村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

とこなつの 花をし見れば

2021-06-30 22:15:14 | 村雨庵 稽古 

貫之
とこなつの 
花をし見れば 
うちはへて 
過ぐす月日の 
数もしられず

古今集 躬恒

今日は水曜稽古
朝9時過ぎに茨城からのお弟子様が
一年ぶりか半年振りか
ご挨拶を兼ねて
お稽古に見える
まだお年も若く
お勉強は盛りの時
コロナ禍でお茶会もなく
時間はあるとか
こんなときこそお勉強して下さい

お茶に関係するお稽古
例えば懐石料理、お菓子、
茶花、お習字、お香、お謡
和歌、俳句、金継ぎ、袋物、何でもいい。
まだ習ってないことを新しくやってみたら
お点前のお稽古だけでなく
茶の湯の楽しみが広がります
と 言っても
「なかなか出来ません」と
即答
考え方は人により異なるから
仕方ないか

今日は6月晦日
夏越の祓いの日

6月30日は、
「夏越の祓(なごしのはらえ)」
または「水無月祓(みなづきばらえ)」
とよばれる神事が各地の神社で行なわれる日。
穢れを祓い清め、
無病息災を祈願しながら大きな茅の輪チノワをくぐります。
また、身に付いた穢ケガれを移した
人形ヒトガタを水に流したりします。


今日のお菓子は
いつものお菓子屋からは
練りきりの「常夏」
もうひとつは「非時香菓トキジクノカグノコノミ」
それに「空也の最中」
それと
虎屋の「水無月」

写真は
ひとえの着物でお稽古にみえた雪さん
お召しの着物は私が差し上げたという
角通しの江戸小紋と薔薇の帯
寸法もなおさずピタリとか
よかった
よかった

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よどのわたりのまだ夜深きに

2021-06-29 20:53:43 | お勉強

いづ方に
なきてゆくらむ郭公
よどのわたりの
まだ夜深きに
 壬生忠見ミブノタダミ

壬生忠見ミブノタダミ
生没年不明
平安時代中期の歌人、
「古今集」撰者の一人。
壬生忠岑の子ども。
藤原公任が選んだ三十六歌仙のひとり。

今日は
読売カルチャー教室へ
「茶の湯のはじまり」
茶道の歴史と意味

利休以前の茶についての講義を受ける
席は15名で満員
盛況である
コロナ禍で茶会もできず、
美術館へも行けず
原点に戻って
茶の歴史でも勉強しようではないか
という人達であろう

昨日二回目ワクチン接種だったが
その後副反応は腕が痛いくらいで何もない
家ではお習字のお稽古中
森金先生と園さんと暮ちゃんが
お習字に集中してる
私も後れ馳せながら
参加して細字を二枚書いた
酷い文字だ 筆のせいかしら
でも気にしない
いいや出そう

そこへクマショウさんが
写真の空也の最中を
買ってきてくれた。
私はお返しに
今しがたそごうで買った「水無月」を。
甘いものの物々交換
ほのぼの
嬉しい
明日食べよう

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夏は緑の葉のみしげれば

2021-06-28 23:18:00 | 短歌・俳句の事

にほひつつ
散りにし花ぞ
おもほゆる
夏は緑の葉のみしげれば
 よみ人しらず
 『後撰和歌集』

よみ人しらずヨミビトシラズ
古代から中世の和歌集の作者が不明
又は匿名

詠み人知らず、
読み人知らず、
詠人不知、
読人不知。

和歌の作者が
①本当に不詳。
②読者(宮廷人)に理解されない人物、
あるいは低い身分(下級役人、民衆)。
③名を載せることが
政治的に憚られる場合。
皇族に縁のある身分や出自。
失脚した人物。
④勅を発した天皇・上皇自身が
名前を伏して入撰させたもの。
⑤家集時点で名前が伏されたもの。
撰歌当時名前が不明だったもの。
⑥編者の編集の都合。
特定の歌人が多くなりすぎたなど。


