萌える秋 ... 燃え盡きた秋 様々な意匠をこらして 季節は冬へ!
数年前の或る日、讃岐うどんの丸亀製麺に行きました。そこでナニゲに『ここは好きなだけ刻みネギを入れられるのがいいね』と妻に言いました。妻の眼が一瞬!チカッと光りましたが、その場では気に止めませんでした。が、以来! わが家は うどんであれ納豆であれ味噌汁であれ これでもか!の刻みネギ入りです。何気ない言葉ながら妻はカチン!ときたにちがいありません。
わが家のお昼は、うどん、そば、カレーライス 時々お好み焼き。先日のお昼は 例によって刻みネギたっぶりのうどん。刻みネギ効果か熱々うどんのお陰か 身も心ほかほかしてまいります。そんな流れで?妻と愛猫シマジロウと共に炬燵に入りTVを視ました。四話一挙放送の向田邦子さん脚本「あ・うん」の録画です。「あ・ふん」でも「う・ふん」でもありませんでしたが...。
狛犬に喩えられる 水田仙吉(フランキー堺:左) と門倉修造(杉浦直樹:右) の親友ふたり。
カメラも小津安二郎ばりに低くから ... 昭和初期の人間模様を描いたドラマ「あ・うん」。
ナニゲない市井の暮らし、生き様をさらりと、しかし深く!描いた向田邦子さんが航空機事故で亡くなって40年。書店に "向田コーナー" が設けられ、没後25年に発掘された遺作「影に對して」ほか遠藤周作さんの書、先ごろ亡くなられた瀬戸内寂聴さんの書 ... 互いに "平積み" の高さを競いつつ 三者三様ながら 作品にも生き様にも其々に 昭和の熱と面影を感じ共感を覚えます。
向田さんの様々な魅力については昨年三月の拙ブログ記「行きしひと 去りしとき」に記しました。
https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/79f014d44dba0d5dd4f680a5b351221d
「向田邦子の本棚」(河出書房新社)より
或るブログで 向田邦子さんのエッセイの朗読を You tube で視聴できることを知りました。検索すると もの凄い件数がヒットします。市井の日常を掬いとり劇的にして印象的な展開、文章の長さも程よく 朗読される方には まさに "おいしい" 味わいの作品と言えましょう。朝日新聞「天声人語」の伝説的な名文家 深代惇郎氏の文章に通じる平明にして奥の深いエッセイです。
貧しかった昭和の時代の「お弁当」。昭和30年代のわが小学校時代を想いました。
帰ってきた子を抱きすくめる父親…涙がぽろぽろこぼれました。
【前記「行きしひと去りしとき」に紹介した久世光彦 "触れもせで" を少し再掲...向田さんへの遅れて来た恋文?】
『無頓着なふりして無邪気に見せる狡くて可愛い人』『あの人の半分は 待っていた人。待っていたのは 何だったのか、誰だったのか...』『彼女には爪を噛む癖があった。爪を噛むのは良くないワ…という歌が好きで、酔うと小さな声で口ずさんでいた』『彼女はどこにでも居そうで どこにも居ない、そんな人だった』。
『彼女のアパートに泊まったことが何度もある』『二十年の間 彼女の体のどこにも唯の一度も触ったことがない』『暖かい手だったのか冷たかったのか、柔らかだったのか骨ばっていたのか、私は知らない』『熱い肌を幾度合わせても何もわからない人もいる。指一本触れもせず 十年たってしきりと恋しい人もいる』。
「季節は弁証法的に移り行く」なんて気取れば... なにワケわからんことを!と。おっ!秋めいてきたな…と思うと暑さがぶり返す。あぁ秋やなぁ... けど もうひとつ秋らしくなりきらんなぁ... と思っていると「師走並みの寒波が来ます」。そろそろ紅葉も深まるかと巣籠りから出ると... 紅葉はもう終わり。ジグザクを経て或るとき突然!劇的に変化... やはり季節は弁証法的です。
京都府和知 由良川畔。"枯ススキ" と思ったら 友人『茎が緑。これから種を飛ばす若いススキ』。
いつも訪れる和知山野草苑の屋根に風見鶏。二十数年も通っているのに 初めて気づきました。
山野草苑の広い敷地にあるJR山陰線鉄橋(学生時代に郷里と往復)ここで偶々 急行?に遭遇。
山野草苑から車で数kmのところにある大野ダム。ダムは貧相?でも周りの公園は素晴らしい!
