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建築随想
無常の家
うたかたのような仮の住まいは、自然に開かれ、自然と一体となることによって、自然を支配するいっさいの無常を感じ取ることができる。そのような住まいで暮らすこと、それこそ、はかない人生を送る人間にとって理想とする生き方なのだ、という“美的”要求。それは「方丈記」や「徒然草」などの書かれた中世にはすでに強く求められていたものでした。
無常とは、もともとインドで生まれた仏教ではマイナスの価値をもつ対象であったはずです。それが日本に伝わるとその意味合いが変化していきます。フランス文学者で修辞学者の野内良三さん*01も述べているように、日本ではその無常が「もののあわれ」と呼び換えられて、いつのまにかプラスの価値を付加されることになっていきました。それがはかなさや古びたものに“美的”価値を見出す大きな要因となっていったのです。
日本の伝統的な住まいが、南北に細長く、地方によって気候風土が大きく異なるにもかかわらず、そうした自然環境に際立って不適格な開放的な形態を長くとり続けてきたその真の理由は、この“美的”要求にあったといってもいいでしょう。それは、自然は人間が溶け込むものであり、日本人は母性としての自然にやすらっていた、という近代以前の日本人の自然観とも合致するものでもありました。
厳しい自然に不適格な住まい
*01:偶然を生きる思想-「日本の情」と「西洋の理」/野内良三/日本放送出版協会 2008.08.30
うたかたの家
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかた(水の泡)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。」
これは鴨長明(1155-1216)の「方丈記」(1212)の有名な書き出しの一節です。ここでは仏教伝来以来日本文化の中に長く影を落すことになる無常観-この世界のすべてのものは生滅して、とどまることなく常に変移しており、永遠不滅のものはないという世界観-が強く反映されています。
「方丈記」で特徴的なのは、うたかたのように消えては生まれ、とどまることなく変化するものが人であり、そして住まいであるといっていることです。無常のものとして「人と栖(すみか)」を常に並列に並べて述べているのです。人生ははかない。同じように住まいもまたはかないものだ。広さや高さ、外観や内装の豪華さを競い合ってなんになるのか。人生と同じく、うたかたのような仮の宿のようなものでよいのだ。したがって、そのような住まいは自然に開かれ、自然を通じて、いっさいの無常を感じ取ることのできるものでなければならない、というのです。
日本の厳しい自然に際立って不適切な開放的な住まいが、長い間維持されたのは、宗教的、倫理的諸要求に従っていたからだ、とするジャーク・プズー=マサビュオさんは、さらにそれはある種の“美的意味”にも忠実であった、と述べています。その美的意味とは、この無常観に裏打ちされて表出したもの-はかなさや古びた感じを理想とするもの-であったというのです。「方丈記」で述べられているように、“うたかたのような仮の宿”でよいのだ、という美的要求にそれ以後の日本の住まいは忠実であったというのです。
栖(すみか)はうたかた(水の泡)のように
吉田兼好(1283-1350)の「徒然草」にも、家についての同様なイメージが書き残されています。「方丈記」にも「徒然草」にも、高さや外観を競い合い、内装の煌びやかさを競い合う当時の家々の在り様が描写されています。たしかにその当時も一般にはそうした傾向が強かったのでしょう。しかし、彼らによって示された仮の住まいという家の在り方は、多くの戦乱や天災が続発し、死を日常的に捉えざるを得なかった人々に、仏教思想とともに浸透し、その後の日本人の意識の奥底に、基調低音の如く流れ続けていくのです。
対象化された建築
伝統的な日本住宅の特徴である開放的な住まいを「社会」を維持する家と捉えるジャーク・プズー=マサビュオさんの指摘には、序列の尊重や接待機能の優位など、私たちにとってもある程度納得せざるをえない部分も多く含まれています。しかし「家」という物理的存在が、社会の掟を遵守するための厳格な「枠組」となっている、という捉え方には、パノプティコンと同じように、ある意味西洋人らしい「建物」というものに対する根本的な接し方の違いがあり、そこにある種の違和感を覚える人も多いのではないでしょうか。
