村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

瀬を早み

2020-05-31 22:15:00 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号七十七
瀬を早み
岩にせかるる滝川タキガワの
われても末に
逢はむとぞ思ふ
 崇徳院
『詞花集』恋・228

崇徳院と言うと落語を思い出す
上野清水寺で若旦那が娘さんに一目惚れ
恋煩いで病に臥す
娘さんを探す手だてがこの和歌だというのだ
娘さんはお茶のお稽古の帰りである

最近落語は
いつでもユーチューブで観れる

今日はサカチカさんとコシチャンが
来た
サカチカさんがお菓子を作ってきてくれた
銘は落とし文
抹茶ではなくて新茶
コシチャンとは二ヶ月以上会ってなかった
三人でお喋り
楽しかった
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沖つ白波

2020-05-30 23:58:26 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号七十六
わたの原
漕ぎ出でて見れば久かたの
雲ゐにまがふ
沖つ白波
 法性寺入道前関白太政大臣
ホッショウジニュウドウサキノカンパクダジョウダイジン
『詞花集』雑下・382

藤原 忠通フジワラノタダミチのこと
平安時代後期から末期の公卿・歌人。
関白・藤原忠実フジワラノタダザネの次男。
官位は従一位・摂政 関白・太政大臣。
通称は法性寺関白ホッショウジカンパク。
25歳にして鳥羽天皇の関白に就任。
その後も崇徳・近衛・後白河の3代に渡って
摂政・関白を務める。
その歌は柿本人麻呂にも恥じない
漢詩は菅原道真より優れていると
書家として法性寺流を開いた。


六月からお謡のお稽古が始まる
リモートのお稽古も選べるが
行くことにした
いつでも予約すればお稽古が出来る
というのは
予約しなければお稽古しなくてもよく
怠け者の私めは
この休みの間
お謡は全くお稽古してない
先生のお手本も聞いていない
締め切りがないと
スイッチが入らないらしい
写真は
前に古本屋で買った謡本
昭和11年1月
84年前の1936年の印刷発行
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ちぎりおきし

2020-05-29 23:39:32 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号七十五
契りおきし
させもが露を命にて
あはれ今年の
秋も去イぬめり
 藤原基俊フジワラノモトトシ
『千載集』雑・1023

藤原 基俊フジワラノモトトシ
平安時代後期の公家・歌人・書家。
藤原俊家フジワラノトシイエの四男。
藤原北家の出身で藤原道長の曾孫
源俊頼と共に院政期の歌壇の指導者として活躍した。
藤原俊成は弟子。
古筆多賀切の筆者


何日か前の夜
今日の料理をみていたら
ちりめん山椒を作っていた
食べたいと思ったら
ネットで探して送ってもらった
今日はそれを茹でてアク抜き
山椒の香りが広がる
なんて爽やかなんだろ
夜ご飯は稲庭うどんの
めんつゆに
できたての山椒を叩いて入れた
残りは冷凍保存
食べすぎた
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うかりける

2020-05-28 23:46:17 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号七十四
うかりける
人を初瀬の山おろしよ
はげしかれとは
祈らぬものを
源俊頼朝臣ミナモトノトシヨリアソン
『千載集』恋・707

うかりけるとは=
つれなかったあの人を

源 俊頼ミナモトノトシヨリ
平安時代後期の貴族・歌人
宇多源氏、大納言・源経信の三男
父は歌番号七十一の夕さればの源経信ミナモトノツネノブ
堀河天皇近習の楽人
篳篥ヒチリキに優れる
堀河院ホリカワイン歌壇カダンの中心人物となる
『堀河院百首』を企画・推進した。
白河法皇の命により『金葉和歌集』を撰集。

今日は
昨日に続いて片づけ
断捨離とまではいかなくとも
片づける
2番目の本棚を整理して
いらないもの
取り敢えず集めた
それと着物があちこちの
箪笥に入っているので
これも整理したいが
時間がかかるはず
力仕事は疲れるので休んでばかり
その度おやつを食べる
続きは明日だ
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高砂の

