源実朝
塵をだに
据ゑじとや思ふ
行年の
跡なき庭を
はらふ松風
押し迫ってきた
今年もあと一日
今日はまた
飯台の茶事の水屋
四回目
お客様は社中の四名
席中のお酒がよく売れたようだ
今年は
自宅で安居の会という
月釜を披いていたのを
五月に終了した
19回続いたが
何でも限界がある
年齢、体力
経済的事情、家庭環境の限界
だからこそ
出来るときには
茶事をしようと思う
いつも
つたない私目のブログを
ご覧 頂きまして
感謝申し上げます
寂蓮
知る知らず
みちゆき人の
けしきにも
あはれは深き
年の暮かな
今日は二十九日
カレンダーを見ると
小晦日コツゴモリとある
小晦日(こつごもり)は、
大晦日オオツゴモリ、大みそかの前日。
陰暦では12月29日を、
陽暦では翌30日を指す。
「朔サク」が
月が現れることを意味するのに対し、
「晦カイ」は
月が隠れることを意味する。
今日は
サカチカさんちの
茶事の水屋に入る
飯後の茶事だ。
サカチカさんの茶事は
月に一日がいつもだが
この年末には頑張って
茶事を四日間する
そのうちの三日間はもう済んだので
あと一日
明日
十二月三十日
小晦日の茶事だ
魚鳥の心はしらず年わすれ 芭蕉
魚は水に飽かず、
魚にあらざれば
その心を知らず。
鳥は林をねがふ。
鳥にあらざれば
其心を知らず。
「方丈記」
今日は綱島のふくもとで食事会
今年も押し迫って
何かとあわただしく過ごし
心を忘れてしまうから
ゆっくり食事する
いつものメンバーではなく
倍様と二人だけ
伏見のお酒の玉乃光
ついつい飲んでしまい
すっかりいい気分になってしまった
写真はかに雑炊
今日も
美味しかったですな
完食
何度かお店にいらっしたことのあるお客様が
村雨庵のブログをご覧になって下さって
以前
清昌堂やましたの茶会へ行ったことを
アップしたのだが
同じ茶会にご一緒だったようである
ふくもとも共通のお気に入りのお店
ご縁があるのでしょう
でも
その話し伺うと
とても恥ずかしくて
何と言えば良いのか
焦ってすぐさま
話題を変えてしまった
申し訳ない
つたない文章の
つたないブログであるから
ホント申し訳ありません
西行
おしなべて
おなじ月日の
過ぎゆけば
都もかくや
年は暮れぬる
今年もあと四日
大晦日に従姉が泊まりに来るので
部屋を片付ける
いるか
要らないか
不明の紙類の何と多いこと
朝のテレビで
紙類の整理方法をみた
八割は捨てられるらしいが
マメでないとできない
どうも無理そうだ
来年は辰年
辰は「振るう」に由来し、
自然万物が振動し、
草木が成長して
活力が旺盛になる、状態を表す。
とネットに出ていた。
胡桃など割つてひとりゐクリスマス 山口青邨
今日は月曜日
クリスマス
親戚からメリークリスマスのライン
友人から山下達郎の
「雨は夜更け過ぎに」の
歌付ムービーが
ラインで来た
今日はのんびり
テレビを見て昼寝の日
なんだか
その方が疲れた感じ
むしろ忙しく
出掛けた方が
楽かもね
らふそくの
燃えゆくはたのし
クリスマス 青邨
今日はクリスマスイブ
青邨とは山口青邨ヤマグチセイソン
山口 青邨は、
1892年5月10日
~1988年12月15日
日本の俳人・鉱山学者。
岩手県出身。
東京大学名誉教授。
本名は吉郎。
初号は泥邨。
高浜虚子に俳句を師事、
工学博士として東京大学に
勤めながら俳誌「夏草」を主宰した。
(ウィキペディアより)
今日は昨日と同じ
サカチカさんちの茶事の水屋
続けての茶事だが
亭主と水屋のわたくしめ
案外疲れていない
元気だ
夜はM-1グランプリ
みてる
野の中に土御門家や冬至の日 太祇
土御門家は
天文・暦数・陰陽道を司る公家。
姓は安倍。
平安中期の陰陽頭であった
安倍晴明の子孫で,
室町時代の有宣アリノブの時から
土御門家を称した。
昨日は冬至だった
今日は上皇陛下の御誕生日
明日はクリスマスイブ
ゆめぴりかの日
今日はサカチカさんちの茶事
水屋
飯台の茶事
いつもと違う懐石の出し方
汁替えはなし
一文字のご飯は物相に
味噌汁と
煮物椀は金色で
お酒は飯椀の蓋につぐ
などなど
お客様参加型だ
茶事
楽しいね
陰陽師オンミョウジ
歩ホにとられ行ユク
冬至哉トウジカナ 太祇
陰陽師には
禹歩ウホという呪法があるらしい
足で大地を踏みしめ
呪文を唱え
千鳥足の様に前進して歩く呪法だ
基本は北斗七星の柄杓方を象カタドって
ジグザグに歩くものであるが、