ここで弁当をいただくと格別!の味わいがあります。機会があればぜひ!お出かけくださいね。
紅葉は例年よりやや色彩感を欠きましたが それでもなお "燃える秋" にふさわしい光景でした。
とりわけ殆ど散っとしまった銀杏の葉が 辺り一面を黄金色に染め 目を!心を!奪われました。
このところ "Happy Day" ではありませんが 弾けて! ハッピーと歌いたい心境なり。
【過去ログ目次一覧】
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~140 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
人生の棚卸し http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ddab58eb8da23a114e2001749326f1f1
人生の棚卸し(2) https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/22b3ffae8d0b390afee667c0e9ed92ed
かんわきゅうだい(57~) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/20297d22fcd28bacdddc1cf81778d34b
かんわきゅうだい(~56) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
名残の季節 https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ce82e1c580f64c8ab8d43e2c674a481d
鹿児島の片田舎の小学校のお昼は給食でした。進駐軍の贈り物の脱脂粉乳と当時珍しかったコッペパン。
向田邦子さんのエッセイの朗読「お弁当」を聴いていて、そんな当時の風景がよみがえりました。
田舎のこと故、給食費は野菜やコメなどの現物でも良かったのを記憶しています。
また、まだテレビのなかった頃のラジオの時代もよみがえりました。
校区の外れから通学していましたので雨の日だけは汽車で行けました。当時はまだSLが走っていたのです。
丸亀製麺の葱の話、40歳の頃でしょうか博多のラーメン屋に入ったら何やらラーメンを研究しているらしい店で
食べ終わろうとする私のどんぶりに店主が驚くような量のネギを山盛りに入れてくれました。
私も葱は好きです。博多には「万能ねぎ」がありますがそちらには流通していますでしょうか?
それにしても、眠りにつく前のひと時のエッセイなど読みたいと思うにですが良いものがありません。
向田邦子さんのものはいいかも知れません。
何かエッセイのお勧めなどありましたらお教えください。
奥方にはくれぐれも逆らわないように・・(笑)
早速にコメントくださり ありがとうございます
> 私が小学校に入学したのは昭和33年...鹿児島の片田舎の小学校のお昼は給食でした。
私より少し...年下いらっしゃいます
お写真から もっと!ずっと!年下の方だと思っていました(笑)
鹿児島の小学校給食...まさに向田さんのエッセイ「お弁当」の世界ですね。
> 進駐軍の贈り物の脱脂粉乳と当時珍しかったコッペパン...当時の風景がよみがえりました。
進駐軍とかコッペパンのはしり!とか...リアルに語れるのはもう古希以上!かも...
かつて「明治は遠くなりにけり」でしたが、今や昭和も遠くなりつつあります。
> まだテレビのなかった頃のラジオの時代もよみがえりました。
「コタンの笛」「一丁目一番地」「野良犬コロの物語」とか...憶えてはりますか?
> 校区の外れから通学...雨の日だけは汽車で行けました。当時はまだSLが走っていたのです。
わが町を走っていたのもSLでした(境線)
家の前の道が駅へのメインロード?で 通勤通学の光景は幼い頃から目に焼き付いています。
> 博多のラーメン屋...店主が驚くような量のネギを山盛りに入れてくれました。
ラーメンにネギ、トンカツにキャベツは たっぷり!でなきゃねぇ
遠藤周作さん風には「クリープをいれない珈琲」でしょうか?
> 博多には「万能ねぎ」がありますが そちらには流通していますでしょうか?
「万能ねぎ」って私はよく存じませんが、こちらでは「九条ねぎ」ですね
> 眠りにつく前のひと時のエッセイ...向田邦子さんのものはいいかも知れません。
> エッセイのお勧めなどありましたらお教えください
向田邦子さんのエッセイは...眠くならないと思います
寝る前には「般若心経がいい」と聞きますが、クリスチャンの方にはお奨めできまセーヌ河です。
> 奥方にはくれぐれも逆らわないように...
肝に銘じま~す!
なーるーほーど~、そうやればいいのか。
って、今ごろ知っても私にはもう使い道がありませんが。
奥様、なかなかおやりになりますわね。
万能ねぎ、そういえば近所のスーパーでは見ないですが、
横浜では青ネギ=万能ねぎでした。
お早うございます。コメントありがとうございました
遅くまでPC活動なさってられるんですねぇ、♯Me too!ですけど(笑)
> なーるーほーど~、そうやればいいのか。
> 今ごろ知っても私にはもう使い道がありませんが。
> 奥様、なかなかおやりになりますわね。
えっ? 私 ネギ大好きですから ネギ責めは…
妻が「ネギ断ち」に出たら やばいところでした
> 万能ねぎ、そういえば近所のスーパーでは見ない
> 横浜では青ネギ=万能ねぎでした。
ネギは見ても 名前までは見ません。そんなにちがうものなんでしょうか?
横浜のネギって「スカネギ」とか「スガネギ」とか言わないのでしょうか?
それにしても スガさん 最近はすっかりお隠れになられました。
やはり「水面下の宰相」でいらっしゃいます。
二階のじいさんに 今頃になって
「生意気言うんじゃないよ」と言われた、なんて裏話の暴露にも スルー!とは流石!