2020-05-27 22:59:44 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号七十三
高砂の尾の上オノヘの桜
咲きにけり
外山トヤマの霞
たたずもあらなむ
権中納言匡房

大江 匡房オオエノマサフサ
平安時代後期の公卿、儒学者、歌人。
大学頭・大江成衡の子。
官位は正二位・権中納言。
江帥「ごうのそつ」と号す。
藤原伊房・藤原為房とともに
白河朝の「三房」と称された
大江氏は古くから学者の家柄であり、
匡房も幼少のころから文才があったと伝えられる。
曾祖母は歌番号59やすらはでの赤染衛門

今日は
いつもお茶碗研究会でご一緒する
みーさんに電話した
お茶碗研究会は五月まではお休み
その先を先生とお話しした
六月からも暫くお休み
まだいつから始めるかは未定と
みーさんに連絡
どうしてるのと聞くと
「午前中はお謡を三十分謡い
そのあと暇だから
台子を出してあるので
奥伝を毎日一つずつお稽古してるわ」
誰とと聞くと
「ひとりよ
お点前はひとりで出来るでしょ」
「すぐ忘れるから
脳トレにも丁度良いのよ」
全くその通りだが
なかなか出来ない事だ
お茶人だねぇ
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音に聞く

2020-05-26 22:51:18 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号七十二
音に聞く
高師タカシの浜の
あだ波は
かけじや袖の
ぬれもこそすれ
 祐子内親王家紀伊ユウシナイシンノウケノキイ
『金葉集』恋下・469

祐子内親王家紀伊ユウシナイシンノウケノキイ
平安時代院政期の日本の女流歌人、
後朱雀天皇の皇女祐子内親王の女房。
女房三十六歌仙の一人。
一宮紀伊、紀伊君とも。
母は祐子内親王家小弁(こべん)。
紀伊守藤原重経(素意法師)は
兄とも夫とも言われている。
母と同じく祐子内親王家に出仕した


このお休み中に
できるだけ断捨離して
スッキリしよう
と思っている
今日は
ひとつ目の本棚の片づけ
いらない本は捨てよう
程々で今日は終わり
広げただけで片づいてないじゃない
がっくり
明日も続いて片づけ
出来るかな
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夕されば

2020-05-25 23:20:21 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号七十一
夕されば
門田の稲葉おとづれて
芦のまろやに
秋風ぞ吹く
 大納言経信ダイナゴンツネノブ
『金葉集』秋・183

大納言経信は源 経信ミナモトノツネノブ
平安時代後期の公家・歌人。
源道方の六男。
桂大納言と号す
詩歌・管絃に秀で、
有職故実にも通じ、
その多芸多才は藤原公任に比較された。
歌番号74うかりけるの源俊頼の父である


今年86歳のアイさんから電話があった
何年か前はうちにお稽古に来て
お茶事の亭主や客に何度もなった
どうしてるのとのこと
いつもは近くのお友達と流派を越えて
お楽しみのお稽古をしていたのだが
この自粛期間はお休み
お茶のお稽古がしたいわ
難しい伝物のお点前したいのと
アイさんもかつて
八重洲の京都館で指導していた
たくさんの人に指導して
とても楽しかった
お茶の思い出を次から次に
熱っぽく語るアイさんと
一時間以上お喋りした
緊急事態宣言は解除された
安定したらお互い
元気で会いましょう
写真は
同じく86歳の
キヨコ様制作の茶入の押し絵
お電話すると
お声は相変わらずで
張りのある大きな声
安心した
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いづこも同じ

2020-05-24 22:04:22 | 短歌・俳句の事
百人一首歌番号七十
寂しさに
宿を立ち出でて眺むれば
いづこも同じ
秋の夕暮れ
 良暹ヒョウゼン法師
『後拾遺集』秋・333

