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日本の時空間

 1963年に雑誌に発表された「日本の都市空間」*01の取りまとめにあたって磯崎新さんは、日本の伝統的なコンセプトに日本語の説明と英語の説明を並列してつけることによって、英語圏、あるいは横文字圏に伝えようとすることが浮かんでくるという見方を意識していた*02といいます。さらに図面と一筆がきのイラストもあわせて併記することによって、異なる言語間だけでなく、異なる表現領域の併記も試みた*02というのです。
 それは日本という非近代、非西欧の世界を、西欧の言葉やロジックで説明することにより、こちらのロジックがよりはっきりわかると同時に、向こうにも伝えられる*02という考え方にもとづいたものでした。そしてこうした経験をもとに、15年後に「間」展をパリで行うことになった時、そのメジャー・コンセプトをそこから取り出した*02というのです。
 その1978年10月11日から12月11日までパリでひらかれた「フェスティヴァル・ドートンヌ(Festival d'Automne秋の芸術祭)」では、当時パリで初めてといっていい日本特集の展示がおこなわれたのですが、建築家の磯崎新さんと作曲家の武満徹さんが、そのプラン作成に協力しました。特に造形芸術とパフォーマンスの部門としてパリ装飾美術館(Musée des Arts Décoratifs,Paris)で開かれた「日本の時空間 間」展(ARATA  ISOZAKI  Exposition MA Espace-Tomps au Japon)は、その後アメリカのクーパー・ヒューイット国立デザイン博物館やヒューストン現代美術館、シカゴ現代美術館、ストックホルム文化会館、ヘルシンキ市立美術館に巡回するなど大きな影響を与えた展覧会となったのです。


パリに開く「日本展」-その構想*03 


ARATA  ISOZAKI  Exposition MA Espace-Tomps au Japon 

01:日本の都市空間/都市デザイン研究体 編/彰国社 1968.03.01
/「建築文化」(彰国社)一九六三年一二月号の特集を単行本化したもの。
02「日本の都市空間」の頃-『建築文化』、「間」展、デリダ/磯崎新+日埜直彦/10+1 2004 No.37/メディア・デザイン研究所/INAX出版 2004.12.25
03:パリに開く「日本展」-その構想/磯崎新/藝術新調 19789月号 新潮社

 

 

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存在の意志が充満した空間

 日本語の漢字は、二次元の図象の奥に、存在への意志に満ち満ちた高次元の潜在空間が広がる文字でした。その空間は、豊かな生態系の広がる現実世界の草木に覆われた森の中と同じように、周囲の見通しがきかない見え隠れの空間の背後にある、存在への意志に満ちた空間を読解することによってつくりあげられてきた包容力のある、創造性豊かな沃野をもつ日本語にもっとも適した文字でもあったのです。
 この漢字の特性が、日本という生活・文化複合体の中に生まれた様々なものに反映していきます。人間は使用する言語をつかって思考します。当然日本人は日本語をつかって思考するわけですから、その思考とそれがつくり出した生活・文化複合体は日本語の特性に左右されてきたのです。
 日本の伝統的な空間の実態を理解する重要なポイントとして「目に見えない空間」を伊藤ていじさん01はあげていますが、この「目に見えない空間」は、西洋的な空間構成の技法に従えば、空間の構想力を象徴するシンボルの分布でもって間接的にしか表現し得ない、と伊藤さんはいいます。しかしこの「目に見えない空間」の性格はそれだけではありません。
 伊藤さんが例に挙げた書道における「空画」は、三次元的に空中にのたうちまわる筆先が、紙と接触する前に生み出す軌跡という、文字にならない、目にみえない間の筆先の動き(空画)が書道の創作にとって重要である旨述べていますが、筆の空中での動きという空間的・時間的“営み”が、紙というメディウムの上に、折りたたまれ、凝集され“文字”として固定された後も、さらなる動き出しを予想させる力動感に満ちています。しかもそれは、現実の三次元空間のみに限定されるわけではありません。漢字のもつ垂直方向に展開された別次元の意味世界へもそれは開かれていきます。
 こうした漢字が開く“周囲の見通しがきかない見え隠れの空間”は単なる「目に見えない空間」ではありません。その背後に潜む“存在への意志”が目に見えない微粒子のように充満した空間でもあるのです。


