北カリフォルニアのお父さん

家族5人 - 北カリフォルニアに暮らす。

三男 - 高校卒業・クラブ・サッカー完了・大学入学 (2022年)

2023年01月23日 | 家族
更新です。

また「1年のご無沙汰」とならないように今のうちに。

「ハイライト」です。しかし何から手をつけていいやら。時系列で追っていく
のは勿論ですが、後々の記録としてメンバーごとにまとめていくことにします。

まずはタイトルの通り、高校卒業、クラブサッカー終了、大学入学と、この1年
大きな節目が続いた三男からといたします。

高校卒業から始めます。

三男の高校卒業は6月でした。過去、本ブログで何度か触れていますが、我が家
の息子達は越境入学で中学の仲間とは離れて隣の市の高校に入学しました。学力
レベルは少し高く、越境入学の許可がおりて良かったと思います。但し、新しい
環境である上、周りに仲の良い友人もおらず、息子達は入学して数ヶ月の間は
元気がなかったと記憶しています。まず長男がトップバッターで飛び込み、高校
オーケストラやサッカーで自身の地盤を作り上げていきました。その3年後は
次男。右も左も分からない次男の面倒を長男が手を引いて見るはずはなく、次男
もまず高校オーケストラから始め、苦労してコツコツと環境づくりをしました。
長男は反抗期も重なり、高校での出来事を家内や私に話すといったことは殆ど
ありませんでした。次男はと言いますと、クラスやオーケストラの練習の様子を
話してくれたりと、私たち親も高校に対する知識をずい分増やすことが出来たと
思います。

さて、三男です。このあたりの話も過去に触れていますが改めて。中学の仲間と
別れて入学した高校は長男と次男の時以上につまらなかったようです。入学して
から数ヶ月は顔を合わす度に「転校したい。」とブツブツ。但し、次男が高校の
内外で三男の面倒をいろいろ見てくれ大きな助けとなりました。そして夏休みが
明けて間も無く始まった高校サッカーのトライアウト。Freshman (1年生) で
ただ1人、飛び級で次男と同じ Varsity (上級生チーム) に入ることが決まった後、
ようやく高校生活が明るくなりました。入学から直ぐに始まったボヤキもここで
ストップです。学校の様子については、次男同様、家内と私によく話してくれま
した。ある日、家内と三男の間でこんな会話があったそうです。「あのね、これ
X X には絶対言ったらダメだよ。今日ねー、X X ねー、学校でねー・・・。」と。
自分のことだけではなく、次男のこともそっと教えてくれる母親想い、兄想いの
優しい三男でした。

長男と次男の時と同様、三男の4年間はあっという間でした。学校内での活動は
迷うことなく長男、次男に続いて高校サッカー。但し、高校オーケストラに関し
ては兄2人の後を追うことはなく、長年続けてきたバイオリンさえも自らピリオ
ドを打ちました。その代わり、大学の入学書類審査で評価が良くなると聞いた
「Leadership」のクラスを Sophomore (2年生) から取り始めたところハマりま
した。肌に合っていたようです。裏方の仕事が多かったのですが、学校行事を
仕切る立場となり企画・運営に積極的に取り組みました。勉強はと言いますと、
ツボを押さえて集中し、成績は4年間を通して悪くありませんでした。学校の外
ではクラブサッカーと日本語補習校で週日、週末問わず忙しい毎日を駆け抜け、
Senior (4年生) になってからは、クラブサッカーの練習・試合が当たらない
日に限定し、高校の近くにあるジュースのチェーン店でバイトも始めました。
そして、月日が経ち高校卒業です。息子達3人がお世話になったこの高校は、
彼らの日々の車での送り迎え、長男と次男の高校オーケストラのコンサート、
3人の高校サッカーの試合、PTA 関連のミーティングやボランティア等を通し
家内と私にとっても生活の中で大きなウェイトを占めていました。2012年の
長男の入学から始まった10年は長かったような短かったような。無事に幕を閉じ
ました。