良暹リョウゼン
平安中期の僧・歌人。
比叡山の僧で祇園別当。
その後大原に隠棲し、
晩年は雲林院に住んだといわれている。


今日の読売新聞に
「ひとり朗読」のすすめが出ていた
誤嚥ゴエンを防ぎ体をしゃっきりする為に
声帯の繋がってる声筋コエキンを衰えさせてはいけない
高齢者は一度衰えると
もどすのが難しいとか
それを鍛えるに朗読がいいらしい
自粛生活でお喋りも少ない
私は個人的に友人と音読会をしていたが
今は出来ない
ひとりでは出来ない
でも
こういうときのため
お謡のお稽古があるじゃないの
明日から
お稽古しようっと
写真はサカチカ製の「青梅」だ
昨日食べ、
また今日も食べた
お薄のみたい
誰か点てて欲しい
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嵐吹く

2020-05-23 22:07:03 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号六十九
嵐吹く
三室ミムロの山の
もみぢ葉は
龍田タツタの川の
錦なりけり
能因法師ノウインホウシ
『後拾遺集』秋・366

能因ノウイン
平安時代中期の僧侶・歌人
俗名は橘永愷タチバナノナガヤス
法名は初め融因
中古三十六歌仙の一人
和歌に堪能
伊勢姫に私淑し、その旧居を慕って
自身の隠棲の地も摂津国古曽部にさだめ、
古曽部入道と称した
藤原長能に師事し、
歌道師承の初例とする


午前中ブルーベリーが届いた
手摘みのブルーベリー
種類がたんさんあるらしい
頂いたのは三種類
それを食べ比べる
粒を摘まんで頬ばる
よく見ると粒の形が違い
可愛らしい
酸味と甘味も微妙に違う
ブルーベリーと言うと
若きの愛読書
赤毛のアンを思い出す
青春の甘酸っぱい
思い出を味わいつつ
ブルーベリーをむしゃむしゃ
まだ残ってるから明日も
青春を思いおこそうかな
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恋しかるべき

2020-05-22 23:17:53 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号六十八
心にも
あらでうき世にながらへば
恋しかるべき
夜半の月かな
 三条院サンジョウイン
『後拾遺集』雑1・860

三条天皇サンジョウテンノウ
日本の第67代天皇
諱イミナは居貞(おきさだ / いやさだ)
976~1017
冷泉天皇の第二皇子。
母は藤原兼家の長女超子。
花山天皇の異母弟。
冷泉天皇の第二皇子。


ずっと雨
午前中は庭に出て
チャドクガをチェックする
木戸に近いところ
高く伸びているところに
いたいた
大きくバッサリ切った
また方向を変えて見ると
いるのだ
ゾクゾクしながら
バシバシ伐採
塵ゴミに出した
午後は年賀状の整理
ついつい思い出にどっぷり浸る
大したことしてないのに
一日が早い
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夢ばかりなる

2020-05-21 22:49:44 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号六十七
春の夜の
夢ばかりなる手枕タマクラに
かひなく立たむ
名こそ惜しけれ
 周防内侍スオウノナイシ
『千載集』雑・961

周防内侍スオウノナイシ
平安時代後期の歌人である。
女房三十六歌仙の一人。
本名は平 仲子タイラノチュウシ
後冷泉、後三条、白河、堀河天皇の
4朝に女房として仕えた。
住んでいた家を人手に渡して出るとき
柱に歌を書き付けた
場所は冷泉堀川北西角で(1190年代)まで
荒廃したまま残っていたという。
その周防内侍スオウノナイシの旧宅の柱に
歌が残っているというので、
旧跡・名所のようになり
鴨長明や西行も訪れたらしい。


今日は
お昼頃サカチカさんが「焼鮎」の
お菓子を持って来てくれた
甘いの美味しいね
お茶のお稽古がないと
和菓子を食べない
コンビニのアイスクリームか
柿の種だ
写真は
赤の下野シモツケ
枝を切ってサカチカさんに
お菓子のお礼
又来てね
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もろともに