01日本デザイン論/伊藤ていじ/鹿島出版会 SD選書05 1966.02.25

 

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二次元の図象の奥に広がる空間

 日本という生活・文化複合体の最大の特徴である際立った独自性は「漢字」という文字によってもたらされたもの、ということができます。 
 アルファベットのような表音文字で構成されている文章では、アルファベットの文字自体は、単語や文を構成する一要素(音素)にすぎません。それは単語-文として組み合わされることを前提として、はじめて認知される文字01なのです。その文字は順番に並べていくことによってはじめて〈意味〉を生み出すことができます。いわば水平方向へと理解を進めていく構造をもっている、ということができるでしょう。
 漢字による文字も、上記とまったく同じ文章理解のプロセスをもっていますが、さらに加えて、漢字は、ひとつひとつがシンボルであると同時に単語(word)でもあり、それぞれが異なる〈意味〉を持っています。それは水平方向へと理解を進めていくアルファベットに対して、垂直方向に別次元の意味世界を展開する構造がプラスされた〈ハイパーテキスト〉ということができるでしょう。
 このような漢字のもつ垂直方向への展開とは、二次元の図象のその向こう側に、奥行きのある空間がひろがり、そこに繋がる感覚、といっていいでしょう。その空間は、深い森の中の空間と同じように、存在への意志に満ち満ちた高次元の潜在空間、ということができます。
 こうした空間の中に踏み込んだ時、人々は、深い森の中で草木に覆われ、周囲の見通しがきかない空間にいるように感じることでしょう。それは豊かな生態系の広がる現実世界の森の中と同じように、その見え隠れの空間の背後にある、存在への意志に満ちた空間を読解することによって、中西進さん02のいう包容力のある、創造性豊かな沃野をもつ日本語をつくりあげてきた日本人にとっては、まさに共通する感覚を有する世界であったのです。だからこそ、「漢字」の展開する世界に日本人は強い魅力を感じてきたのです。
 そしてそれが伊藤ていじさん03のいう「目に見えない空間」を強く意識し、空間構成の核心としていく、という日本独自の発想に繋がっていったのです。


01:文章理解の認知心理学/川崎恵理子/2014.09.20 誠信書房
02ひらがなでよめばわかる日本語/中西進/新潮社 2008.06.01
03日本デザイン論/伊藤ていじ/鹿島出版会 SD選書05 1966.02.25

 

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Nihon techno-complex

 日本の伝統的な空間の実態を理解する重要なポイントとして「目に見えない空間」がある01と伊藤ていじさんはいいます。その「目に見えない空間」は、西洋的な空間構成の技法に従えば、空間の構想力を象徴するシンボルの分布でもって間接的にしか表現し得ないものですが、日本の空間の本質を追求する時には不可欠な要素であり、日本的な文化のパターンのひとつの現われだ、というのです。
 この日本的な文化とは、日本列島という共通の気候風土・自然環境の中で、長い時間をかけて育まれてきたものでした。それは、人間を取り囲む環境の中に存在する“意味”“理解”し、それに“かたち”を与え、他者の“理解”を“操作”するツール(技術)である言語体系によって構築されたもので、それが日本という生活・文化複合体(Nihon techno-complex)を形成しているのです。
 この生活・文化複合体の最大の特徴は「漢字」という文字にあります。
 人は“言葉”によって“考える”ことのできる存在です。その思考形態は使用する“言葉”によって左右されます。そして日本という生活・文化複合体では、一万年近い縄文時代を通じ、豊かな生態系に囲まれ、幾何級数的に増大する周囲との関係性の中で、〈理解としてのイメージ〉の膨大な蓄積が包容力のある、創造性豊かな沃野をもつ日本語を育んできました。それは長い間文字の必要のない世界でもあったのですが、そこに“文字”としての「漢字」が中国から持ち込まれます。4~5世紀頃のことです。
 この「漢字」という文字をつくりだしてきた中国では、「漢字」を、「線」を構成する種々のルールに則った、より抽象的な操作によってつくりだしてきました。それはこの世に存在するすべてのものを“数”的に、論理的に解き明かそうとした西洋の捉え方に対し、この世に存在するすべてのものに〈かたち〉を与え人為の中に取り込もうとした東洋の捉え方の成せる業だった、といっていいかもしれません。そしてその与えられた〈かたち〉が「漢字」という文字だったのです。
 「漢字」が日本に伝来した当初、それはもともと構造がまったく異なる中国語を表記するための「文字」でしたから、日本語を書きあらわすのに用いることには、どう考えても無理がありました。それにもかかわらず、日本人の先祖たちは、漢字に対する強い執着がありました。それはこの世に存在するすべてのものに〈かたち〉を与えようという漢字の世界が、独自の文字こそ有していませんでしたが、周囲の環境世界に対し、膨大な〈理解のイメージ〉を蓄積していた日本語にとって、そのイメージに具体的な〈かたち〉を与えてくれる恰好の存在だったのです。だからこそ、彼らはその「文字」に魅入られてしまったのです。漢字のもつ限りない魅力、誘惑、共感がそこにあったからこそ、彼らは漢字を用いた日本語の言い表し方の実現にこだわったのです。