今日は二回目のワクチン
一時間前に着いた
座って前の掲示板を見ると
「接種券」と「本人確認書類」の用意とある

忘れた本人確認の何かを
持ってくるのを忘れてしまった
取りに戻るしかない
とほほ

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さゆり葉に

2021-06-27 22:22:51 | 短歌・俳句の事

さゆり葉に
まじる夏草
しげりあひて
しられぬ世にぞ
くちぬと思し
 定家

今日は紫兎先生の二回目ワクチン接種
3週間振りにお目にかかりお元気で要らして喜ばしい
午後は
録画してあった華ドラ「明蘭」を見る
前に一度みたが又放映が始まった
BS11毎週火~土曜日
あさ4時00分~5時00分
「明蘭」
中国北宋時代の官僚の娘さんが主役だが
その時代の家庭生活や文化、
衣装に食事など大変興味深い
まだ11話が終わったところだ、
天目に茶筅のようなものでお茶をたてる場面も
これからも出てくる
官僚の三人のお嬢さんが
先生から
お茶お香それにお花の
作法を習う
お茶は「茶経」を読めというし
画面にそれぞれの道具が並ぶのだ
面白い

 

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とこなつの

2021-06-26 23:07:47 | 短歌・俳句の事

とこなつの 花をし見れば うちはへて 
過ぐす月日の 数もしられず
紀貫之

今日 鉄製の蓋置を買った
時代ではあるが
どのくらいかは不明

勝虫といわれる蜻蛉が
三匹
蜻蛉や蝶などの数えかたを見ると
頭と数えるともあった
それによると三頭
小さな蜻蛉の蓋置
そのうち茶会でも茶事でもひらいたら
つかおう

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五月雨の頃

2021-06-25 23:59:41 | 短歌・俳句の事

水無瀬河をちのかよひぢ水みちて
船わたりする五月雨の頃
西行

今日は金曜日
半年に一度の泌尿器科と
月に一度のいつものクリニック
どちらも異常なし
しばしの安心だ

先週淡交が届いた
届くとサカチカさんは必ずその日に

クロスワードクイズを完成させる
友人の集英さんも必ずクイズを完成させ
葉書を出すそうだ
私も試してみたが
知識と集中力の不足か
途中でくじけてしまい
完成させたことはなく
葉書を出したこともない
でも何となく私も負けじと
葉書を出したい気分になり
淡交歌壇に短歌を三首送った
なんとその短歌が先月掲載された
それを見た友人が早々と
ラインで知らせてくれた
本に載る事って
結構うれしい
次もとられる事を願って
また出そうかな

