日本や東アジア(大陸側の極東地域)ではいまから1万5000年~2万年前に土器が使われていました。それは現在わかっている限りにおいて人類最古のもの、といわれています。土器とは土を練り固めて形をつくり野焼きして焼き固めてつくる器のことですが、考古学・先史学の先駆者のひとりであるゴールドン(ゴードン)・チャイルド(1892-1957)によれば、こうした土器の製作は「人間が化学変化を自覚して利用した最初のもの」*01であり、土器の発見とその後の展開は、人類の思想に対して、また科学の開始に対して大きな意義を持っている、といいます。
チャイルドは、土器の起源は、粘土をぬりつけて水がもらないようにしたかご細工が偶然やけたことにあるかもしれない、としながらも、その結果、粘土のかたまりはかたくなり、たたきこわさないかぎり、ぬれていても、かわいていても、その形をたもっている*01ことを見つけ、それを再現する方法を人間は発見した、というのです。
土器の発見は、おもに、このような化学変化を支配し、利用する方法の発見にあるわけですが、チャイルドは、ほかのすべての発見と同様に、これを実際に応用しているうちに別の発見が続いておこった、と指摘します。「粘土をこねあげるには、しめらす必要があるが、形のかたまらない、しめった壷をすぐ火のなかにいれると、われてしまう。粘土を、かたどりやすくするためにくわえた水を日光か、火のそばで、徐徐にかわかさねばならない、そうすれば容器をやくことができる。また粘土もよくえらんで用意して、おかねばならない。粘土に砂や石がおおすぎると、成形がむずかしく、美しい容器も実用むきの壷もできあがらない。不純物をのぞくために、何か洗いだし法を工夫する必要がある。これに反して、粘土に全然砂や石がふくまれていないと、成形の時に指にねばりつき、また、やくと、われてしまう。この危険をふせぐために、いわゆる「ねり」という若干の砂石のような物質、すなわち、砂、こな石、または貝のこな、切りワラなどをくわえる必要がある。」*01そして火いれをしている間に、粘土はその物理的密度ばかりでなく、その色までも、かえてしまうことを人間は見つけたのです。
これらの土器が煮炊きなどの料理に1万4000年前には使われていたことがわかっています。つまり土器の使用は人々の食生活を一変させ、豊かな自然の中で狩猟採取の生活を続けながら穀物食料の準備と貯蔵を促進させ、定住化の傾向を強める役割をはたしたのです。そしてヤンガー・ドライアスの急激な環境変化の影響が少なかった日本や東アジアの人々は、豊かな生態系との相互作用によって得られたこうした成果をさらに推し進めていったのです。
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縄文土器の焼成方法(野焼き)
愛知県安城市「土器作り教室」HPより
*01:文明の起源/G・チャイルド/ねず・まさし訳 岩波書店 1951.07.15
(チェコのドルニ・ヴェストニッツェ遺跡(約26000年前)やロシアのマイニンスカヤ遺跡(約16000~13000年前)などで土を焼成して作られた⼥性像などが見つかっています。チャイルドは「土器」がそうした粘⼟を焼いて、その形を保持した最初のものとしていますが、「器」以外のかたちで、より古い時代にそれがおこなわれていた可能性がいま唱えられています。)