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建築随想
文字の出現
マッハバンド現象などの生物学的プロセスを介して人間が脳内に記憶したものの輪郭線を中心としたヴィジュアルイメージは、しかしデジタルカメラに記録されるような単なる画像データではありません。環境の中の、ある「まとまり」がもつ物理的な状態に対する詳細な観察を通じた知覚情報に加え、その「まとまり」との現実世界の中での様々な関係・対応・経験の蓄積の総体が、そこには含まれているのです。
このとき脳細胞の中では、ニューロンが他のニューロンからの刺激を受けて活発化する“発火”現象の連鎖が起こっています。そこでは時間の経過が発火現象の繰り返しの強度としてあらわされ、生化学的な反応を引き起こし、シナプスの固定化による記憶の生成が起こっているのです。そして人間はこうしたプロセスに永い時間をかけて、環境の意味ある振る舞いをもつ「まとまり」から、洞窟壁画のような実態をもったイメージをつくりだし、他者へ伝達する手段としてきました。そしてそれらに記号を与え、文字を発達させてきたのです。
こうした文字の誕生のプロセスは漢字の成り立ちをみてみるとよく理解できます。文字として使用された最古の漢字は、約3300年前の中国の殷の時代の亀の甲羅などに刻まれた甲骨文字だといわれています。この甲骨文字は物の見たままを描いた象形文字で、絵に近い様相を持つものでした。それはまさに洞窟壁画に描かれた動物の線画を彷彿とさせるもので、この絵文字がいま見る漢字の字体へと変化していったのです。
しかしながら洞窟壁画とこの文字の違いは、単に対象となる動物を表した線画の簡略化にあるのではありません。この絵文字とともに、ある種の事態を表現する動詞や形容詞の文字も見つかっています。つまりすでに高度に発達していたであろうコミュニケーション手段としての言語を、環境世界に物理的に現前化し、固定化する役割をそれは担っていたのです。すなわち言語を直接亀の甲羅や石、パピルスなどに書き留める、という役割です。
三万一千年前にショーヴェ洞窟に人類最初の壁画が描かれてから、原文字と呼ばれる古代の記号体系化をへて、3000年前に漢字が言語と直接結びついて意味を表す文字としてその形を整えるまで、実に二万八千年の時間を要したのです。
「馬」を表す甲骨文/中国・殷代(約3300年前)
物質の根元が現れる場所
現実世界の中で生き抜くためには、常に「有効時間内での問題解決」というプレッシャー(時間圧)に耐えられなければなりません。そのために必要となるのは《時間圧への優先的な配慮》であり、それを可能にするものが「判断することなき合理的考慮」、すなわち“感情” *01なのですが、私たちの感情は、私たちに押し寄せる現実世界の様々な状況の中にあって、それらを「いいもの」「いやなもの」「こわいもの」といったふうに強く色づけて際立たせ、ある判断を別の判断より優先させるように私たちに否応なく迫るのです。
環境の中にある、人間にとって特別に意味ある振る舞いを生み出した“ものたち”は、人間の“感情”のすべてに対して働きかけてきます。ある時は恐怖であり、ある時は喜びであったりと、良くも悪くも感情を大きく揺り動かしたそれらが、その後スピリット、そして神と呼ばれる存在に至った時に、人々に恐怖と喜びという両極端の感情をもたらした理由がそこにあった、といえるのかもしれません。
スピリットは私たちに押し寄せる現実世界の側にあって、いわば人間の能力の対岸にあるものですが、宗教学者の中沢新一さんは、それだけではなく、そこはまた物質の根元があらわれる場所でもある*02といいます。スピリットは私たちの心の、いちばん深い場所に住んでいて、そこでは心の働きと物質の過程とが混然いったいとなっている、というのです。
そして中沢さんはこの意味で、日本語の「モノ」ほど深い内容をもっていることばも少ない、といいます。「モノ」は古い日本語では、「タマ」や「カミ」と一緒になって、スピリット族を表すことばで、ここから「モノノケ」などの言葉が発生してくるのですが、超感覚的な存在を示しているほかに、同じことばから物質をあらわす「モノ」という表現も生まれてくる*02というのです。
