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数千年にわたって蓄積された自然との対話

 群れをつくる動物たちは、戦いに強く、経験豊かなものをリーダーに選びますが、周囲の自然物に積極的に働きかけ、そのものの状況を変化させ、自然としては存在しなかったものをつくりだしてきた人類は、それまでとは異なる能力、現実世界を写し取り再現できる能力、自然と対話する能力を持ったものもまたリーダーとして選出するようになっていったのです。 
 自然と対話する能力とは、自然物(環境)の中にある〈意味〉〈理解〉し、その〈意味〉に〈かたち〉を与え、つくりだした人工物によって、仲間の〈理解〉を操作 する能力、といっていいでしょう。その能力は、自らと相互作用を起こす環境の中の様々な要素(主に生態系を構成する様々な生き物たちと、それらが互いに相互作用することによって生み出される様々な要素)が多ければ多いほど、それらがつくり出す〈意味〉の適切な〈理解〉が促進され、発展していったのです。
 豊かな生態系が続いた古代日本の人々は、自然環境の中に生まれる膨大な量の〈意味ある振る舞い〉に遭遇し、それらとの関係性を引き続き発達させていきました。その結果、それらに〈かたち〉を与えようという試みは、人々が環境の中で遭遇する関係性のすべてに〈かたち〉を与えようとする試みとなっていったのです。そしてそれを使って思考する人々は常にその関係性が生まれる周囲の世界に関心を集中させてきました。その中で彼らは、それらを食料の保存や運搬、煮炊きなど実用的に使うだけでなく、それらが実用性を超えたさらなる効果を持つことに気がついたのです。部族間の競合の中で、それらを製作するための技術力や労働力を誇示し、彼らの文化の変化の原動力としていたのです。つまり彼らは、他の人々の〈理解〉を操作することを可能とする〈表現〉力(すなわちコミュニケーション・ツール)をそこに見いだしたのです。
 化学変化を支配し利用する術を駆使し、他の人々の〈理解〉を操作する〈表現力〉ある〈かたち〉である人工物を彼らはつくりあげてきました。それが驚異的ともいうべき複雑な表現にたどり着いた縄文土器や、縄文の女神たちなどの土偶でした。さらに彼らは、周囲の環境世界をほぼ構成するといってもよい木々たちに手を加え、その木材の特性を生かす術を承知していました。木は成長するに従い、外部から様々な影響を受け、育つ地形や気候等により細胞の組織や木材成分が変動した細胞組織によって形作られています。さらに木は伐り出した後も水および水蒸気による影響を常に受けていて、それらの特性を熟知していなければ、その利用もままならぬものだったのです。「水浸け乾燥」という、水に浸けることによって逆に木の乾燥を速く、均一にすすめて「安定」した材として利用する技術や、木材の細胞内に含まれた水分を人為的に調節する“木殺し”と呼ばれる技術など、木材を自らの使い勝手のいい材料として活用するための知識と技術が自然と対話する能力によって人々の間に蓄積され、社会や世代を超えて伝承されていったのです。そしてこれらを集約し、“高層建築”を生み出すための技術=「貫(ぬき)」や「枘(ほぞ)」等の「軸組」工法に至る技術をも彼らは生み出していったのです。
 これらは、豊かな生態系を育む環境の中で、周囲の環境に関心を集中してきた古代の日本の人々が、それらに積極的に働きかけることによって得られた様々な知見を蓄積し、集団の中で社会的な“言葉”として伝達し、継承することによって発達させてきたものでした。それらは数千年にわたってつくりあげられてきた、いわば日本独自の“言語”でもあったのです。
 それが大陸から地理的に孤立した日本列島において、1万年に近い時間の中でつくりあげられてきた生活・技術・文化複合体Jomon techno-complexだったのです。


縄文の女神たち

縄文のビーナス(国宝)/棚畑遺跡 縄文中期(約5000年前)
発見時の状態(1986年9月)/茅野市尖石縄文考古館

 

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