次に6歳から始まったサッカーです。

昨年の5月に高校卒業と同時期にクラブリーグも終了し、長い12年が終わりま
した。リクリエーションリーグの後、最寄りのサッカークラブからスタートし、
数年ごとに更に強いクラブへと移籍。最後のクラブでは全てが満たされ、4年間
のお付き合いとなりました。同クラブの中で2004年生まれで構成されたチームは
移籍時には5つあり、三男のチームは上から二番目。誰もが上を目指して頑張る
雰囲気の良いチームでした。ロースターの半分が白人のお坊ちゃんのチームは、
人種的偏見を持ったり、チームの和を乱すプレーヤーはいなく、練習や試合の
合間のおしゃべりは、女の子が話題にもなりますが、もっぱらサッカーの戦術、
時には NASDAQ の「おすすめ株」の話で盛り上がることもあったそうです。
(末恐ろしい連中です。)高校も後半になりますと、学校がある地区、生徒の
学力レベルや家庭の所得に関係なく、お酒、タバコ、ドラッグに走る高校生は
少なくありません。三男のチームで道を踏み外した子は一切なく、仲の良い純粋
な仲間に囲まれ恵まれた環境でした。チームメイトが進学していった大学は、
NCAA (National Collegiate Athletic Association) の Division 大学のサッカー推薦
は3人のみ。後はそれぞれの目標や学力で UC (University of California) や私立に
散らばっていきました。高校とは違った、練習、試合、遠征で培った仲間との
絆は、この先もずっと貴重な財産であり続けると思います。

さて、ここでクラブサッカーとオーバーラップしていた社会人リーグについても
触れておかなくてはなりません。ここ数年、春から夏の終わりにかけて次男と
共にサンフランシスコの社会人リーグでもお世話になり、昨年も社会人やら大学
生の方達と楽しくプレーさせていただきました。三男が初めて参加した数年前は、
大人のプレーヤーの体格、スピード、技術にひいていましたが、今では多少は
戦力になっているようです。私達家族がサンフランシスコ・ベイエリアにいる
限り、息子達は恐らくこの先も携わっていくものと思います。

いよいよ大学入学について。

高校での成績は悪くなかったことは上述の通りです。残念ながら志望校への入学
は叶いませんでした。問題は本人の性格です。何でも舐めてかかるところがあり、
その結果だったと思います。本人の元々の志望校は UC の殆ど地元とも言える
B 校でした。次男が高校の Senior (4年生) の時に合格通知を受け取り、その後
キャンパスツアーまで行って、悩みに悩み抜いた末に入学を辞退した大学です。
三男は受け入れられるものと思っていました。が、結果はと言いますと「残念
でした!」ガックリ。そして、ここもいいかなと考えていた L 校もだめ。更に
S 校にも嫌われ、合格通知が来たのはカリフォルニア州立大学数校と次男が通う
R 校でした。高校後半の詰めが甘かったと思います。結局、三男は次男が籍を
おく南カリフォルニアの R 校を選びました。兄弟で同じ大学というのも珍しい
とは思いますが、選択肢はあまりなく決定です。

高校の時と同様、未知の世界に飛び込む訳ではなく、次男が既に開拓したところ
へ足を踏み入れますので恵まれた環境であったと思います。直ぐに同じ高校から
友人数名が入学することも分かり、徐々に大学への期待も高まっていきました。
Freshman (1年生) に義務付けられている1年間の寮生活は次男の時もそうでした
が、高校の友人をルームメイトとして選び、初めての寮生活は全く問題ありません。
ルームメイトで失敗し、1年間嫌な思いをしたといった話は良く耳にしますので、
次男、三男共に恵まれていました。一旦勉強を離れると三男は普通の大学生と何ら
変わらず、ソーシャルライフを楽しんでいます。入学してまだ半年も経っていま
せんが、親元を離れ、パーティー、お酒で舞い上がっている新1年生も多いと聞き
ました。幸い、三男は近くに次男もいるため、楽しくも健全な大学生活を送って
いるようです。入学して間も無く、次男が所属するサッカー・クラブのトライア
ウトに合格。サッカーを続け、その一方、大学の日本交流会に入って友人のネット
ワークを広げています。

ここで大学サッカーについて少し。次男、三男共に高校時代は、NCAA Division 1
大学のサッカーを夢見ていましたが、高校の学年が上がるにつれ現実がわかり始め、
それぞれの理由で諦めました。但し NCAA が大学サッカーの全てではなく、格下
ではありますが、WCSA (West Coast Soccer Association) といった団体が存在し、
秋から春にかけてリーグ戦やシーズン後にはトーナメントも組まれています。次男
は同リーグの大学チームでずっとプレーし、三男もトライアウトを経て同じチーム
のロースターに入りました。息子達を含めて NCAA が叶わなかったプレーヤーにも
大学でサッカーに情熱を注ぐことが出来る場が提供されています。

