遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

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湯田中温泉よろづや 松籟荘の思い出

2021-02-12 23:16:28 | 近代建築
2021年2月11日、まさかのニュースを見た。
湯田中温泉のよろづやさんが火事で全焼だというのだ。
しかも出火元はあの有形文化財の松籟荘の厨房。
眩暈がした。

わたしは学生の頃から歌舞伎、文楽にかなりのめり込んでいて、特に90年代は非常によく観に行った。
そして昔の歌舞伎俳優の芸談や評伝を読むのも好んだし、昔のブロマイドや芝居写真を見るのも楽しみにした。
その中で天下の美男・15世市村羽左衛門にも非常に惹かれた。
彼は満天下の人気者で様々な伝説も生まれていた。
その伝説を採りあげたのが里見弴「羽左衛門傳説」で、これはかれが昭和20年に疎開先の湯田中温泉よろづやで亡くなる辺りまでを記している。
わたしは泉鏡花を長く偏愛していて、そこから里見弴を知り、読み始めるとこれがまた非常に面白くてのめり込んでしまった。
里見弴はよろづやに向かい、羽左衛門と実際に交流した当時まだ二十歳前後だった宿のお嬢さん(後の女将さん)からその最期を詳しく聞き取っている。

里見弴、15世羽左衛門好きなわたしとしてはたとえ遠かろうとも折あらばなんとか信州へ、と長く願っていたところ94年に行くことが出来た。
そして女将さんに実は、と打ちあけたところ3時間にわたってお話をして下さり、羽左衛門ゆかりの松籟荘の部屋や碑(当時折れていた)を案内してくださったりした。(橘文様の裏地をつけたファンの女性のお話なども興味深かった)
たいへん嬉しかった。帰阪後にお礼の手紙も送ったくらいだった。

やがて再訪できたのは2002年でその時には松籟荘にも宿泊出来た。
こたつが出ていてそこへ厨房から作りたての食べ物が順序ごとに届けられるのだった。



そのときも94年もぱちぱちと撮影したのだが、今、その94年の写真が何故かこの遠望と、ベランダに来た猿の写真くらいしか見当たらず、みつけだせないままになっている。
そしてこちらの02年の写真もこれだけではないはずなのにどうしてか見つからない。
いずれ時間をとって探し出したいし、その時には今ここでは書いていない話なども記したいと思う。

今わたしの手元にある松籟荘などの写真を挙げてゆこうと思う。
当時の日記も出せたら詳しく記せるだろうが、今回はそれよりも今手元にあるものを挙げたい・挙げねばならない、という思いが先走る。
なお写真は全て日付入のフィルム写真である。


室内は花頭窓のような刳りがされたところもある。


天井も大変凝っている。


欄間は撫子だと思う。


富士山を描いたものだが、これはちょっとよくわからない。


竹の絵は寺崎廣業のもの。落款から推してだが。
ここの桃山風呂の扁額もかれの手に依った。


木々に囲まれていたなあ…


これは本館の方だと思うが、今ちょっと思い出せない。

こちらは絵はがき。
ほかにもまだあるはずだが、いまちょっと見つけられない。


泣きたいが、わたし以上によろづやさんがまずなによりいちばんつらいだろう…
どうか再現が為されますように、と願いを込めてこの記事を挙げる。

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