建物は内部の人間を守る存在であり、西洋では、その庇護性こそ建築が人の形成にとって欠くことのできない重要な構成要素であると捉えてきました。バシュラールは「家は肉体とたましい」であり、人間存在の最初の世界であると述べています。こうした捉え方は、人間が建物をひとつの物として、対象として捉えてきたということを示しています。
西洋では自然を人間に対立するひとつの物として、利用すべき対象として捉えてきました。それがnatureという言葉を生み出してきたのです。そしてまた建築も、ウィトルウィウスの時代から言葉であらわされ、対象化されてきました。そこでは建物は人間と対峙するものとして存在し、だからこそ掟に縛り付ける「枠組」となりえたのです。人間がそれに働きかけ、それがまた人間に働きかける。それは人間をある意味操る存在でもあったのです。
日本では、近代まで自然は人間がそこに溶け込むものとして捉えられてきました。
「ウィトルウィウス的人体図」: レオナルド・ダ・ヴィンチ(1487)
ウィトルウィウス「建築について」(De Architectura、建築十書)BC30~23頃
の理想的な人体図に関する記述をもとに描かれた作品
すべてを見通される家
日本住宅の特徴である開放的な住まいが、日本の自然環境に極めて不適切であるにもかかわらず日本全国に同じように存在しているのは、それが「社会」を維持するためのものであったからだ、とジャーク・プズー=マサビュオさんは主張します。そこには本格的な壁がないために、家長が常に家族の動きや言葉を監督できるばかりではなく、外部からの社会秩序を、家の中でも保持する役割を果たしている、というのです。
こうした住まいは音や視線を遮るものが少ないために、家の中だけでなく外部からも家の中の人々の動きや気配を感じ取ることができます。このように、常に外部(社会)からの視線を意識させる空間(日本の伝統的な開放的住居)に住まうことによって、人々は社会の秩序に拘束され、服従するようになる、というのです。
こうした考え方は、フランスの哲学者ミシェル・フーコーの《「視線」によって拘束する仕組み(階層秩序を生み出すまなざし)をもったディシプリン(規律)》*01という考え方を踏襲するものといってもいいでしょう。
ディシプリンとは、近代に生まれた身体を服従させる管理技術のことで、閉鎖的な空間に一人一人を入れて区別し、ある課題を与え、時間厳守の中その結果で個人個人を評価し、順位をきめ、かつ入れ替えをおこないます。処罰をともなうそれは「段階的な成長」という認識を個人に与えることで内面の管理にまでつながっていくというもので、現代においても自由、平等という上部の法律的構造の下に「下部の法律」として存在しているものなのです。
このディシプリンによって、ある種の物理的空間が、身体的行動を規制し、習慣的な振舞いを強制し、その結果、その空間にとどまる人々の精神を拘束し、ある種の規制に服従させるようになる、ということは、フーコーによって注目されることになったパノプティコンと呼ばれる監獄のシステムの例*01などでも指摘されていることです。
Plan of the Panopticon
1843 (originally 1791)
The works of Jeremy Bentham vol. IV, 172-3
パノプティコン(panopticon)とは、イギリスの功利主義の思想家ジュレミー・ベンサム(1748-1832)によって考案された、中央に立つ監視塔の周囲に収容者[囚人]の部屋が円環状に配置された監獄のための建築システムのことです。この建物では周囲の円環状の収容室にいる人物[囚人]は、監視者によって完全に見られているにもかかわらず、けっして監視塔の[監視者]を見ることができません。一方、中央の塔にいる監視者は、[囚人]のすべてを見ることができるのですが、その姿を[囚人]からけっして見られることがないのです。
パノプティコンのpanは、ギリシャ語のpâs(すべての)の中性形pânに由来し、opticonは、ギリシャ語のoptikós(眼の)の中性形optikónに由来する言葉で、『すべてを見通す眼』といった意味*02になります。このパノプティコンの原理は、ディシプリン(規律)をより広範囲に一般化する役割を果たすのです。
日本の伝統的な開放的住まいを「社会」を維持する家と捉えるマサビュオさんは、まさに日本の住まいを、このパノプティコンの原理を住まいという物理的空間に具現化したものとして捉えている、といってもいいでしょう。それは日本社会において、人間の多様な行動を配列し、まとめあげ、身体を現実的に統治・管理する仕組みとして機能していた、というのです。
*01:監獄の誕生-監視と処罰/ミッシェル・フーコー/新潮社 田村淑訳1977.09(原著1975)
*02:フーコー-知と権力/桜井哲夫/講談社 現代思想の冒険者たち26 1996.06.18