古典文学の研究者の中西進さんは、この「モノ」=「もの」という大和言葉は、中国語の「物」と対応しますが、「物」の訳語だとはまったく思えない*03といいます。「もの」というものは、私たちのまわりの一つ一つの存在そのものを「もの」として捉えるということで、そうしたものが霊的なものをもつというと、そうした物質的な「もの」が心を持つことによって、存在物が有機的な働きを持ってくる、そう考えがちですが、そうではない、と中西さんはいいます。そういった有機的な働きなどというものを一切区別しないで、そこに「存在しているもの」という形で何物かを捉えてみる、そういうものが実は「もの」というあり方なのではないだろうか、というのです。
自然は「もの」と言われ、現実の真実なるものとして認識されてきました。そこには物質的なものと霊魂とかの内的なものとの区別のない「存在そのもの」という捉え方があったのです。そしてそれが日本においてスピリットに分類されていったものの本質だった、といっていいのかもしれません。
人間の感情を大きく揺り動かした環境の中の“ものたち”
それは「存在そのもの」であり、スピリットと呼ばれるものでした。
*01:ロボットの心―7つの哲学物語/柴田正良/講談社 2001.12.20
*02:神の発明/中沢新一/カイエ・ソバージュ〈4〉講談社選書メチエ271 2003.06.10
*03:古典と日本人/中西進/彌生書房 1981.02.25
古代人の自然観-その始原について/中西 進/日本人の自然観-縄文から現代科学まで/伊東俊太郎編
スピリットの誕生
ショーヴェ洞窟で彼らが壁面に出現させた動物たちは、人間にとって特別の意味を持った“ものたち”でした。環境の中にある、人間にとって特に意味ある振る舞いを生み出す存在。原始の人びとがその「まとまり」をスピリットと捉えたとするならば、スピリット(精霊)が環境の中のあらゆるところに存在するのも当然といえるかもしれません。
風にそよぐ木の葉は、群をなして実に複雑な動きを見せます。またぎわざわと様々な音をたてます。その音が突然変化した時、それは木の葉の間を縫って敵が近づいてくる前触れかもしれません。また木々が見事な花を咲かせると、それは次にはおいしい実がなる前兆であり、彼に食べ物の在りかを示すサインとなるのです。
このような一連の流れは、環境の中に「意味」を生み出します。こうした「意味ある振る舞い」を目撃し、経験し、内部に意味を生み出す存在である人間は、これらを一つの「まとまりあるもの」と捉えるでしょう。
いま私たちは知識によってこのまとまりあるものが○○という植物であることを知っています。そして植物としての成長と交配のプロセス、風という別の現象がその植物にもたらす動き等を理解しています。しかしながら野生の思考しか持ち得なかった原始の時代には、彼らは優れた観察と経験で得られたものからのみ、その一連の現象を解釈せざるをえなかったのです。そこで経験するものは、人間や熊などのように一つの「まとまり」としてわかりやすい形態を持ったものばかりではありませんでした。目に見えないものも含めたひとつの存在として、彼らにはその「まとまり」がはっきり見えていたのではないでしょうか。
再認のプロセスとしての記憶が、永い時間をかけて環境の中で意味を生み出す振る舞いをカテゴライズしていきました。他者への伝達としての実体を持ったイメージをつくりだしてきました。人間はのちにその「まとまり」に記号を与え、言葉を与えていったのです。
スピリットはこうして記号や言葉が生まれる以前から、ひとつの「まとまりのある意味を生み出す存在」としてあったのです。特に人間が生存するうえにおいて重要なものがスピリットとして強く意識されていったのでしょう。
「美」は人間の根源的な感情と密接に関係しています。「美」という公式を、その時代の人びとの素朴な願望を反映した公式とするならば、言葉がまだ生まれていなかった太古の時代においてもそうした図式はあったのかもしれません。それはいわば「スピリット=美」という公式だったのではないでしょうか。
アルタミラ洞窟壁画(18000~10000年前)
/スペイン・カンタブリア州・サンティリャーナ・デル・マル近郊
AltamiraBison
イメージの伝達を超えた存在
知覚情報が眼球に刺激を与えるとき、刺激の変化面に側方抑制を媒介したマッハ曲線=境界線が生まれます。それが“ものの輪郭線”を形成するのですが、こうした生物学的プロセスによって人間は脳内にヴィジュアルイメージをつくりだし、記憶していったのです。人類最古のショーヴェ洞窟に描かれた、熊の流れるような一筆描きの曲線もこのようにして生まれたものだったのです。
こうして人間が脳内に記憶した最初のヴィジュアルイメージが“線”だったということは、それを他者へ伝達する実体を持ったイメージとして、洞窟の壁面に最初に描き出した画像が線画であった事実とよく合致しています。そしてその壁画の脇に描かれた線の集合体としての「記号」も、“線”のイメージによる表現の、テクニカルな変形として生まれたものであろうことが、容易に推察できるのです。
