成する円柱の下部の直径をその長さの基準としていました。
この設計手法は、一見すると日本の伝統的なそれとよく似ています。日本の古代建築も、柱と柱の間の寸法や建築の各部分の寸法などが、ある基本となる“数”の「比例」で構成されていました。建築が、その基本的な数=尺で割り切れる値(整数=完数)で構成されているので「完数制」と呼ばれている設計手法です。ただし尺といっても現在の寸法30.3cmとは異なり、時代によって様々な寸法であったことがわかっています。
もともと「尺」という字は手を広げた時の指のかたちを示しているといわれていて、親指の先から中指の先までの長さを示した身体尺であったといいます。したがってその寸法(約18cm)は個体差を持つものでしたが、製作者と製作物が個人レベルで一体であった当初は、特に問題は生じませんでした。それが次第に文明が発達し、より多くの人びとが関わるようになると、個人差を超えた固定された寸法の必要性が生まれてくるようになったのです。
「長さの基準」は、ものをつくる過程で、同じかたち、大きさのものを繰り返しつくること可能にするものとして使われはじめますが、次第に強大な専制国家が成立するにしたがって制度化され、普遍性をもつ「長さの基準」が制定されるようになります。それは税収の基準となる農地の面積を正確に把握するための土地制度などとも密接に関係していました。
「尺」は、中国では周代に20cm程度であったものが、秦漢代に24cm、隋唐代には30cm、そして清代には32cmに達しています。日本では仏教寺院として最初に建立された飛鳥寺や法隆寺、法起寺等が当時朝鮮で使われていた古韓尺*01と呼ばれる26.8cmの長さの尺による「完数制」で構成されていたことがわかっています。またそれ以前の大型前方後円墳も、この古韓尺による田を量るための「歩」-すなわち量田歩(4.8m)がその設計尺であった*02といわれています。
飛鳥寺配置復元図(数字は「古韓尺」で示す)
まぼろしの古代尺-高麗尺はなかった/新井宏/吉川弘文館 1992.06.10 より
このように日本の古代建築の「完数制」は、その時代の統治システムが求める度制(長さの基準)の単位寸法がそのまま使われていたのですが、このような基準寸法による設計手法は、古代日本や中国、朝鮮に限らず、古代エジプトのメフ、メソポタミアのクシュ、古代インドのハスタなど多くの古代文明で見られました。こうした長さや大きさ、体積、重さに基準を与える制度、つまり度量衡制度は、専制王権の成立にともない、専制国家の税制、経済を支える基盤の一つとして現れたものだったのです。そして溝口明則さん*03も指摘するように、それは理念として唯一絶対の長さの原点を形成し、王権の支配下で生み出された都市や建築も、当然のことながら、このシステムに従って計画されていったのでした。
これに対し、ウィトルウィウスの「シュムメトリア」では、単位である「モドゥルス」の長さは、必ずしも度制の単位そのままではなかった*03といいます。そこでは統治システムとして求められる再生産と連携した共通の数値が重要なのではなく、ユークリッド幾何学が〈数〉を排除し〈量〉の「比例」を重視したように、そこに「数的な秩序」が成立しているということが重要だったのです。そしてその実現が建築の「美」と強く関わるとみなされていました。そしてシュムメトリアにこの「美」の問題が含まれるということが、溝口さんも言及するように、様々な古代文明を通観したときに、きわめて特殊な思想とみるべきものだったのです。
*01:まぼろしの古代尺-高麗尺はなかった/新井宏/吉川弘文館 1992.06.10
*02:理系の視点からみた考古学の論争点/新井宏/大和書房 2007.08.20
*03:数と建築-古代建築技術を支えた数の世界/溝口明則/鹿島出版会 2007.12.30
例外的な比例
ウィトルウィウスが説いた、建築の美しい外観や用途にふさわしい形態を定めた「美」の理。それを彼は、数的な原理のシュムメトリアとその調和のとれた配置の原理であるエウリュトミアを始めとする六つの原理*01によって説明しようとしました。すなわち、建築物を構成する各パーツがシュムメトリアに適合していること、いいかえれば、ある基本となる“数”の「比例」によって構成されていることをその「美」のもっとも基本的な考え方としたのです。
ウィトルウィウスが特に重視した「比例」とは、古代世界では、ピュタゴラス学派に固有の見方に基づいたものだった、と溝口明則さん*02は指摘します。古代ギリシアにおいて「比」や「比例」の概念が現れる原因は、「分数」を認めようとしない特別な考え方にあった、というのです。つまり「1」を分割してはならないとする特別な考え方なしには、この概念は生み出されることがなかったのです。
