自分の結論を書くと、実現するはずがないというものだ。
同一労働同一賃金と言う言葉があるが、「同一」と評価できるような労働はほとんどない。同一労働となりそうなのは、ラインで同じ仕事をしているような場合に限られる。
ラインの流れに合わせて一定の作業を繰り返す場合は、確かに同一労働だろう。しかし、そういった仕事は少なくなってきている。多くの職場がサービス業になっている現在、感情労働とも言われる仕事に従事していると、同じ労働という範疇は狭まっているはずだ。ましてや、評価対象として考えると、コンビニの店員ですら同一という評価は困難だろう。コンビニの店員は接客だけでなく、品出しや機器のメンテナンスも行っている。それぞれに得手不得手があることを考えると、同一労働と評価できるだろうか。
もちろん、使う側から見て同じくらいの価値という意味での同一労働はあり得る。しかし、それは使う側から見て「このくらい払ってもいいだろう」というものであって、客観的に決まるものではない。
もし、そのようなことをもって同一労働同一賃金と呼ぶのであれば、今と変わらないことになる。
工業製品ですら一物一価が成り立っていないのに、「働く」を評価して一物一価にすることは不可能だと思うわけだ。