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判断しないで考慮すること

 “歩くこと”から始めたゲンギスは、第一の層の振る舞いとして、現実環境の中で様々な障害を乗り換えながら歩くことができます。そこに人間の熱を感知するセンサーを持つ第二の層「捕捉システム」を加えると、この第二の層はターゲット(人間の熱)を見つけ、第一の層にそのターゲットに向けて歩くよう働きかけるのです。ターゲットに向かって歩くゲンギスは、途中障害物にぶつかると第一の層の働きとしてそれを回避し、改めて第二の層の働きにより、ターゲットに向けて歩き始めます。それはまさに獲物を執拗に追跡するハンターの姿であり、多くの生き物たちの捕食行動の仕組みを再現している、といっていいでしょう。
 
こうして幾重にも包摂した知的システムが構築されていきます。各々の行動は各層が独自に周辺環境との対応の中で決定されていき、そこにはすべてを束ねる中心的存在はないのです。現実世界でテストされ、強固に構築された下位層の上に、必要に応じて新たな階層が積み上げられていく。それが現実世界で起こる変化によってシステムが全面崩壊する可能性を最小限に抑えるとともに、そうした変化に柔軟に対応するシステムをつくりあげることにつながっていくのです。それこそ生命の進化の過程、あるいは幼児の成長過程にも通じる方法論といっていいでしょう。 
 
このような並列処理を階層的に重ねていく考え方の問題点は、ジョンソン=レアードさんも指摘*01したように、各層を幾重にも重ねていくことによって層の相互交渉が複雑になりすぎて、各層の目的が競合し、病理的相互作用が生じる、ということです。
 
ジョンソン=レアードさんは、こうした問題を処理するために、それらを上位から管理し、保護する機構が必要となる、として「こころのオペレーティング・システム」を提起しました。ブルックスさんは、このオペレーティング・システムは階層の上位にあるものではあっても、いわゆる「中心」に位置する必然性はない。むしろ中心でなくとも作動するシステムがあることを示したのです。
 
システムの病理的相互作用を回避するシステムとして、ブルックスさんが具体的なロボット制作にあたって次につくりだしたもの。それが「判断することなき合理的考慮*02を行うシステムでした。


判断しないで合理的に考慮するように“振る舞う”キズメット
(Kismet(MIT A.I. Lab)-YouTubeより

*01:
心のシミュレーション-ジョンソン=レアードの認知科学入門/フィリップ・ジョンソン=レアード/海保博之・中溝幸夫・横山詔一・守一雄訳 新曜社 1989.11.10
*02:ロボットの心―7つの哲学物語/柴田正良/講談社 2001.12.20

 

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包摂するシステム

 1980年代にロボット工学者のロドニー・A・ブルックスさんは「サブサンプション・アーキテクチャー(subsumption architecture)」というロボットの分散コントロール手法*01を考案しました。それはジョンソン=レアードさんの「こころのオペレーティング・システム*02を、実際にモノをつくりあげる工学的立場から再構築したもの、といっていいでしょう。
 
サブサンプションとは「包摂」という意味ですが、ここでブルックスさんは、ロボットの行動のより高いレベルの振る舞いが、低いレベルの振る舞いをつつみ込んでいる、つまり各層の目的は下位層の目的を包含している、といった振る舞いの階層構造をつくることを意図したのです。
 
すなわちロボットのコントロールにおいて「単純な作業をする小さな回路を作り、それをたくさん働かせる。次に、数多くの反射の集合から発現する複雑な振る舞いを第二のレベルとしてそこに重ねる。この第二の階層が機能するかどうかにかかわりなく、最初の階層は働き続けている。しかし、第二の階層がより複雑な振る舞いを生み出す場合には、下の階層の活動が上の階層に組み入れられる」*01といった「包摂」関係を構築したのです。
 
ブルックスさんのつくった六本足の昆虫型ロボット、ゲンギスは、それぞれの脚に二個ずつ付いたモーターと、個々の脚の動きを感知するセンサーと、簡単なプログラムを走らせることのできるマイクロ・プロセッサが付けられているだけで、それまで主流であった中央の巨大な頭脳によってコントロールされたロボットではありませんでした。それにもかかわらずこのロボットは、本物の昆虫のように“生きている”ように歩き回ることができたのです。
 
それぞれの脚に付けられた二つのモーターは、ひとつは脚を前後に動かし、もうひとつは脚を上下に動かすものでした。一本の脚を持ち上げ、前に振り出し、下ろすを繰り返す単純な動作を各脚ごとに〈順序立てる〉*03ことによって、十二個のモーターの集合的な振る舞いはロボットの「歩行」を「創発」したのです。


ロドニー・ブルックスさんのつくった“ゲンギス”
NASA画像コンテンツより/1406main_MM_Image_Feature_04_mm3

*01:表象なしの知能/ロッドニイ・A・ブルックス/柴田正良訳 現代思想 1990.03 青土社
*02:心のシミュレーション-ジョンソン=レアードの認知科学入門/フィリップ・ジョンソン=レアード/海保博之・中溝幸夫・横山詔一・守一雄訳 新曜社 1989.11.10
*03:ブルックスの知能ロボット論―なぜMITのロボットは前進し続けるのか/ロドニー・A・ブルックス/オーム社 2006.01.30 五味隆志訳

 

