わんわんず

日々のあれこれ、感じたこと考えたこと

C++の危機

2024-02-29 | デジタル・インターネット
 アメリカホワイトハウスが、C++やCのようなメモリ脆弱性を持つ言語から、JAVAなどのような脆弱性が少ない言語への意向を推奨したという(こちら)。
 プログラミングを覚え始めて40年以上経つ。初めはBASICだったが、本格的に学んだのはPascalとFortranとCだった。そして、当時はNewCと呼ばれていたC++だ。

 改善されているとは言え、根本的に安全性を前提として設計されていたわけではないし、時代の流れかもしれない。しかし、自分自身が時代から取り残されるような感じを受けたのも事実だ。

 これから、どうしたものか。
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亜鉛不足なのか

2024-02-26 | 健康・病気
 ここ数週間、舌が荒れている。とりあえず、味は判るのだが、ちょっとした刺激で痛みを感じる。これまでも、舌が荒れることはあったけど、こんなに続くことはなかった。

 栄養状態が悪いのかとも思うが、食べるものが大きく変わったわけじゃないし、酒は減っているくらいなので、健康になりこそすれ、不健康になる要素は、少なくとも主観的には無い。

 ただ、自覚症状はあるので、なにか問題が起きていることは間違いないし、改善したい気持ちもある。
 口内炎ではなくて、舌が荒れて、シュワシュワした感じがあるときは亜鉛不足が疑われるらしい(ネット情報)。他にも、口内細菌のバランスが崩れているとか、いろいろあるみたいだ。
 食べるにも話すにも困っていない状態では、病院(歯科かも)に行く時間は作れないので、何かサプリでも飲んでみようか。
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越生梅林ライトアップ

2024-02-25 | 日記・エッセイ・コラム
 昨日も書いたとおり、越生梅林に行った。
 というのも、越生梅林まつりで梅のライトアップをやるというから、見に行ったのだ。

 高取城跡に寄り道したりして、梅林に到着したのは午後3時半くらいだった。それなりに観光客は多くて、子供連れも見かけた。時間があったので、ひと通り散策してから梅の花を観察していた。初めて気づいたのだが、ほとんどの梅の花は下向きに咲いていた。当然、枝は上に向かうのだが、蕾も花も下向きだった。いずれ、実が成るからかなぁ。梅の花が咲いているのを何度も見ているはずだが、本当に「見る」のは難しい。
 

 

 ライトアップした様子も写真に撮ったのだけど、うまく撮れていなかったので、本文の掲載は無し。

 今年(2024年)のライトアップは3月2日も予定されているので、興味がある人は是非。ただし、日が落ちると寒さが厳しいかもしれないので、防寒はしっかりと。
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高取城跡

2024-02-24 | 日記・エッセイ・コラム
 今日は越生梅林まつりに行ったついでに、越生駅から遠くない高取城跡に寄った。

 越生駅からGoogleマップの案内どおりに進んでいくと、「ここ?」というところに連れて行かれるが、たぶん正解。越生神社から登る道は、幅が狭くて足を滑らせると滑落死すること間違いない。少々遠回りでも尾根沿いの道を通ることをおすすめする。

 城と言っても、おそらく物見櫓の域を出ない感じだった。写真を取りそこねたが、いちおう郭らしきものもあった。しかし、基本的に越辺川を監視することと、連絡線を確保することが目的だったのだろう。


城趾からさいたま新都心方面を見たら、こんな感じだった。
中世は、関東平野を眺めるにはいい場所だったのだろう。




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最近読んだ本 日本軍の治安戦

2024-02-24 | 最近読んだ本
 何と言ってもプロローグを読むと気分が悪くなる。おそらく、自分の中にも残虐性があると自覚するからだろう。
 日中戦争が行き詰るなか、支配権を確立するために開始されたと思われる治安戦だが、もし自分が当事者(下士官や兵)だったら、同じことをしているかもしれない。

 アイヒマンと同様に、上官の命に従っただけだと自分を納得させながら、他人の痛みに気づくことなく過ごしていただろうと思う。

 本書に出てくる「天皇制無責任体制」は、今でも残っているように感じる。始めることには熱心でも、終わることには関心を持たない、そういう文化が日本にはあるのだろう。
 いい面を見ると、過去のいきさつにとらわれず、水に流す文化とも言えるが、悪い面を見ると、過去に学ぶことをしない文化とも言える。

 中国共産党の来歴と正統性の根拠からいって仕方ないが、被害者は記憶を風化せるつもりはなく、加害者は自らの痛みではないから忘れてしまう。このギャップを埋める努力を(少なくとも専門家は)する必要があるのだろう。
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