写真は
料紙作りを教えて頂き
作った冊子の
継紙の頁
できは酷いが色は綺麗だ

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明石の浦を出る舟は

2021-06-24 23:32:56 | 村雨庵 稽古 

月を見て
明石の浦を出る舟は
波のよるとや
思はざるらむ
 西行

今日は木曜稽古
お昼頃突然激しい雨
そのあとからっと晴れて青空が見えた

今週の掛けもの
一行は
雲無心自閑クモムシンニシテ オノズカラ シズカ

待合には青梅の画
本席は
柿本人麿の和歌と
その歌意の絵
二枚の色紙の台紙張り

ほのぼのと明石の浦の朝霧に
島隠れゆく舟おしぞおもふ

絵には浜辺に松の風景
海の沖合いには舟が見える
明石の浦の景色なのだろう

和歌の世界は穏やかで美しい

写真は
鮎の躍り焼
 食べたい

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ほのぼのと

2021-06-23 22:27:01 | 村雨庵 稽古 

今日は水曜稽古
順次稽古に見えて
点前をして帰る

写真は
 柿本人丸の色紙
ほのぼのと
明石の浦のあさ霧に
島隠れゆく
舟おしぞおもふ

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夏至ゲシの夕べの

2021-06-22 22:37:48 | お習字

禁煙す夏至ゲシの夕べの
など永き 臼田亜浪

 書道について
古典は数多くあるが、
最初に学習すべき
各書体の基本的な古典は

楷書 は
 欧陽 詢オウヨウジュンの
 九成宮醴泉銘キュウセイキュウレイセンメイ、
 虞 世南 グセイナンぐ の
 孔子廟堂碑

行書は
 王羲之遺墨を集字した
 集王聖教序シュウオウショウギョウジョ、
 王羲之の
 蘭亭序ランテイジョ
草書は
 孫 過庭ソンカテイの書譜
隷書レイショは
 乙瑛碑イツエイヒ、
 曹全碑ソウゼンヒ
篆書テンショは
 泰山刻石タイザンコクセキ、
 石鼓文セッコブン
かなは
 高野切第一種、
 高野切第三種
とウィキペディアにあった

今日はお習字教室
森金先生のもと
出席の生徒は六名
時間差でやってくる
とりあえず一枚書いたら先生の添削を受ける
お習字を書きながらその話を聞いている
右はねは最後まで力を抜かずに
ゆっくりと筆を残すのよ
書き方が早いとかすれますよ
まずはお手本をよく良くみてね

書きながら聞いて
人の事でも自分のことに
できることは やろうかな

写真はふくもとのお菓子
水牡丹
美ウツクし うまし

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藤原道綱母フジワラミチツナノハハ

2021-06-21 22:44:23 | 和歌と歌人

藤原道綱母フジワラミチツナノハハ
和歌・歌人94
嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は
いかに久しき ものとかは知る

藤原道綱母フジワラミチツナノハハは
936- 995、
平安時代中期の歌人。
藤原倫寧の娘。
本朝第一美人三人内也とある
日本で最も美しい女性三人のうちの一人であると
(尊卑分脈)
他の2人は光明皇后と藤原明子 (染殿后)。

藤原兼家の妻の一人となり一子道綱を儲けた。
兼家との結婚生活の様子などを
『蜻蛉日記』につづった。
晩年は摂政になった夫に
省みられる事も少なく
寂しい生活を送った
と言われているが詳細は不明。
『蜻蛉日記』は没年より約20年前、39歳の大晦日を最後に筆が途絶えている。


現在ラジオの古典講読で
蜻蛉日記を放送中
ラジオ第2 毎週土曜 午後5時 |
再放送 毎週日曜 午前6時
「王朝日記の世界Ⅱ 蜻蛉日記」
電気通信大学名誉教授、国文学者…島内景二,
【朗読】加賀美幸子
私はラジオで聞かずに、
ユーチューブで寝る前に聞いている

写真は青梅

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恵慶 エギョウ

2021-06-20 21:51:32 | 和歌と歌人

恵慶 エギョウ
和歌・歌人93
 八重むぐら繁れる宿のさびしきに
人こそ見えね秋は来にけり

恵慶 エギョウ とは
生没年不明
平安時代中期の日本の僧、歌人。
恵慶法師とも。
中古三十六歌仙の一。

出自・経歴は不詳。
播磨国分寺の講師をつとめ、
国分寺へ下向する際に
天台座主尋禅から歌を送られた。
歌人としては『拾遺和歌集』に初出する。
962年(応和2年)ごろより歌合などで活動し、
986年花山院の熊野行幸に供奉した?記録がある。
また、大中臣能宣・紀時文・清原元輔など
中級の公家歌人と交流していた。
小倉百人一首にも歌が取られている。
家集に『恵慶法師集』がある


写真は
昨日のふくもとでの煮物椀
銀椀に 鱧ハモと青梅
夏だ

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鮎くれて

2021-06-19 23:23:55 | 食事会

鮎くれてよらで過行スギユク夜半ヨワの門 蕪村

今日は6月の土曜日
文の会の三名で
綱島のふくもとへ昼食
はじめに
豆乳豆腐にじゅんさい、青柚
次は
茅の輪で飾った八寸
煮物椀は鱧ハモと青梅
お造りは鯛、アオリイカ、鮪中トロ、ホタテ、ウニ、
揚げ物は揚げなすにトウモロコシと鱧ハモ、オクラとパプリカ
焼き物は、待ってました
おどり鮎
美味しかった
そのあとはグリンピースご飯に味噌汁
香の物
お菓子は水ボタン
最後に薄茶
もお 言うことなし