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こころのオペレーティング・システム

 認知科学者のフィリップ・ジョンソン=レアードさんは、われわれは、日常的に推論をおこなう際に、当の事態と同一の構造を持つ具体的なモデル(メンタル・モデル*01)がこころの中に作り出されていて、それによって当の事態を検証している*02と述べています。そのメンタル・モデルは、様々なレベルの構成要素が同時に処理される並列構造をなしていて、処理を高速におこなうことができるだけでなく、ある処理機構が故障しても他が補うことで様々な障害に強いといったメリットがあります。その半面、単純な並列システムの場合、容易に相互衝突による病理的状況が発生してしまうというデメリットも持っています。そのためそれらを上位から管理し保護する機構が必要となるのですが、このような病理的相互作用をコントロールするためにつくられた管理機構こそが、われわれの「意識」の起源なのだ*02と、ジョンソン=レアードさんは主張するのです。
 
彼は、意識の基本的システムとして、並列性を持った処理機構の上で、中央の機構が全体を管理する並列的で階層的なシステムを「こころのオペレーティング・システム」*02と呼んでいます。
 
こころのオペレーティング・システムと下位機構の関係は一種の情報隠蔽関係によっておこなわれていて、管理機構であるこころのオペレーティング・システムは、下位機構が何をなすべきかという指示のみをおこない、実際にどのような方法で処理をおこなうかについては一切指示しません。すなわち上位のオペレーティング・システムは下位機構の詳細については何も知らず、内部の処理方式については関与しないのです。それは並列システムの中のひとつの処理機構が直接他の内部機構を変えると、相互作用によって不安定で予測できない結果をもたらす可能性が大きくなるからで、信頼できる相互作用方式は処理機構間のメッセージの受け渡しにのみ依存するものとなる、というのです。


The Computer and the Mind: An introduction to Cognitive Science1989/1/1Philip Johnson-Laird

01メンタルモデル-言語・推論・意識の認知科学/P.N.ジョンソン=レアード/海保博之監修 AIUEO訳 産業図書 1988.09.30
メンタル・モデル(mental model)とは、実世界で何が、どのように働いているか、について人間が思考する際に、こころの中に構築されるモデルのことで、1943年、Kenneth Craik が著書 The Nature of Explanationで初めて提唱したとされています。それはこころを情報処理システムの複雑な例とみなす心理学の用語ですが、ジョンソン=レアードさんらがコンピュータ・システムとの関連で再提起したのです。
02心のシミュレーション-ジョンソン=レアードの認知科学入門/フィリップ・ジョンソン=レアード/海保博之・中溝幸夫・横山詔一・守一雄訳 新曜社 1989.11.10

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反省する意識

 ネアンデルタール人と現生人類を分けたもの。それは三つの特化した知能領域(技術的知能・社会的知能・博物的知能)の間の相互作用、すなわち「認知的流動性」にあった*01とスティーヴン・ミズンさんはいいます。そして現生人類にこの認知的流動性をもたらした決定的な変化は、「意識」の性質にもたらされた変化だった、というのです。
 
その「意識」の性質にもたらされた変化とは何だったのでしょうか。ミズンさんは、それは「反省する」意識への変化である、と述べています。「反省する」意識が社会的知能の決定的な特徴として進化し、すでに人間の心の中にあったものの「認知的無意識」の中に置かれていた知識を、「意識」にもたらすという変化をおこした、というのです。
 反省(する意識)とは、一般的*02には自分がしてきた行動や発言に関して振り返り、それについて何らかの評価を下すこと、あるいは自分の行動や言動の良くなかった点を意識しそれを改めようと心がけること。あるいは自己の心理状態を振り返り意識されたものにすること、とされています。それは人類が外部の環境世界の中に「意味」を見いだす存在から、自らの内部環境の中に「意味」を見いだす存在に変化したことを示している、といってもいいかもしれません。つまりこのとき「自己」意識が生み出され、それが現生人類以前の動物たちと私たちを分けた決定的な変化だった、というのです。
 
環境の中に住み込む生き物は、自らの身体を通じて環境からの様々な情報を受け取ります。それは決して受け手一方の情報ではなく、彼自身が環境の中を動くことによって環境に働きかけ、また新たな情報を受け取るという、複雑な相互作用によって変化するものです。このような彼の一連の行動が自らの生存に不可欠な結果と結びついた時、その行動は彼にとってある「意味」を持った行動となるのです。
 
こうしたプロセスが繰り返されることによって彼の中でシナプスの固定化が進み、「記憶」というかたちでそのプロセスは蓄積されていきます。そして再認のプロセスとしての記憶が、永い時間をかけて環境の中で「意味」を生み出す振る舞いをカテゴライズしていきました。このようにして環境世界の中に「意味」を見いだす存在が生まれてきたのです。
 
多くの動物たちは、このように環境の中に「意味」を見いだすことができます。それが彼らの生存にとって必要不可欠な要素となるからです。それらは外敵から身を守るシーン、獲物を捕まえるシーン等々のいくつもの「まとまり」のある「意味あるイメージ」として、彼らの中に記憶されていきました。しかしそれらは各々単独に働きこそすれ、相互の連携はほとんど見られないものでした。それらが連携するためには、「反省する」意識が必要だったのです。


Scene 11 (A lady reflects upon her conduct) of the British Museum copy of the "Admonitions Scroll", attributed to Gu Kaizhi (c.345-c.406)/ 6th to 8th century

01心の先史時代/スティーヴン・ミズン/松浦俊輔+牧野美佐緒 青土社 1998.08.24
02国語辞書類

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