九宮八卦の九星配置を象って歩くやり方や、
片足を引きずりながら
歩いて地面に図形を描く
といったものもある
今日は冬至
あさから寒い
予約してある美容院で、パーマをかけ
予約なしのいつもの医院へ
薬をもらいに行く
なんと言うことない
穏やかな日常
ありがたいことだ
藤原清輔
君来ずは
一人や寝なむ
笹の葉の
み山もそよに
さやぐ霜夜を
藤原 清輔
(ふじわら の きよすけ)は、
平安時代末期の公家・歌人。
藤原北家末茂流、
左京大夫・藤原顕輔の次男。
官位は正四位下・太皇太后宮大進。
初名は隆長。
六条を号す。
六条藤家3代。
看々臘月尽
みよみよ ろうげつ つく
今日は水曜稽古
掛けものはこれ
いつも年末はこの掛軸
点前を終えて帰り際
よいお年をと
年末の挨拶
早いね
一年
写真は頂戴した
おはぎと
栗蒸し羊羹
美味い
紫式部
ふればかく
うさのみまさる
世を知らで
荒れたる庭に
積もる初雪
江戸時代の和歌や俳句
ちょっと見ただけでは
読めない
崩し字の読み方にも通ってるが
だからといって
その通りに崩してないから
特に江戸時代のは読みにくい
なかなか読めなかったが
集中して読み始めると
違ってるところがあると思うが
何とか読めた
夏をよしといふ人あり
冬の夜 小座敷にて
こもり語り遊わべうぞ
まさるべけれ といふもあり
くらべんと
さぞないそげむ
まわり炭
違ってるところあるかも知れないが
とりあえず読んだ
夏が良いねという人がいる
また
冬の夜の小座敷に
こもって語り合い
遊ぶ事こそ
何よりのまさる楽しみよ
と言う人あり
まわり炭は
くらべるから
さぞかし急いで
炭をついだのだろう
てな事
源順
越の海に
群はゐるとも
みやこ鳥
みやこのかたぞ
恋ひしかるべき
源順 ミナモトノシタゴウ
平安中期の歌人、漢学者。
三十六歌仙の一人。
梨壺の五人に撰ばれ
「万葉集」の古点や、「後撰集」の編集に当たった。
家集に「源順集」があり、
「無尾牛歌」などすぐれた漢詩文の作品が
「本朝文粋」に収められ、
百科的辞書「和名類聚抄」の著もある。
また、「宇津保物語」「落窪物語」の作者にも擬せられている。
延喜一一~永観元年(九一一‐九八三)
今日は森金さんの茶事
ベランダからの景色が良い
富士山が見えたらもっと良いのだが
今日は残念見えない
でもユリカモメが飛んでいた
今日はお客様で招かれた
のんびりいられて嬉しい
水屋の担当は
結構緊張する
ご飯を炊くタイミング
コンロにかけたお鍋の存在
席中の亭主の進行程度
忘れると大変だ
あちこち
あれこれ
気をつけていないと
いけないから
緊張する
極月の昼寝の夢のはかなしや 草城
写真は
「ルシアの猫」という名の
サフランパン
今日は木曜稽古
午後に遊びに見えた
シモちゃんと第二子の
4ヶ月の赤ちゃん
その時
お土産に持ってきてくれた手作りのパンだ
スウェーデンでは
クリスマスシーズンに
Lussekatt(ルッセカット)「ルシアの猫」
という名の
サフランパンを食べるとか。
美味しかった。
赤ちゃん今度は女の子
可愛かった
また来てね
猫のミーちゃんも待ってます
何事も筆の往来や冬籠 千代女
時節柄、
歳暮の御礼の手紙やメールが
行き来するこの頃
今日は水曜稽古
掛け物は雛屋立圃の色紙
雛屋 立圃
ヒナヤリュウホ
江戸時代初期の狩野派の絵師、俳人。
文禄4年〈1595年〉 ~ 寛文9年9月30日〈1669年10月24日〉
姓は野々口、
名は親重。
号は立圃、立甫、甫、松翁、日祐、風狂子。
野々口 立圃としても知られる。
俗称は紅屋庄衛門、市兵衛、次郎左衛門、宗左衛門など諸説がある。
絵師としては狩野派。
先祖は地下侍といわれる。
京都一条に生まれ、
父の代に丹波から京へ上り、
雛人形を製造・販売し、
雛屋を称す。
俳諧を松永貞徳、
連歌を猪苗代兼与に、
和歌を烏丸光広に学び、
書は尊朝流。
絵画は狩野探幽、俵屋宗達、
土佐派を学んだとも。
柿落ちてうたた短かき日となりぬ 夏目漱石
今日は古筆研究会
八代集
『古今和歌集』
『後撰和歌集』
『拾遺和歌集』
『後拾遺和歌集』
『金葉和歌集』
『詞花和歌集』
『千載和歌集』
『新古今和歌集』
これの覚え方
今後私語は禁止せし
こん ご し ご は きん し せし
古今→こ(ん)
後撰→ご
拾遺→し
後拾遺→ご
(は)
金葉→きん
詞花→し
千載→せ
新古今→し
今後私語は禁止せし
覚えよう
すぐ忘れてしまうけど