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センティション

 生き物たちが自分自身をモニターする仕組みは、運動を予測し、反応速度を上げ、自らの運動を邪魔しないよう感覚情報を抑制し、実際と異なる情報に置き換えるなど様々な働きをしてきました。そしてプリシェーピングサッケードというような一連の運動指令群をルーティン化し、環境世界で生き残っていくための運動を制御する仕組みを脳は永い時間をかけてつくり出してきたのです。
 
こうした運動指令群のルーティン化は、感覚刺激に対応する反応(=運動)の内在化(私秘化*01)の結果のひとつといってもいいでしょう。言い方を変えれば感覚刺激に対する“心的イメージ”の形成のプロセスの始まりと呼んでもいいかもしれません。ある感覚刺激に対応する運動指令群がルーティン化されることによって初めて、その感覚刺激に対する心的イメージが形成され、自らが“感覚がある”と受け止めるための第一歩となるのです。
 
これらの内在化した反応をニコラス・ハンフリーさんは、「センティション」*01と名づけました。センセイション(感覚)とエクスプレッション(表現)とエキシビション(披露)のどこか中間を意味する呼び名ですが、ハンフリーさんはこの呼び名は、反応の持つ創造的で舞台効果を狙った特性を捉える意図があり、「感覚はあなたの心によってモニターされるものとしてのセンティション(私秘化した表現活動)」だ、というのです。
 
私たちの祖先は意識を持つ前は意識がありませんでした。さらには、感覚刺激の心的イメージを形成し始め、完全に感覚があると見なせるようになったあとでさえ、意識はなかった、とハンフリーさんは指摘します。そして感覚のある動物の多くにとってはこの状態が続いていて、意識という幻想を生み出すような淘汰庄を受けることのなかった動物たちは、次の段階へ進まなかった*01のです。


Soul Dust: The Magic of Consciousness. Nicholas Humphrey Quercus Books, 2011

*01:ソウルダスト-意識という魅惑の幻想/ニコラス・ハンフリー/柴田裕之訳 紀伊国屋書店 2012.05.11

 

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感覚情報の置き換え

 生き物たちが自分自身をモニターする仕組みは、運動を予測し、反応速度を上げるためだけに働いているわけではありません。視覚情報や体性感覚情報が、自らの運動の“邪魔”をしないようにする働きもあるのです。
 
私たちの眼は広角な視野を持っていますが、解像度は周辺部から滑らかに変化し、高精度で色彩の知覚に優れた視野の中心部(眼小窩)を持っています。そしてその中心部(=視点)をその時点でもっともかかわりのある対象に向けるように、一秒間に三回から四回という早い速度で動かしているのです。これをサッケード(saccade 跳躍運動)と呼ぶのですが、それは網膜に到達する周囲の膨大な情報の中からもっとも重要なものにまさに“焦点”をあて、高精度でその情報を捕えるために生き物たちがつくりあげてきた仕組みなのです。
 
サッケードの最中も眼球には多くの視覚刺激が届いています。そのためそれらすべてを知覚していると私たちの見る世界は大きく揺れ動くことになります。またサッケード中の網膜上に生じる物体の動きの視覚刺激がさらにサッケードを誘発すると、いわゆる“焦点”を合わせることができなくなってしまいます。そこで私たちの脳は、ある対象物にサッケードするという運動指令が眼球へ向けて発せられると、その同じ運動指令を視覚情報を受け取る脳内の視覚入力層へと直接遠心性コピーし、サッケードによる視覚のブレが生じないよう新たな視覚刺激の処理が中断されるのです。
 
このようなサッケード遂行中の視覚情報の遮断は「サッケード抑制」*01と呼ばれていますが、サッケードは生き物たちが生存するための情報を得る重要な動作ですから、その動作が最優先され、サッケードの“邪魔”をしないように他の視覚動作が一時的に抑制されるのです。


サッケード抑制にかかわる神経経路の同定/発達生理学研究系 認知行動発達機構研究部

 サッケード抑制によって、私たちは、実際には、視野の中の点から点へとギザギザに動く断続的な映像情報を得ていることになります。ところが私たちは見ているものが滑らかに移動していると感じています。決してフラッシュバックのように断続的な情報として捉えているわけではありません。周囲の世界は静止した状態で安定して見えているのです。
 
これはサッケードの運動指令の遠心性コピーによって視覚情報が“予測”され、それが実際の視覚情報にかわって知覚されているからなのです。つまりこの時知覚されていた情報は、実際に網膜に到達した情報ではなく、予測によって脳内に作られた“仮”の情報に置き換えられている、といってもいいでしょう。世界が乱雑に動かないように、知覚された情報の修正、置き換えがおこなわれているのです。
 