寒くなりました。
意気軒高なpukarikoさん 息健康" にもお気をつけくださいね
早速楽しませていただきました。
最近すっかり忘れていたので、スマホで取り込んで楽しんでいます。
ストーリィよりも、物語に出て来る場面の一つひとつに当時の雰囲気を思い出します。
決して良い事、いや、私には辛い時代だったのですが、この歳になると
懐かしさを感じます。
「お弁当」を、「ああ、そうだった、そだった」とうなずきながら聞き入りました。
貧しい子に誰もが何も与えず、さりげなくやり過ごす気遣いはとても繊細で、
貧しさの痛みを大なり小なり、誰もが経験していた時代の思いやりですね。
ギリギリの所で生きる者には、飢えの満たしよりも大切なものがあることを、
皆知っている時代だったのです。このような心遣いは今は通用しないでしょう。
ふふ・・奥様の反応と、ネギのお話には噴き出しました。
デ某さんの一言を読んだとき「此処で何を言うねん」とビビりましたよ。
まあ、私もネギをたっぷりと入れるのが好きですが・・。
紅葉が綺麗に撮れていますね。銀杏も散り敷いて・・日本の秋ですね・・
ハッピーデー感謝します。私は何が何でもハッピーデーです。
フランキー堺・杉浦直樹氏の あ・うんコンビはすでに両名とも天に昇り
山師のおじいちゃんを ひょうひょうと志村喬氏が好演していましたね。
映画のあ・うんコンビは板東英二・高倉健氏で 水田の妻役が 藤純子さんでした。
門倉が親友の妻に恋していても それをおくびにも出さずにいる。それなのに
水田夫婦も門倉の細君も 山師のおじいちゃんも皆がそのことを知っていて
そんな状態で あ・うんコンビが続いているという戦前の日本の 奥ゆかしくて
不思議な世界を向田さんは上手に書きました。
向田邦子さんのものは若いころいくつか読みました。短編が多く読みやすかった
こともあります。台湾で飛行機が空中分解して落下という あのショックは忘れません。
NHKのドキュメンタリーだったと思いますが 独身を通した向田さんに恋人がいて
超売れっ子脚本家として忙しい日々の中で 遅くなっても帰りに相手の家に行き
ご飯を作り そのメニューや交わした言葉などを綴った日記が
彼女の死後見つかり その日記をもとにドキュメンタリーを作っていました。
彼はカメラマンらしくて 向田さんをモデルに何枚もの写真が日記とともに
見つかり その一枚の向田さんの瞳に カメラを構えた彼が映っていました。
彼は病気で亡くなったようで その時の打ちひしがれた向田さんの文章も
日記に綴ってありました。恋人のことはだれにも一言も言わず 向田さんは逝きました。
デさまはネギがお好きですか?今からのネギは甘みが増し美味しくなります。
たくさん食べてくださいね ネギは風邪にも効きますから。
コメントありがとうございました
向田邦子さんについては どなたと 幾ら話しても 話が尽きないところがあります。
コメントを ありがたく 嬉しく 読ませていただきました。
> YouTubeで聞く向田邦子さん...スマホで取り込んで楽しんでいます。
こんな You tube.があるとは存じませんでした。
でもUPするや なくなっていたり... ではあります。
ただ 朗読は 語り手によってかなり印象が異なってまいりますね。
> 場面の一つひとつに当時の雰囲気を思い出します。
> 私には辛い時代だったのですが、この歳になると
懐かしさを感じます。
辛い時代は 辛い時代を過ごした者だけに 思い返し懐かしむ資格が与えられます。
そう思うと すべてに亘り 人生は等しく帳尻が合うように思います。
> 「お弁当」... 貧しい子に誰もが何も与えず、さりげなくやり過ごす気遣い...
> 貧しさの痛みを...誰もが経験していた時代の思いやりですね。
私は 小中学校9年間を通して 給食がなく 弁当持参!でしたが...
その弁当のない子、弁当のおかずが漬物か梅干の子、コッペパン一つの子...
その時代の悲しみと痛みが ぐるぐると!躰を心を巡ります。
> 奥様の反応と、ネギのお話には噴き出しました。
> デ某さんの一言...「此処で何を言うねん」とビビりましたよ。
つい!ユーモアのつもりが余計な一言になります。
お騒がせして申し訳ございません(笑)
> 私もネギをたっぷりと入れるのが好きです
もやしが多いとなぜかちょっと侘しくなりますが ネギが多いと元気が出ます
> 紅葉が綺麗に撮れていますね。銀杏も散り敷いて・・日本の秋ですね・・
春には春の 夏には夏の...趣きがありますが、
やはり秋はこころが静まりますね、たとえ燃える秋であれ 散りそめし枯葉であれ...。
> ハッピーデー感謝します。私は何が何でもハッピーデーです。
「何が何でもハッピーデー」とは言いえて妙です
私には「Oh Happy Day」は学生時代の思い出深い曲でもあります。
或るステージで 雷にうたれたように しびれました。
寒くなりました。暖かくしておやすみになってくださいね
丁寧なコメント ありがとうございました
>『あ・うん』をわが家も同じく録画で観ました。
> フランキー堺・杉浦直樹氏...すでに両名とも天に昇り...