01日本デザイン論/伊藤ていじ/鹿島出版会 SD選書05 1966.02.25

 

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目に見えない空間

 巧みな和語とその英語訳のタイトル、一筆書きで墨書されたグラフィック・イメージを添えて、日本の独特の都市空間の形成原理や構成の技法を説明した『日本の都市空間』01は、磯崎新さんや伊藤ていじさんらが、ヨーロッパの近代的見方で日本という非近代、非西欧の世界を読むことを試みたものでした。そこには日本語という“言葉”とその表現手段である“文字”が、日本人の空間認識の仕方や“建築”の在り方とも絡まっていることが示唆されていました。
 空間という文字はスペース(space)の訳語ですが、その空間という文字を逆に文字どおり英語に直訳すれば、単にスペースとならないで、イマジナリー・スペース(imaginary space)となる02と説明する伊藤さんは、さらにこのイマジナリー・スペースは、日本語のいわゆる「間」に相当する、といいます。それは居間、客間、茶の間、応接間などの間であり、また「間がもたない」、「間がぬける」、「間のとり方がいい」などの間でもあるのです。そして西洋建築を理解するときは、空間を物理的なものにかぎってしまってそれで十分ですが、日本の空間の本質を探求するよきには、空間をそれ(物理的なもの)にかぎってしまっては、わからなくなってしまう、というのです。
 伊藤さんは、空間をフィジカル・スペース(pysical space物的空)とイマジナリー・スペースとに分類した時、後者の空間は図上には直接表現できず、空間の構想力を象徴するシンボルの分布でもって間接にしか表現しえないが、日本の伝統的な空間の実態を理解する重要なポイントとなると述べます。そして同様な現象を日本の芸術の他の分野でも見いだすことができる、というのです。
 書道における『空画』といわれるものもそのひとつだ、と伊藤さんはいいます。西洋のカリグラフィは連続的で、ひとつの語の線は、だいたい絶えることなくつづく。しかし漢字にしろ平仮名にしろ、ひとつの文字のタッチは視覚的には連続していない。では東洋の文字とはいったい何であろうか02と伊藤さんは問いかけるのです。
 それは幾何学的にいえば、三次元的に空中にのたうちまわる筆先が紙と接触してできた軌跡であり、目にみえ後まで残るのは、この軌跡の方であって、空中におどっていた運動の他の部分は、運動の終了とともに視界から消えてなくなってしまう。この文字にならない、目にみえない間の筆先の動きが『空画』なのだ、というのです。
 立派で美しい文字を書くためには、空画がいかに大切であるか。ひとつのタッチが終って空に舞う筆の動きが、次のタッチの形と勢いをきめ、二つのタッチを有機的に連結してくれる、と伊藤さんはいいます。だからこそ建築において間(イマジナリー・スペース)が大事なように、書道においても『空画』が大事なのであり、だからこそ目にみえず、視覚化されないからといって、おろそかにはできない、というのです。
 伊藤さんは、目にみえる空間をデザインする過程において、その前段階で目にみえない空間を設定し、そこで空間の構造と秩序を検討する方式は、日本的な文化のパターンのひとつの現われだった、と指摘するのです。


一休の書*02より

01:日本の都市空間/都市デザイン研究体 編/彰国社 1968.03.01
02日本デザイン論/伊藤ていじ/鹿島出版会 SD選書05 1966.02.25

 

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