臨済宗南禅寺派圓通寺

Zazen 法話のページ

空 の 教 え

2020-10-09 | Zazen
ブッダの説いた「空」
大乗仏教で「空」は最もたいせつで、最も教義の発展を遂げた教えです。しかしながら仏教で最も古いとされる経典にこれがあることから、仏陀在世のころより一貫した教えといえます。ブッダはここで修行者モーガラージャの「死の王の観察」に関する質問に我執にとらわれないことを説きました。これがブッダの説いた「空」です。死の不安に対しての指導ということができましょう。

つねによく気をつけ、自我に固執する見解を打ち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができよう。このように世界を観ずる人を、死の王は見ることがない。『スッタニパータ』1119節

またブッダはピンギヤの「生と老衰の不安」の質問にこのように答えました。

ピンギヤよ、ひとびとは妄執に陥って苦悩を感じ、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、それ故に、ピンギヤよ、そなたは怠ることなくはげみ、妄執を捨てて、再び迷いの生存に戻らないようにせよ。『スッタニパータ』1123節

◯大乗仏教の「空」
私たちは日ごろ物事を判断するのに「もう一つの考えがある」と、なかなか思えないのです。ことに宗教や政治になるとこれが難しいのです。先にも紹介しましたように、ブッダは「妄執を捨てよ」と説いておられます。まことに私たちの悩みや困難はそこにあるといえます。
あるときブッダは在家信者に「他の教え(宗教)を学びなさい」と言われました。またあるときブッダは弟子たちに「正しい教えも捨てなさい」と言われました。このような教えは仏教のみです。しかし、私たちはなかなかそう思えません。
ブッダの教えを受け止める方法としては修行という道があり、信仰という道があります。この信仰という道に力を注ぐのが大乗仏教です。ブッダは「自分を信じなさい」と言われました。その自分とはブッダのような静かな姿です。サンスクリット語の「空」という言葉には「しずか」という意味があります。己の静かな姿を見つめる、ブッダの教えを全身で受け止める、それが「空」です。

◯『維摩経』の登場
紀元前1世紀ごろ大乗仏教は起き、1世紀中ごろから『大乗経典』ができていきました。その背景には在家信者たちの現実主義がありました。かれらは森を開墾して農地を広げ、遠方より水路を広げる仕事をしていました。あるいは大きな舟で外国との通商をしていました。したがって彼らは「空」を虚無的に理解することを嫌いました。現代的にいえばポジティブな考えだったのです。

色(現実)すなわちこれ空、色滅して空なるにあらず『維摩経』「入不二法門品第9」

「色即是空空即是色」のくだりで有名な『般若心経』はこれよりも後の経典です。その意味は同じであり、最初にブッダが説かれた説法「中道」と同じです。実行が伴っての「空」です。文字を並べると、どうしても観念的になります。頭で考えると現実感が無くなります。先ずは心と身体の静けさを保ち、手を合わせて祈る。坐禅や祈りは自らの妄執を捨てるのが目的です。出家者も在家信者も共に手を合わせて大きな船に乗ってブッダの悟りに到りましょう、という教えが大乗仏教です。

資料:岩波書店『ブッダのことばスッタニパータ』中村元訳
  : 『宗教学辞典』東京大学出版会
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

動画

Zen lecture