しかしながら脳内のイメージを誰でもが簡単に壁面にトレースできたわけではありません。洞窟壁画はその多くの場合、そこに描かれた線のタッチから同じ人物が一時に描き上げたものであろうといわれています。つまり現在の画家のようにそうしたことのできる少数の人間が、脳内のイメージの実体化(脳内のヴィジュアルイメージを洞窟の壁面に投影しトレースすること)を可能にしたのです。
鹿などの動物から採られた獣脂を使った松明の、揺らめく炎に照らし出された洞窟の壁面に、古代の“画家”が描き出した、今にも動き出しそうな動物たち。もちろんその傍らでその作業を見守っていた人たちも脳内にはそれがイメージとして蓄積されていて、壁面に描き出された途端、それが何であるかは彼らにも分かったことでしょう。そして暗闇の中に突然自分たちのよく知る動物たちを出現させた人物を、驚きの念をもって迎えたに違いありません。彼は神のような存在として讃えられたのかもしれません。そしてそれは一種のシャーマニズム的リーダーの誕生を意味していた、といってもいいのかもしれません。
彼らが壁面に出現させた(描きだした)動物たちもまた、単なる絵画のモデルではなかったのでしょう。人間たちにとってそれは特別の意味を持った“ものたち”だったに違いありません。
ラスコーの洞窟壁画Lascaux painting
線の発生
数多くの動物たちが描かれたショーヴュ洞窟で特に注目された動物は、熊です。写真家で批評家の港千尋さんはこの熊について「壁にレッド・オーカーで描かれた見事な熊が、のっそりと歩いている。ほとんど一筆で描かれた熊の胴体、特にその頭部から背中にかけて流れる線は、われわれが美術館で知っている有名画家たちのデッサンに勝るとも劣らない、素晴らしいものだ。この線とそれを見る自分の視線とのあいだに、時間的な隔たりは感じられない」*01と述べています。
たしかに見事に熊の特徴を描き出したその輪郭線は、いま私たちが慣れ親しんでいる漫画の表現にも似て、非常に現代的な感覚を与えるものでもあります。そして三万一千年前に描かれた絵が示すこのことは、ものを視覚で捉え、ビジュアル的なイメージを脳内に形成しようとする時、まずそのものの輪郭線を把握するというプロセスが、人類にとって根源的なものだったことを意味しているのです。
Dessin d'ours des cavernes dans la Grotte Chauvet-Pont d'Arc
線の「発生」を考える時、マッハバンド現象とその原因と考えられる側方抑制現象に注目する必要があります。マッハバンド現象とは、物理的に輝度がなだらかな連続変化を示す画像において、その輝度の変化する点に輝線や暗線が見える現象で、物理的には存在しない輝度変化の強調を人間が心理的に知覚してしまう現象です。人間は無意識のうちに輪郭が強調された像を見ているのです。
視覚的刺激の変化面に発生する境界線/マッハバンド現象
この現象は、網膜や大脳の神経系の拮抗的興奮と抑制によって起きる*02と説明されています。眼球内の網膜にある光受容細胞の受容野の中心に光が当たると、興奮した受容器から神経繊維を通して光の強さに応じたプラスのインパルスが発射されますが、少しずれたところに光が当たると、その興奮を逆に抑制する働きがおこります。この現象が側方抑制現象と呼ばれるもので、視野の中心と周辺の輝度の差によって輪郭が強調され、マッハバンドが生じるのです。
潜在刺激が、知覚される刺激に返還される閾値を越える瞬間に、マッハ曲線が側方抑制を媒介として存在し、それによって刺激の変化面に境界線が発生するのです。グラフィックデザイナーの杉浦康平さんは、その境界線は、実は微細に観察すると(森政弘さんが提唱した「不気味の谷」との相似性をもつくさび型カーブの形をした)二つの鋭い極大・極小値が境界面を強調して、線的効果に変わり、境界線を強く知覚させている*03と指摘します。それは極大値と極小値を両側にもつ、「おぼろげな線」を構成し、線の「発生」とものの輪郭の把握という私たちの身体性による空間認識につながっていく、というのです。
*01:洞窟へ-心とイメージのアルケオロジー/港千尋/せりか書房 2001.07.09
*02:マッハバンド-その数理・物理・生理・心理-/MASUDA, Osamu
*03:図の宇宙誌:杉浦康平+多木浩二/多木浩二―四人のデザイナーとの対話/新建築社 1975.03.05