川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

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論語・漢籍から何を学ぶべきか

2024年09月04日 | 古典・漢籍
『論語と経営・コンプライアンス』セミナー(こちら)の準備をしながら、考えた。

我々は

 論語とか古典から何を学ぶべきか?



この問いに

 一言で

答えてみたい。

長々と、ダラダラと答えるのではなく。

我々が論語とか、その他の古典、特に儒教から学ぶのは

 カッコよさ

じゃないのかな。

 美しさ

というべきか。

古典は、歴史の篩にかけられている。信頼性がある。

なぜ歴史の篩にかけられて生き延びたのか。価値が高いから。

要するに、カッコいい。美しい。

そう言えないだろうか。

古典好きな私は、古典は、カッコいいと思う。美しいと思う。

もっといえば、古典的な名句には、カッコよさ・美しさがある。隠れている。

例えば、論語でカッコいい文句は、、

  • 不義にして富みかつ尊きは、我において浮雲の如し
  • 天を怨まず、人を尤めず
  • 義を見て為ざるは、勇なきなり
  • 志士仁人は、生を求めて以て仁を害する無く、身を殺して以て仁を成す有り
あたりでしょうか。

この辺を見て、カッコいいな、ビビッと来るな、心躍るな、刺激されるな、なんだかいい言葉だな、意味よく分からないけどもっと知りたいな、って思ったアナタ!

あなたは、すでに「古典を学ぶ価値」をご認識されている、ということです。

その「カッコよさ」「美しさ」が何を表すのか? については、ほとんどこれまでこのブログで何度も書いてきたようなことですが、改めていつか別稿で。
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