うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

権力と婚姻

2021年03月31日 | ことばを巡る色色
先日JO先生は、日本の神話に女性蔑視はないとおっしゃったが、国産みの時、伊弉冉が先に声を掛けた不具の蛭子が生まれ、これではあかんということで伊弉諾が先に声をかけることにして神々が生まれたというのは、古事記が書かれた時代の感覚を反映しているのだろう。女が先に立つのは災いであるという感覚があったのだろう。
大和の権力は地方の有力者の男を力で屈服させ、有力者の娘との子を作ることで地方を取り込んでいった。大和の権力者は多数の嫁(妃)を持つ。多数の嫁を持つことが力を示すものであったのかもしれない。婚姻は複縦でも和合でもある表裏をなすもの。
考えれば古今東西、閨閥は政治に大きな役割を果たす。西欧の王家は複雑に婚姻関係を結んでいるし、明治の政治家と経済人も、戦国から徳川の時代の有力者も婚姻と養子関係を重ねている。徳川幕府へと続く中で生きた人達は、名古屋あたりの近所の人々でもあった。誰とかさんちの息子の誰とか、って感じで見知っていた人たちが、じゃあ息子と娘を一緒にさせよか、うちの息子は出来が悪いからそっちのできる息子たちの一人を養子にくれよ、とか。そう考えると、教科書に出てくる人も、政治という大きなものと近所づきあいめいた卑近なものの集合の中で生きていたのかなっと思う。 織田を滅ぼした明智の娘が春日局になったり、二代将軍が秀吉の秀のつく名前だったり、とても不思議だなと思っていたけれど、みんなちょっとした知り合いだからね。遠くの有能な新人より、古くから知ってる誰とかさんちの子の方が信用され、採用されるってのは、今も続く就職のコネとおんなじ構図だ。
権力の流れは高邁に、社会の変化のように思われているけど、人はそういう身近な人付き合いから逃れられないのだろう。
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