先日急逝された政治学者の五百籏頭さんに興味を持ち、この本を借りてみた。
2016年の本。昨年、文庫版も出ている。
お堅い本かと思いきや、これが面白いのなんのって。序章「はじめに」からして、いちいち興味深く、面白い。
「はじめに」の冒頭:(以下、緑字は抜粋)
◆我々は思いもかけず「大震災の時代」にめぐり合わせている。日本列島の地震活動は、あの1995年の阪神・淡路大震災をもって平穏期から活性期に転じた。16年を経て、2011年に勃発した東日本大震災は超弩級の複合災害であった。問題の重大さは、それを地震活動のフィナーレと見ることができない点にある。
これに続き、自身が阪神・淡路大震災を経験したこと(自宅は全壊、教え子の神大生が多く犠牲)に触れている。
そして「筆者は地震学者ではなく、歴史家であり政治学者である」と断りを入れたうえで、「地震のメカニズムよりも、日本人と日本社会の地震への対応の歴史を多く語ることになるであろう」と述べている。
決して”地震の専門家”ではなかった氏が、震災を”まともに経験”したことにより、突き動かされたものがあるー この熱い衝動のようなものが本書からも、ありありと伝わってくる。結果、読み物としても一級品になりえたのである。
◆読者の皆様は、ご自身で地震を体験されたことがあるだろうか。日本人であれば、大地の揺れを知らぬ人はいまい。ただ、多くの人は、震度5あたりまでの「普通の地震」しかご存じでないのではなかろうか。
多くの人々の知る「普通の地震」は、次のようなものである。
—ガタガタ、ゴトゴトとリードの揺れが始まる。もしかして地震じゃないか。人々は心の中で警戒とともに、どの程度の地震かな、と瀬踏みする。このリードの長さは震源地からの距離に比例する。小刻みだが速く伝わる、いわゆるP波(タテ波)による地震の通告である。突如、大きく本揺れになる。S波(ヨコ波)の到達である。震度3から4までだと、なかなかしっかり揺れるじゃないか、と人々にはまだ余裕がある。震度5以上だと、人々の表情が変わる。危ない、棚の上のものが落ちる、机の下に隠れないと。膝を屈する気持ちになると、幸い地震は遠ざかっていく。大自然を甘く見るなよ、わかればいいんだ。まるで大地の魔神がそう言い残すかのようにー。
大多数を占める普通の地震は、このように人々に警告を発するが、とどめを刺そうとはしない。それなりにエチケットを心得たものである。
(略)
◆直下型地震(阪神淡路)の場合、先に述べた標準型のようなリードの揺れがない。いきなりガーンと下からはね上げられる。その地にあった私にとって、その一撃は、わが家に飛行機が墜落したのか、山津波に襲われたのか分からない大衝撃であった。目を覚まし、何事だ、と思う間に、猛烈な揺れが始まった。地震だ。が、我々が知るところの(エチケットを心得た)地震ではない。大地の魔神が、わが家を両腕でわしづかみにし、引き裂こうとしている。この家を破壊し、家族を皆殺しにするまで止めない気だ。なぜだ。なぜそこまでする。殺意を感じる猛攻である。家はひし形にゆがんで悲鳴を上げ、室内は家具が飛び交うのを、暗闇の中でも感じた。もし家族4人が、それぞれ2階のベッドで寝ていなければ、果たして生きながらえることができたかどうか。
「エチケットを心得た地震」か、なるほどねぇ・・・このような文章表現から、五百籏頭さんのユーモアあふれる温かいお人柄が感じられる。
***
本書では、大正期の関東大震災、阪神・淡路大震災、東日本大震災とおもに3つの震災を分析している。この中でまず驚きを隠せなかったのは、この3つの震災が起こった時期、というか瞬間は、いずれも政権が不安定だったことだ。「大自然には政治の弱点を突く悪趣味な性癖があるのだろうか」という五百籏頭さんらしい書き出しで始まり、
◆東日本大震災は、政権交代を遂げた民主党政権が不安定な試行錯誤を続ける中で勃発した。
◆阪神・淡路大震災も、社会党委員長・村山富市を首相にいただく自社さ連立政権という変則的事態を襲った。
◆それ以上にひどかったのが関東大震災であった。何と、首相不在の瞬間に突発したのである。
と書かれている。知らなかった、関東大震災当時の総理(加藤首相)が現職のまま(腸がんで)病没されていたとは。
とにかく、本書はいちいちおもしろい。まだ最後まで読めていないが、つい夜更かししてしまうほどである。
それはわれらが阪神大震災を経験したことも大きいであろう(ただし被災者ではないが)。震災当日の各行政の首長の動き、自衛隊の動きなども克明に書かれており、わくわくして読み進めた。
すっかり本書に影響された弊ジムショ。なんでも地域の”お祭り”がある場所では、震災の時に共助できるから死傷者も減らせると本書で知り、「地域の消防団などの組織に参加するのも、今後の防災のためにはいいんじゃないか?」とガラでもなく考え始めている。(たぶん入らんやろけど)
いつ、次の震災が起こるやもしれぬ日本。本書はすべての日本人が今、読むべき本ではないだろうか。
本書に感銘を受けると同時に、能登の震災を目の当たりにした五百籏頭さんが、志(こころざし)半ばで急逝されたことの無念さを思わずにいられない。この先も、日本の”国難”のためにどれほど必要な方だっただろう・・・。
文庫版も購入。字が小さめですな (-_-;)