これから先について。

三男は将来、弁護士を目指しています。もし最後まで本人の志がブレなければ、
Law School(法学部・大学院)への進学、それ以前に進学希望者に課せられる
共通テストの LSAT (Law School Admission Test) 受験 、Law School での3年間
の猛勉強、そしてBar Exam をクリアしていかなくてはなりません。険しい道のり
です。大学4年間で高い GPA を保ちながら LSAT の準備をすること自体が容易では
ないことは本人も承知。幸い自身が大学院への進学準備中の次男も身近にいます。
三男も自分が進んでいく道を頭の中に描きキックオフしました。将来は全て本人
次第です。



以下は写真となります。

長いことサボったためかなり多くの写真となりましたので、3回に分けようと思います。
それでは、2年間手付かずだった高校サッカーの写真から。




Sophomore (2年生) のシーズンは既にパンデミックの影響を受け、遅いスタート、それも
短縮されたスケジュールでマスクを着けてのプレーが義務付けられていました。 写真は
前年、シーズン最終戦で涙を呑んだライバル校との試合です。




クラブリーグと同時進行でもあり、忙しいシーズンではありました。シーズンは全米で
コロナの感染が広がり、終了あとわずかのところで突然中断となりました。




翌年、Junior (3年生) のシーズンです。Freshman (1年生) から慣れ親しんでいる「18」
を着けて。




ポジションはクラブチームと同じ左ウィンガーでした。




ハートマークの上に陣取って三男に視線を投げかけている女性陣は、別に三男のファン
ではなく、アウェイの試合での対戦チーム校の生徒達です。これはライバル校相手の
シーズン最終戦。Senior (4年生)を讃える 「Senior Night」でもありました。対戦
チームは、家族やクラスメートが駆けつけ、垂れ幕、ポスター、風船の飾り付けがあち
こちに。




いよいよ最終学年の Senior (4年生) のシーズンです。キャプテンを拝命しました。写真は
試合前のコイントス。




そして3年前の次男と同じように「10」も背負わせていただきました。




体格はずい分ガッチリし、




積極的に攻撃に参加。




本人の得点も4シーズンを通して一番多かったようです。




どこの高校もプレイオフを目指していました。




残念ながら三男の高校は、最終戦を待たず、プレイオフに手が届かないことが分かり
ました。ライバル校との伝統のリーグ最終戦です。3年前に次男と三男が一緒にプレー
した最終試合は雨天。誰もがドロだらけになっての試合でした。パンデミックの間に
三男の高校もこのライバル校も人工芝に入れ替え、ご覧の通りです。




いい試合でした。1-1 のタイで高校サッカー完了です。




さて、ライバル校は、最終戦で例年 Senior (4年生)を讃える 「Senior Night」を執り
行いますが、この年は対戦相手の三男の高校の Senior も式典に招いてくれました。相手
校のボランティアの父兄には感謝です。試合前、コーチと下級生が花道を作り、一人ずつ
名前を呼ばれ、家族と記念撮影の後、拍手を受けて花道を通り抜けます。




三男と家内です。何故私が一緒ではないかと言いますと、我が家の最後の高校サッカーの
試合にもかかわらずチーム・フォトグラファーでした。チームの Senior 全員の家族写真を
撮り、この写真も私が撮影。我が家は2人だけの写真となりました。家内は後になって
マスクを外していなかったことに気が付き、後悔しきり。




試合後にコーチからチームのプレーヤー全員に最後のメッセージ。同コーチには我が家の
息子3人全員がお世話になりました。有り難うございました。




数日後、ホーム、アウェイのユニフォームを高校に返却しました。こちらもお世話になり
ました。




卒業が近づくと三男の高校では例年、学業とスポーツのアワードセレモニーを執り行い
ます。まだコロナの心配がありますので、高校キャンパスの中庭を使いました。




有り難く、スポーツのアワードで三男を男子サッカーの MVP に選んでいただきました。
但し、残念なことに三男は体調を崩して欠席。代わりに私が出席し記念品を受け取って
きました。


さて、本ブログを知る方はお分かりと思います。息子のサッカー完了となると・・・。
やはり作らなくてはなりません。





チームポスターです。

我が家の高校サッカー、これで本当に完了です。有り難うございました!

ここまで読んでいただいた方、お疲れ様でした。次はクラブサッカーの写真といたします。