日産自動車、スバルの完成検査不正に関して、規制そのものが時代遅れではないかという批判がある。実際、完成車の品質管理には及びもつかないレベルの規制を形式的に順守させることの意味は無い。
問題は、実効性を失った規制を誰も変えようとしなかったことにある。規制されてる側は、「こんなの無駄」と感じていても規制している側に物申すことは難しいだろう。基本的には役所に圧力をかけるわけで、そこには政治献金が必要になる(いわゆるロビー活動)。
規制の存在が死活問題とならない限り、企業・業界が動くことは考えづらい。「不都合が許容範囲なら変えない」のが保守的な考えの基本でもある。
その結果、誰も見向きもしなくなった規制が山をなし、意味を失った規制を管理するために役人(とは限らないが)が増える。官僚制の宿痾だ。その一方で、規制は「当分の間」変わらないことが求められる。コロコロと規制が変わっては安心して商売できないわけで、その塩梅が難しい。