私も「みんな亡くなられたなぁ」と思いながら視ていました。
山師のおじいちゃんの志村喬さんも 山師仲間の殿山泰司さんも ね。
もうひとつ... セリフ一言だけの端役の方がも
主役の方と同じ大きさの字で俳優名が出ていたのも印象的でした。
> 映画の あ・うんコンビは 板東英二・高倉健氏で 水田の妻役が 藤純子さん
これも視ました。
視ましたが やっぱりフランキー堺さん、杉浦直樹さん、そして吉村実子さんが いい!と。
なんだかね、現実味と言いますか 役柄と役者さんが TVの配役のほうがしっくり!きました。
> 門倉が親友の妻に恋していて...皆がそのことを知っていて...。
> 戦前の日本の 奥ゆかしくて不思議な世界を 向田さんは上手に書きました。
あらすじを くりさんにフォローしていただき 嬉しいです。
私 一度は記しましたけど、「長すぎるぞ」と叱られそうで 削りました
> 台湾で飛行機が空中分解して落下...あのショックは忘れません。
当時は 私にはそれほど実感がありませんでしたが、
ここ十数年、向田作品に触れる機会が多く 事故当時より寧ろ悲しみがより深く迫りきます。
> 独身を通した向田さんに恋人がいて...交わした言葉などを綴った日記が彼女の死後見つかり...
> 恋人のことはだれにも一言も言わず 向田さんは逝きました。
中原歩さんでしたか...ニクイ人!
有名な方は 死ぬとき 余程!身辺に気をつけなくてはなりませんね
私は 無名で良かったです。
> デさまはネギがお好きですか? 今からのネギは甘みが増し美味しくなります。
> たくさん食べてくださいね ネギは風邪にも効きますから。
はい。わが家の冷蔵庫には大きなタッパーに刻んだネギが いつもたっぷり入っています。
ネギのお陰で 風邪しらず!にこの冬を乗り切りたいと存じます。
くりさんもくれぐれもお風邪など召されませんようにね
博多万能ねぎはブランド名というだけで、普通の小葱です。我が家も刻んだ小葱が常に冷蔵庫に入っています。主に父が納豆に入れて食べていますが、みそ汁に添えることもあります。
みそ汁をついだ(よそった?)後に、刻み葱をふりかけると美味しいのですが、美味しいと思うのは人それぞれで、なぎぃは辛みなどの刺激を痛みとしか感じないので、父が親切心でみそ汁にねぎを入れようとして怒られたことがあります。
なので、カツオのたたきも、ショウガやねぎをたっぷりのせて食べると美味しいと信じていた私は、なぎぃが痛いのを我慢して食べていたんだと知ってとてもショックでした。
ねぎは要らないという言葉を遠慮だと思ってしまうのが普通なんですけどね。
なんだかねぎばかりの話題になりました。ごめんなさい。
ちなみに、こちらのうどん屋さんもねぎは入れ放題です。
そしてシマ君、がんばってるシマ君がいとおしくて仕方ないです
25年ほど前、友達に誘われて久世光彦さんの講演会に行ったことがあります。
久世さんは客席を歩きながらお話をされていたのですが、
急に「島倉千代子さんの、あれなんという歌だったかな、あれ?なまえが出てこない」と困ったご様子で私たちの前でたちどまったんです。
私は話の内容と流れから、それは「愛のさざ波」という歌だとすぐにわかったので
とっさに久世さんに小声で伝えたんです。
そしたら久世さんが「そう、それだ、それだ、いやーありがとう!」
とおっしゃって、話を続けていかれました。
テレビプロデューサーだった久世さんは、有名人が亡くなった時にいち早く対応できるための裏話をお話しされてたんです。
デ某さんの記事を読んで、あの時久世さんは
向田さんへの想いを胸に秘めながらああいうお話をされていたんだなと今になって理解したしだいです
SORAさ~ん
えーっ、ぎっくり腰で1か月も具合がわるかったんですか?
それはそれは大変でしたね
その辛さを誰よりもわかっているのがこのRarudoです
くれぐれもお体大事になさってくださいね。
シマ君もご主人や奥様といっしょに、元気で楽しいクリスマスやお正月を迎えてくださいね