このような例は他にもあります。自分の手でわき腹を触ってもくすぐったくありませんが、他人がわき腹を触るとくすぐったいと感じます。これは、自分の手でわき腹を触ろうとすると、脳は,その手への運動指令をコピー(遠心性コピー)して、脳内の予測器に送り、「くすぐったい」という予測感覚をつくります。そして,その予測感覚が、手で触ることによって発生した「くすぐったい」感覚を相殺する*02ことで、くすぐったさが感じられなくなるのです。これに対して、他人の手は自分の脳につながっていないので、他人が自分のわき腹を触ろうとしても、自分の脳内では予測感覚がつくられず、「くすぐったい」感覚を相殺することはできないので、くすぐったく感じるのです。自分の手で自分の身体を触った時、常に「くすぐったい」を感じていたのでは、なかなか次の行為へ移行できません。この例もまた感覚が運動の邪魔をしないようにするためなのです。
 
ニコラス・ハンフリーさんは、感覚反応は生物学的に余剰になると潜在化され、指令信号は体表に到る前に短絡し、刺激を受けた末端の部位まではるばる届く代わりに、感覚の入力経路に沿って内へ内へと到達距離を縮め、ついにはこのプロセス全体が外の世界から遮断され、脳内の内部ループとなる*03といいます。反応回路が潜在化して経路が短くなるにつれ、感覚反応を起こす指令信号は、その反応を生じさせた入力そのものと相互に作用し始め、部分的に自己生成と自己維持の効果を持つようになる、というのです。

*01:サッケード抑制にかかわる神経経路の同定/発達生理学研究系 認知行動発達機構研究部 2007/05/08
*02:対話がつくる心-運動意味論からみた対話/月本洋/心理学ワールド(64) 日本心理学会 2014.01
*03:
赤を見る-感覚の進化と意識の存在理由/ニコラス・ハンフリー/柴田博之訳 紀伊国屋書店 2006.11.05

 

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私秘化した反応

 プリシェーピングという、手指が対象に接触する前に合目的な形をなすという現象は、腕が対象に向かう動作と指の把持動作の状況が、刻一刻と変化する視覚情報と体性感覚情報として脳に伝えられ、逆モデルと順モデルの繰り返しによって運動が補正されていきます。そして首尾よく対象物をつかむことができた時、この一連の運動指令群はひとつのルーティンとして定着していく(記憶されていく)ことになります。
 
地球に生息する生き物たちはもっと単純なルーティンから、永い時間をかけて複雑なものへとそれを積み上げてきました。プリシェーピングのようにルーティン化された運動指令群は、運動している自分の腕や手を視覚的に見ながら運動調節するという、いわゆる視覚フィードバック制御では、もはやなくなっています。プリシェーピングは、視覚フィードバックを遮っても生じます。暗闇の中でも事前に物体の大きさを見積もっていればそれは生じる*01のです。すなわち順モデルによる予測によってルーティン化した運動指令群は、実際の行動―運動の結果ではなく、運動指令信号そのものをモニターしている、ということになるのです。
 
もともと運動とは、体のどこかが刺激された時に発せられた情報に反応し、生じるものでした。運動を伴う反応のための運動指令をモニターするようになったのは、反応速度を上げるためで、モニターすることによって単なる感覚フィードバックより明らかに対応が早くなり、それだけその生き物が生き残る可能性が高くなったのです。
 
素早く反応する(運動する)ために指令信号をモニターするのが、話の始まりだったとしても、その一連の運動指令が成果を収め、ルーティン化していったとき、この生き物は、実際の行動ではなく運動指令信号をモニターするようになっていきました。ニコラス・ハンフリーさんはこのときこの生き物は、反応を内在化し「私秘化」(privatized)した*02と述べています。反応は、刺激についての意義ある情報を運び続ける必要があるため、依然、体のどこが刺激されているかをどうにかして指し示さなければなりません。ですがこれは、反応を、仮想の体の一部での仮想の反応に変えることで、あまり劇的な変換なしで達成できる、とハンフリーさんはいいます。したがって、反応が体表に届く前に短絡し始め、体表のかわりに、内部に向かう感覚神経のしだいに中枢寄りを目指すようになり、ついには、このプロセス全体が脳の内部回路として完全に閉ざされた、というのです。「今や私たちのような生き物では、感覚野のレベルでの身体地図までしか、外に向かう指令信号は届かない。指令信号は、感覚器官から内部に向かう信号とそこで相互作用し、堂々巡りのループをしばらく生み出す」*02のです。


Nicholas Humphrey, 2000, "How to solve the mind-body problem," Journal of Consciousness Studies, 7, 5-20.