ピュタゴラス学派の「数」を構成する単位である「1」は、いわば数の世界のア・トムとみなされた、と溝口さんはいいます。デモクリトスが「存在」、つまり物質の究極の構成要素とみなしたア・トムは、「分割できない」という意味をもつ名称で、物質の分割を繰り返し、最後に残ったものがその物質を構成する究極の要素、真の存在とみなされましたが、古代ギリシア数学においても、数=アリスモスは自然数を意味し、これを構成する単位が「1」なのですから、この「1」は分割できないものとみなされた、というのです。
ところが人類の初期文明を通観すると、「単位分数」や特別な分数だけに限定されるなど様相は多様ですが、分数が古代世界の各所に存在した痕跡が認められ、いずれも自然に発生したもののように見える、と溝口さんはいいます。したがって古代世界では、「分数」と対立する「比」や「比例」のアイデアは、古代ギリシアに特有の例外的な存在だった、というのです。
オーダーは、ギリシア・ローマ建築の定型化された柱の装飾方法ですが、17世紀まで建築美の究極の姿としてオーダー=真の美という考え方が定着していました。
そして、オーダーのいかなる比例関係が真の美であるかということが真剣に論議されていたのです。
*01:ウィトルーウィウス建築書/ウィトルーウィウス/森田慶一訳 東海大学出版会 1979.09.28
*02:数と建築-古代建築技術を支えた数の世界/溝口明則/鹿島出版会 2007.12.30
かたちを再現する技術
建築史・建築技術史家の溝口明則さん*01は、「幾何学」の発生以前に、すでに人類は、経験的に「直線」や「正方形」・「円」について理解していた、といいます。ここで溝口さんがいう「幾何学」とは、古代ギリシア思想の中の一つの学派が生み出した「個性の強い」考え方を出発点とし、その延長上に、抽象度を高め、原理としてより広範な普遍性を獲得した「幾何学」(=ギリシア的幾何学)のことなのですが、それ以前に人類が理解していた「かたち」を説明しようとすると、その〈ことば〉は、いずれもその「幾何学」によって定義された〈ことば〉になってしまうところに「幾何学」(=ギリシア的幾何学)の影響力の大きさと「かたち」を考えることの困難さがある、と溝口さんは指摘します。
古代では、土地の測量をする場合にピンと張った縄が用いられました。その縄は、いわゆる「直線」の形状を生み出しましたが、それは今でいう抽象的な概念としての〈直線〉ではありません。張力をかけた縄を利用する直接の目的は「再現の可能性の獲得」にあったのであり、ナイル川の氾濫で耕地の区画が分からなくなった時も、水が引けば、ピンと張った縄によって耕地区画を確実に再現することができたのです。したがってこのような経験からは、ピンと張った縄の「直線」形状が、ただちにギリシア的な〈直線〉という抽象概念を生み出すという必然は明瞭ではない、と溝口さんはいいます。そして古代ギリシアが生み出した「幾何学」という概念よりも以前に、こうした計測の技術のなかに、すでに「直線」や「円」は成立していた、というのです。
自然の連続した「長さ」を制御するためには、これを数に置き換えなければなりません。つまり〈ものさし〉の出現が要件となる、と溝口さんはいいます。数に置き換える単位である〈ものさし〉が確立しないうちに、つまり計測の精度について十分な注意を必要としないうちには、厳密な意味の幾何学図形も成立する必然がない、というのです。厳密な計測の必要に迫られなければ、抽象概念としての〈直線〉など必要ないのです。そして、ものの大きさ、長さが、個人を超えて厳密に統一されなければならない状況は、大量の人々が同一の目的に向かって協力して働くことで生産が成り立つ状況、つまり個体差を超えた基準が必要な場面、そして生産に一定の基準を与えることで、確実な再生産を実現しようとする状況であり、基準を生み出し定位し、管理しうる強大な王権と、国家を均一のシステムで掌握し制御する官僚機構の成立こそが、「直線」や「円」を生み出す必要条件だった、と溝口さんは主張します。専制国家の成立が〈ものさし〉の成立を喚起し、かたちの厳密な統御とその再現、再生産を実現した、というのです。そしてそのような過程で整理された形態、再現を保証する形態を、私たちは後の時代に学問的体系としてつくりあげられた「幾何学」の〈ことば〉で呼んでいるのにすぎなかったのです。
バビロニアの粘土板 YBC 7289
2の平方根の近似値は60進法で4桁、10進法では約6桁に相当する。1 + 24/60 + 51/602 + 10/603 = 1.41421296...。(Image by Bill Casselman)
*01:数と建築-古代建築技術を支えた数の世界/溝口明則/鹿島出版会 2007.12.30