2020-05-20 21:57:57 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号六十六
もろともに
あはれと思へ山桜
花より外に
知る人もなし
 前大僧正サキノダイソウジョウ行尊ギョウソン
『金葉集キンヨウシュウ』雑・556

行尊ギョウソン
平安後期の天台宗の僧侶・歌人。
平等院大僧正。
父は参議源基平。
園城寺(三井寺)の明尊の下で出家、
頼豪から密教を学び、
覚円から灌頂を受けた
能筆でもあった


今日想望庵様にお電話したら
アベノマスクが届いたとのこと
うちにはまだ届いていない
写真は
親戚の敏子地ちゃんが作ってくれた
浴衣のマスク
夏に向かってさわやかだ
半年ぶりくらいに会った
敏子ちゃんはミーちゃんの元ママ
ミーちゃんを乱暴にもみくちゃにしていた
ミーちゃんは怒りもせず受け流してた
けなげだ
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恨みわび

2020-05-19 23:02:46 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号六十五
恨みわび
ほさぬ袖だに
あるものを
恋に朽ちなむ
名こそ惜しけれ
 相模サガミ
『後拾遺集』恋・815

相模サガミ
平安時代後期の歌人
初名は乙侍従オトシジュウ
中古三十六歌仙
女房三十六歌仙の一人
夫の任地相模国より相模と呼ばれた
歌番号55瀧の音はの藤原公任の子の
歌番号64藤原定頼との恋愛も有名


今、BS日テレで三渓園をやってますと
ラインが来た
その時、テレ朝の格付けテレビを観ていたが
チャンネルを変えて
ぶらぶら美術館の方をみた
5年前の再放送らしい
三渓園のいくつかの建物の詳細な説明
普通は観れない隣春閣の二階に上がると
百人一首の色紙が貼られて
定家の時雨亭から
雨がテーマだと
言っていた
三渓園は
鮮やかな青紅葉が美しい
昨年五月に披いた三渓園茶会が
遥か昔のような気がする
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朝ぼらけ

2020-05-18 23:04:41 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号六十四
朝ぼらけ
宇治の川霧たえだえに
あらはれわたる
瀬々セゼの網代木アジロキ
 権中納言定頼ゴンチュウナゴンサダヨリ
『千載集』冬・419

藤原 定頼フジワラノサダヨリ
平安時代中期の公卿・歌人。
藤原公任フジワラノキントウの長男。
中古三十六歌仙の一人
少し軽薄な性格であったようで、
小式部内侍にやり込められた
逸話が残っている。
相模や大弐三位などと関係を持った。
音楽・読経・書の名手であり、
容姿も優れていたという。

今日は雨なので
片づけはしない
どうしてるかな
友人に電話
とっても
楽しかった
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今はただ

2020-05-17 22:41:40 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号六十三
今はただ
思ひ絶えなむ
とばかりを
人づてならで
言ふよしもがな
左京大夫道雅サキョウノダイブミチマサ
『後拾遺集』恋・750

藤原 道雅フジワラノミチマサ
平安時代中期の公卿・歌人。
藤原伊周フジワラノコレチカの長男。
祖父の藤原道隆フジワラノミチタカに溺愛されて育つ
中古三十六歌仙の1人
世上荒三位、悪三位などと呼ばれたという
藤原道長の曾孫だ

今日は従姉と初めてテレビ電話
お互いが映るとなんだか
嬉しくて笑ってしまった
終わってもう一人の従姉に連絡すると
ガラケーだったので
お互いが画面に映る
その嬉しさは味わえなかった
残念

テレビをみると
東京も神奈川も
外出自粛宣言が解除されていないが
人が多い
大丈夫か

白珪尚可磨ハッケイナオミガクベシ

写真は
ごろり ミーちゃん
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