01ジャンヌローを忘れない-プリシェーピング、手の空間を物体の大きさや形に合わせて掴むイメージの想起/宮本省三
/認知神経リハビリテーション学会
*02:ソウルダスト-意識という魅惑の幻想/ニコラス・ハンフリー/柴田裕之訳 紀伊国屋書店 2012.05.11

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運動の予測的制御

 生き物たちが自分自身の反応をモニターする仕組みは、運動系の次の状況やその感覚結果を「予測」する仕組みでもありました。この「予測」が運動の在り方を大きく変えていくことになります。
 
脳は運動を制御するために進化した、と主張するケンブリッジ大学のダニエル・ウォルパートさんは、中枢神経系の運動制御ならびに運動学習の最適化を求めた計算機モデル*01の中で、自身の身体ならびに身体の外部世界との相互関係をあらわす二種類の内部モデルを想定しています。
 
そのうち逆モデル(inverse model)と呼ばれるものは、望ましい結果やゴールを達成するのに必要な運動指令を提供するもので、順モデル(forward model)とよばれるものは、運動指令の遠心性コピーに基づいて運動系の次の状態やその感覚結果を予測するものです。
 
ある行為を実行する場合、まず、逆モデルによって、望まれる結果を達成するのに必要な運動指令が推定されます。運動指令は,実際に四肢の筋肉を収縮させると同時に、その遠心性コピーが順モデルに送られ、運動系の次の状態が予測されるのです。その予測結果は望まれる状態と比較され、この段階で不一致が検出された場合、再度,逆モデルによる運動指令の微調整が行われる*02ことになります。つまりこのプロセスでは、順モデルによる予測がなされるため、感覚フィードバックを得る前に速やかにエラーを検出し、動作を修正することができるのです。
 
ではこの逆モデルと順モデルの繰り返しによって実際どのような動きが生じるのでしょうか。
 
ある対象物に向かって腕を移動させる移動運動と、その対象物を指で掴む把持動作を詳細に観察*03すると、腕が対象に向かって速やかに移動する一方で、指は徐々に動いて、確実に把持できるように形を整えます。指が対象に接触し始める瞬間に腕の移動は停止し、腕を移動させるしくみと指の位置を決めるしくみは精密に同期します。これら2つのしくみは別々に作動し制御されているように見えますが、実際にはお互い綿密に連携し合っているのです。親指と人差し指の間隙が、移動が始まるとともに徐々に拡がり、やがて把持対象の大きさを超えます。その後、間隙は減少し把持の瞬間には対象に正確に一致するのです。
 
この「手指が対象に接触する前に合目的な形をなすという現象」は、「プリシェーピング(preshaping)」と呼ばれています。私たちは、腕の移動において対象物に向かう各時点における望ましい状態―軌道のプランをあらかじめ持っています。逆モデルはその軌道プランを実現させる筋や関節の活動を計算し、それに基づく運動指令を発令します。と同時に、運動指令は遠心性コピーされ順モデルに送られます。軌道の計算は無数の可能性から一つを選択することになりますが、その選択では、通常コストを最小にするように制御*04が決定されます。一方、運動指令の遠心性コピーを利用して、順モデルでは、腕の軌道と対象物の位置関係や対象物の大きさ等を予測し、補正がおこなわれ、腕の軌道を修正するとともに、手の把持行動を最適なものとしていくのです。
 
この一連のプロセスは、運動が「予測的制御」*05されていることを意味しています。


手のプリシェーピング(preshaping)/Mouvement, action et conscience : vers une physiologie de l’intention.
Colloque en l’honneur de Marc Jeannerod /
27 et 28 Septembre, 2002
Institut des Sciences Cognitives


01WolpertDM.(1997).Computational approaches to motor controlTrends in Cognitive Science1209216
WolpertDM.,GhahramaniZ.,JordanM.Ⅰ.(1995).An internal model for sensoriimotor integrationScience26918801882
02:私のような他者 私とは異なる他者-間主観性の認知神経科学/佐藤徳/ミラーニューロンと〈心の理論〉/子安増生・大平英樹編/新曜社 2011.07.15
03:ポートレイト マーク・ジャンヌロー : 手の動きの解析から,心の生理学へ/浜田 隆史、イブ ロゼッティ/Brain and nerve : 神経研究の進歩 2012.8 医学書院
04予測する脳predictive brain/小嶋祥三 2014.05.13
05ジャンヌローを忘れない-プリシェーピング、手の空間を物体の大きさや形に合わせて掴むイメージの想起/宮本省三/認知神経リハビリテーション学会

 

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