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自然と対話する能力

 人間がつくり出した表象のための人工物は、もともと存在していた自然物とは違って、外界、すなわち人間を含む他のものに与える効果である“機能”をもっていました。その“機能”には、人工物をつくりだした者が仲間の〈理解〉を操作 する“意図”が込められていたのです。洞窟内に描かれた動物壁画のように、現実の世界の中で見たものをそのまま写し取り、岩肌という自然物に手を加えることによって生み出された人工物は、具象であるゆえにストレートにその〈意味〉の〈理解〉を仲間に伝達するものでした。原初の人型の土偶などもその例といっていいでしょう。 
 ところが人工物は、自然物から切り離された途端、人工物として独自の影響力を周囲へ与え始めます。それは具象物を再現した時とはまた異なる反応を周囲の仲間たちから引き出すことになったのです。そこには人工物をつくりだした者が意図しなかった〈理解〉の〈操作〉が生まれていました。
 どのような人工物が、どのような反応を生むか。それは人工物をつくりだした者にとっても興味深いことで、様々な試行錯誤が繰り返し行われ、リアクションとの関係性がシュミレーションされたにちがいありません。そのプロセスの総体が、タイムウィンドウとして、人工物をつくりだした者の脳内に蓄積され、考える「自己」意識を育んでいったのです。そして現代の“画家”がそうであるように、こうした人工物をつくりだせる者は少数の人間に限られていました。彼らは仲間たちから驚きの念をもって迎えられたに違いありません。驚きから畏怖へ、そして崇拝へと変わっていったことは容易に考えられます。動物たちの中では“戦いに強い”ものが群れのリーダーになりますが、それとは別の能力、現実世界を写し取り、再現できる能力-それは自然との対話といっていいかもしれません―それに長けた者が、いわゆるシャーマニズム的リーダーとなっていったのです。そしてそれはまた権力と宗教の始まりの在り方を示すものでもあったのです。
 新しい能力を持ってリーダーとなった彼らは、自然物(環境)の意味を実体化する術に長けていた者たちだった、といってもいいかもしれません。一方で、彼らは、あくまで自然に存在するものを直接写し取る行為を通してのみ他者に働きかけたのであり、自然物の中にもともと存在していたものを自らを介して人工物として外化する能力に長けていた人々だった、ということもいえるのです。他方、対人間の〈理解〉の〈操作〉に長けた人々もいました。

 

 

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