8日間続いた猛暑も今日は一段落のようです。
それでもこれからまだまだ30度を越す日々が続くようですね。でも2~3度の違いでも嬉しいです。
ここ数日は何と無く気分が重いです。TV番組の所為でしょうか。
8月6日の「原爆の日」、NHKの午後7時半からの「きのこ雲のしたで何が?」をご覧になった方は多いでしょう。
原爆直後の広島の2枚の写真を最新技術で徹底解析、浮かび上がってきた新事実を生存者の証言とともに分析したものでした。
その写真の撮られた場所は「御幸橋」(みゆきばし)。私が小学校、中学時代、通学に利用していた懐かしい橋です。
私の知る御幸橋は石造りの恐らく原爆投下時、そのままの橋だったと思います。
今は当時の面影はなく立派な近代的橋に姿を変えていますが・・・。
そこで起こった惨状は決して消えることはないでしょう。
観るに忍びない映像でしたが、私はすぐに父の話を思い出しました。父もきっとあの惨状を見たのであろうと。
父の会社は爆心地から数百メートルしか離れていない場所にありました。
当日、前日が出張のため出勤を遅らせてよかった父は、命拾いをしたもののすぐに出社、あの橋を渡っています。
そして以前にも書きましたように、ある若い女性に家に連絡して欲しいと助けを求められました。
その女性は同じ社に勤める女子社員でしたが、父は誰か分からなったそうです。酷いやけどを負っていたのでしょう。
父は彼女を助けることはできませんでした。父はどんな気持ちで御幸橋を渡ったのでしょう。それを思うと心が痛みます。
昨日、録画をしていたNHK「ヒバクシャからの手紙」という番組を観ました。
今年になって生存する被爆者の平均年齢も80歳を越えたそうです。
寄せられた二千数百通に及ぶ手紙には当時の体験と今の悲痛な心情が綴られていました。
涙なくしては聴けない、観られない番組でした。
両番組とも、画面に登場し当時を語る年配の被爆者に、私はよく生きて下さいしました、とお礼を言いたい気持ちでした。
その方々が皆異口同音に仰っていたことがとても印象的でした。
「どうして私は生きとるんかね~。きっと何かのために生かされておるんよね」と。
夫の従姉も8歳で被爆し、その体験を語り部として、国内だけではなく世界にも発信しています。
今多くの被爆者が重い口を開き、当時のことを語り始めています、生き証人として!
私は今回のTV番組を観てよく分かりました。「何故被爆者が当時の体験を語ろうとしなかったか」。
あの地獄のような惨状を思い出したくなかっただけではないのです。
彼らは親を、子を、友を救えなかったこと、見殺しにしてしまったことに大きな罪の意識を感じているのですね。
今は亡き父も母も、殆ど原爆のことを話そうとはしませんでした。同じ想いだったのでしょうか。
被爆2世として、また被爆者を夫に持つ妻として、今の私に何ができるでしょうか。
東京には「東友会」という東京在住の被爆者団体があります。
毎月会報が送られてきますが、夫も私も今までは殆ど目を通すこともなく、会費も払っていませんでした。
少し心を入れ替えようと思います。「ノーモア ヒロシマ」のために!
ここ数日のTV番組にいろいろな想いの錯綜する昨今です。
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