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蛍とぶなり

2021-06-18 22:09:53 | 短歌・俳句の事

蛍の和歌一首
漁り火のかげかと見へて
難波江の芦間がくれに
蛍とぶなり

涌蓮 ようれん 
享保四~安永三
(1719-1774)
伊勢の人。
浄土真宗高田派の僧侶として
江戸澄泉寺に住したが、
のち京に出奔し、
嵯峨に庵を結んだ。
和歌は冷泉為村に学び、
小沢蘆庵や伴蒿蹊と親しかった。
「生涯一物もたくはへず。
明暮念仏する
いとまには歌をよめりしに、
歌書一巻をだに持た」なかったという

ゆうれん
だと思っていたのに
ようれん

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しやが咲きて

2021-06-17 23:51:10 | 村雨庵 稽古 

しやが咲きて
きりさめ降りて旅人は
かうもりがさの
柄をかなしめり
宮沢賢治

今日は木曜稽古
激しく雨がざーっと降り
さっと上がった

掛けものは
「山是山水是水」

上堂云。ジョウドウイワク
諸和尚子莫妄想。モロモロノ、オショウズ、モウソウスルコトナカレ
天是天地是地。テンハコレテン,チハコレチ
山是山水是水。ヤマハコレヤマ,ミズハコレミズ
僧是僧俗是俗。ソウハコレソウ,ゾクハコレゾク
良久云。リョウキュウシテイワク
與我拈案山來看。ワガタメニ,アンザンヲ キタリミヨ
(雲門広録、巻上)

案山 … →主山に対して、その手前にある低い山。按山。客山。


それと
蛍の和歌一首をかける
お稽古は
人により
奥伝
四ケ伝
小習いの稽古習うのも脳トレだが
教える方も脳トレだ
写真は2019年開催された『原三渓の美術』
横浜美術館で開催された
その時のポスターの一部

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6/16は菓子の日

2021-06-16 21:51:47 | 村雨庵 稽古 

①菓子のはじめは
垂仁天皇の命で
田道間守タジマノカミが
不老不死の理想郷に赴き、
10年の探索の末に
非時具香菓トキジクノカクノミ(橘)を
持ち帰った、
これを菓子の最初として、
田道間守タジマモリは菓祖神とされている

②饅頭のはじめ
1341年に日本にもたらされた饅頭(蒸し饅頭)は、
現在も続いている最も古い菓子の一つ。
饅頭は仁和寺の第二世
龍山徳見の弟子、
宋の林浄因リンジョウインによってもたらされた。
浄因は奈良の村に定住して
日本における最初の饅頭「奈良饅頭」を売り出した。
当初は中国のものにならって羊豚の肉が餡として使われていたが、
日本には当時肉食の習慣がなかったため、
浄因は肉の代わりに
豆類餡を入れたものを創案し、
この形の饅頭が全国に波及していった。

③和菓子の日
かつて、6月16日には、
菓子を食べ厄除けと招福を願う
嘉祥カジョウ(嘉定)
という行事がありました。
江戸時代には宮中や幕府でも重要な儀式となり、
特に幕府では、
江戸城の大広間に2万個を超える菓子を並べ、
将軍が大名・旗本へ下賜しました。
嘉祥は明治時代になって廃れましたが、
全国和菓子協会は、
昭和54年(1979)に「和菓子の日」として現代によみがえらせました。
6月16日には、厄除けと招福を願い、
ぜひ和菓子をお召しあがりください。
(虎屋の栞)

写真は
サカチカさんが予約をして買ってきてくれた。
とらやの嘉祥菓子だ。
今日は菓子の日
わが社中も
とらやの嘉祥菓子を食べて
厄除けと
招福を
願おう

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